出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語64a-3-121923/07山河草木卯 誘惑王仁三郎参照文献検索
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第一二章 誘惑〔一六四一〕

 ブラバーサは蒼空の月を眺めながら只一人シヨンボリと立つてゐる。そこへスタスタやつて来た女は、一ケ月以前から真心をこめて聖地の案内をしてくれたマリヤであつた。
『聖師様、あなたお一人でござりますか。妾はまたサロメ様と御一緒かと思つてゐました』
『あゝ貴女はマリヤ様でござりましたか。貴女もお一人で夜分によくお出になりましたな』
『ハイ、あなたのお後を慕つて御迷惑とは存じながらコロニーをソツと脱け出して参りましたのですよ。折角サロメ様とシツポリ話さうと思つてござる所へ、エライ邪魔者が参りまして、お気を揉ませます。月に村雲、花に嵐とやら、世の中は思ふやうに行かないものでございますよ。ホヽヽヽヽ』
『これはまた、妙なお言葉を承はります。サロメ様も時々当山へお参りになり、私も二三回この山上で偶然お目にかかりましたが、別にサロメ様と内密で話さねばならぬやうな訳もありませぬから、どうぞ気をもみて下さいますな。私は貴女の御親切な態度に満心の感謝を捧げて居ります』
『聖師は嘘をおつしやらぬもの、そのお言葉に間違なくば妾も安心致しました。時に一つお願ひしたい事がございますが、聞いて貰ふ訳には行きませぬか。この間差上げました手紙はお読下さつたでせうな』
『成るほど二三日以前にアラブが貴女からの手紙だと云つてカトリックの僧院まで届けてくれましたが、そのまま、まだ開封もせずに懐に持つて居ります』
『貴方は私の真心がお分りにならぬのでせう。いやお嫌ひ遊ばすのでせう。海洋万里を越えて遥々聖地にお越し遊ばし、清きお身体に黴菌が附着したやうに思召して、穢い女の手紙なんか、読まないと云ふ御精神でせう。それならそれでよろしい、妾は一つ考へねばなりませぬから、読んで貰はない手紙なら、貴方に差上げても無駄ですから返して下さい』
『マリヤさまさう立腹して貰つちや困りますよ。別にそんな考へがあつたのぢやありませぬ。あまり聖地の研究に没頭してゐましたので遂失念して居つたのです』
『妾の手紙を忘れられる位なら妾等は念頭に無いのでせうな、アヽ悔しい!』
『マリヤさま、どうして貴女を忘れませう。エルサレムの停車場へ着くと匆々、あの街道で貴女にお目にかかり、見知らぬ異郷の空で思はぬ貴女とお会ひした、あの時の印象は一生私は忘れませぬ。どうぞ悪くは思つて下さいますな』
『貴方は聖地巡覧の折、どこまでも妾を愛するとおつしやつたぢやありませぬか。妾はその温かいお言葉が骨身に浸み渡り、もはや今日となつては恋の曲物に捕はれ、どうする事も出来ませぬ。妾の命は貴方の掌中に握られたも同様でござります。どうぞその手紙を月影に照らし一度読んで下さいませ。そしてキツパリと御返事を承はりたいものでござります』
『左様ならば折角の御思召、お言葉に従ふか、従はぬかは後の問題として、ともかくもここで拝見しませう』
と懐より信書を取り出し、封押し切つて、胸轟かせながら読み初めた………………
一、吾最も敬愛するルートバハーの聖師ブラバーサ様に一書を差上げ、切なる妾が心の丈を告白致します。聖師様、あなたは全世界の人類や凡てのもののために朝な夕なにお苦しみ遊ばすのは実に尊く感謝に堪へませぬ。そこへまた妾のやうな大罪人がお近づきになりまして益々お苦しみを増なさる事を深く謝罪致します。妾は初めてお目にかかつてより云ふに云はれぬ愛の情動にからまれ、日夜苦悶を続けて居ります。この苦しみを免れむと朝夕神様に祈り、大勇猛心を発揮し自ら心を警め、幾度か鞭をうつてもうつても粉にして砕いても、この猛烈な情熱の煩悩火は弱い女の意志では消す事が出来ませぬ。妾は煩悶苦悩の淵に沈み、心の鬼に責られて居ります。あゝこの妾の霊肉共に救うて下さるものは誰人でござりませうか。聖師様の尊い温かい愛より外には何物もありませぬ。妾はどこまでも聖師様の愛情の籠もつた、寛かな御懐に抱かれたいのでござります。身も魂も全部を捧げ奉つて、さうしてしばらく無意識状態になつて眠つて見たうござります。聖師様は、はしたない賤しき女と思召さるるでせうが、貴方に抱かるるのは妾の生命を生かし、妾をして間もなく、美しい芽を吹き大活動をさして下さる準備となるのではありますまいか。妾の霊も体も恋の焔のために疲れきつて居ります。もはや玉の緒の火の消えむばかりになりました。大慈大悲の神の教を伝ふる聖師様、妾と云ふものを、どうか、も一度甦らせて下さいませ。あまり人の来ない閑寂な処で、シンミリと聖師様の温かい愛の御手に抱きしめて復活せしめて下さいませ。万一それがために仮令幾万の敵を受けるとも、幾万人の罵詈嘲笑を受くるとも決して恐るるものではありませぬ。これも神様の何か一つの御旨だと信じます。そして妾を生かして働かしめて下さる事は聖師様が天下に活躍して下さる事になるのではありますまいか。聖師様の苦みは妾の苦みであると共に妾の苦みは聖師様の苦みであるに相違ありませぬ。可憐なる女の一人を生かさうと殺さうと、お心一つにあるのでござりますから。また妾の死は師の君の死でなくてはなりませぬ。エルサレムの停車場で海洋万里を隔てた男女がお目にかかつたのは実に不可思議な何者かが両人の間に結びついて、どうしても一体とならねばならぬやうな、前世からの約束だと信じます。妾は貴方と妾と息を合せて神業に奉仕する事を以て、全く神様の御経綸だと固く信じて居ります。弥勒の神政建設のためならば神様の御旨とある以上、如何なる事にても従ひまつらねばなりますまい。妾が師の君を恋愛する事は決して決して罪悪だとは考へられませぬ。どうぞ絶対の愛を以て妾を愛して下さいませ。決して永久の愛を要求するのではござりませぬ。もはや妾の霊肉ともに一変すべき時機が近づいたのです。仮令一分間でも貴方の温かき懐に抱かれさへすれば善いのでござります。妾は身命を神国成就のために師の君様へ差上げて居るのでござります。どうぞ色よい返事を至急に願ひたいものでござります。
 あゝ惟神霊幸倍坐世   マリヤより
 師の君様へ
 ブラバーサは一巡読み了はり、ハツと吐息をつき無言のまま双手を組んで俯向いて居る。
『師の君様、可憐な妾の心、妾の願をキツと聞いて下さるでせうな』
『貴方の真心はよく諒解致しました。しかしながら一夫一婦の制度のやかましいルートバハーの教を奉ずる宣伝使として、何程貴女が熱烈に愛して下さらうとも恋愛関係を結ぶ訳には参りませぬ、どうぞこればかりは見直し宣直し下さいませ』
『さうおつしやいますと、貴方は妾を見殺しにせうとおつしやるのですか。一夫一婦の制度もまた人倫の大本もよく存じて居ります。しかしながら、それは理性的の見解でござりまして、愛の情動はそんな規則張つたものぢやござりませぬ。恋にやつれ息もたえだえになつて居るこの女をして悶死せしめ玉ふのでござりますか。貴方に会ひさへしなければ妾はこんな煩悶苦悩は起らないのでござります。貴方は妾を日出島から亡ぼしにお越しなさつた悪魔だと思ひますわ。神様は吾々に恋愛と云ふ貴重なものを与へて下さつたのです。もしこの恋愛を自由に働かす事が出来なければ、日夜神に仕へる妾にどうしてこんな考へを起さしめられたでせうか。そんな事おつしやらず一滴同情の涙あらば、妾の願を叶へさして下さいませ。決して乱倫乱行の罪にもなりますまい。貴方の奥さまにして頂きたいとは申しませぬ。今ここで貴方に素気なく刎ねられたが最後、妾はガリラヤの海を最後の場所と致します。さすれば貴方の名誉でもありますまい。それ故妾の死は貴方の死ではあるまいかとこの手紙に記したのでござります』
 ブラバーサは双手を組み吐息をつきながら、
『あゝ、誘惑の魔の手はどこまでも廻つてゐるものだな。岩石に等しき固き男の心も僅か女一人の心に打砕かれむとするのか。寸善尺魔の世の中とはよく云つたものだ。あゝどうしたら、よからうかな』
と小声に呟きながら深き思ひに沈む。マリヤは飛鳥の如くブラバーサに背後より喰ひつき満身の力をこめて抱きしめた。ブラバーサは驚きながら心の中に思ふやう、
『あゝ仕方がない、この通り猛烈な恋におちた女を素気なく振り放せばキツと過ちがあるだらう。天則違反か知らねどもしばらく彼女の云ふ通り任せおき、徐に道理を説き目を覚ましてやらねばなるまい』
と心に頷づきながら言葉を改めて、
『いや、マリヤ様、よくそこまで思つて下さいます。実に感謝に堪へませぬ。しかしながら私はここに参りましてから、一ケ月に足りませぬ。私はあと七十日の間身体を清潔にしてある使命は果さねばなりませぬから百日の行を済ますまで、どうぞ御猶予を願ひます』
『ソンナ気休めを云つて妾をお騙しなさるのぢやありませぬか。その場逃れの言ひ訳とより思へませぬ。どうか的確なお言葉を賜はりたいものでござります』
 ブラバーサは吐息をつきながら永い沈黙に陥つた。マリヤもしばらく無言のまま打慄ふてゐたが、思ひきつたやうに口を開いてブラバーサの手を固く握り、
『妾は貴方に初めてお目にかかつてから今日で殆ど一ケ月、どうしたものかセリバシー生活をやつて来た身でありながら、その時から恋におち、この一月の間も殆ど千年のやうに長きを感じました。妾のあまり永い沈黙の恋は妾の頭脳を腐らし破つてしまひました。そして妾は今恋の煩悶苦悩を味はつてゐます。私はこれを何時迄も秘密として葬り去る事が出来ないのです。どうぞ一人の女を救ふと思つて妾の恋を諒解して下さい。この猛烈な恋愛を笑ふなら笑つて下さい。また誹るなら誹つて下さい。もはや妾は恋に悩む狂人です。妾の目に浮かぶものは山川草木一切が恋しい師の君のお姿になつて見えるのですもの、狂つてるのかも知れませぬ。あゝ苦しい、こんな不思議な恋を誰がさせたのでございませうか。エルサレムの町でお目にかかつてから妾はスツカリ恋の捕虜となつてしまひました。妾は神様から与へられた恋だと思つて居ります。恋を与へられた時は思ひきり恋を味はひつつ生るものでございませう。妾が師の君を恋ふる事は決して不合理でも不道徳でもございますまい。神様の御旨だと信ぜられてなりませぬ。厳粛な神聖な恋が変つて博愛となつた時は、尊さと偉大さと美しさとを知る事が出来ませう。ルートバハーの御教の人類愛は斯様な意味を云ふのではありますまいか。人類愛そのものを愛するの愛、それは神様の愛で、即ち自分を見出すための愛であり、自分自身を建設すべき天国に昇るべき愛の初めであり終りでありませう。師の君が妾を理解して下さらぬ事は実に絶大なる悲しみでございます。妾もアメリカンコロニーに籍をおき、救世主の再臨を待ち、全世界救済の使命を持ちながら、どうして戯れの恋に浮かれて居れませうか。妾は師の君の手によつて新に生れなくてはならないのです。霊肉ともに復活せねばならぬのです。師の君と愛し愛され、貴方と結ぶ事によつて新に力を与へらるるのでござります。もしこの妾の恋愛が不合理だとおつしやるのならば貴方の神力で取去つて下さいませ。とは云ふものの一度恋ひ慕ふた師の君の温い御顔とそのやさしいお言葉は妾の全身に流れて血となつて居ります』
『私は厳粛なる神様の御命令を頂き神聖にして犯すべからざるこの聖地において恋愛問題にぶつかるとは夢にも思ひませぬでした。しかし愛の情動は何れの国の人も変らないものと見えますなア。貴女の御親切を決して葬り去るやうな勇気もございませぬ。しかしながら怪しき関係を結ばなくても心と心と融け合ひさへすれば、それで恋愛は完全に保たれて行くぢやありませか。凡て霊主体従の教を奉ずる吾々……しからば霊的の恋仲となりませう。さあどうぞその手を放して下さいませ』
『いえいえ妾はいつまでも師の君様の愛の御手に昼も夜も抱いて慰めて欲しいのでございます。いつも尊い懐に抱かれ微笑つつ恋を歌つて見たいのです。……あゝ妾の恋しい慕はしい師の君の御上に幸多かれ……と』
『御親切は有難うございますが、どうぞ百日の行が済むまでは触らないで下さい。怪しい考へが起つては修行の邪魔になりますからな』
『貴方の御身辺に厄い事が迫つて来た事がお分りになりませぬか。妾はそれが心配でならないのです。それ故アメリカンコロニーの牛耳を握る妾と締結して下さるのならば貴方の危難を逃れるのは当然ですよ。ユダヤ人は同化し難い人種ですからな』
『何か私の身の上について危険が迫つて居るのですか。仮令如何なる敵が来ても神様にお任せした私、左様な事に驚く事はありませぬから、先づ安心して下さい』
『貴方は、さう楽観して居られますが、貴方の周囲には沢山の悪魔が取囲んで居りますよ。今妾は師の君の言葉に従ひ恋愛を思ひきり路傍相逢ふ人の如き態度を採らうと思つても、それが出来ないのです。貴方のお身の上を思へば涙が出てたまりませぬ。それで貴方の側を離れたくはありませぬ』
『マリヤさま、そんな事云つて強迫するのぢやありませぬか。随分悪辣な手段を廻らして恋の欲望を遂げむとなさるのではあるまいかと思はれてなりませぬわ』
『いえいえどうしてどうして誠の神様の教を信ずるピユリタンの一人として嘘偽りが申されませうか。神様の冥罰が恐ろしうございます。妾は師の君様の身辺を守るため仮令恋せなくても離れたくはないのです。このエルサレムの町へ貴方がおいでになつてから、日の出島の聖師々々と云つて貴方に帰順する人が沢山出来ましたが、真に貴方を愛する人が果して幾人ありませうか。凡ての人が師の君に対して力一杯敬して居るやうですが、しかし妾は案ぜられてならないのです。また此方へおいでになつてから間もなく、土地人情もお分りになつてゐないのですからな』
『しからば貴女の御意見に任します。どうなつとして下さいませ。しかしながらここ七十日の間は特に猶予を願ひたいのでございます。貴女の要求を容れました上は相対的に私の要求も容れて貰はねばなりませぬからな』
『どうも仕方がありませぬ。しからば隠忍致します。どうぞ注意をして外の女に相手にならぬやうに願ひます。サロメさまにお会ひになつても言葉をお交しになつちやいけませぬよ。貴方のお身の上に危険が、そのため襲来してはなりませぬからな』
『ハヽヽヽヽ最前からマリヤさまが私の身辺に悪魔が狙つてゐる、危険が襲ふてゐるとおつしやつたのは、分りました。いや随分抜け目のない……貴女も女ですな、アツハヽヽヽ』
『エツヘヽヽヽ何なつと勝手におつしやいましな。しかし呉々もお気をつけなさいませや。さあこれから妾と一緒に帰りませう』
『ソンナラ私はお山を一まはりして帰りますから貴女は一足先にお帰り下さい。七十日さへ経てば夜も昼も駱駝のやうに二人連で歩かして頂きませう。アハヽヽヽ』
『お気に入らないものはお先へ帰りませう。夜が明けるまでお待ちなさいませ。夜鷹でも参りませうから』
と捨台詞を残し橄欖山を下り行く。
 後見送つてブラバーサは吐息をつきながら胸を撫で下ろし、
『あゝ困つたものだな。どうしてこの難関を切り抜けやうか。これも大方神様のお試しだらう。あゝ惟神霊幸倍坐世、国治立大神様、何卒悪魔の誘惑に陥らぬやう御守護を願ひ奉ります。心の弱き私に対し絶対力をお授け下さいませ』
と両手を合せて天地に向かつて拝謝しながら橄欖山の頂を隈なく逍遥し初めた。古ぼけた小さい祠の前に一つの影が蠢いてゐる。月は薄雲の帳を被つて昼ともなく夜ともなく一種異様の光を地上に投げて居る。

(大正一二・七・一二 旧五・二九 北村隆光録)



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