出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語64a-2-71923/07山河草木卯 巡礼者王仁三郎参照文献検索
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第七章 巡礼者〔一六三六〕

 マリヤは再び寺院を辞して、ユダヤ人クオーターの西端なる所謂ユダヤ人『慟哭の壁』を見に行かうでは有りますまいかとブラバーサを顧みた。ブラバーサは余り気乗りがせなかつたけれども、折角の案内でもありまた一度は参考のために是非調べて置きたいと思つたのでマリヤに一任して従いて行く。荒い大きい石で築き上げた壁の間を迷宮のやうに廻つて行くと、『神殿の広場』のふもとの丈の高い壁に突き当つた。石畳になつた路は壁に引添ふて三十間ばかり走つて居て、その先はピタツと行詰りになつて居る。その周囲は何となく恐ろしいやうな気味の悪い感じを与へる。茲でユダヤ人は滅亡したエルサレムのために声を限りに号泣するのである。何時も幾何かのユダヤ人がここに出て来て、頻りに祈祷を捧げたり聖書を拝誦してユダヤ民族の過去の光栄を思ひ浮かべて泣くのである。そして金曜日と土曜日との夕刻には、最も多人数が集まつて来るのである。またベツスオーウー(渝越節)のやうなユダヤ人の祭典日には、老若男女凡ての階級の人々が集まつてその中の長老らしきものが、

  壊たれたる宮のために

と歌ふと群集は異口同音に、

  吾等はひとり坐して泣く

と答へて歌ふその有様は、実に物凄い感じを両人の心に与へた。また、

  毀たれたる宮のために
  潰えたる城壁のために
  過ぎ去りし偉大のために
  われ等は死せる偉人のために
  焼かれたる宝玉のために

と云ふ風に謡ふと群衆は同じやうに、

  われ等はひとり坐して泣く

と答へて涙をしぼつて居る。
 壁にはユダヤ時代、ローマ時代、アラブ時代に築き上げられた部分が明瞭に見分けられて、一番下層の大石はユダヤ時代の物だと伝へられて居る。それ等の年代と人々の触接との関係とに由つて非常に黒ずんで汚なくなり、その表面にヘブリユーの文字が無数に書き録されてある。またその大石には方々に沢山の釘が打込んであるが、これ等は諸国に散在して居る信仰強きユダヤ人が祖先の地を訪れて遥々とここに来た時に打込んだ釘で、それが石に確りと刺つて居れば居るほど、神様が彼等を捕へて居らるることが確だとの信仰に基づくものである。
 両人はここに停立して往時の追懐に耽つて居た。そこへ十二三人の人が集まつて来て、その壁に頭をつけて接吻し初め出した。ブラバーサはこの態を見て一種名状すべからざる感じに襲はれた。それは勿論宗教的のものでも無く、また憐愍や同情に由来するものでも無く、また普通のキリスト教徒のユダヤ人に対して有つて居る反感から来る応報的感じでは勿論ない。それは気味悪いほど根深いもので、たとへば執拗な運命に対する恐れとでも言つたら良ささうな本能的のものである。この光景を見た両人は、他の英米人のやうに微笑しながら平気で彼等の動作を見つづけたり、その光景を撮影したりするやうな事は到底出来ない悲哀に閉ざされてしまつた。一分間と雖もそこに立止まつて傍観するに堪へずなり、仔細にその有様や壁などの歴史的構造にも注目してゐる暇なく、顔を背けてマリヤと共にその場を逸早く立去つた。
 ここは実にエルサレムにおける最も深刻味の湧いて来る場所である。『永劫のユダヤ人』と云ふ声が何処からともなく耳に響いて来る。是等の干涸びた老人等は、何れもアブラハムの裔ダビデの裔である神より選ばれたるイスラエル民族の代表者である彼等の中から全人類の救ひ主イエス・キリストが生れたまうたのだ。彼等は二千六百年の間、祖先の光栄と正反対に人の世の中の一番擯斥せられ、軽蔑せらるるものとして、その落着くべき祖国を有たずして世界を漂浪して居たのである。欧洲大戦後このパレスチナの故国は漸くユダヤ人のものと成つたが、未だ世界に漂浪して居るものがその大部分を占めて居るといふ有様である。これもキリストを十字架に付けた彼等の祖先の罪業の報いとも言ふべきものだらうか。それにしては余り残酷過ぎると思ふ。キリストを釘付けにしたのは彼等ばかりで無く、人類全体なのである。キリストを救世主と仰がなかつたものは彼ユダヤ人ばかりで無く、世界人類の大多数である。聖書の予言にかなはせむがためとは云へ、余りに可哀相だ。彼等はキリストの懐に帰つて罪の赦しを乞ふこと無しに、何時までメシヤを待望して世界を放浪するのであらうか。それにしてもアメリカンコロニーの人達は、早くも目を醒ましてユダヤ人にも似ずキリストの再臨を神妙に生命、財産その他一切を捧げて待つて居る信念の力の強いのには、感激の至りだとブラバーサの心は忽ちコロニーへと走つてしまつた。
 マリヤに導かれて『汚物の門』を出で、シロアムの谷を見下ろしながら城壁に添ふて歩み出した。キリストが盲者の目を癒されたシロアムの池や、バアージンが水を汲んだ泉や、ユダがキリストを売つた金で買ひ求めた『血の畑』や、そのくびれた木なぞの所在を案内されつつダビデ王の墓の在る所からシオンの門を入り、ダビデ塔の下を通つて漸くマリヤと共に一先づカトリックの僧院ホテルに帰つて息を休め、夕餉を済ませることとした。
 ホテルの食卓では英米人四五人と同席せなければ成らなかつた。紳士を装つて威厳を持した長い沈黙と、無意味なあたり障の無い会話とには流石のブラバーサも堪へ得られなくなり、今親切に二度までも案内してくれたユダヤの婦人マリヤとの対照を思つて、宗教信者と非信者との温情の程度に雲泥の相違あることを感得したのである。
 食堂の何十と云ふ顔の何れを見ても、本当の信仰に燃え立つた巡礼の心に駆られてこの聖地に参つて居ると思ふやうな人は一人も見る事が出来なかつた。彼等は何れも物見遊山的の心でやつて来て、万事に贅沢を尽し、六コースもあるやうな食事を一日に二度もしながら、それに自ら疑問を抱き謙遜な心持になる事なしに、満足し切つて盲滅法的に暮して居る酔生夢死の徒とよりは見えなかつた。
 ブラバーサは曾て耽読した『二人の巡礼者』と云ふトルストイの童話を思ひ出して、なつかしまずには居られなかつた。二人の敬虔なロシアの百姓は、一生かかつてその目的のために働いて貯へた金で聖地の巡礼に出かけたが、その中の一人は途中で不図したことから一家全体が疫病になやんだ。他の一人は途すがら全家挙つて疫病にかかつて居た不幸な全員を介抱し初めたために、友とはぐれて旅費に持つて来た金はそのために残らず使つてしまひ、結局目的の巡礼をなし遂げずして故郷に帰つた。第一の巡礼者は彼の友に逢つて巡礼をしなかつた彼の友の方が、自分よりも却つて本当の巡礼者であつたことを認めたと云ふ文句を心中に繰返しつつ、食卓を離れて吾居間に帰り、長椅子の上に横たはつた。マリヤはまたもや例の帰神気分になり、ブラバーサに軽く挨拶を交はし、周章て再会を約しながらアメリカンコロニーをさして帰り行く。
 ブラバーサは大神の神号を唱へ天津祝詞を奏上し終り、窓外の家々の薄明かるい灯火を見下ろしながら、草臥れてソフアの上に白川夜舟を漕ぐこととなりぬ。

(大正一二・七・一一 旧五・二八 北村隆光録)



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