出口王仁三郎 文献検索

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物語68-1-31925/01山河草木未 山出女王仁三郎参照文献検索
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第三章 山出女〔一七二七〕

 世人の相棒にも使はれず、何事にも茫然として無関心な馬鹿者ぐらゐ、世の中に幸福にして且強いものはない。そこに馬鹿者の無限の妙味が存在するのである。馬鹿はほとんど人間が不可抗力を備へた者の称号である。素よりせせこましい、齷齪たる普通一般の規矩定木を以て律することの出来ない困り者である。古往今来洋の東西を問はず、如何なる医学博士も耆婆扁鵲も、サツパリ匙を投げて、「アーア馬鹿につける薬がない」と歎息し、豊臣太閤も、馬鹿と暗の夜ほど恐ろしいものはないと言つて、恐怖心に襲はれ、何ほど厳格なる規則の下におかれるも、「彼奴は馬鹿だから」との一言に無限の責任を免除され、いよいよ念のいつた阿呆になると、白痴瘋癲と称号をいただいて、犯罪も法律も制裁を加へられず、更に馬鹿が重なつて、「馬鹿々々しい奴」と笑はれた時は、人間の万事一切の欠点を公々然許され、却つて愛嬌者と持てはやされる。また馬鹿を金看板に掲げて、浮世の中をヤミクモに押し渡る時は、向かふ所ほとんど敵影なく、毫末の心配もいらぬ。世の中の人間から小才子と呼ばれ、小悧巧と称へられてゐる奴等は、何れも平常、屁のやうな、突張り所のない、毀誉褒貶の巷を飛びまはり、餓鬼が食を争ふ如き、ホンの目の前の成敗や、利害に掴み合ひ、昼夜煩悶苦悩を続けて一生を終る者が多い。しかるに悠々閑々として、この面白い人間の隠れ場所は、馬鹿者の名称たる事を知らず、ワザとに焦り散らして吾が一身を小刀細工に削り取り、アア痛い苦しいと日夜に悲鳴をあげて悶えてゐる憐れな世の中だ。
 凡て人間は平常から智慧を蓄めておいて、一朝事ある場合の間に合はさむと、大才大智の者は、平常は妄りに小智小才を月賦的に小出しをせず、用のない時は皆馬鹿の二字に隠れて、のんのこ、シヤあつくシヤあと、馬耳水蛙に晏如としてをさまつてゐるものだ。「アア此奴ア驚いた。彼奴アあんまり馬鹿に出来ないぞ」と、俗物どもに一語を言はせるのは、これ全く馬鹿の名の下に久しく本能を秘してゐた奴の現はれる時だ。「馬鹿に強い奴。本当に馬鹿に偉い奴。このごろは馬鹿にやり出した。馬鹿に威勢が佳いぢやないか。馬鹿に落着いてゐやがる。馬鹿によく売れる。馬鹿に美味しい。馬鹿に奇麗だ。馬鹿にならない」などいふ言葉は何れも平常小悧巧な奴が大才子のために鼻毛をぬかれた時の驚歎の言葉である。「あんまり馬鹿気て彼奴には相手になれない」などいふ言葉は、大智者の最も深く馬鹿の奥に潜伏してゐる時だ。
 ハンナ、タンヤの両人はまた馬鹿者の選に洩れない代物であつた。しかしながらこの二人は口には哲学を囀り、恋愛論をまくし立て、たまには政治論も喋々するが、何れも天性の智慧から出たのではなく、縁日の夜立店に埃まびれになつて曝されてゐる古本を、二銭か三銭で値切り倒して買つて来て読みあさつた付け知恵なのだから、真の徹底した馬鹿者である。馬鹿の名に隠れて、巧く世を渡ることは知らず、自分の馬鹿から、「自分ほど智者はない、学者はない、現代の新人物は俺だ、泥坊の、たとへ仲間といへども、決して自分の心は曲つてはゐない。そして誰にも盗まれてはゐない。生れつき、自分は才子だ、智者だ。たとへ如何なる人物といへども、自分の智嚢を絞り出して、千変万化の手術を尽し立向かつたならば、一切万事易々として成就するものだ」と自惚れてゐる。時々強くなつてみたり、弱くなつてみたり、進退動作常ならざるを見て、「自分は処世上の兵法をよく心得た策士だ、軍師だ」と自惚れ、失敗をしても「これは何かの都合だ。惟神的に神がかうさせたのだ。キツと悪い後は善い。善い後は悪いものだ。失敗は成功の母だ。賢人智者は凡人の下ばたらきをなし、愚者は天下をとる者だ。さうだから自分は仮令賢者でも愚者を装つてをらねばならぬのだ。どんな愚者々々した事でも、馬鹿の名の下には、流れ川で尻を洗つた如く解決がつくものだ……」などと自分の馬鹿を棚へ上げ、自ら馬鹿を装うて世を巧く渡つてゐるような心持ちでゐる奴だからたまらない。此奴こそ本当に箸にも棒にもかからない、捨場所のない真馬鹿者である。
 ハンナ、タンヤの二人は、左守の伜アリナが追跡してゐることは夢にも知らず、慣れた足許にて坂路をトントンと鳥の翔つごとく登りつめ、漸くにして谷川伝ひに浅倉谷のシャカンナが隠家に着いた、シャカンナはスバール姫と共に少し遅いながらも朝飯を食つてゐた。
ハンナ『ヘー、親方、御免なさいませ。久しうお目にかかりませぬ。実のところは玄真坊の女房ダリヤ姫が夜に紛れて遁走の節、吾々どもは御命令により、その所在を尋ねて山野を駈けめぐりましたが、たうとう一も取らず二も取らず、やむを得ずして、タニグク山の岩窟に帰つて見れば、こはそもいかに、豈計らむや、弟計らむや、建物は焼払はれ、親分様はじめ姫様のお姿は見えず、もし俄かの火事で焼死にでも遊ばしたのではなからうか、もしそんな事であつたら、骨でも拾つて、鄭重な問ひ弔ひをしてあげねばなりますまいと、一生懸命に灰掻きをやつて見ましたが、骨らしいものは何もございませぬ。ただ猪や狸の骨が残つてゐるばかり。アアこれは親分様が火事に驚き遊ばしてどつかへ一時身をお遁れ遊ばした事だと思ひ、十日ばかりも飲まず食はずで、チコナンと待つてをりました所、風の便りさへ梨の礫の音沙汰なく、やむを得ず、吾々は解散と出かけました。しかしながら肝腎の時になつて、親分様をこの山奥に捨て、立ち去るといふ事は、いかにも乾児の吾々として、情において忍びないと、タンヤと二人が互ひに抱き合つて泣きました。本当に親分乾児の情合といふものはまた格別のものでございます、アンアンアン』
シャ『ワツハハハハ、汝等も小むづかしい厄介な爺がをらなくなつて、さぞ睾丸の皺伸ばしをやつただらう。俺も厄介者が取払はれ、身軽になつて、百日百夜も疼き通した腫物が俄かに跡形もなく散つたやうな気分になつたのだ。モウ俺はこの通り世捨人となつた以上は、再び泥坊稼ぎはやりたくない。汝もいい加減に、足を洗つて正業に就いたがよからう』
 ハンナは頭をかきながら、
『エー、親分とも覚えぬお言葉、それほど私に信用がございませぬかな。私は真心より親方を愛してをります。のうタンヤ、お前いつも俺の言葉を聞いてゐるだらう。日に何十回となく、親方の名を呼ばなかつた事はなからう』
タ『ウン、そらさうだ、お前のいふ通り、俺の聞く通りだ。何と言つても心が正直なものだから、メツタに親分の前で、嘘は言はうとも思はず、言はれもせぬワ。なア親方、どうぞハンナや私の心を信じて下さい』
シャ『ウン、お前の心の底まで虚か偽か、善か悪かよく信じてゐる。お前は俺には用がないはずだ。スバール姫に用があるのだらうがな。それについてはこのシャカンナは大変な邪魔者だらう。御迷惑察し入るよ、アツハハハハ』
ハ『そら親方、御無理ぢやございませぬか。姫様はまだ少女の御身の上、恋でもなければ色情でもない。また姫様は吾々がお小さい時からお育て申したもの、イヤお世話をさして頂いたお方ですから、別に深い御恩もございませぬが、親分さまには永らくお世話になつてゐますから、親分の御恩は決して忘れませぬ。お嬢様は何の御恩もありませぬ。況んや恋愛などの心は毛頭持つてをりませぬから、どうぞ御安心下さいませ』
シャ『親分にはお世話になつたと口には言つてるが、心の中では、永らく親分の世話をしてやつた。親分は外へも出ず、乾児ばつかり働かして、乾児の膏を舐つて、親分は食つてたのだ。つまり「自分は親分の救ひ主だ。保護者だ。親分に礼を言はすのが当然だ」ぐらゐの心で来てるだらうがな』
ハ『なるほど流石は親方だ。よく吾々の心の底まで透見して下さいました。天下一人の知己を得たりといふべしだ。のうタンヤ、この親分にしてこの乾児ありだ。何と恐ろしい目の利く親分ぢやないか』
タ『そらさうだとも、何と言つても二百人の泥坊を腮で使ひ、そして自分の生んだひんだの粕を、沢山の乾児に嬢様嬢様と言はして威張らしてござつたのだもの、ずゐぶん凄い腕だよ。なア親分、私の観察は違ひますまい』
シャ『タンヤの観察もハンナの評察も、俺の推察もピツタリ合つてゐるやうだ。しかしながら俺の娘を汝達は奪つて帰る相談をやつて来たのだらう。年老いたりといへど、俺の腕にも骨もあれば力もある。汝等のやうな、青二才の挺にはチツと合ひかねるぞ。姫が欲しければ、腕づくで持つて帰つたがよからう』
ハ『ヤア、こいつア面白い。何ほど強いといつても、タカが老耄一人、この邪魔者さへ払へば、あとは此方の者だ。今までは大親分といふ名に恐れて、何だか敵対心が臆病風を吹かしよつたが、もうかうなれば五文と五文だ。こちらは二人で一銭だ。オイ一銭と五厘との力比べだ。勝敗の数は已に定まつてゐる。ただ一銭に打亡ぼされるよりも五厘五常の道を弁へて、スツパリと娘を此方へ渡せ。拙劣にバタつくと爺のためにならないぞ』
 スバールは食事の手を止め、二人の面を微笑をうかべながら打ち眺め、大胆不敵な態度でおさまり返つてゐる。
シャ『言はしておけば、旧主人に向かつて雑言無礼、容赦はいたさぬ、この鉄拳を喰へ』
と首も飛べよとばかり、ハンナの横面をなぐりつけむとする一刹那、ハンナは身をすくめてシャカンナの足を掬つた。シャカンナは狭い庭にドツと倒れ、庭の石に後頭部を打つけ気が遠くなつてしまつた。二人は手早くシャカンナを荒縄をもつて手足を縛り、谷川に持ち運んで水葬せむとする。これを見るよりスバール姫は父の大事と、死物狂ひになり、鉞をもつて二人の背後よりウンとばかり擲りつけた。二人は目早く体をかはし、跳りかかつて、鉞を奪ひとり、スバール姫を大地にグツと捻ぢ伏せ、手足を括つて動かせず。スバール姫は悲鳴を上げて、声をかぎりに泣き叫ぶ。
 この時一町ばかり手前まで、林を潜つて進んで来たアリナは、娘の悲鳴を聞き、吾が身を忘れて、走り来たり見ればこの態である。……ヤア此奴は今朝見た曲者、懲らしめくれむ……と、物をもいはず、襟髪を掴んで浅倉山の溪流へ、二人ともザンブとばかり投げ込んでしまひ、両人の縄目を解いた。スバール姫は紅葉のやうな優しき手を合はして、救命の大恩を感謝した。父のシャカンナは精神朦朧として殆ど人事不省の態である。アリナとスバール姫は一生懸命神に祈願を奉り、水を面部に吹きかけなどして、やうやくの事で、シャカンナの精神状態は明瞭になつて来た。
シャ『アア娘、其方は無事であつたか。まあ結構々々、これも全く天のお助けだ』
ス『お父様、私も縛られてゐましたの。危ふい所へ、あとの月太子様のお伴をしてお出でになつたアリナ様が現はれて、私や貴方を助けて下さつたのですよ。サアお礼を申して下さい』
 シャカンナはスバール姫の声に目をさまして、よくよく見れば、アリナは恭しげに大地にしやがむでゐる。
シャ『アア其方はアリナさま、よくマア助けて下さいました。あなたは吾々父娘が再生の恩人です。サア、どうぞうちへお這入り下さいませ』
ア『危ふい所でございましたが、先づお気がついて何より重畳でございます。左様なれば、休ましていただきませう』
とシャカンナを助け起し、スバール姫と共に老人の手を引いて屋内に進み入つた。
シャ『アリナさま、どうも有難うございます。そして太子様はお変りはございませぬか』
ア『ハイ、有難うございます。先づ先づ御壮健の方でございます。ついては太子様のお使に参つた者でございますから、どうぞ使の趣を、お気が休まりましたらゆつくりと聞いて下さいませ』
『イヤもう気分は良くなりました。太子様のお使とあらば半時の猶予もなりますまい、どうかそのお旨を伝へて下さい。身に叶う事なら、吾々父娘が力のあらむ限り御奉公を致しますから』
『ヤ、早速の御承引有難うございます。かいつまんで申しますれば、太子様は始めて貴方父娘にお会ひ遊ばし、年老いたりといへども気骨稜々たるシャカンナ様のお心ゆき、次いでは世に稀なる美貌のスバール様、王妃としてお召抱えになつても恥づかしからぬ者と思召し、今日のところは少し時機が早いやうでございますが、それだと言つて、太子様には非常な御恋慕、矢も楯もたまらぬ勢ひ、一時も早くスバール様のお顔が見たいとの御思召し、侍臣の吾々はその御苦衷を察し奉り、ジツと見てゐられぬやうになり、人目を忍んでこのお館をお訪ね申したのでございます』
『何事の仰せかと思へば、スバール姫を御所望との御事、娘に異存さへなくば御命令に随ひませう。しかしながら未だ私の都へ出る時機ではございませぬ。何といつても時勢遅れの古ぼけた頭、政治の衝に当るのは却つて太子様に御心配をかけるやうなものでございますから、その儀ばかりはお断り申したうございます。幸ひこの山奥に潜んで不幸を重ねながら、山の木の枝に首も吊らず、川の底に身も投げず、鉄砲腹もいたさず、ともかく無事息災で今日まで生き永らへて来ました経験もございますれば、どうか私の事はお心にかけさせられないやうお願ひいたします。役に立たない私のやうな者が都へ上つたところで、太子様の御厄介、人間一疋の放し飼ひの飼殺しも同然、今日の社会に接触のうすい吾々が、繁雑な世の中に、どうして立つて政治が出来ませう。形ばかりの茅屋は古く、狭く、穢しうございまするが、娘を出した後の独身者の自炊にはあまり狭さを感じませぬ。どうぞこの儀ばかりは平にお断りを申します』
『アア実の所は、まだ父王様のお許しもなく、太子様お一人のお考へでございますから、同じ事なら、モウ一二年あなたは此処に居つて、時節を待つて頂く方が、双方に都合がいいでせう。そして嬢様は私がソツとお伴をいたし、茶の宗匠タルチンの館にお囲ひ申し、御身の御安泰を保護いたしますれば、どうか御心配なく、嬢様を私にお預け下さいませぬか』
シャ『オイ、スバール、お前は最前からのお話を聞いたであらう。アリナさまに伴はれて都へ上る気はないか』
ス『ハイ、お父さまをこの山奥にただお一人残して私が参るわけには行きますまい。なる事なら、お父さまと御一緒にお伴が願ひたいものでございます』
『ハハハハ、父に対する孝養と、夫に対する恋愛とは別問題だとお前も言つたでないか。恋愛神聖論の御本尊たるスバール嬢さま、決して、父に遠慮会釈はいらぬ。一時も早く愛し奉る太子様の御前に出るがよからう。しかし必ず太子様にお目にかかつても気儘を出してはいけませぬぞ』
『ハイお父さま、有難うございます。左様なれば都へ上ります。どうか御気嫌ようお暮し下さいませ。そして一時も早くお父さまをお迎へに参ります。そしてお父さまのお顔を早く見るのを楽しみに私は暮してをりますよ』
と嬉しくもあり悲しくもあり、親の死んだ日に新婿を貰うたやうな心に充たされてゐた。この翌日からは浅倉谷の名花たるスバールの姿は見えなくなりぬ。

(大正一四・一・五 新一・二八 於月光閣 松村真澄録)



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