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物語69-1-11924/01山河草木申 大評定王仁三郎参照文献検索
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第一章 大評定〔一七四六〕

 太平大西両洋にまたがり、常世の波をせきとめて、割つた屠牛の片脚のやうにブラ下つてゐる南米大陸は、春夏はあつても秋冬の気候を知らぬ理想的の天国である。太洋より絶えず吹き来たる清風は、塩分を含んで土地をますます豊饒ならしめ、人頭大の果実は随所に豊熟し、吾人が坐して尚あまりある如き数多の花は四方に咲きみだれ、数万種の薬草は至るところの山野に芳香を放つて繁茂し、アマゾン河におち込む数千の支流には数十万種の魚族が棲息し、山には金銀銅鉄石炭等の鉱物を豊富に包蔵し、特に石炭の産額は全世界にその比を見ざるところである。しかしながら現今は未だ充分に採掘の方法が備はつてゐないので、あたら宝庫を地に委してゐる次第である。
 アンデス山脈は高く雲表に聳え、海抜一万四五千尺より三万尺の高地である。そして山の頂には狭くて十里、広きは数十里に亘る高原が展開してゐる。樹木の数も我が国より見ればなかなか多い。またブラジル国を流るるアマゾン河の川幅は、日本全国を縦に河中に放り込んでも、まだ余るやうな世界一の大河である。
 特にペルウ、ブラジル、アルゼンチン等の原野には、日本の柿の木のやうな綿の木が所どころに天然に繁茂し、青、黄、赤、紫、白等自然の色を保つた綿が年中梢にブラ下つてゐる。また竹のごときも日本内地のすすき株のやうにかたまつて生え、太さは横に切つて、棺桶や手桶が造れるくらゐである。蕗の如きは一枚の葉の下に十人くらゐ集まつて雨を凌ぐことが出来るやうなのがある。牛馬羊豚などは際限もなき原野に飼ひ放しにされてゐるが、それでも持主はめいめい定まつてゐる。味の良き苺やバナナ、無花果などは少し低地になると厭になるほど沢山に出来てゐる。そして猿に鹿、野猪などは白昼公然と人家近くよつて来て平気で遊んでゐる。鷹のやうな蝶や蝙蝠、また蜂のやうな蟆子、雀のやうな蜂、拳のやうな蠅が風のまにまに群をなしてやつて来ることもある。すべてが大陸的で日本人の目から見れば実に肝を冷すやうなことばかりである。しかしながら瑞月は伊予の国道後温泉のホテルの三階に横臥したまま目に映じたことを述べたに過ぎないから、あるひは間違つてゐるかも知れない。南米の事情に詳しき人がこの物語を読んだならば、始めてその虚実が分るであらう。ただ霊眼に映じたままを述べたに過ぎない。
 三五教の宣伝使国依別命が、神素盞嗚大神、言依別命の命により、瑞の御霊の大神が八人乙女の末女末子姫に娶ひて、アルゼンチンの珍の都の国司となりしより、天下泰平国土成就して四民和楽し、珍の天国を永久に築き上げ、国民は国司の仁徳を慕うて、天来の主師親と仰ぎ仕へまつることとなつてゐた。しかるに常世の国よりウラル教の思想いつとはなく、交通の発達と共に輸入し来たり、日を追ひ月を重ねて、やうやく国内には妖蔽の兆を呈して来た。到るところに清家無用論や、乗馬階級撤廃論が勃発し、互ひに党を作り派を争ひ、さしもに平和なりしアルゼンチンは、やうやく乱麻のごとき世態を醸成するに至つたのである。
 国依別はやうやく年老い、城内の歩行にも杖を用ゐるに至り頭に霜を戴き、前頭部はほとんど電燈のごとくに光り出した。末子姫もやうやく年老い、中婆さまとなつてしまつた。国依別末子姫二人の中に国照別、春乃姫といふ一男一女があつた。国照別は父国依別の洒脱にして豪放な気分を受け、幼少より仁侠を以て処世の方針としてゐた。そして清家生活を非常に忌み嫌ひ、隙間があれば、城内をぬけ出し簡易なる平民生活をなさむと考へてゐたのである。
 国司を補佐して忠実につとめてゐた松若彦、捨子姫もやうやく年老い、松依別、常盤姫の二子をあげてゐた。そして松若彦の部下に伊佐彦、岩治別の左右の重職があつて、松若彦の政務を補佐しつつあつた。

 神素盞嗚の大神が  皇大神の経綸を
 遂行せむと斎苑館  後に眺めてはるばると
 天の岩樟船に乗り  アルゼンチンの珍の国
 珍の都に天降りまし  八人乙女の末子姫
 国の司と定めつつ  国依別の神司
 夫と定めて合衾の  式を挙げさせ勇み立ち
 再びフサの産土の  厳の館に帰りしゆ
 三十三年の星霜を  経にける今日の都路は
 薨も高く立並び  数十倍の人の家
 建てひろがりて南米に  並ぶものなき大都会
 交通機関は完成し  数多の役所は立ち並び
 大商店は櫛比して  昔のおもかげ何処へやら
 うつて変りし繁栄に  驚かざるはなかりけり
 国依別と末子姫  二人の中に生れたる
 国照別や春乃姫  容色衆にぬきんでて
 珍の都の月花と  南米諸国に鳴りわたり
 若き男女の情緒をば  そそりて血をばわかせたる
 遠き神代の物語  褥の上に横たはり
 言霊車ころぶまに  面白をかしく述べて行く
 ああ惟神々々  御霊幸はへましませよ。

 珍の都の高砂城内評定所の別室には、大老松若彦を始め、伊佐彦、岩治別の老中株が首を鳩めて秘密会議を開いてゐた。空はドンヨリとして何となく蒸暑く、一種異様の不快な零囲気が室内を包んでゐる。松若彦は二人の老中株に打向かひ、水ばなをすすりながら、骨と皮との赤黒い腕を前へニユツと出し、招き猫よろしくの体で歯のぬけた口から、慄ひ慄ひ先づ火葢を切つた。
『御両所殿、今日は御多忙のところ早朝よりよく御来城下さつた。今日お招き申したのは、折り入つて御両所に相談したきことがあつて、自分の決心を忌憚なく吐露し、御両所の御援助を得たいと思ふのだ』
と言ひながら、コーヒーを一口グツと飲んで、顎鬚にしたたる露を、分の厚いタオルでクリクリと二三遍拭うた。
伊佐『御老体の身をもつて、何時も国家の重職に身命を捧げ下さる段、誠に感謝に堪へませぬ。そして今日吾々をお招きになつた御用件は如何なる事か存じませぬが、吾々の力の及ぶ事ならば、国司のため、珍の国のため、あらむ限りの努力を払ふでございませう』
松若『イヤ、それを聞いて松若彦安心をいたした。岩治別殿、貴殿もまた伊佐彦殿と御同感でござらうなア』
岩治『いかにも、左様、吾々は元より身命を君国のために捧ぐる者、閣下のお言葉に対し一言半句たりとも、違背いたす道理はございませぬ。しかしながら今日の世は大いに改まつてをります。革新の気分が漲つて参りました。それゆゑ慨世憂国の吾々、閣下のお言葉によつては、或は国家の将来を慮るについて背かねばならないかも分りませぬ。そこは予め御承知を願つておきます』
松若『なるほど、貴殿の言はるる通り、今日の社会は昔日の社会ではない。日進月歩、ほとんど止まるところを知らない世の中の情勢でござる。ついては松若彦が御両所に御相談と申すのは、御承知の通り老齢職に堪へず、大老の職を辞し、新進気鋭の御両所に吾が職を譲り、退隠の身となり、光風霽月を楽しみ、閑地につきたいと欲するからでござる。何と御両所において吾が希望を容れ、後任者たる事を承諾しては下さるまいか』
伊佐『これは怪しからぬ閣下の仰せかな。閣下は珍一国の柱石ではござらぬか。上下の一致を欠き、清家と衆生との争闘烈しき今日、国家の重鎮たる閣下が今日の場合、万々一退隠さるるやうの事あつては、それこそ乱れに紊れし国家はいやが上にも争乱を勃発し、社稷を危ふうするの端を開くのは最も明らかなる道理でござる。何とぞこの儀ばかりは思ひ止まつていただきたう存じます』
松若『貴殿の勧告は一応もつともながら、老齢職に堪へざる身をもつて国家重要の職にをり、後進者の進路を壅塞し、国内の零囲気をしてますます腐乱せしむるは、拙者において忍びざるところ、何とぞなにとぞ吾が希望を容れ、御両所の中において大老の職を預かつてもらひたい』
岩治『成るほど、松若彦様のお言葉の通り、齢幾何もなき老人が国政を執るは国家の進運を妨ぐること最も甚しく、かつ惟神の大道に違反するものならば、お望みの通り御退隠なさいませ。拙者は実のところは数年前より只今のお言葉を期待してをりました。実に賢明なる閣下の御心事、イヤはや感激の至りに堪へませぬ』
 伊佐彦は憤然として言葉をあららげ、
『コレハコレハ御両所とも、以ての外のお言葉、左様な意志薄弱なることでは民を治むる事は出来ますまい。あくまでも国家のために犠牲的精神を発揮遊ばすのが大老の御聖職ではござらぬか。岩治別殿は松若彦様に対し、御諌言申し上ぐることを忘れ、自らその後釜に坐り、畏れ多くも、国司様の代理権を執行せむとするその心底野望のほど、歴然と現はれてをりますぞ。左様な野心を有する役人が上にあつては、下ますます乱れ、遂には収拾すべからざる乱世となるでせう。拙者はあくまでも松若彦様の御留任を希望して止みませぬ』
岩治『これは怪しからぬ伊佐彦の言葉、拙者は決して野心なんか毛頭持つてゐませぬ。よく考へて御覧なさい。松若彦様はすでに御頽齢、かやうな時には、新進気鋭の若者でなくては国家を支持し、民心をつなぐ事は出来ますまい。さすが賢明なる松若彦様、この間の消息を御推知遊ばされ、進んで自決の途に出でられたのは、天晴れ国家の柱石と称讃申し上ぐる外はありますまい。及ばずながら御心配下さるな。みごと拙者が松若彦の後任者となつて、上は国司に対し、下国民に対して、至真至粋至美至愛の善政を布き、珍の天地を神素盞嗚大神が降らせ玉ひし、昔の天国浄土に立直して御覧に入れませう』
伊佐『おだまりなされ。貴殿は老中の地位に在りといへど、無能無策、到底国家の重任に堪へざるは、上下一般の認むるところでござる。常に大言壮語を吐き、私立大学を創立して不良青年を収容し、国家顛覆の根源を培ふ悪魔の張本、たうてい城中の政治を左右する人格者ではござらぬ。それだといつて外に適任者はなし、御苦労ながら松若彦様に今一度の御奮発を願はなくては、たちまち貴殿のごとき非国家主義者が政権を掌握さるる事となつてしまふ。これ国家のために最も恐るべき大事変でござる。貴殿にして一片報国の至誠あらば体よく老中の地位を去り、爵位を奉還し、野に下つて民情をトクと視察し、その上更めて意見を進言なされ。この伊佐彦のある限り、どこまでも貴殿の欲望は遂げさせませぬぞ』
 松若彦は心の中にて……到底今日の世の中、今まで通りではやつて行けないことは、百も千も承知してゐた。されど投槍思想を帯びた岩治別に政権を渡せば、たちまち国家の根底を覆すであらうし、真に国家を思ふ伊佐彦に政権を渡せば、時勢おくれの保守主義を振りまはし、ますます民心離反の端を開くであらう、ハテ困つた事だなア、退くには退かれず進むにも進まれず、国内一般の民情を見れば、上げもおろしも、自分の力ではならなくなつて来た。たうてい清家政治や閥族政治のいつまでも続くべき道理がない……否かくのごとく乗馬階級の政治的権力は最早最後に瀕してゐる。何とかして国内の空気を一新し、人心の倦怠を救ひ、思想の悪化を緩和し、上下一致の新政を布きたいものだ。アアどうしたらよからうかな、……と水ばなをすすり、腕をくみて両眼よりは涙さへ滴らしてゐる。三人は何れも口を噤んで互ひに顔を見守つてゐる。
 そこへ浴衣の上へ無雑作に三尺帯をグルグル巻きにして、鼻唄を唄ひながらやつて来たのは国照別であつた。
国照『ヨー、デクさまの御集会かな、たうてい、干からびた古い頭では、碌な相談もまとまりはしまい、……ヤアー松若彦、お前は泣いてゐるのか、お前もヤツパリ年が老つた加減か、よほど涙つぽくなつただないか、……ヤア保守老中の伊佐彦に投槍老中の岩治別だな、……ヤ面白からう、一つ大議論をやつて退屈ざましに僕に聞かしてくれないか。僕も実のところは清家生活がイヤになつて、どつかへ飛び出さうと思つてゐるのだが、何をいつても籠の鳥同様、近侍だとか、衛士だとか旧時代の遺物が僕の身辺にぶらついてゐるものだから、どうすることも出来やしない。これも要するに頭の古い大老の指図だらう。僕の親爺は、決してこんな窮屈なことは、好まない筈だ。オイ酒でも呑んで、いさぎようせぬかい。高砂城内で涙は禁物だからのう』
 松若彦は手持無沙汰に涙をかくしながら二三間ばかり座をしざり、畳に頭をすりつけながら、
『コレハコレハ、若君様でございますか、エライ御無礼を致しました。何とぞ何とぞ神直日大直日に見直し聞直し、無作法をお赦し下さいませ』
国照『オイ、爺、ソリヤ何をするのだ。左様な虚礼虚式的な事は、僕は大嫌ひだ。モウちつと活溌に直立不動の姿勢を執つて、簡単に挙手の礼をやつたらどうだ、あまりまどろしいぢやないか』
松若『恐れ入りました。しかしながら城内には城内の規則がございますから、有職故実を破るわけには参りませぬ。礼なくんば治まらずと申しまして、国家を治むるには礼儀が第一でございますから、こればかりは何ほどお気に入らなくても許していただかねばなりませぬ。これは珍の国の国粋とも申すべき重要なる政治の大本でございます。礼儀なければ国家は直ちにみだれ、長幼の序は破れ、君臣父子夫婦の道は亡びてしまひます』
国照『ウンさうか、それも結構だが、お前がもしも国替へをして、居らなくなつても、有職故実は保存されると思うてゐるのか、今日の人間の心はそんなまどろしい事は好まないよ。何事も手取り早く埒をつけることが流行する世の中だ。昔のやうに歌をよんだり、長袖を着てブラブラと遊んでをつた時代とは世の中が変つてゐる。昔の百倍も千倍も事務が煩雑になつてゐるのだから、そんな辛気くさい事はたうてい永続すまいよ』
岩治『実に痛み入つたる若君様のお言葉、岩治別、実に感激に堪へませぬ。かくの如き若君様を得てこそ、珍の国家は万代不易、国家の隆昌を期する事が出来るでせう。親君様はもはや御老齢、いつ御上天遊ばすかも知れぬこの場合、賢明なる若君様の御心を承り、岩治別、イヤもう、大変な喜びに打たれ、勇気が勃々として湧いて参りました。この若君にしてこの臣あり、老中の仲間に加へられたる吾々なれど、未だ心まで老耄はしてをりませぬ。何とぞ若君様、微臣を御心にかけさせられ、重要事務は微臣に直接御命令下さいませ。松若彦殿は老齢職に堪へずとして、ただいま吾々の前に辞意をもらされました』
国照『ウンさうか、松若彦もモウ退いてもいいだらう。伊佐彦もずゐぶん古い頭だから、此奴も駄目だし、岩治別は少しばかり今日の時代に進みすぎてるやうでもあり、また遅れてるやうなところもあり、たうてい完全な政治はお前たちの腕では出来さうもない。僕が親爺に勧告して退職をさせ、簡易なる平民生活に入れてやり、安楽な余生を送らせたいと思つてゐるのだから、一層のこと、お前たちも大老や老中なんか廃して、安逸な田園生活でもやつたらどうだ。僕も大いに覚悟してゐるのだからな』
 三人は国照別の顔を無言のまま、盗むやうにして打ち守つてゐる。国照別は無雑作に、
『高砂城の床の置物、無神経質の骨董品殿、三人よれば文殊の智慧だ。トツクリと衆生の平和と幸福とを擁護し、人民の思想を善導すべく神算鬼謀を巡らしたがよからう。アア六かしい皺苦茶面を見て肩が凝つてきた。ドーラ、馬にでも乗つて馬場でもかけ廻つてこうかな』
と言ひすて、足音高く奥殿さして進み入る。後見送つて松若彦はまたも涙を垂らしながら、
『肝心要の後継者たる若君様が、あのやうなお考へでは最早珍の国家は滅亡するより仕方ない。アア困つた事になつたものだ、なア伊佐彦殿』
 伊佐彦は真青な顔して、唇をビリビリふるはせながら禿げた頭をツルリと撫で、
『閣下の言はるる通り、困つた事でござる。どうして珍の衆生を安穏ならしめ、お家を永遠に栄ゆべき方法を講じたらよろしうございませうか。深夜枕をもたげて国家の前途を思ひ見れば、実に不安の情に堪へませぬ』
岩治『アツハハハ、この行詰つた現代を流通させ、衆生が皷腹撃壤の天国的歓楽に酔ひ、おのおの業を楽しむ善政を布くは何でもない事でござる。御両所たちはかう申すと憚り多いが、頑迷固陋にして時代を解し玉はざるためでございませう。時代の潮流を善導してさへゆけば、珍の衆生は国司の徳を慕ひ、たちまち天国の社会が展開されるは明らかな事実でございますぞ。ともかく退隠遊ばすが国家の進展上第一の手段だと考へます。徒に旧套を墨守して衆生の心を抑へ、社会の進歩を妨ぐるにおいては何時いかなる大事が脚下から勃発するかも知れませぬぞ。拙者は決して自己の権利を得むがため、または政権を壟断せむがために論議するのではありませぬ。国家を救ふのは拙者の考ふるところを以て最善の方法と思ふからです。御両所におかせられても、速やかに色眼鏡を撤回して拙者の真心を御透察下さらば、自らお疑ひが解けるでせう』
松若『侫弁をもつて己が野心を遂行せむとする貴殿の内心、いつかな いつかな、その手に乗る松若彦ではござらぬ。及ばずながら拙者は珍の国の柱石、かくなる上は最早御心配下さるな。拙者は命のあらむ限り、君国のために、老齢ながら奮闘努力いたして見よう。ついては伊佐彦殿、今日只今より岩治別に対し、老中の職を解くから、貴殿もさう考へなされ。そして今後は何事も拙者と御相談な仕らう』
 伊佐彦は喜色満面にうかべかがら、「ヤレ邪魔者が排斥された」……と言はぬばかりの態度にて、
『閣下の仰せ、ご尤も千万、国家のため、謹んで祝し奉ります。岩治別殿、大老よりのお言葉、ヨモヤ違背はござるまい。サア速やかにこの場を退出召され』
と居丈高になつて罵つた。
岩治『これは怪しからぬ両所のお言葉、拙者は貴殿等より任命された者ではござらぬ。永年国務に鞅掌いたした功労を思召され、国司より老中の列に加へられたる者、しかるを大老の身をもつて吾々に免職を言ひつくるとは、実に不届き千万ではござらぬか。貴殿等は神権を無視し、国政を私するものと言はれても遁るる言葉はござりますまい。乱臣賊子とは貴殿等のことでござる』
と居丈高になり声荒らげて睨めつけた。
 松若彦、伊佐彦は目配せしながら、ソツとこの場を立つて国依別国司の御殿に進み入る。
 後に岩治別は双手を組み、越方行末のことなど思ひ浮かべて、慨世憂国の涙にくれてゐた。そこへ若君の国照別は慌しく只一人入り来たり、
『オイ、岩治別殿、一時も早く裏門より逃れ出でよ。汝を捉へて獄に投ぜむと、二人の老耄爺が大目付を呼び出し手配りさしてゐる。サア、時遅れては取返しがつかぬ、早く早く』
とせき立てた。岩治別は挙手の礼を施しながら「ダンコン」とただ一言を残し、夕暗を幸ひ、姿を変じて裏門より何処ともなく消えてしまつた。
 三五の月は東の山の端を照らして、高砂城内の騒ぎを知らぬ顔にニコニコと眺めてゐる。

(大正一三・一・二二 旧一二・一七 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)



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