出口王仁三郎 文献検索

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物語70-1-11925/08山河草木酉 信人権王仁三郎参照文献検索
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第一章 信人権〔一七六八〕

 往古文化の中心、仏祖の出現地なる七千余ケ国をかためて一団となしたる印度は、浄行、刹帝利、首陀、毘舎その他各種の階級が設けられてゐた。ことに印度はバラモン教の根元地ともいふべき国である。さうしてウラル教はデカタン高原の一角に、相当に勢力を保ち、バラモン教の本城ハルナの都に向かつて、ややもすれば教線を拡張し、大黒主の根底を覆へさむとするの慨があつた。ここに大黒主は宣伝将軍を四方に遣はし、殊にこの方面は大足別将軍に数千の兵を与へて、討伐のみを主たる目的にて出発せしめたのである。
 さてデカタン高原内の最も土地肥えたるトルマン国は余り大なる区域ではないが、相当に沢山な人が住んでゐる。さうして地理上の関係からウラル教を奉じてゐた。トルマン国の王の名はガーデンといふ。ガーデンはウラル教を信ずるでもなく、また排斥するでもなく、祖先伝来の宗教として、弔ひの儀式にのみ用ふるくらゐの観念を持つてゐた。しかるに国民の過半数はウラル教を奉じ、一部分はバラモン教に入り、二三分通りはスコブツエン宗に新たに入信することとなり、その勢ひは燎原を焼く火の如くであつた。ハルナの都の大黒主はバラモン教の宣伝使を遣はして、トルマン国を全部バラモンの勢力範囲になさむものと、いろいろ苦心の結果、到底バラモンの名にてはこの国の人心に投じないことを悟り、狡猾にして万事抜目のない大黒主は、日頃手慣けおいた、寵臣のキユーバーに命じ、バラモン教の名を避けて、スコブツエン宗といふ、変名同主義の宗教を築かせ、まづ第一にトルマン王を帰順せしめむと百方尽力してゐたのである。
 トルマン王のガーデンには千草姫といふ王妃があり、太子はチウイン、王女はチンレイといつた。左守の司をフーランといひ、妻モクレンとの中にテイラといふ一人娘があつた。右守の司はスマンヂーといひ妻は已にこの世を去り、ハリスといふ一人の娘をもつてゐた。しかるに王をはじめ、左守右守はバラモン教はもとより、スコブツエン宗には何ほど勧められても入信せず、体的方面の政治のみに没頭してゐたのである。ここにバラモン軍の大足別が、にはかにトルマン城の攻撃を開始した経緯について、その大略を述べてみやうと思ふ。
 トルマン城を去る十数里を隔てた、ある小さき山里の古ぼけた祠の前で、二人の首陀が何事かしきりに囁きあつてゐた。春の初めとはいへど、まだ風は寒く青草の芽は去年の記念物たる長い枯草の間から細長く空を覗いてゐる。
レール『信仰的に自覚した吾々の擡頭を見て、バラモン階級の鬼畜どもは周章狼狽し、尠なからず戦慄し恐怖を感じたものとみえる。彼奴らは自分等の占有せる支配の地位たる宗教上、経済上より顛覆しつつある己れ自身を解し、哀れ至極にも泣き面をかわき、勃興せる三五運動の大征伐に向かつて今や死物狂ひになつてゐる。溺れむとするものは毒蛇の尻尾でも生命かぎりに掴まむとするものである、諺通りの彼奴等の狂態は、噴飯の価値以外には全くゼロだ』
マーク『さうだねー、浪速節語の屁放爺に奏任待遇を与へたり、若衆に僧服を纒はせたり、老衆に民風作興を卸売りしたり、糞造機の似而非宗教家に思想善導の元売捌きを許したのを見ても、いよいよ彼奴らが境遇を暴露せるもので、思へば実に哀れな次第ではないか。これを見ても今までに虐げられた吾々三五教徒に取つては溜飲が下がるやうだ、痛快千万だアハハハハ。しかしながら今日の場合、吾々は毫も油断はできない。なほ層一層この運動に大努力を要する天下別目の時期だ。バラモン教徒の滅亡は自業自得の結果として拱手傍観すべきではない。自業自得の必然性を認むればこそ、かつ鼬の最期屁の害毒の甚大なるを悟ればこそ、吾々は最善の戦法を選んで一刻も早く宗教戦の勝利を得るやうに、奮闘努力せなければならぬ。彼奴等のこの自業自得の収獲こそ人類史上、最大罪悪の裁判の結果で、一点の恕すべきところはないのだ。ただ吾々は彼奴らの滅亡を一日も早く断行し、促進することが寧ろ彼奴等に対してせめてもの優遇だ、弔ひだ、ハナムケともなるべき慈善だ。アハハハハ』
『俺たち仲間の第一癪にさはることは暴利の権化ともいふべきブル的宗教家の今日のやりかただ。好景気時代に、己れ先づシコタマ信徒の油を搾り懐中をふくらせやがつて、最後にお義理的に申し訳的に、渋々われわれ三五教信者へホンの鼻糞ほどのお守り札をくれよつて、恩情主義だの何のと臆面もなく業託を吐き、俺たちの汗や油を搾つて妾宅を造り、栄華の夢に酔ひ潰れ、一朝不景気風が吹き始めると、何はさておきイの一番にお札の値下げだの、お払ひ箱だのと大鉈を振り上げ、人間の生命を制し、ミイラを製造しておきながら、己れは依然として甘い汁をシコタマ吸収し、そして吐すことを聞けば……宗教界に不景気風が吹き荒み、真価は日を追うて暴落としてきた。こんな悪現象を招来した原因は信仰律低下と、教義の余りに高尚に過ぐるからだ……と吐きやがるのだ。そして洒々として澄まし込んでゐやがる。ブル宗教家連中もやはり吾々同様に白い米を喰つて黄色い糞を垂れる人間の片割れだ。こんな奴が覇張つてゐる宗教界は何時になつても駄目だないか』
『そりやその通りだ、俺も同感だ。しかし今日の僧侶どもは実に怪しからぬ代物ではないか。俺たちの仲間に対して吐すことには、「お前たちのやうな悪信仰の没分暁漢連がやかましくいつて飛び廻るものだから、宗教は日に月に悪化し混乱状態に陥るのだ」と吐きやがる。こんな僧侶の盲目どもは、梵鐘を鳴らしたから火事が起つたと吐かす没分暁漢だ。更にまた「人間社会に貧乏といふ怪物が現はれるのは、食物の生産力に比して人口の加増率が一層多きためだから、これを救済する唯一の良法は貧乏人たちが節制して、あまり沢山な子を産まないやうにするのが、社会救治策の最善なる方法手段だ」と主張する馬鹿な学者も現はれてきた。さて何れも理窟は抜きにして、かくのごとき坊主が社会に公然として生存し得るのも、畢竟宗教家第一主義の社会なればこそだ、思へば涙の溢れるほど有難きお目出たき次第だ。
 バラモン主義の現代の社会において横綱たる、ブル宗教家力士の土俵入りに従ふ雑僧の太刀持ちや、露払ひを勤むる御用学者の出場などは、実に見物人の吾々にとつては立派で見事である。この土俵入りを拝見するためには、ずゐぶん種々の美はしい名目で、過重な見料を否応なしに徴集されるのだから、吾々の貧弱な骨と皮との痩肉には、錦上更に花を飾るといふお目出たい状態だ。アア吾々信徒はこのお目出たに対して祝福の言を述べねばならぬ。一層声を大きくして、横綱力士の今に土俵の外に転げ出て、手足を挫き吠面を曝らす幕切りを見たいものだ、アハハハハ』
『一日も早くその土俵入りの盛観と幕切りを拝見したいものだ。腕を撫し固唾を呑み拳骨でも固めて……』
『それはさうとして、僕の友人なる首陀のバリー君に、大喇嘛が「貴様は首陀の分際でありながら、浄行の言語を使用し、頭髪を長くしやがつて怪しからぬ奴だ」といふ罵詈雑言の末、如意棒をブラ下げた髯のある立派な番僧に散々つぱら毒付かれたのだ、「首陀のくせに浄行の語を使ひくさる」とは、首陀と浄行とは別国人だ。印度人ではないといふ以上に軽蔑の意味が充分に含まれてゐるのだ。この番僧が大喇嘛から「浄行語を使ふ首陀は用捨なく蹴り倒せ、擲りつけよ」との命令を受けてゐたか否かは別問題として、首陀向上運動の煽動者であることだけは君も知つてゐるだらう。ゆゑに吾々は不逞首陀団と目されてゐる憐れな運動者よりも、まづいはゆる番僧連を、信徒安定の上からみて厳粛に取締らねばなるまいと思ふのだ。実に思うても馬鹿々々しい問題だが、番僧連は片手で浄首融和会といふ魔酔薬を突き出し、片手では「浄行語をエラソウに使ひくさるから」とて拳骨を突き出してゐるのだ。しかし首陀向上団の連中から聞いてみると、幸か不幸か魔酔薬も拳骨もあまり好感をもつて迎へられてゐないさうだ』
『僕はそれだから、近頃途上ではなるべく浄行の番僧には会はないやうにと注意してゐるのだ。「貴様は首陀階級の癖に俺の顔をみるとは生意気千万な奴だ」と直ぐに擲られるのが嫌だからだ。ホントに馬鹿々々しいぢやないか』
『馬鹿らしい事といつたら、一夕俺の亡妻の追悼会を催した事があつたが、数日の後に婆羅門総本山から番僧が御出張遊ばされて、「お宅の追悼会を少しも知らなかつたところ、今日本山から散々に小言を言はれ、大いに目玉の飛び出るほど叱られた。それでお宅様の追悼会には誰だれが集まつたか、どんな弔辞があつたか聞かしてくれろ」との仰せだ。僕は葬婚の礼儀さへ弁へ知らぬ番僧連にはホトホト呆れ返つて、開いた口が早速に閉まらなかつた。そこで余り業腹が立つので、「幾ら番僧だつて葬式や婚儀にまで干渉する権利はありますまい。宗権を蹂躙するものだから、そんな事は答弁の限りではござらぬ」とキツパリ温順に言つて退けてやつた。さうするとこの頓馬番僧、その翌朝から毎日六ケ敷御面相を遊ばして、宅の表に如意棒をブラ下げながら頑張つてござるが、いづれの目的がお在り遊ばすのか俺には合点がゆかない。またその番僧の非常識なやり方を遊ばすのは、何の理由だか知る由もないが、大喇嘛から叱られた時はなほ「一層酷しく首陀向上会をヤツつけろ」といふ約束が番僧間の金科玉条とされてゐるのか、とにも角にも不都合な話だ。実に吾々には迷惑のいたりだ。ウラナイバラニズムの好い見本だ。キキキキだ』
『ともかく一日も早く吾々の向上運動を進めて、根本的に大運動、いな荒料理のメスを振はなくては駄目だ。われわれ首陀信徒は自滅するより外に進むべき道はないのだ。何といつても黴菌を怖れ、難病を避ける医学博士、毒蛇や毒草を避けて通る博物学者、テンデ貧乏人には接近しない活仏や、弱い者を虐める牧師の公々然として頭をもたげる暗黒世界だもの、況んや俗の俗たる婆羅門僧侶においてをやだ。吾々はあくまでも婆羅門どもの根城を根本の土台から転覆させむ事には、信仰独立権を保持することさへ六かしからうよ』
 二人の三五信者なる首陀が、盛んに森蔭に腰を下ろして談じてゐる所へ、錫杖をガチヤつかせて悠然と現はれたのは、婆羅門教の宣伝使キユーバーであつた。二人は宣伝使の姿を見るよりまたもやバラスパイが来よつたなーと、にはかに話頭を転じて、
レール『この間死んだ俺の伜から幽冥通信があつたが、その音信に「地獄界は僧侶や牧師ばかりで満員だ。普通の人間では殺人、放火ぐらいなもので、あまり罪が軽すぎて滅多に地獄に入れてはくれない。しかし坊主や牧師ならその名称だけでも幾人でも割り込むことが出来る」とのことだつたよ』
キユーバー『君たちは今何を話してゐましたか、穏かならぬことを喋つてゐたやうだなア。お前の姓名は何と言ふか、聞かしてもらひたいものだ』
レール『俺の名は俺だ、友人の名は友人だ。坊主はどこまでも坊主だ。オイ兄弟、サア行かう』
と尻に帆かけて一目散に逃げ出した。キユーバー(急場)に迫つた時は三十六計の奥の手だと、頭を抱へてトントントンと畔路を倒けつ転びつ走り行く。
 かれ婆羅門教の宣伝使は、スコブツエンといふ一派の宗旨を開いた新婆羅門の教祖であつて、婆羅門の大棟梁大黒主が意を承け、ひそかに第二の準備に取りかかつたのである。大黒主は万々一婆羅門教が、ウラル教または三五教に潰された時は、スコブツエン教に身を托すべく、かれキユーバーに数多の機密費を与へ、かつ特殊の権利と地位を与へて、隠密の役目を申付けてゐたのである。故にかれキユーバーは何の不自由も感ぜず、傲然として高く止まり、官民を睥睨しつつ天下を横行濶歩してゐたのである。大足別将軍も、かれが特殊の地位にゐることと、絶大なる権威を大黒主に授与されてゐる事を知つてゐるので、抜目のなき大足別は、キユーバーに対しては色々と媚びを呈し、かつ彼の前に出でては、ほとんど従僕のごとき態度をもつて望み、維命維従ふのみであつた。
 さてキユーバーが東地の都の大黒主の内命を受けて開いてゐる婆羅門教の別派、スコブツエン宗は、由来難行苦行をもつて神に奉仕の誠を捧ぐるものとなし、聞くだに恐ろしき苦行の教団である。百千の苦行を信徒に向かつて強ひる点は、婆羅門教と少しも異りはないが、ことに甚だしき苦行は、婦人がヱマスキユレートすなはち男性化の修業で、変性男子の願を立てて女性たることを脱せむとする事が、最も重要とされてゐる。その方法には卵巣除去法と乳房除却法とがあつて、卵巣除去法の修業になると、百人の中九十九人まで生命を殞すに至る、実に惨酷なる修業であり、乳房除却法に至つては、白熱せる火箸をもつて婦人の乳房を焼き切るのである。かくした者に対して、教主および重役人が婆羅門大神へ奉仕を標章するため焼印を押す。これを熱火の洗礼と称へてゐる。かくして切り落とされた乳房は聖壇に供へられ、これを捧げたる犠牲者は聖座に安置されて、神のごとくに崇敬されるのである。そして聖晩餐の食物中には、乳房の断片が混ぜられ、会衆一同これを喫し終るや、犠牲者の周囲に熱狂せる舞踏が演ぜられるのである。その光景は実に凄惨きはまるもので、正しき神々の所為でないことはこれを見ても判るのである。およそ乳房は女性のシンボルであり、美のシンボルであり、また婦人生殖器の一部とさへ考へられてゐた。畢竟、婦人を代表さるものは乳房だといふ観念の下に立てられた邪教なのである。
 印度に興つた宗教の説は概して、自我の世界は纒綿の世界であるとか、出纒の行と述ひ、無我と道ひ、空と謂ひ、解脱と曰ひ、涅槃と説つて、いはゆる転迷開悟に専らなる諸々の宗教が発生するだけあつて、土地と気温の関係のしからしむるためか、印度といふ国は恐ろしく美しい、かつ物凄く壮大な自然に包まれた、何百種かの人間が幾百種の階級を作り、幾百種の言語を使つてゐる国だけあつて、樹上に三年、石の上に十年も立つたり坐つたりしてゐたり、穴の中の逆立を三ケ月間もつづけて修業するとか、水ばかり呑んで生きるだけ生きるとか、木乃伊となるために氷雪の裡、岩角の上に飲食物を絶つて坐つて修行するといふやうな迷信、妄信、愚信、悪邪信の醗酵地であり、持戒、精進、禅定、忍辱などと八釜敷く叫びながらも、淫靡、不浄、惰弱で始末にをへない国民性である。それゆゑに自然の結果としてスコブツエン宗のごときものが発生し得たのである。
 かれ教祖のキユーバーは凄い眼をギヨロつかしながら、レール、マークの二人の談話を耳敏くも聴き取つて、大黒主の国家を覆へすものと憂慮し、二人の逃げゆく姿を追跡せむと金剛杖を力に、一生懸命に焦慮出したのである。しかるに彼の二人は逸早くも山林に姿を隠し、谷川の水を掬つて咽喉を潤しながら、
レール『オイ、マーク大変な奴に出会したものだないか。彼奴は大黒主の邸内に数年前まで出入して、大黒主の御覚え目出度かつたといふスコブツエン宗の親玉ぢやないか、下手に魔誤ついてゐたら大黒主より重罰に処せられる危ないところだつた。あんな坊主が何故あれほど威張り散らしよるのだらう。何故あんな不完全きはまる宗教が亡びないのだらうか』
マーク『印度七千余国には幾百の小さい宗教があるが、何れの宗教も完全なものは一つも無いにきまつてゐるよ。ことにあの宗教はことさら不完全きはまる未成品宗だから、命脈を保つてゐるのだ。凡て不完全なものには将来発達すべき余地があり、未来があるのだ。完全は行詰りを意味し、結局滅亡の代名詞に外ならないのだ、アハハハハ』
『さうすると吾々の運動も成功せない未完成の間が、花もあり、香もあり、実もあり、世人からも注目されるのだな。アハハハハ』
『ナアニ俺達はブルジョア宗教やラマ階級に圧迫され苦しめられ、明敏な頭脳が滅茶苦茶になつたので、チツとばかり小理窟を覚えてゐるのを利用して、実は滅茶苦茶な革正運動をやるやうになつたのだ。しかしかういふ頭悩でなければ、創意創見は生れて来ないのだ。復古を叫ぶ人間は必ず覚明家だ。石火坊子団はすなはち石下坊主団だ。日露協約の結果は白雪までも赤化したぢやないか、アハハハハ。それだから吾々は天の表示を確信して驀地に進まむとするのだ。アア一日も早く吾々の目的を達成せなくては、到底われわれ三五信者兼首陀向上会員は身の置き所がなくなつてしまふわ。「白雪も日露協約で赤く化し」』
 かくて両人はまたもやキユーバーの悪口に花を咲かせ、不平の焔を燃やすをりしも、執念深いキユーバーの窺ひ寄る姿が木の間を透かしてチラチラと見え出したのに肝を潰し、尻はし折つて山林深く逃げ出してしまつた。

(大正一四・二・一三 旧一・二一 加藤明子録)



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