出口王仁三郎 文献検索

リンク用URL http://uro.sblog.jp/kensaku/kihshow.php?KAN=67&HEN=2&SYOU=6&T1=&T2=&T3=&T4=&T5=&T6=&T7=&T8=&CD=

原著名出版年月表題作者その他
物語67-2-61924/12山河草木午 浮島の怪猫王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
詳細情報:
場面:

あらすじ
未入力
名称


 
本文    文字数=19284

第六章 浮島の怪猫〔一七〇八〕

 波切丸は万波洋々たる湖面を、西南を指して、船舷に皷を打ちながら、いともゆるやかに進んでゐる。天気清朗にして春の陽気漂ひ、あるひは白くあるひは黒くあるひは赤き翼を拡げた海鳥が、あるひは百羽、千羽と群をなし、怪しげな声を絞つて中空を翔けめぐり、あるひは波間に悠然として、浮きつ沈みつ、魚を漁つてゐる。アンボイナは七八尺の大翼を拡げて一文字に空中滑走をやつてゐる。その長閑さは天国の楽園に遊ぶの思ひがあつた。
 前方につき当つたハルの湖水第一の、岩のみを以て築かれた高山がある。国人はこの島山を称して浮島の峰と称へてゐる。一名夜光の岩山ともいふ。船は容赦もなくこの岩山の一浬ばかり手前まで進んで来た。船客は何れもこの岩島に向かつて、一斉に視線を投げ、この島に関する古来の伝説や由緒について、口々に批評を試みてゐる。
甲『皆さま、御覧なさい。前方に雲を凌いで屹立してゐる、あの岩島は、ハルの湖第一の高山で、いろいろの神秘を蔵してゐる霊山ですよ。昔は夜光の岩山といつて、岩の頂辺に日月のごとき光が輝き、月のない夜の航海には燈明台として尊重されたものです。あのスツクと雲を抜き出た山容の具合といひ、全山岩をもつて固められた金剛不壊の容姿といひ、万古不動の霊山です。この湖水を渡る者はこの山を見なくつちや、湖水を渡つたといふことは出来ないのです』
乙『成るほど、見れば見るほど立派な山ですな。しかしながら、今でも夜になると、昔と同じやうに光明を放つてゐるのですか』
『この湖水をハルの湖といふくらゐですもの、暗がなかつたのです。しかしながらだんだん世の中が曇つた所為か、年と共に光がうすらぎ、今ではほとんど光らなくなつたのです。そして湖水の中心に聳え立つてゐたのですが、いつの間にやら、その中心から東へ移つてしまつたといふことです。万古不動の岩山も根がないと見えて浮島らしく、あまり西風が烈しかつたと見えて、チクチクと中心から東へ寄つたといふことです』
『なるほど文化は東漸するとかいひますから、文化風が吹いたのでせう。しかし日月星辰何れもみな西へ西へと移つて行くのに、あの岩山に限つて、東へ移るとは少し天地の道理に反してゐるぢやありませぬか。浮草のやうに風に従つて浮動するやうな島ならば、何ほど岩で固めてあつても、何時沈没するか知れませぬから、うつかり近寄るこた出来ますまい』
『あの山の頂を御覧なさい。ほとんど枯死せむとするやうなひねくれた、ちつぽけな樹木が岩の空隙に僅かに命脈を保つてゐるでせう。山高きが故に尊からず、樹木あるを以て尊しとす……とかいつて、なにほど高い山でも役に立たぬガラクタ岩で固められ、肝心の樹木がなくては、山の山たる資格はありますまい。せめて燈明台にでもなりや、山としての価値も保てるでせうが、大きな面積を占領して、何一つ芸能のない岩山ではサツパリ話になりますまい。それも昔のやうに暗夜を照らし往来の船を守つて、安全に彼岸に達せしむる働きがあるのなれば岩山も結構ですが、今日となつては最早無用の長物ですな。昔はあの山の頂に特に目立つて、仁王のごとく直立してゐる大岩石を、アケハルの岩と称へ、国の守り神様として、国民が尊敬してゐたのです。それが今日となつては、少しも光がなく、おまけにその岩に、縦に大きなヒビが入つて、何時破壊するか分らないやうになり、今は大黒岩と人が呼んでをります。世の中はこれを見ても、このままでは続くものではありますまい。天の神様は地に不思議を現はして世の推移をお示しになるといひますから、これから推考すれば、大黒主の天下も余り長くはありますまいな』
『あの岩山には何か猛獣でも棲んでゐるでせうか』
『妙な怪物が沢山棲息してゐるといふ事です。そしてその動物は足に水かきがあり、水上を自由自在に游泳したり、山を駈け登ることの速さといつたら、まるきり、風船を飛翔したやうなものだ……とのことです。昔は日の神、月の神二柱が、天上より御降臨になり、八百万神を集ひて日月の如き光明を放ち、この湖水は素より、印度の国一体を照臨し、妖邪の気を払ひ、天下万民を安息せしめ、神様の御神体として、国人があの岩山を尊敬してゐたのですが、おひおひと世は澆季末法となり、何時しかその光明も光を失ひ、今や全く虎とも狼とも金毛九尾とも大蛇とも形容し難い怪獣が棲息所となつてゐるさうです。それだから吾々人間が、その島に一歩でも踏み入れやうものなら、忽ち狂悪なる怪獣の爪牙にかかつて、血は吸はれ、肉は喰はれ骨は焼かれて亡びるといつて恐がり、誰も寄りつかないのです。風波が悪くつて、もしも船があの岩島にブツかからうものなら、それこそ寂滅為楽、再び生きて還る事は出来ないので、このごろでは、ひそびそとあの島を悪魔島と言つてゐます。しかし大きな声でそんなこと言はうものなら、怪物がその声を聞き付けて、どんなわざをするか分らぬといふことですから、誰も彼も憚つて、大黒岩に関する話は口を閉じて安全無事を祈つてゐるのです。あの島があるために、少し暴風の時は大変な大波を起し、小さい舟は何時も覆没の難に会ふのですからなア。何とかして、天の大きな工匠がやつて来て大鉄槌を振ひ、打ち砕いて、吾々の安全を守つてくれる、大神将が現はれさうなものですな』
『何と、権威のある岩山ぢやありませぬか。つまりこの湖面に傲然と突つ立つて、あらゆる島々を睥睨し、強持てに持ててゐるのですな』
『あの岩山は時々大鳴動を起し、噴煙を吐き散らし、湖面を暗に包んでしまふ事があるのですよ。その噴煙には一種の毒瓦斯が含有してゐますから、その煙に襲はれた者はたちまち禿頭病になり、あるひは眼病を煩ひ、耳は聞こえなくなり、舌は動かなくなるといふ事です。そして肚のすくこと、咽喉の渇くこと、一通りぢやないさうです。そんな魔風に、をりあしく出会した者はいい災難ですよ』
『丸つ切り蚰蜒か、蛇蝎のやうな恐ろしい厭らしい岩山ですな。なぜ天地の神さまは人民を愛する心より、湖上の大害物を取り除けて下さらぬのでせうか。あつて益なく、なければ大変、自由自在の航海が出来て便利だのに、世の中は、神様といへど、ある程度までは自由にならないとみえますな』
『何事も時節の力ですよ。金輪奈落の地底からつき出てをつたといふ、あの大高の岩山が、僅かの風ぐらゐに動揺して、東へ東へと流れ移るやうになつたのですから、もはやその根底はグラついてゐるのでせう。一つレコード破りの大地震でも勃発したら、手もなく、湖底に沈むでしまふでせう。オ、アレアレ御覧なさい。頂上の夫婦岩が、何だか怪しく動き出したぢやありませぬか』
『風も吹かないのに、千引の岩が自動するといふ道理もありますまい。舟が動くので岩が動くように見えるのでせう』
『ナニ、さうではありますまい。舟が動いて岩が動くやうに見えるのなれば、浮島全部が動かねばなりますまい。他に散在してゐる大小無数の島々も、同じやうに動かねばなりますまい。岩山の頂上に限つて動き出すのは、ヤツパリ船の動揺の作用でもなければ、変視幻視の作用でもありますまい。キツとこれは何かの前兆でせうよ』
『そう承れば、いかにも動いてをります。あれあれ、そろそろ夫婦岩が頂の方から下の方へ向かつて歩き始めたぢやありませぬか』
『なるほど妙だ。段々下つて来るぢやありませぬか。岩かと思へば虎が這うてゐるやうに見え出してきたぢやありませぬか』
『いかにも大虎ですワイ。アレアレ全山が動揺し出しました。こいつア沈没でもせうものなら、それだけ水量がまさり、大波が起つて、吾々の船も大変な影響をうけるでせう。危ない事になつて来たものですワイ』
 かく話す内、波切丸は浮島の岩山の間近に進んだ。島の周囲は何となく波が高い。虎と見えた岩の変化は磯端に下つて来た。よくよく見れば牛のやうな虎猫である。虎猫は波切丸を目をいからして睨みながら、逃げるが如く湖面を渡つて夫婦連れ、西方指して浮きつ沈みつ逃げて行く。にはかに浮島は鳴動をはじめ、前後左右に全山は揺れて来た。チクリチクリと山の量は小さくなり低くなり、半時ばかりの内に水面にその影を没してしまつた。あまり沈没の仕方が漸進的であつたので、恐ろしき荒波も立たず、波切丸を前後左右に動揺するくらゐですむだ。
 一同の船客はこの光景を眺めて、何れも顔色青ざめ、「不思議不思議」と連呼するのみであつた。この時船底に横臥してゐた梅公宣伝使は、船の少しく動揺せしに目を醒まし、ヒヨロリヒヨロリと甲板に上つて来た。さしもに有名な大高の岩山は跡形もなく水泡と消えてゐた。そして船客が口々に陥没の記念所を話してゐる。梅公は船客の一人に向かつて、
『風もないのに、大変な波ですな。どつかの島が沈没したのぢやありませぬか』
甲『ハイ、あなた、あの大変事を御覧にならなかつたのですか。ずゐぶん見物でしたよ。昔から日月の如く光つてゐた頂上の夫婦岩は俄かに揺るぎ出し、終ひの果には大きな虎となり、磯端へ下つて来た時分には猫となり、波の間を浮きつ沈みつ、西の方へ逃げて行つたと思へば、チクリチクリと島が沈み出し、たうとう無くなつてしまひました。こんな事は昔から見た事はありませぬ。コリヤ何かの天のお知らせでせうかな』
梅『どうも不思議ですな。しかしながら人間から見れば大変な事のやうですが、宇宙万有を創造し玉うた神様の御目から見れば、吾々が頬に吸ひついた蚊を一匹叩き殺すやうなものでせう。しかしながら吾々はこれを見て、自ら戒め、悟らねばなりませぬ』
乙『あなたは何教かの宣伝使様のやうですが、一体全体この世の中はどうなるでせうか。吾々は不安で堪らないのです。つい一時間前まで泰然として湖中に聳えてゐた、あの岩山が脆くも湖底に沈没するといふよな不祥な世の中ですからなア』
梅『今日は妖邪の気、国の上下に充ちあふれ、仁義だの、道徳だのといふ美風は地を払ひ、悪と虚偽との悪風吹き荒び、世はますます暗黒の淵に沈淪し、聖者は野に隠れ、愚者は高きに上つて国政を私し、善は虐げられ悪は栄えるといふ無道の社会ですから、天地もこれに感応して、色々の不思議が勃発するのでせう。今日の人間は何れも堕落の淵に沈み、卑劣心のみ頭を擡げ、有為の人材は生れ来らず、末法常暗の世となり果てゐるのですから、吾々は斎苑の館の神柱、主の神の救世的御神業に奉仕し、天下の暗雲を払ひ、悲哀の淵に沈める蒼生を平安無事なる楽郷に救はむがために、あらゆる艱難辛苦をなめ、天下を遍歴して、神教を伝達してゐるのです。まだまだ世の中は、これくらゐな不思議では治まりませぬよ。ここ十年以内には、世界的、又々大戦争が勃発するでせう。今日ウラル教とバラモン教との戦争が始まらむとしてをりますが、こんなことはホンの児戯に等しきもので、世界の将来は、実に戦慄すべき大禍が横たはつてをります。それゆゑ、吾々は愛善の徳と信真の光に満ち玉ふ大神様の御神諭を拝し、普く天下の万民を救はむがために、草のしとね、星の夜具、木の根を枕として、天下公共のために塵身を捧げてゐるのです』
甲『なるほど承れば承るほど、今日の世の中は不安の空気が漂うてゐるやうです。今の人間は神仏の洪大無辺なる御威徳を無視し、暴力と圧制とをもつて唯一の武器とする大黒主の前に拝跪渇仰し、世の中に尊き者はハルナの都の大黒主より外にないものだと誤解してゐるのだから、天地の怒に触れて、世の中は一旦破壊さるるのは当然でせう。私はウラル教の信者でございますが、第一、教主様からして、……神を信ずるのは科学的でなくてはいかない。神秘だとか奇蹟だとかを以て信仰を維持してゐたのは、太古未開の時代の事だ。日進月歩、開明の今日は、そんなゴマカシは世人が受入れない……と言つてゐらつしやるのですもの、まるきり神様を科学扱ひにし、御神体を分析解剖して色々の批評を下すといふ極悪世界ですもの、こんな世の中が出て来るのは寧ろ当然でせう。あなたは何教の宣伝使でございますか。神様に対する御感想を承りたいものでございますな』
梅『最前も申し上げた通り、斎苑の館の大神様は三五教をお開きになつたのです。そして私は同教の宣伝使照国別様といふお方の従者となつて、宣伝の旅に立つたものでございます。それゆゑ貴方等のお尋ねに対し、立派な答へは到底できませぬ。しかしながら神様は昔の人のいつたやうに、超然として人間を離れたものではありませぬ。神人合一の境に入つて始めて、神の神たり、人の人たる働きが出来得るのです。ゆゑに三五教にては、人は神の子神の宮と称へ、舎身的大活動を、天下万民のためにやつてゐるのです』
『何か御教示について、極簡単明瞭に、神と人との関係を解らしていただく事は出来ますまいか』
『ハイ、私にもまだ修業が未熟なので、判然した事は申し上げ兼ねますが、吾が宣伝使の君から教はつた一つの格言がございますから、これを貴方にお聞かせいたしませう。

   神力と人力
一、宇宙の本源は活動力にして即ち神なり。
一、万物は活動力の発現にして神の断片なり。
一、人は活動力の主体、天地経綸の司宰者なり。活動力は洪大無辺にして宗教、政治、哲学、倫理、教育、科学、法律等の源泉なり。
一、人は神の子神の生宮なり。しかしてまた神と成り得るものなり。
一、人は神にしあれば神に習ひてよく活動し、自己を信じ、他人を信じ、依頼心を起すべからず。
一、世界人類の平和と幸福のために苦難を意とせず、真理のために活躍し実行するものは神なり。
一、神は万物普遍の活霊にして、人は神業経綸の主体なり。霊体一致して茲に無限無極の権威を発揮し、万世の基本を樹立す』

『イヤ有難う。御教示を聞いて地獄から極楽浄土へ転住したやうな法悦に咽びました。なるほど人間は神様の分派で、いはば小なる神でございますなア。今までウラル教で称へてをりました教理に比ぶれば、その内容において、その尊さにおいて、真理の徹底したる点において、天地霄壌の差がございます。私はスガの港の小さい商人でございますが、宅にはウラル彦の神様を奉斎してをります。しかしながらこれは祖先以来伝統的に祀つてゐるので、言はば葬式などの便利上、ウラル教徒となつてゐるのに過ぎませぬ。既成宗教は已に命脈を失ひ、ただその残骸を止むるのみ。吾々人民は信仰に飢ゑ渇き、精神の道に放浪し、一日として、この世を安心に送ることが出来なかつたのです。旧道徳は既に已に世にすたれて、新道徳も起らず、また偉大なる新宗教も勃起せないといつて、日夜悔んでをりましたが、かやうな崇高な偉大な真宗教が起つてゐるとは、夢にも知らなかつたのです。計らずも波切丸の船中において、かかる尊き神様のお使に巡り会ひ、起死回生の御神教を聞かしていただくとは、何たる、私は幸福でございませう。私の宅は、誠に手狭でございますが、スガの港のイルクといつて、多少遠近に名を知られた小商人でございます。どうか、私の宅へも蓮歩を枉げ下さいまして、家族一同に、尊き教をお授け下さいますやうにお願ひいたします。そして私はこの結構な御神徳を独占せず、力のあらむ限り、万民に神徳を宣伝さしていただく考へでございますから、何卒よろしくお願ひ申し上げます』
『実に結構なる貴方のお心掛け、これも大慈大悲の大神様のお引合せでございませう。これを御縁に、私もスガの港へ船がつきましたら、あなたのお宅へ立ちよらしていただきませう。

 思ひきや神の仕組の真人は
  御船の中にもくばりあるとは

 この船は神の救ひの船ぞかし
  世の荒波を分けつつ進めり』

(大正一三・一二・二 新一二・二七 於祥雲閣 松村真澄録)



オニドでるび付原文を読む    オニド霊界物語Web