出口王仁三郎 文献検索

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物語68-2-51925/01山河草木未 変装太子王仁三郎参照文献検索
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第五章 変装太子〔一七二九〕

 タラハン城太子殿の奥の間には、スダルマン太子と、アリナがいつもの如く睦ましげに首を鳩めてある秘密を語り合つてゐる。
アリナ『太子様、昨夜は如何でございました。定めてスバール姫様もお喜び遊ばしたでせう』
 太子は稍頬を染めながら、アリナに顔を隠すやうな調子で、
『いやもう本当に愉快だつた。人生恋愛の成就した時くらゐ楽しいものはない。余も生れかへつたやうな心持がしたよ。これと言ふのもお前の尽力の致すところと感謝してゐる』
アリナ『勿体ない、何といふことをおつしやいますか。臣下が君のために、あらゆる力を尽すのは当然でございます。しかしながらタルチンの家は見る影もない茅屋で、嘸お窮屈でございましたでせう。九五の御身を以て彼のやうな所へお通ひ遊ばすやうにしたのも、皆私の不行届きからでございます』
『それだといつて外に姫を匿す適当の家もなし、お前としては力一ぱい尽してくれたのだ。そんな心遣ひは無用だ。さうしていつも広い館で起臥してゐる吾が身は、あのやうな風流な茅屋が大変気に入つたよ。平民生活の味を覚え、昨日はじめて平民の気楽な事や、何事も大袈裟でなく簡単に片づく事の味を覚え、実に有難かつたよ。はじめて人間になつたやうな心持ちがした。アア俺はなぜこんな身分に生れて来たのだらう、門の出入にも仰々しい数多の衛兵に送迎され、まるきり動物園の虎を送るやうな塩梅式だ。出来る事なら、お前と俺と地位を代つて欲しいものだ』
『左様に思召すのも御無理はございませぬ。御窮屈の御境遇察し奉ります。しかしながら、殿下はタラハン国の君主たるべく、使命をもつて天よりお降り遊ばした神の御子でございますから、こればかりはどうする事も出来ませぬ。それゆゑ私は能ふかぎり殿下の御自由になるやうと務めてをるのでございます』
『実はアリナよ、お前に折入つての頼みがある。何と聞いてはくれまいかなア。余が一生の願ひだから』
『父祖代々厚恩を受けた私の身の上、如何なる事でも身命を賭して承りませう』
『早速の承知満足に思ふ。実はアリナ、お前が俺に変装してしばらくこの殿内に納まつてゐて貰ひたいのだ』
『成るほど、妙案でございますな。私を替玉にしておいて殿下は姫様の匿家へお通ひ遊ばすといふ御考案ですか。半日や一日ぐらゐは化け通す事が出来るでせう。しかし長くなりますと化狐の尻尾が見えますから』
『ハハハハ、化狐か化狸か知らぬが、お前の顔は余に生写しといふ事だから、瓦を金に化したやうな事もあるまい。どうか頼むよ』
『殿下の仰せなれば如何なる事でも謹んでお受けいたしますが、金玉の御身に化け済ましたところで、塗つた金箔は直に剥げてしまひますから、これは私に取つて随分重大な役目でございます。私も今日一日か半日か、仮に殿下となつて太子気分を味はつて見ませう。殿下はしばらく平民気分を味はつて御覧なさいませ』
『アア面白い、どうか頼むよ。今日の夕方から薄暗に紛れて頬被をグツスリとなし、労働服でも纏うて鼻歌でも謡ひ出かけて見よう。どうかその服をそつと調達しておいてはくれまいか』
『かかる御用命は必ず下るべきものと存じまして、ちやんと用意をしておきました』
『お前は労働者に知己でもあるのか』
『いえ別に知己と言つてはありませぬが、横町の古物商で買つておきました』
『何から何まで抜け目のない男だな、アツハハハハハ』
『私もまた女といふものの肌は存じませぬが、殿下におかせられてもお初のやうに伺ひます。如何でございました、ずゐぶん趣味津々たるものでせうなア』
『趣味津々どころか、天も地もタラハン城はいふも更なり、自分の命までどこかへ吸収されたやうな心持になつたよ。世の中に恋といふものくらゐ神聖な尊貴なものはあるまいと思ふ。アアもう耐らなくなつて来た。早く今日の日が暮れないかなア』
『殿下、あまりぢやございませぬか。あなたは恋の勇者、私はいはば恋の敗者いな従僕です。従僕の前でさう惚けられてはこのアリナもやり切れませぬわ、アツハハハハ』
『それだと言つて「どんな塩梅だつた」などとお前の方から余の情緒を引きずり出さうとするものだから、恋には脆き余の魂は知らず知らずに浮いて出たのだ。アアアリナ、もう余は耐へ切れなくなつてきたよ』
『大変お気に召したやうですが、私は一つ心配が殖えて来たやうです。殿下が神聖な恋愛に魂を傾注されるのは大変結構ではありますが、それがために王家を忘れ、或は平民にならうなどの野心を起されては、お取持ちをしたこのアリナは王家に対し国家に対し、死をもつて詫びても及ばないやうな罪になりますから、そこは余り熱せないやうほどほどに恋を味はつて頂きたいものです』
『王家は王家、国家は国家だ。王家や国家と恋愛とを混同してもらつては困るよ。余が王位に上れば国の父として万機の政治を総攪し、また恋愛としては上下の障壁を撤廃し、天成の意志によつて思ふ存分愛の情味を味はふつもりだ』
『殿下がそこまでお打ち込み遊ばした上は、到底私の言葉は今のところ耳にはお留め下さいますまい。水の出端、火の燃え盛りは、鬼神といへどもこれを制止する事はできぬとのこと。しばらく猛烈な殿下の情炎がやや下火になるまで何事も申上げますまい』
『やア有難い、それが余に対しての忠義だ。余といへども決して魂は腐つてゐないから、王家や国家を捨てるやうな事はしないから安心してくれ』
『そのお言葉を承り、すこしく胸が落着きました。どうか充分に注意を払つて完全に恋をお遂げ遊ばしませ』
『未だ日が暮れないのかな。アアどうして今日はまたこれほど日が長いのだらう。一日千秋の思ひとはよく言つたものだ。やつぱり聖人は嘘を言はないなア』
『まだ八つ時でございます。夕暮までには二時あまりもございますから、御悠りなさいませ』
『どうも、じつとしては居られないやうだ。余が魂は向日の森の茶坊主の館を既に已に訪問してゐるやうだ。エエもう堪らない労働服を貸してくれ』
『それはお易い御用でございますが、さうお急きになつても昼の内は人目にかかる恐れがあります。どうしてこの門をお潜り遊ばしますか』
『アツハハハハ、そんな心配はしてくれな。今日も早朝から裏の高壁を飛び越える稽古をしておいた。精神一到何事か成らざらむやだ。表門や裏門は衛士が立つてゐるから、余は適当な、人目にかからない所から逃げ出すつもりだ』
『万々一お怪我でもあつては大変でございますから、もうしばらくの中お待ちを願ひたいものです』
『や、今日だけは自由に任してくれ。暗雲飛び乗りの芸当も恋のためには止むを得まい。アア、スバール姫はどうしてゐるだらう。きつと白い首を延ばして余の行く姿を、今か今かと窓を開けて覗いてゐるだらう。アア可愛いものだ。……オイ、スバール、いま行くから待つてくれ。きつと余は其方を見捨てるやうな事はしない。「永久に永久にミロクの世までお前を愛する」と言つたことは滅多に反古にはしないよ』
 アリナは頭を掻きながら、
『もし殿下あまりぢやございませぬか。何ほどあなたのお声でも向日の森までは届きませぬよ。そして私の前でお惚けをたつぷりお聞かせ下さるとは、ちつと殺生ぢやございませぬか。青春の血に燃ゆる私の心も、ちつとは察して頂きたいものでございますなア』
『ウン、それや察してゐるよ。そんな事に粋の利かないやうな余ではない。お前もその内、どこかでスバールのやうな美人を探ね出し、妻にしたらよいぢやないか。ま一度、どこかの山へ来月あたり遊びに行つて見やうか。またあんな美人に遇ふかも知れない』
『殿下もう沢山です。私は神妙に御名代を務めてをりますから、殿下は変装遊ばして思ひ切つてお出でなさいませ。すこし夕暮には早うございますが、恋愛の神のお守りがあれば、人目にかからず安全に姫様のお傍に行かれるでせう。サア労働服を着ることを教へて上げませう。早く錦衣をお脱ぎなさいませ』
 太子はアリナの言葉に得たり賢しと無雑作に錦衣を脱ぎ捨て、真裸体となつてしまつた。アリナは持つて来た自分の大トランクから労働服を取出し太子に着せた。太子はニコニコしながら、
『オイ、アリナ、どうだ、労働者として似合ふかな』
『如何にもよく似合ひますよ。金看板付きの労働者に見えますよ。殿下はお徳が高いから、どんな衣裳をお召しになつても本当によく似合ひます。労働者としても実に立派なものですわ。それではスバール姫様がゾツコン恋慕遊ばすのも無理はございませぬ』
『一層のこと、この衣裳は末代放したくない。労働者となつて九尺二間の裏長屋で、姫を世話女房として、一つ簡易生活でも送つて見たいものだなア、アツハハハハ。オイ、アリナ、後を頼むよ』
と言ふより早く身軽になつたのを幸ひ、頬被をグツスリとしながら猿のごとく高壁を乗り越え、深い堀をたくみに飛び越して、城の馬場の密林の中へ姿を隠してしまつた。後にアリナは茫然として溜息をつき、
『アア困つたことが出来て来たものだわい。どうか無事に茶坊主の屋敷までお着き遊ばせばよいがなア。アアこれから生れてから一度も着たこともない錦衣を身に纏ひ、明日の朝まで太子となり済ましてやらうか』
と錦衣を纏ひ自分の着物をトランクの中に納め、わざと物々しく簾をさげ、桐の火鉢を前に置き沢山の座蒲団を敷き、バイの化物然と澄まし込んで見た。
『何とまア猿にも衣裳とか言つて、よく似合うものだなア。どれ一つ、次の間で鏡でも見て来う』
と言ひながら、つと立つて鏡の間に入り独語、
『ヤア吾ながら見紛ふばかり太子によく似てゐるわい。これなら一生化け済ましたところで、滅多に尻尾を捉まる事はない。太子様は平民生活がお好きなり、自分も同様だが、しかし人間と生れて一度は王位に上つて見るも男らしい仕事だ。太子が永遠に代つて欲しいとおつしやつたら太子のためだ、代つてもあげやう。また自分のためにも栄誉だ。しかしながら大王殿下や父の左守やその他重臣どもの目を甘く晦ますことが出来やうかなア。暗雲飛び乗りの芸当とは所謂この事だ。太子は危険を冒して恋愛の充実を遂げ、このアリナはまた大危険を犯して王位に上らむとするのだ。徳川天一坊も真裸足で逃げるだらう、アツハハハハ。いやしかし、何時老臣どもが御機嫌伺ひに来るかも知れない。どれ、太子の玉座に澄まし込んでをらねばなるまい』
とまたもや鏡の間を立ち出でて、太子の居間に何喰はぬ顔して坐り込んだ。そこへ奥女中の案内で、父の左守が太子の御機嫌伺ひと称し訪ねて来た。左守はポンポンと二拍手しながら低頭平身し、
『エエ老臣左守、謹しんで殿下の御機嫌を伺ひ奉ります。父大王様にもお変らせなく御政務を臠せ玉ふこと大慶至極に存じ奉ります。畏れながら殿下に、老臣として王家のために一応申し上げますが、臣の伜アリナなるもの余り殿下の御寵愛に溺れ、親を親とも思はず、悪言暴語を放ち、デモクラシーだとか、共産主義だとか訳の解らぬことを申して、この父を手古ずらせます。それにこの頃は殿下のお傍に御用ありと申し、一度も吾が館へ帰つて参りませぬ。どうか今晩は亡妻の命日でございますれば、霊前に参拝させたく思ひますれば、どうか明朝までお暇をお遣はし下さいませ。折り入つてお願ひに参りました』
 アリナはハツと胸を轟かせ、にはかに顔色青ざめ唇さえビリビリと慄ひ出したが、さすがの横着物、臍下丹田にグツと息を詰め、大胆至極にも初めて太子の口真似をやり出した。
『やアその方は老臣左守でござるか。老体の身をもつて好くも入内いたした。余は満足に思ふぞ。汝の申す通り父は極めて健全に政務を臠すによつて、必ず必ず心痛いたすな。もはや夜間の事でもあり、余は少し研究したい事もあれば、一時も早くこの場を退却せよ。また明日面会を許すであらう』
左守『恐れながら殿下の仰せを否むではござりませぬが、如何なる御用がございませうとも、今晩だけはアリナをおかへし下さいませ』
『そのアリナは二時以前父の館に帰ると申して出ていつた。察するところ汝と途中で入れ違ひになつたのであらう』
『アア、左様でございましたか、これは失礼な事を申し上げました。それでは老臣も急ぎ帰宅を致しませう、御免下さいませ』
と言ひながら倉皇として奥女中に手を引かれながら下り行く。後見送つてアリナはホツと一息つきながら、
『アア、地獄の上の一足飛びだつた。しかしながら暗雲飛び乗りの第一線を突破したやうなものだ。現在の伜を殿下と間違へ帰るやうだからもう大丈夫だ。あの抜目ない狸爺が吾が正体を看破する事が出来ないまで巧に化けすましたのも全く天の御保護だ。だがも一つの難関は大王様のお見えになつた時だ。エエ取越苦労は禁物だ。まアその時はまたその時の風が吹くだらう。アア愉快愉快。もう何だかタラハン国の国王になつたやうな気がする。イツヒヒヒヒ』
と大胆不敵にも会心の笑を漏らしてゐる。
 夜の帳は下ろされて、間毎間毎に銀燭の火が瞬き出した。

(大正一四・一・六 新一・二九 於月光閣 加藤明子録)



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