出口王仁三郎 文献検索

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物語68-2-61925/01山河草木未 信夫恋王仁三郎参照文献検索
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第六章 信夫恋〔一七三〇〕

 夕陽山の端に傾いて、遠寺の鐘ボーンボーンと鳴り響き、諸行無常の世の有様を警告してゐる。間毎間毎に照り輝く銀燭の光に、変装太子の面貌はますます清く麗しく、錦衣を着用したるその姿は、スダルマン太子にも一層優りて威風備はり見えた。アリナはどことはなしに心引かれ、咳払ひさへも忍ぶやうな気になつてゐた。そこへ衣摺の音しとやかに簾の外に頭を下げ、二拍手しながら、
女『恐れながら殿下に申し上げます。今晩はお伺ひ申すところ御寵臣のアリナ様はお宅へお帰り遊ばし、殿下お一人、お淋しさうな御面持、お話相手にでもならしていただきませうと存じ、女の身をもつて、恐れ気もなく、私かに忍んで参りました』
 この奥女中はタラハン城市の豪商の娘で、行儀見習ひとして、殿中に女中勤めをしてゐる者である。そしてその名をシノブといふ。アリナは言葉も荘重に、
『アイヤ、そなたは奥女中のシノブではないか。余は女に用向きはない。すぐさま罷りさがつたがよからう』
シノブ『イエイエ、どう仰せられましても、今晩はアリナ様の御不在を幸ひ、殿下に親しくお目にかかつて、申し上げたい事がございますので、何と仰せられましても、一歩もここは引き下がりませぬ』
アリナ『不届千万な、そなたは余の言葉を用ひないのか』
『ホホホ、どうして殿下のお言葉が用ひられませう。妾がこの殿中へ女中奉公に参りましたのは何のためだと思召しますか。あなたに会ひたさ、お顔が見たさに』
『これは怪しからぬ。苟くも神聖なる殿中において、なまめかしいその言葉、不貞腐れ女奴、淫奔者奴。その方は身分を心得ぬか、さがり居れツ』
 シノブは、「ホホホホ」と笑ひながら、押し強くも簾をポツとはね上げ、アリナの膝近く進みより、穴のあくほどアリナの顔を見て、ニタニタ笑ひながら、
『オツホホホホ、何とマア、よく御似合ひ遊ばすこと、なア変装太子様。わたし本真者のやうに思ひましたよ。狐の七化け狸の八化けよりも上手ですワ』
『コリヤ シノブ、見違ひをいたすな。余は決して偽者ではない。正真正銘のスダルマン太子だ。女の分際として、玉座の前を恐れぬか』
 シノブは横目をしながら、アリナの膝をグツとつめり、
『モシ、アリナさま、駄目ですよ。サアどうか私のいふことを聞いて下さいますか、聞いて下さらな、何もかも大王様の御前で素破抜きますよ』
『アツハハハ、たうとう尻尾を掴まれたか、エー仕方がない。これほどよく化けてゐるのに、なぜお前は俺の変装太子たる事が解つたのだ。コリヤうつかり油断は出来ぬワイ』
『大王様が御覧になつても、現在のお父上が御覧になつても、本当の太子様とよりお見えにならないのですから、誰だつて偽太子と思ふものはありませぬワ。しかし、私が殿中へ御奉公に参りましたのは、実は貴方にお近づき申したいばかりでございます。いつぞや園遊会の時右守司のお屋敷でお目にかかつてから、恋とかいふ曲者に魂を取りひしがれ、寝ても醒めても貴方のお姿が忘れられないので、父母にいろいろと無理をいうてねだり、右守に沢山の賄賂を贈り、ヤツとの事で奥女中になつたのでございます。一度親しくお目にかかつて、吾が思ひのたけを申上げたいと、間がな隙がな伺つてをりましたが、いつも貴方は太子様のお側付、お一人になられた事がないので、ここ一年ばかりはお話する機会もなく、煩悶苦悩の結果、この通り身体がゲツソリと痩せました。今日は貴方のお後を慕ひ、一間に忍んで様子を考へてゐれば太子様との秘密話、正しく太子様の身代りとなつて、貴方はゐられることと堅く信じ、簾越しによくよく窺へばまがふかたなきアリナ様、サアもうかうなつた以上は厭でも応でも妾の恋を遂げさして下さいませ。スバール姫様とかいふ天成の美人を、貴方はお迎へにゐらつしやつたやうですが、何ほど美人だつて、躰が金で拵へてもございますまい。妾だつて、まんざら捨てた女ぢやあるまいと自信してをります。アリナ様、どうでございますか、手つ取り早くお返詞を願ひます』
 アリナは心の中にて、
『ヤア失敗つた。コリヤ一大事が突発した。しかしながら、のつ引ならぬシノブの強談判、ムゲに排斥するわけにもゆこまい。否これを排斥しやうものなら、恋の仇、身の怨敵となつて吾が身に迫り来たり、終ひには身の破滅になるかも知れぬ。そしてまたこのシノブはスバール姫に比べては、容色少しく劣つてゐるやうにもあるが、縦から見ても横から見ても十人なみ以上の女だ。一歩進んで此奴を恋女にしたところで、あまりアリナの沽券が下がるでもあるまい』
と咄嗟の間に決心を定め、ワザと言葉やさしく、
『ヤア、シノブ殿、人目を忍ぶ二人の仲、あたりに気をつけめされ。このアリナも木石ならぬ身の、一目そなたの姿を見染めてより、煩悩の犬に取りつかれ、心猿意馬は狂ひ出し、矢も楯もたまらなくなつて、今日が日までも堪え堪えし恋の淵、涙に沈むアリナが胸、何として其方に言ひよらうか、女にかけては初心の吾、恋てふものの心に芽を出だしてより、そなたに会ふも心恥づかしく、文の便さへも、躊躇してゐたのだ。今日始めて其方のやさしい心を聞いて、余も満足に思ふぞや』
『ホホホホ、余も満足とはよく出来ました。そんなら私の恋はキツと叶へて下さるでせうな』
『シノブどの、余の恋を、そなたも叶へてくれるであらうなア』
『ハイ、殿下の思召し、何しに反きはいたしませう。どうかエターナルに愛して下さいませ』
『しかしシノブどの、かうなつた以上は太子のお身代りになつて、高麗犬然とこんな窮屈な目をしてゐる訳にはゆかない。今頃は太子様もスバール姫と甘い囁きを交換してゐられるだらう。アーア、それを思へば、本当に馬鹿らしくなつて来た。一層のこと、お前と手に手を取つて九尺二間の裏店住居、世話女房とお前はなつて、簡易な平民生活を送らうぢやないか。お前のためなら、私は乞食をしても満足だから』
『ホホホホ、スダルマン太子と同じやうな事をおつしやいますな。モシ、アリナ様、物も相談ですが、太子様は平民生活が好きだと言つてゐらつしやつたぢやありませぬか。これを幸ひに、貴方はどこまでも太子となりすまし、タラハン国の王者となり、そして妾を王妃にお選び下さいませぬか、こんな嬉しい事はないぢやありませぬか』
『何と肝の太い事をいふぢやないか。さすがの俺も肝をつぶしたよ』
『ホホホホ、ようそんな事がおつしやられますワイ。あなたは最前から、「一層のこと、太子になりすまして、天一坊も跣足で逃げるやうな陰謀を遂行してやらうか」と、独語してござつたぢやありませぬか。そのお言葉を聞いて、ますます貴方の偉大な人物たることを知り、恋慕の念が一層高まつて来たのですよ。どうか心の底から打ちとけて何もかもおつしやつて下さいませ。妾は町人の娘だつて天下を覗うてゐる大化物ですよ。女子大学を卒業して、才媛の誉をとつたシノブ姫ですもの。ただ単なる恋愛のみに魂を奪はれませうか。現在のタラハン国を根本的に救済せむとする大人物はなきやと、平常も気の利いたらしい男の性行を調査してをりましたが、その適当な人物は貴方を措いて外にないことを悟りました。初めは貴方を大人物と知り、将来大事を成すべき大人格者と信じ、接近の機会を得むと、種々と手だてをもつて、この殿中の女中勤めとまで成りおうせ、太子様や貴方の御行動を監視してをりましたが、あまり立派なお心掛けを悟り、あなたに対する真の恋愛心が燃立つてきたのですよ、ホホホホ。どうか永久に可愛がつて下さいませ。そして妾と共に国家改造に力を尽して下さいますでせうね』
『足許から鳥が立つとはこの事だ。ここの殿中に奉仕してゐる老若男女は、何奴も此奴も虫の喰つた古い頭のガラクタばかりだと思つてゐたのに、お前のやうな新知識に生きた天才が潜んでゐるとは、さすがの俺も、今の今まで気がつかなんだ。ヤ頼もしい、願つてもないことだ。では余は飽くまでもスダルマン太子となりすまし、お前はここしばらくの間奥女中となつて、時々顔を見せてくれ。そして看破されないやう、影になり日向になり、余の身辺を保護するのだよ』
『冥加にあまる太子殿下のお言葉、謹んでお受け仕ります。必ず必ず御心配遊ばしますな』
『ヤ、出かした出かした、汝の一言、余は満足に思ふぞよ』
と早くも太子になつた心持ちで、言葉使ひまで改めてしまつた。
『モシ、殿下様、あまり永らくなりますと、疑はれる虞がございますから、今晩はこれにて罷り下がりませう。何分よろしく願ひます』
『ヤ、満足々々、汝が居間に帰つて安眠したがよからう』
『左様ならば、殿下にもお寝み遊ばしませ。妾は女中部屋へまかり下がりませう』
とソロリソロリと心を後に残して、ニタツと微笑みながら吾が居間さして帰り行く。
 アリナはシノブが帰り行く姿を見送り、
『アア、何と良いスタイルだらう。アアして裾を引きずり、シヨナリシヨナリと歩いて行く姿は俺の欲目か知らねども、スバール姫以上だ。ヤツパリ俺も色男だなア。今晩は太子様があの若々しい、淡雪のやうなスバール姫の胸を抱いてお寝みになるのに、自分は独り膝坊主を抱いて、けなりさうに夜の目もロクに眠られず、こがれ明すかと思つたに不思議なものだ。ヤツパリ一つある事は二つある。太子様も満足なら、俺も満足だ。しかしあのシノブ、気が利かない。人目を恐れて女中部屋へ帰つてしまひよつた。俺の方から私かに通ふわけにもゆかず、さうすれば太子の権威はゼロになる。もし彼奴にして俺をどこまでも熱愛してゐるならば、今夜は一睡もようしまい。キツと恋愛といふ曲者に引きつけられて、のそりのそりと吾が居間へ忍んで来るかも知れまい。

 もえさかる胸の焔を打ち消して
  しばし忍ばむしのぶ恋路を

 人の目をしのぶ二人の仲ならば
  しばし忍ばむ恋の暗路を

アーア、何だか妙な気分になつて来たワイ。モ、夜も更けたやうだし、夜分に御機嫌伺ひもあるまい。サアゆつくりと今日はこの太子も寝んでやらうかい』
と言ひながら、寝所に入り、ソファーの上に横たはり、疲労れ果てて、鼾声雷の如く眠についた。
 夜は森々と更け渡り、水さへ眠る丑満の刻限となつた。満天の雨雲の堤を切つて、土砂ぶりの雨は館の棟を音高く叩きはじめた。恋の曲者に捉はれて、まどろみ得ざりし女中頭のシノブは、雨の音を幸ひに他の女中の寝息を考へ、足音を忍ばせながら、ソロリソロリとアリナが寝所に忍び入つた。アリナは何事も白河の夜舟、荒波のほえたけるやうな鼾を立てて熟睡に入つてゐる。シノブはソファーの傍に寄り、ソツとアリナが胸に手を当て、小声になつて……
『モシ……モシ、アリナさまアリナさま』
とゆすり起した。アリナは驚いて、アツとはね起き、目をこすりながら、
『ナナ何だ、何事が起つたのだ』
と早くも駈け出さうとするのを、シノブは袖をひき止めながら、
『先づ先づおちつき遊ばしませ、別に怪しい者ではございませぬ。妾は貴方のお嫌ひなシノブでございます。妾の声を聞いて、倉皇として逃げ出さうとはあまりぢやございませぬか。あなた夕べ、私に詐つたのでございますか。エー悔しい、残念でございます。モウこの上は何もかも打ちあけてしまひますから、そのお覚悟なさいませ』
と早くも泣声になる。アリナは吃驚して、
『ヤア、お前はシノブだつたか、ヤ、それで安心だ。決してお前を嫌ふどころか、お前の事ばかり思つて寝んでゐたところ、父の左守がやつて来て、俺の化けの皮を現はし、ふん縛らうとした夢を見て吃驚したのだ。どうしてお前を嫌ふものか、そして殿中は何事もないのか』
 この言葉を聞いてシノブも稍安心せしものの如く、
『アアそれ聞いて、あなたのお心が解りました。御安心なされませ。殿中は極めて平穏無事でございます。妾は寝所へ這入りましても、貴方のお姿が目にちらつき、一目も眠られず、夜の明けるのを待ちかね、お顔見たさに人目を忍んでここまで伺つたのでございます』
『ウン、さうか、それで俺もヤツと安心した。よう来て下さつた。俺も碌に夜の目が眠られなかつたよ。お前の事が気になつて……』
『ホホホホ、何とマア調法なお口だこと。妾が忍んで来るのも知らずに、夜中の夢を見てゐらしたくせに、どこを押へたらそんな上手な事が言へますか。本当に憎らしい殿御だワ』
と言ひながら、膝のあたりを力を入れて、継子抓りに抓つた。
『アイタタタタ、ひどい事するぢやないか、さう男を虐待するものぢやないワ。ヤツパリお前は私を苦しめるのだな。人を痛い目にあはして、お前は心持ちがよいのか』
『そらさうですとも。憎らしいほど可愛いですもの……可愛けりやこそ一つも叩く、憎うて一つも抓られうか……といふ俗謡があるでせう。モツトモツト抓つて上げませうか』
と今度は二の腕を力一杯継子抓りで捻ぢた。
『アイタタタタ、コラコラひどい事するな。可愛いがつてもらふのも結構だが、痛いのは御免だ』
『女に抓られて閉口するやうな腰の弱い男子は、恋を語るの資格はありませぬよ。本当の恋と恋とがピツタリ合つた男女は、いつも生疵の絶え間のないのが親密な証拠ですよ』
と言ひながら、頬辺をガシリとかいた。
『チヨツ、痛いワイ。何程惚れたというても、そんな毒性な目に会はされちややりきれないワ。面に蚯蚓腫れが出来るぢやないか』
『ホホホホ蚯蚓腫れぐらゐが何ですか、男といふものは大事な宝まで、突き破るだありませぬか、その方が何程痛いか知れませぬよ』
『エー、何とマア、いいお転婆だなア。今時の女子はこれだから嫌はれるのだ……イヤ好かれるのだ、エヘヘヘヘ』
 かくいちやついてゐる折りしも、ヂヤンヂヤンヂヤンヂヤンと警鐘乱打の声。ハツと驚き窓を開いて見れば、左守の館の方面に当つて、炎天をこがし大火災が起つてゐる。

(大正一四・一・六 新一・二九 於月光閣 松村真澄録)



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