出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語73-2-231933/10天祥地瑞子 中の高滝王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
詳細情報:
場面:
高照山
あらすじ
 言霊の水火より成り出でた神霊を神と称え、神と神との婚ぎによって生れた神霊を命という。美玉姫の命は命の名を称えた最初の神である。
 善悪相混じ、美醜互に交はる惟神の経綸によって、高照山の八百八谷の隈にも、妖邪の気が鬱積して邪神が顕現した。これは、大宇宙には絶対的の善もなく、また絶対的の悪もないことから来ている。
 如衣比女の神は高照谷の中津滝で禊をした。比女はその時、大蛇に食われて亡くなってしまう。眼知男の神は大蛇に向かって言霊を発射したが効かず、悲しみにくれて、宮へ帰る。
名称
太元顕津男の神 大蛇 眼知男の神 美玉姫の命 如衣比女の神
国魂 邪神 主の神
天の河 妖邪の気 高照谷 高照山 高日の宮 天界 天国 中津滝
 
本文    文字数=6799

第二三章 中の高滝〔一八五四〕

 太元顕津男の神は、主の神の神言もちて高日の宮に禊し給ひ、如衣比女の神に御逢ひて美玉姫の命を生ませ給ひ、初めて命の名を称へ給へり。言霊の水火より成り出でましし神霊をすべて神と称へ、神と神との婚ぎによりて生れませる神霊を命と言ふ。これより後神と命の御名を判別して、言霊の神より出でし神なりや、婚ぎによりて出でし神なりやを明かにすべし。
 善悪相混じ、美醜互に交はる惟神の経綸によりて、紫雲棚曳く高照山の八百八谷の隈には妖邪の気鬱積して茲に邪神は顕現し、大神の神業に障らむとするぞ忌々しけれ。世人謂らく、天界または天国と言へば、至善至美至厳至重にして、寸毫の濁りなく、塵埃なく、清浄無垢なるべしと。吾もまた神界の奥底を探知するまでは世人の如く考へ居たりしが、実地の探検によりて、意外の感に打たれたるほどなり。さりながら、至善至美のみにしては宇宙の気固まらず、万有は生れざるなり。悪臭紛々たる糞尿を土に与ふれば、土地忽ち肥沃して五穀は豊にみのり、百の花は美しく咲き、果物蔓物、野菜に至るまでよく生育し、かつ味よろしきが如し。故に醜悪の結果は美となり、善となり、良味良智となるものなるを知るべし。ただ善悪の活用の度合によりてその所名を変ずるのみ。この大宇宙には絶対的の善もなく、また絶対的の悪もなし。これ惟神にして自然の大道と言ふなり。
 如衣比女の神は御子の日に月に生ひ立ちませるを楽しみて、朝な夕な森林をかきわけ、高照谷の中津滝に禊せむと出でたまふ。さしもに鬱蒼として猿もなほ攀づべからざる岩壁を伝ひ出でます事の危さを思ひて、眼知男の神は女神の後より密かに遠く従ひ給ひぬ。如衣比女の神は中津滝の水勢の猛烈さとその荘厳とに打たれて、しばし恍惚として、吾身のあるを忘れて如衣比女の神は御歌を詠ひたまはく、

『仰ぎ見れば雲より落る中津滝の
  水の勢すさまじきかな

 天地もわるるばかりの滝の音に
  われは寒さを身に感じつつ

 天の河の末の流と思ふまで
  この中滝の水の秀強きも

 たぎち落る水瀬の音に穿たれし
  この滝壺は底なかるらむ

 常磐木は天を封じてそそり立ち
  中を一条おつる滝はも

 国魂の神を生まむと吾はここに
  岩根をよぢて登り来しはや

 滝津瀬の勢いかにつよくとも
  神国のために禊せむかな』

 かく歌ひてざんぶとばかり滝壺に飛び込み給へば、猛烈なる渦に巻き込まれて水底深く沈み給ふ。折もあれ眼知男の神は息せきと此処に現れ来り、如衣比女の神の影の失せたまひたるに驚き、如何はせむと右往左往しながら厳の言霊宣り上げ給ふ。

 『一二三四五六七八九十百千万!

 あはれ今如衣の比女は滝壺の
  底ひも深く隠れましけり

 主の神の深き経綸か知らねども
  この有様をわれ如何にせむ

 主の神の経綸とあれば吾もまた
  心やすけくここにあるべし

 滝壺の水底深くかくれにし
  比女神思へば心おちゐず

 美玉姫の御子の命の居ます世に
  隠れますとは心もとなき』

 かく謡ふ折しも、滝壺より頭に鹿の如き大なる角を生したる大蛇、如衣比女の神をくはへながら頭を水面に擡げたれば、眼知男の神は大に驚き、厳の言霊を繰返し繰返し、大蛇の帰順を主の大神に祈り給ふ。如衣比女の神は大蛇の巨口にくはへられながら、

『吾は今荒振神に呑まれつつ
  主の大神の御許にゆかむ

 背の岐美に吾が事具に語れかし
  なんぢ眼知男の神よ』

 眼知男の神は慄ひながら、

『神の代を曇らし奉る大蛇神
  命にかけて言向け和はさむ

 一二三四五六七八の言霊に
  まつろひまつれ大蛇の神よ』

 かく詠ひ給ふ眼知男の神を尻目にかけながら、大蛇は比女神をくはへたるまま姿を水中に匿しける。眼知男の神は水面の渦を眺め入りながら、如何にして顕津男の神に復命申さむやと、とつおひつ思案にくれ給ふ。

『天地の眼知男の神ながら
  比女を助くるよしなき苦しさ

 わが魂は曇らひにけむ言霊の
  霊験は見えず比女失へり

 如何にしてこの有様を比古神に
  つたへまつらむ苦し悲しも

 主の神のみはかり事とは知りながら
  今日の艱みは目もあてられず

 主の神の御いきになりし天界も
  曲の荒びのあるは悲しき

 喜びと栄えにみつる天界に
  歎きありとは思はざりしを

 美玉姫命の神代に立たすまでと
  思ひしことも水泡となりける

 中津滝の水泡と消えし如衣比女の
  ゆくへは何処主の神の右か

 顕津男の神言の御稜威も比女神の
  なやみ救はす術なきものか

 如衣比女神去りますと聞かすならば
  歎かせたまはむ比古遅の神は

 如何にせむ泣けど叫べど如衣比女
  行方は水泡となりたまひぬる

 とうとうと無心の滝はこの歎き
  つゆ知らぬがに落ちたぎちつつ

 常磐木の松の梢も声ひそめ
  科戸の風の音づれもなし

 吹く風の便りもがもと思へども
  せむ術もなき谷間なりけり

 いざさらば巌を下り岩根樹根
  ふみしめふみしめ宮居に帰らむ』

 眼知男の神は愁歎やる方なく、如衣比女の神の沈ませ給ふ滝壺を恨めしげに眺めやりつつ、悄然として岩壁を下り、谷の難路を岩の根樹の根踏みわけ踏みしめ、辛うじて高日の宮に帰り着かせ給ひぬ。

(昭和八・一〇・一六 旧八・二七 於水明閣 加藤明子謹録)



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