出口王仁三郎 文献検索

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物語68-1-21925/01山河草木未 恋盗詞王仁三郎参照文献検索
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第二章 恋盗詞〔一七二六〕

 政治学の研究や、新思想の探究に没頭し、タラハン国上下の現状を痛歎のあまり心身疲労し、さしも明敏なりし頭脳も霞を隔てて山を見るがごとく、朦朧として鮮明を欠ぎ、外の見る目よりは憂鬱病者かと疑はるるまでに煩悶苦悩の結果、殿内深く閉ぢ籠もつて、父王の頑迷固陋なる骨董品的教訓を嫌ひ、また老臣どもの時代後れの古風の頭より絞り出した、種々の忠告にも耳を貸かず、左守の司の伜アリナを唯一の慰安者となし、己が思想の伴侶となし鬱陶しき日を送つてゐたスダルマン太子は、たまたま山野の遊びに山深く迷ひ込み、不思議にも、山奥に咲き匂ふ姫百合の花に恋の炎を燃やし、心を後に万斛の涙を心中深く湛えながら、アリナと共にタラハン城内へ帰つて来た。
 女といふものに対しては初心の太子、恋愛といふものに対してもなほさら初心の太子、美の神の権化とも見るべき清浄無垢の乙女が、人間界をかけ離れた、浅倉谷の山奥に包まれてゐたその容姿に憧憬し、数年来の沈鬱性は一変して、危ふいかな、尊貴の身を保ちながら暗雲飛び乗りの離れ業を演ぜむとし、山霊水伯の精になつた美人の相を、自らが得意の絵筆に描いて床の間にかけ、朝な夕な画像に向かつて生きたる人に言ふごとく、何事か独語するに至つた。この画像こそ人間の命取り、男殺しの大魔者である。太子の煩悶は以前に百倍し、立つても居てもゐられないやうな様子となつてきた。
 太子の御心ならば、たとへ地獄のドン底でも、一つよりない命でも無雑作におつぽり出すといふ忠臣にして、唯一の太子の伴侶たる左守の伜アリナは、夜ひそかに命を奉じ、山奥の名玉、月の顔容、花の姿、温かき雪の肌に包まれた、天津乙女の化身を山奥より引きずり出し、ひそかに太子の御心を慰めむものと草鞋脚絆に身を固め、服装も軽き蓑笠の夜露を浴びて、主を思ふ心の一筋途、一筋縄では行かぬ左守のシャカンナを、夏の炎天に地上万物を霑す夕立の雨のふるなの弁をふるひ、邪が非でも、縦でも横でも頑固爺を納得させ、肝腎の玉を抱いて帰らねばおかぬと雄健びしながら、タニグク山の山口、玉の川の下流、岩瀬の深森に着いた。
 夜はほんとのりと明け放れむとする時、路傍の岩に腰打ちかけ、二つの黒い影が何だか囁き合つてゐる。谷川の岩にせかるる水音に遮られつつ、しかと言葉の筋は解らない。アリナは、谷道に直立して、頭を傾け思ふやう、……もはや夜明けに間もない暁の空に二人の男が囁き、合点のゆかぬ事だワイ、噂に聞く左守のシャカンナが一ケ月以前まで抱えてゐた山賊の片割ではあるまいか。何はともあれ足音を忍ばせ、様子を窺ひ見む……と息を凝らして進みよつた。二つの影は傍に人の寄り添ひをるとは知らず、盛んにメートルをあげてゐる。
ハンナ『オイ君、この間天帝の化身とかいふ山子坊主が連れて来たダリヤ姫とかいふ美人のことを思ひ出すと、俺のやうな恋愛観念の濃厚な色男に取つては、実に感慨無量だ。君だつて平素の偽善的言辞も兜を脱いで俺の持論に賛意を表したくなるだらう』
タンヤ『堂々たる天下の男子が、女々しい恋愛だの、神聖だなぞと騒ぎ廻つて風俗壊乱の火の手を煽ふり、自分もまたその火中へ喜んで飛び込んで行く悲惨の状態を見ると、実に世の中の奴の腰抜け加減に愛想が尽きてしまうわ。ヘン、泥坊稼ぎの身分でありながら、恋愛の、神聖のとは臍茶の至りだ。オイ、ハンナ、そんなハンナリせぬ腰抜論は聴きたくないから、俺の前ではもう言つてくれな。気分が悪くなるからのう』
『ヘン、泥坊だつて恋愛論が出来ない理由はあるまい。先づ聞き玉へ、俺の名論卓説を』
『今日は僕も死んだ女房の命日だから、供養のために、君の迷論に対し充分なる攻撃を試みる心算だが、得心だらうねー』
『面白い、僕の恋愛論に口を入れる余地があるならやつて見玉へ。しどろもどろの受太刀が折れて、きつと僕の軍門に降るは火を睹るよりも明らかな事実だ。オホン、日進月歩文明の今日では、恋愛論に趣味を持たないものは、最早人外の境域に自ら堕落してゐるものだ。このごろ僕が大いに感ずる事は、性欲とか恋愛といふ事に関する議論が、著しく抽象的になつてゐることだ。しかし凡ての議論が反芻的で一度呑み込んだものを、わざと抽象的にして出してゐるように僕には見えてならぬ。ヤレ恋愛は神聖だとか偏的だとか、性の問題はかくあるべきものだとか、そんな風に恋愛を自由なものに考へては不道徳だとか、離婚は絶対に不可いとかいつて、婦人会連中が首を鳩めて決議までやつたと聞いて、僕は不可思議な心持ちがするのだ。恋愛とか性欲とかいふものは、そんなに簡単に無雑作に片付けらるるものだらうか。今のいはゆる文明人間の言ふがごとく、一でなければ二、二でなければ三といふやうに、簡単に、学問的乃至知識的に片付けてしまうことの出来るものだらうか。僕はどうも左様な考へは持てないのだ』
『ヘン、国家危急の場合に当つた今日、恋愛問題なんか唱へる奴の野呂さ加減に呆れざるを得ないわ。そんな問題は極めて簡単に片付けてしまふ方がよほど人間らしいぢやないか。アタ阿呆らしい、学問上道徳上から見ても恋愛なんか口にする奴は、僕は人間の屑だと思つてゐる』
『オイ、タンヤ、君は無味乾燥な心理を持つてゐるやうだが、世の中は理窟で何ほど押し通したつて、学問や知識でいくら攻めて行つたつて、恋愛といふがごとき人間生涯に関する大問題を、さう易々と片付けるわけにはゆかないよ。却つてそれは空想だ、徒労だ。どうしても人間には信仰と恋愛が無くてはならないのだから、この問題は極めて慎重に研究すべき価値が充分にあるよ』
『恋愛といふものは人に由つて霊の方面から観察し、或は肉の方面から見たり、自然から見たり、または単なる物質から見たりするのもあるが、要するに道徳の範囲内においてでなければ、神聖な恋愛を論議する事は出来ぬ。万々一道徳を度外したる恋愛を唱ふるものありとすれば、それは人間以外の動物の心理状態と言ふべきものだ』
『それは君の無味乾燥な頭脳から割り出した一面の見方であるが、たうてい完全なる恋愛、または性を捕捉したものとは言はれない。恋愛は元来自然と同様に端倪すべからざる性質のものだ。極端に言へば、恋愛なるものは余りに神聖過ぎて、かれこれと論議する事さへも出来ないくらゐのものだ。恋愛を論議された時には、モハヤその本当のものは何処かに去つてしまつてゐると言つても好いくらゐだ。換言せば、恋愛は霊も肉も自然も物質も凡てを打つて一丸となしたところにのみ、恋愛の髣髴が認められるもので、何もかもが凡て同時にあるのだ。霊肉一致とは好く言つたものだが、それでさへ充分でないほど流動的なものだ。だから恋愛を論ずるに当つては君の説のやうに、普通の倫理学的論法で、かうだから彼だとか、彼だからかうだとかいふことは出来ない。普通一般的の事実なら、どんな事でも結果から押して考へてゆけば、答へはかなり正確に出てくるが、恋愛だけに限つて、さう簡単に片付かないよ。知識や倫理的になつた時には、もはや恋愛とか性とかいふものの粕屑であつて、君のごとき学者や、論客が何ほど鹿爪らしい議論や意見を立てて、自分こそは古来の恋愛論の上に新しい、そして的確な、正当な、一見地を加へたものと自惚れてゐても、徒に粕屑を掴んで金剛石のやうに思つて大騒ぎをしてゐるだけで、恋愛の本体は何時の間にやら千万里の遠方へ滑つて逃げて往つた後なのだ』
『君の説は全然道徳を無視し、社会の秩序が紊乱し、家族制度が破壊されても、恋愛さへ満足にやつてゆけば、それで天下は泰平だといつたやうな悪思想だ。人間は自由も恋愛も必要のものだらうが、社会や家庭の秩序を紊してでも恋愛を神聖視するのは、動物性を帯びて、外道の主張だ。僕は賛成する事は出来ないよ。三角問題や、離婚問題が頻々として社会に続出するのも、君のごとき悪思想のものが覇張るからだ。恋愛といふものは、成るほど神聖なものではあるが、少しは慎みと言ふこと、または倫理の点を考慮して始めて神聖な恋愛とも言へるものだと思ふ。君の恋愛論はいはゆる風俗破壊論の変態だ』
『君のやうに、恋愛を道徳的問題視し過ぎては、その本体は既に蔭も形も無くなつてしまふ。いつの間にか指の股から滑り落ちてしまつてゐるのだ。それにも気が付かず、後に残つた恋愛の粕屑ばかりを捉へて、かれこれと論議してゐるやうだ。僕たちは、モウ少しそれを活動的存在物として、刹那刹那に深く触れてゆく事を念とせなくてはならないだらうと思ふのだ』
『恋愛は一夫一婦の厳守によつて始めて神聖たり得るのだ。そして人間たるものは飽くまでも一夫一婦の道を守つてゆかねば人間としての品格が保てない。故にどこまでも倫理的でなくては、恋愛は成立せないと思つて、僕は泥坊稼ぎのかたはら永年努力してゐるのだ』
『他人の婦女を強姦し、財産を掠奪するを以てモツトーとする泥坊稼ぎの身でゐながら、一夫一婦論や、道徳心をもつてこの問題に対し、永年の努力を惜しまない君の精神と勇気には大いに感服するが、実際その場に臨んで、君の堅固な主張が守れるか守れないかは第二の問題として、とにかくも努力しようとするその心懸けは僕は愛する。現に僕なども三角状態の苦しい立場に立ち、恋愛の好い加減でない事を痛感し、人間の魂の玩弄すべからざることを痛切に知つた時には、「やつぱり一夫一婦の制度が結構だなア。さういふ風に出来てゐるのだなア」といふ風に独語せずにはゐられなかつた事もある。ゆゑに僕も愛情の濃かな、一夫一婦の仲、お互ひに他に目を移す余裕のない、円満にしてかつ濃厚な夫婦の仲を尊敬する一人だ。しかしそれは原則としてではない。ただ好い事だといふだけに止めたいのだ。何故ならば、自然はそん何簡単に言つてしまふことの出来るものではないのだ。また一夫一婦が如何に理想的であるからといつて、皆の人間が訳もなく行ふことが出来るやうでは、また出来るやうにこの自然が出来てゐては、それこそ人生は単調になつてしまつて、微妙な美の波動もなければ、細微な感情の渦巻きもなく、全く色彩のない荒涼たるものになつてしまふ。否それだけならまだ我慢が出来るとしても、それでは結局この人生が成り立つてゆかない。悪く型にはまつてしまつたやうになつて、少しの余裕もなく、終には破綻百出するに至るものだ。また単に生殖といふ点から見ても、そんな事ではとても人生は成立してゆかないのは好く判る。そこで君の一夫一婦説も悪くはないが、皆の人間がそれになつては困るといふ形になるのだ。恋愛はモツと自由で溌溂として、さうした人間の理智や意識でこしらへた、希望とか理想とか、道義とか品行とかいふ型のやうなものなどは、幾何出来ても、手早くかつ容易に内部から打壊してしまふ強い力を持たなければならないと言ふことになるのだ』
『君のごとき自由恋愛論者の性欲万能主義者には、僕も大いに面喰つた。開いた口が閉がらないわ。何なりと御勝手に喋舌つたが好からうよ』
『誤解しちや困るよ。僕だつて決して自由恋愛主義者ではない。また単に性欲の満足のみを求めて世を乱さうとするものでもない。かつては僕は自然主義の唱道者として、獣類に近い無残な性欲を恣にするものだといふやうに、世間から勝手に定められてしまつたこともあつたが、決して僕は性欲万能宗の信者ではない。ただ僕は恋愛といふものは、さういふ自由な奔放なものだといふ事を主張するのだ。単なる知識になつてしまつては、約り前にも言つた通り、粕屑的論議になつてしまつては、溌溂とした流動的存在としては、到底そんな風に定めてしまふことは出来ないといふことを言ひたいのだ』
『君の説の如きそんな無検束なことは許せない。君がさう言ふふうに恋愛なるものを見るなれば、それだけでモウ立派な正札附きの自由恋愛論者ではないか』
『そのやうにも浅く考へたら取れるだろうが、その点は実に難いのだ。そこに非常に深い細かい、ともすれば見落してしまひさうなデリケートな、心理的境地が存在してゐるのだ。それは一種の理解であるとも言はれるが、また一種の感激だと言ひ得る。更に言ひかへて人間乃至人生に対する、大きな自然に対する溜息が在るとも言へる。約まりどうにも成らないといふ心持ちに近いものだ。恋愛なるものは到底見通しする事の出来るものではない。単純であつて、しかも深奥なものだから、取らうと思へば直ぐそこに在るが、さて何処までいつても端倪されないものだ。この心持ちが約まり恋愛の純な所なのだ』
『全然君の説は二十世紀頃に生きてゐた小説家の田山花袋のやうなことを言つてるぢやないか』
『当然だよ。実は田山花袋の恋愛説に心酔してゐるのだ、アハハハハ』
『オイ、もう夜が明けるぢやないか。恋愛論も、よい加減に幕をおろし、いよいよこれから本業に取りかかるとせうかい。この間天帝の化身と称する玄真坊が連れて来よつたダリヤ姫も頗る素的な美人だつたが、しかし彼奴は、既に鼻の先が割れてゐる。そんな古めかしいものよりも、どうだ、甘く親分の所在を突き止めて、あらむ限りの胡麻を擦り、元のごとく乾児に使つてもらひ、隙を考へて、スバール姫を奪ひ取り、タラハンの町へそつと連れ行き、金にかへやうものなら、一万両や二万両は受け合ひの西瓜だ。どうだ一つ二人が協力して甘く目的を達成し、その金をもつて立派な商売を営み、天晴れ紳士となつて世を送らうぢやないか。恋愛論も恋愛論だが、俺に言はせれば花より団子だ。華を去り実に就くのが最も安全なるやり方だよ』
『俺もお前と約束して此処までやつて来たのだが、あのスバール姫はどことはなしに優しみがあり、あれほどの美人を娼婦に売るのは何だか可哀さうな気がする。甘く目的を達したら、あの女をそんな泥水に落さず、どうだ俺の女房にスツパリとくれる雅量はないか。俺だつて何時までも金鎚の川流れぢやあるまい。きつと頭を上げる時がある。その時にはお前に百万両でもお礼をするからなア』
『ヘン、甘い事をおつしやりますわい。お前のやうな猿面野郎がスバール姫を恋慕するなんで性に合はないわ。そんな空想を描くよりも、甘く姫を奪ひ取り、お金にした方が何ほど徳だか知れないよ。またかりに、貴様の女房にスバール姫が成つたとしたところで、貴様のド甲斐性では姫を満足さす事も出来まいし、しまひの果には……ド甲斐性なしだ、腰抜け野郎だ、馬鹿野郎だ……と姫の方から愛想尽かされ、捨てられるのは今から見えてゐる。万々一山奥に育つた未通娘だから、お前の意志に従ふにしたところで、俺をどうするのだ。貴様が出世した時俺に報酬をやると言うたが、貴様の力ではミロクの世まで待つたところで到底覚束ない話だ。それよりも甘く手に入つたら売り飛ばすに限るよ』
『俺とスバール姫とが円満なホームを作り、そして姫は天成の美人だから、立派な美人を生むに相違ない。世の諺にも出藍の誉とかいつて、あんなものがこんなものを生んだかといふ事もある。雀が鷹を生む譬もある。しかるに況んや孔雀にも比すべきスバール姫、出来た子はきつと鳳凰以上だらう。その鳳凰を今から貴様にやることの約束しておかう。貴様がそれを女房にせうと、何万円に売り飛ばさうと勝手だ。しばらく時節を待つてくれ。時節さへ来れば煎豆にも花が咲くといふからのう』
『ヘン、馬鹿らしい、俺だつてやつぱり男だ。貴様がスバール姫に恋慕した如く、俺だつてやつぱり恋慕の心は同様だ。お前は恋愛恋愛と議論ばかりで立派に喋舌り立てるが、いつも見事に成功した事はあるまい。十人口説いて一人応ずれば一割に当るから、まんざら捨てたものではないとお前は何時も言つてゐるが、百人千人口説いたつて、その御面相では半人だつて応ずるものはあるまい。今まで一人でも成功したものがあるなら言つて見よ』
『ヘン、偉さうに言ふない。俺だつて恋愛については、いささか自信をもつてゐるのだ。まづ僕の女に対する恋愛の実際は、今日までの経験上、いつでも半分だけは必ず成就してゐるのだ。要するに恋愛なるものは、男女二人の間に合意的に成立つものだから、その合意的の半分、即ち男の俺だけは確かに成功するが、未だ嘗て、女の方に、実際の事を言へば出来た事がない。それだから僕の恋愛は半分は間違ひなくきつと成就するのだ』
『ウフフフフ、ヘン馬鹿らしい。貴様はよい馬鹿だなア。馬鹿者の典型とは貴様の事だよ。議論ばかり立派にベラベラ喋舌るが天成の鈍物だから、いな馬鹿野郎だからお話にならないわ』
『どこやらの教へにも「阿呆になつてゐて下されよ。阿呆ほど結構なものはないぞよ。阿呆になつてをらねば物事成就いたさぬぞよ」と言ふ事があるぢやないか。阿呆はいはゆる馬鹿野郎だ。俺は馬鹿野郎をもつて天下の誇りとしてゐるのだ。よう考へて見よ。彼奴は学者だ、智者だ、才子だ、策士だと世間から言はれてゐる小賢しい人間よりも、世の中は馬鹿野郎の方が最後の勝利を占むるものだ。天下に油断のならぬものは、美人の鼻声と、阿呆と、暗の夜だと言ふぢやないか。況んや現代の如き神経過敏の病的の世の中では、馬鹿でなくては、世に立つ事は出来ないよ。いかに猛烈なバチルスにも犯されず、バクテリヤにも左右されず、俗物共の相手にもしられず、万事がボーとして無頓着でトボケたやうな、馬鹿気たところに処世上、無限の妙味があるのだ。馬鹿なるかな、馬鹿なるかなだ。サアこれからお前と俺と一致してこの大馬鹿を尽しに行かうぢやないか。シャカンナに取捉まえられて、死損ねになるもよし、スバール姫に肱鉄をかまされて馬鹿を見るもよし、ともかく人間は馬鹿に場数を踏まねば何事も成功しないものだ。一層のこと思ひ切つて、浅倉谷の方面へ馬鹿力を現はし強行軍と出かけやうぢやないか。こんな所に鳶の糞を頭から浴びて石仏のやうに取越苦労をしてゐるのも馬鹿らしい。サア行かう』
『よし、もうかうなりや仕方がない、馬鹿ついでだ。全隊進めオ一二』
と谷間の細路を小足に刻みながらチヨコチヨコ進み行く。
 アリナは万感交々胸にたたへつつ、二人の話を聞いて飽くまで追跡し……父娘の危難を救はにやならぬ。いや却つて父娘両人を都へ引き出すには好い機会が出来たのかも知れない……といそいそしながら進み行く。しかしながら平坦な都大路を車馬の便によつて歩んでゐたアリナの足の運びは、到底山野に慣れた山賊の足跡を追撃するには余程の困難を感ぜられた。二人の小盗児の影は、いつの間にか山の裾に遮ぎられて見えなくなつてしまつた。

(大正一四・一・五 新一・二八 於月光閣 加藤明子録)



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