出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語69-0-11924/01山河草木申 巻頭言王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
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あらすじ
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本文    文字数=16460

巻頭言

 吾々が現代において最も虫の好かない嫌ひな者は沢山にある。先づ第一に借金取りの矢の催促、次に絹足袋をはいて歩きまはる商店の丁稚、知つたか振りをして英語交りの会話をやる奴、婆アの眉毛造りに、ハイカラ青年の赤いネクタイ、白頭爺の鍋墨顔、女学生の巻煙草、風呂の中の葱節、眼鏡越しに光つた眼をして人の面を下から上に覗くやうに見上げる奴、可笑しくもないのに、幇間的追従笑ひをする奴、箱根越えずの江戸つ児を用ゐる奴、豹や狐の皮の首巻をする女等、数限りもなく嫌ひな者がある中に、最も虫の好かぬのは、現代の政治家、宗教家の唱ふるところの信教の自由を壅塞する時代遅れの宗教法案等である。因循姑息と時代錯誤と、頑迷無智と不親切と、偽善生活、厚顔無恥、没常識等をもつて充たされた連中が、万世一系天壤無窮の神国の国政を料理しようとするのだからたまらない。憲政の逆転か時代の錯誤か、時勢の要求か知らないが、今日の清浦内閣の顔触れをみると、田舎の町はづれの方にありさうな八百屋店の、干からびた南瓜胡瓜大根蕪のやうな、到底中流の家庭の料理にも適せない、味の悪い歯切れのしない難物ばかりである。しかしながら吾々は政治家でないから、却つてかういふ内閣が出来たのが時代に相応してゐるのかも知れない。あるひは天意であるかも分らない。政治圏外に在る吾々はただ表面から見ただけの事をいふまでだ。それよりもこの時代に当つて精神的文明を皷吹し、国民信仰の中心とならねばならぬ宗教家の現状を見ると、これまた日暮れて道いよいよ遠しの感に打たれざるを得ないのである。排他と猜疑と身勝手、自己愛と嫉妬より外に知らない円頂緇衣の徒や、アーメンの先生たちは何をしてゐるのであらうか。普選案が通過するとか、即行されるとかいふ噂を聞きかじつて、仏教家も牧師連も神職も教育家も、全部手に唾して、逐鹿場裡に立つて出ようとする形勢が仄見えてゐるやうだ。僧侶や牧師などは特に政治以外に超然として神仏の教を説き、国民を教化してこそ宗教家の権威が保たれるのでないか。もし過つて宗教家が薬鑵頭に湯気を立て、捩鉢巻で選挙場裡に立つやうなことがありとすれば、それこそ信仰上の大問題である。壇家は嫉視反目し、信者は党を作り、宗教家を敵視するやうになり、信仰の中心人物を失つてしまふ。さうすれば従つて神仏の権威も失墜し、信仰の中心、思想の真柱を失ふ道理だ。吾人は思ふ、たとへ普選案が通過し、宗教家や教育家に被選挙権が与へられたにしても、かかる俗界の仕事は俗人輩に任して、超然的態度を執つて欲しいものだ。
 しかしながら翻つて宗教界の裏面を考へてみれば、超人間的宗教家は金の草鞋で日本全国を探しても、滅多に有りさうにもない。種々の悪思想の洪水が氾濫して、ヒマラヤ山上を浸さむとする今日の場合、釈迦、キリスト、マホメット、孔子に老子、小にしては空海、日蓮、親鸞、法然その他高僧知識と呼ばれる連中を一つに円め、団子にして喰ふやうな宗教界の偉人が現はれて来なくては、到底この人心の悪化を救ふことは出来ぬであらう。吾人は数十年間各宗教家を漁つて、超人間的人物を捜してみたが、寡聞寡見の吾々には到底求むる事を得なかつた。そこで、信仰に国境はないといふ点から、米国のバハイ教を研究し、朝鮮支那の新宗教を研究して、この現代の世界を救ふべき真の宗教家はないかと探しつつあるのだ。腐敗堕落と矛盾とに充たされた現代の暗黒社会には、たうてい大宗教家、大理想家は現はれさうにもない。しかしながらどつかの山奥には、天運循環の神律によつて一人や半人ぐらゐは現はれてをりさうなものだ。
 今年は甲子更始の年である。この葦原の瑞穂国(全地球)のどつかには、一大聖人が現はれるか、または太陽、大地、太陰を串団子となし、星の胡麻をかけて喰ふやうな大豪傑が現はれて来さうなものだと思ふ。さうでなくては到底この無明暗黒な世界を救ふことは出来ないと思ふ。吾人は本年甲子よりここ数年の間において、たしかに斯世を天国浄土に進展せしむべき一大偉人の出現することを固く信じ、神仏を念じて、待つてゐるのである。吾人が前陳の理由によつて、バハイ教と提携し、あるひは支那朝鮮の新進宗教と握手したのも、決して現代の宗教家のごとく自教を拡張せむためでもなく、ただ単に我が国家の前途を憂へ、世界平和と人類愛のために尽さむとする真心に外ならぬのである。惟神霊幸倍坐世。
   大正十三年一月十五日(旧十二年十二月十日)

   月の歎かひ

 吾は淋しき冬の月
 下界を眺め大空に
 涙の顔を曇らして
 独り慄へる悲惨さよ
 浜の真砂の星の数
 銀河の岸につどへども
 吾まつ星は一つだになし
 いづれの星もことごとく
 月の出ぬ夜を楽しむか
   ○
 吾は淋しき冬の月
 涙かくして大空に
 独り慄へる悲惨さよ
 大地一面草や木の
 梢に遍くおく霜に
 冷き宿を求めつつ
 千々に心を砕くかな
   ○
 吾は淋しき冬の月
 御空に高く打ち慄ひ
 下界はるかに見渡せば
 吾が宿るべき池水は
 雪や氷に鎖されて
 映る術なき悲惨さよ

   杜鵑

 吾は深山の杜鵑
 降りみ降らずみ五月の空を
 さまよひながら声嗄らし
 友を求めて泣き叫ぶ
 アアうらめしや照る月を
 深く包みし天津空
   ○
 吾は深山の杜鵑
 八千八声鳴き暮し
 血を吐く思ひの最後の声も
 月がないたと言はれてる
 ほんに切ない吾が思ひ

   第十八宇和島丸

 船の今神港波止場を出でむとし
  惜しみ見送る八人乙女等

 艶人の波止場に立ちて振る比礼に
  涙にしめる風のさやれる

 甲板に立ちて波止場の見えぬまで
  首巻振りて別れを惜しむ

 波の音船の響きもおだやかに
  辷り行くなり瀬戸の内海

 キラキラと夕日に映ゆる波の上を
  心静かに進む楽しさ

 皇神の深きめぐみは瀬戸の海
  波照る今日の麗しきかな

 紫の波の中より抜き出でて
  永久に静けき淡路島山

 夕日影波を照らして明石潟
  馳せ行く汽車の影の床しさ

 東路の地のさわぎを余所にして
  静かに浮ぶあはぢ島山

 照る波の宇和島丸に身をあづけ
  心うきうき進む今日かな

 窓開けて船の外面を眺むれば
  胡蝶のごとき白帆漂ふ

 淡路島呼べば答ふるばかりなる
  磯辺をかすりて船の行くなり

 天地も波も静けき船の上に
  いと騒がしく八重の子鳥啼く

 淑き人の送り来たりし神戸港は
  遠くかすみぬ心淋しも

 照り渡る波のあなたに淋しくも
  ひとり浮べる一つ松島

 牛嶋の影目に入りて吾が胸は
  いとどかなしく成りまさり行く

 ためしなき静けき海に浮びつつ
  過ぎし昔を思ひうかぶる

 九年前に開きし神島は
  昔ながらに吾が身老いぬる

 瀬戸の海隈なく晴れて鴎飛ぶ
  波はてるてる船は良く行く

 甲板に立出て海原見渡せば
  魚鱗の波に夕日輝く

 常になき波路と聞けど甲板は
  やはり冷たき風の吹き来る

 八重の波おしわけ進この船は
  如何なる人の造りしなるらむ

 七人の男子女子の一行が
  倶にのり行く神の方舟

 波の音船のどよめき余所にして
  鳴り渡るかな蓄音器の声

 十二夜の月の光を浴びながら
  浮世の瀬戸の海渡るかな

 冬の日の寒さも知らぬ船室に
  一夜を送りぬ瀬戸の海原

 荒るるかと予て思ひし波の上
  いとも静かに越ゆる内海

 蓄音器鳴りを鎮めてあとしばし
  波の話を打ち解け語る

 十二夜の月は波間に砕けつつ
  火竜となりて海原に躍る

 月寒く御空にふるひをののきて
  星のまたたき清き海原

 十二月十二の月影浴びながら
  水の御魂ぞ初渡航する

 十二月十二の空に瀬戸の海
  乗り行く火伏せ水の大神

 たまさかの船の旅路に空晴れて
  立ちもさわがぬ瀬戸海の浪

 空はれて銀波ただよふ瀬戸の海
  のり行くわれぞ楽しかりけり

 煙突の黒煙空に蜒々と
  風に伸び行く竜の如くに

 吾が船の黒煙空をかすめつつ
  月のおもてを包みつつ行く

 一つ星波の上近くまたたきて
  月をも待たで沈まむとぞする

 西へ行く月逐はむとや吾が船は
  波を蹴立ててひた走り行く

 われ一人ただわれ一人寒き夜に
  宿を立出で月に歎きぬ

 月一つ御空にふるひ地に一人
  友なくふるふ吾ぞわびしき

 空の月何をふるふか瑞の月
  今海上にあり近く語りね

 月清く大空寒く星晴れし
  波路を辷る船の長閑さ

 夜もすがら月を友とし甲板に
  立ちつつ深き思ひに沈む

 灯台の光目当てに進み行く
  宇和島丸の勇ましきかな

 島の影波のまにまに浮き出でて
  静けき夜を淋しく送る

 二つ三つ島影見えて海の音
  一入高く鳴り響きつつ

 波の音いと高々と聞こえけり
  磯辺に船の近附きしならむ

 あどけなき小娘共に船の旅
  いとさわがしく海原すすむ

 淑き人と手をとり寒き甲板に
  立ちて御空の月を偲ばゆ

 月照れる甲板の上に汝と二人
  静かに立てば鴎啼くなり

 若やぎて昔の吾に還りつつ
  月下の甲板に二人たたずむ

 よき人と二人甲板にたたずめば
  沖のかもめが千代千代と啼く

 月一つ吾が船一つ甲板に
  二人たたずみ風を浴びたり

 吾が友のいねたるすきに起出でて
  意中の月と甲板に立つ

 小夜更けてかもめの声も静まりぬ
  されどさやぎぬ意中の月に

 アアぬくいぬくいと窓にかけよつて
  硝子なめつつビスケット食ふ

 一等室吾が一行に交はりて
  狸老爺がただ一人居る

 このやうな低い所に電燈が
  あるかと見れば禿チヤンの天窓

 汽笛の音いと高松につきにけり
  時しも既に午後の九時前

 甲板に人の足音しげくなりて
  仲仕の声も高松港内

 クナビーノ相手となして相撲取れば
  あまり力の入れどころ無し

 瀬戸の海黄金の波をかきわけて
  宝の舟をやるぞ楽しき

 小舟二隻またたく間に覆し
  一伏したる瀬戸の荒浪

 吾がのれる船は多度津の浜近く
  なりて一入波音たかし

 昨日より晴れ渡りたる港さへ
  矢張世人は今治と言ふ

   伊予高浜上陸

 吾がのれる宇和島丸は午前七時半
  無事高浜に月汐の空

 信徒の誠心こめて迎へたる
  波止場の景色いとど賑はし

   松山城

 松山城山の尾の上にそそり立ち
  吾待ち顔に見ゆるおもほゆ

 君が代のいづの栄えを松山の
  空にそびゆる天守閣あはれ

   道後公園

 めづらしき岩石樹木おき並べ
  清く築ける貴の公園

 松山の金亀の城を背景に
  広く造れる道後公園

 山水の粋をあつめし道後の
  珍の公園見るもさやけき

   道後温泉

 久方の天津日の御子の天降りまして
  憩はせ玉ひし貴の御室かな

 艶人も浮世の衣を脱ぎ捨てて
  赤裸々となり霊肉洗ふ

 神霊の湯にひたりつつ信徒と
  楽しく遊ぶ道後公園

 浮き沈み七度八度のり越えて
  裸の大丈夫神霊を洗ふ

 神の湯や霊湯の札を売りひさぐ
  これの館の麗はしきかな

 天地の神の恵みの最とふかき
  道の後なる神の湯に浴る

   ○

 たちまちに四人の記者に取まかれ
  おもはず費やす貴のタイムを

 数十人珍のまめ人あつまりて
  いと新しく語り合ふかな

 洋服や和装の記者が訪れて
  和洋折衷の談話交しつ

 岡の上にいらかも高くかがやきて
  道後見下ろす阿房宮かな

 またしても二人の記者が訪れて
  吾がスタイルを怪しげに見る

 野も山も春めき初めて湯煙の
  いと緩やかに立ち昇りつつ

 冬ながら春の景色の漂へる
  道後の花は城山公園

 一生の願ひ叶うて和田の原
  乗りこえ来にし道後温泉

 室外は春の光りの見えながら
  窓を開けば冷風来たる

 吾が姿カメラに入りて夕刊の
  紙面に早くも立ちにけるかな

 写真班道後ホテルに訪ね来て
  カメラに吾を収め帰りぬ

 感想は如何予言はいかにぞと
  五月蠅く打出す記者の言霊

 宇宙間恐るるものは無けれども
  神の誠の道に恐るる

 排他的既成宗教はあとにして
  開き行かなむ海の外まで

 自然愛自己愛而已の現代に
  何を語るも聞く人は無し

 敗残の大本なりと見縊りて
  訪ひ来る記者のけげん顔かな

 日に月に権威の重なる大本を
  誤解してゐる記者のをかしさ

○凝神著書澄懐観道。
○晴耕雨読。

 凝神著書澄懐観道の床の間の
  掛軸吾にふさはしくおもふ

 大小の島々あまた漂よへる
  瀬戸のながめは天津神国

 常磐木の茂り合ひたる浮島に
  胡蝶のごとく信天翁飛ぶ

 真帆片帆往き交ふ状は天国の
  珍の景色の偲ばるるかな

 年十二月また十二日も十二
  合はせて三六の今日の船出で

   大正十二年旧暦十二月十三日 於道後ホテル三階



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