出口王仁三郎 文献検索

リンク用URL http://uro.sblog.jp/kensaku/kihshow.php?KAN=64a&HEN=2&SYOU=6&T1=&T2=&T3=&T4=&T5=&T6=&T7=&T8=&CD=

原著名出版年月表題作者その他
物語64a-2-61923/07山河草木卯 偶像都王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
詳細情報:
場面:

あらすじ
未入力
名称


 
本文    文字数=14598

第六章 偶像都〔一六三五〕

 ブラバーサ、マリヤの二人はまたもやエルサレムの市街を巡覧し始め、市内で一番重要なモニユーメントになつて居る聖セバルクル寺院を見るべく寺門を潜りぬ。
『聖師様、このお寺は聖キリスト様を磔刑に処した場所で、ゴルゴタの地の上に建てられてあるのだと伝へられて居りますが、しかし聖書に由つて考へてみると、ゴルゴタは市の外部に存在して居なければ成らぬ筈です。もしも現在の城壁が当時のものよりも拡張して居るものとすれば、問題にも成り得るでせうが、同一の場所にありとすれば、ダマスカスの門の外にある一見頭骸骨状の目下墓地になつて居る岩丘を以て、ゴルゴタの地と認めなければ成らないと思ひますわ』
『吾々人間としては到底真偽は判りませぬ。大聖主が御降臨の上御定めなさることでせう。時に、この寺院の由来を聞かして頂きたいものですな』
『このお寺の由来を申せば、コンスタンチン帝の命令に由つて発掘された結果、キリスト様の埋葬され遊ばした洞窟が発見せられましたので、帝の母上なる聖ヘレナ様がエルサレムに巡礼して来られ、ここでキリストの十字架を発見しられたので、弥この地をゴルゴタの聖蹟と認めて、紀元三百三十六年初めてここに寺院を建立されたと云ふことですが、それをまた六百十四年に波斯人のために焼亡ぼされたため、直に改築をされましたと云ふことです。その後においても幾度となく破壊改築修繕等相次ぎ今日に至つたのだと聞いて居ります。一度お寺の内部を拝観なさいませぬか。妾が御案内いたしますから』
『ハイ有難う』
とマリヤの後より寺内へ深く進み入る。
 寺院内へ這入つて見ると、迷宮のやうな構造で随分複雑して居て、加ふるに太陽の光線が十分徹らない薄暗闇で、何んとなく寂しい感じがする。それぞれ手に蝋燭を携帯せなければ成らなくなつて居る。寺内の空気は重くしめり勝で余り気分の良い所ではない。敷石は全部湿気で濡れて居るため、ウカウカして居ると脚下が辷つて転倒せむとすること屡である。平和にして清潔なるものは寺院だと思つて居た高砂島の明るい生活に馴れたブラバーサの心に取つては意外の感じに襲はれ、危険がチクチクと身に迫るやうに何となく不安の雲に包まれにける。
 外のユダヤ人街から来るのか、内部から発したのか知らぬが、一種異様の厭な臭気が襲つて来る。そして内部は凡てキリストの磔刑に関するあらゆる由緒ある場所に由つて充されて居て、何となく物悲しい寂しい感じを与へる。精霊が八衢を越えて地獄の入口に達した時のやうな気分になつて来る。
 マリヤはブラバーサを顧みながら初めて口を開き、さも愁た気に、
『聖師様、この長方形の石はニコデモがキリスト様の体に油の布を以て捲くために御身体をのせたと伝へられるものでございます。これがヨセフの墓で此方がアリマヂエの墓で、その少し向ふにあるのはニコデモの墓でございますよ。そして彼所がキリストの復活された後母の眼に現はれたまふたといふ聖所ですよ』
 キリストを刺した鎗、キリストを投入した牢獄、兵卒がキリストの衣をわかつた場所なぞ一々叮嚀に指し示すのであつた。
『天下万民のために犠牲とお成り下さつた救世主の御遺跡を拝観いたしまして、何とも言ひ得ないほど私は御神徳を頂きました。何時の世にも善人は俗悪世界の人間から迫害されると云ふ事は古今一徹ですな。ルート・バハーの大聖主も肉体こそ保存されて在りますが、精神的に牢獄に投げ込まれ銃剣にて突き刺され、あらゆる社会の侮辱と嘲罵とを浴びせられ、かつ大悪人の如く扱はれて居られますが、どうか一日も早く天晴れ世界の人類が真の救世主を認めるやうになつて欲しいものでございますよ。ツルク大聖主の墓は官憲の手に暴破れ聖壇は破壊され数多の聖教徒は圧迫に堪へ兼ねて四方に離散し、今は純信な神に生命を捧げたものばかりが殉教的精神を以てウヅンバラ・チヤンダー聖主夫妻を唯一の力と頼んで、天下万民のために熱烈なる信仰を続けて居るのです。アヽ惟神霊幸倍坐世』
 マリヤは涙に暮れながら、聖師の先に立つてキリストの十字架を建てた正確な地点や、聖母のマリヤが十字架から降ろされたキリストの亡骸を受取つた場所を案内するのであつた。是等の地点には、それぞれそれに因んだ名を附したチヤペル(礼拝堂)が設けられありぬ。
『これがアダムの墓でございますが、一番に聖地でも不思議と呼ばれて居ります。そしてキリストの聖き御血が岩の裂れ目からその頭に浸み込むや否や、この原人アダムは忽ち蘇生したと言ひ伝へられて居るのですよ』
と少しく怪し気に笑つて居る。
 ブラバーサは感慨無量の思ひに充ちて一言も発せず、マリヤの後から心臓の動悸を高めながら従いて行く。寺院の東の端の方には聖ヘレナの礼拝堂が建つて居る。北の神壇はキリストと共に十字架に釘付けられた一人の悔改めたる盗人のために捧げられたものだと伝へて居る。主なる神壇は皇后聖ヘレナのために捧げられたものと伝へられて居る。その側面を地下へ十三段下つた処に、また十字架発見のチヤペルが建てられて居る。茲に聖ヘレナが夢の啓示に由つて三つの十字架を発見したと云ふ。
『聖ヘレナ様が夢の啓示に由つて三つの十字架を発見されまして、ここにチヤペルをお建てになつたのですが、その発見された三つの内でも何れがキリストの架けられた十字架だか分らなかつたので、そこで一つ一つ大病人に触れさせて試みた所、その中の一つが病人を癒したのでそれをキリストのものとして保存されてあると云ふ事でございます。そしてキリストの縛り付けられなさつた円柱が在るのですが、しかしそれは神壇の壁の奥に深く隠れて居るので容易に拝することは出来ないのです。所がその壁には丸い穴があいて居て、信心の深い礼拝者はそこにおいてある摺子木やうの棒をその穴に差し込み、その円柱にふれて棒に接吻するのです。サアこれからキリスト様の御墓を御案内申し上げませう』
とマリアは前導に立ちて奥へ奥へと進み入る。
 寺の中央に独立した長方形の大理石で造られたキリストの墓の前についた。両人は恭敬礼拝稍久しふして救世主を追慕する念に打たれ、思はず知らず落涙して居る。沢山な古風を帯た燭灯に由つて照され、十八本の柱から成つた円形の建築の中に置かれてある。そこに一人の番僧が居て、
『良くこそ御参拝に成りました。どうかキリスト様の御墓へ御賽銭をお上げ成さいませ。後生のため現世の幸福のためでございます』
と抜目なき言葉でお賽銭を強要して居る。
 ブラバーサは心の内にて、
『アヽ聖キリスト様もお気の毒だ。賤しき番僧等の糊口の種に使はれたまふか。世は実に澆季末法だなア』
と歎息しながら懐中を探つて少しばかりの賽銭を墓の前に捧げた。番僧は餓虎の如くその場で賽銭を拾ひ上げ、懐中へ隠してしまつた。
『この寺院内の各種のチヤペルや墓や、神壇やその他寺内の各部分、または聖き墓を照して居るランプに至るまで、ギリシヤ・オルソドツクス及びローマ・カトリックやその他アルメニヤ派の間にそれぞれ所有がきまつて居るのです。それはこのお寺ばかりでは無く、エルサレムの内外に散在して居る宗教上の由緒ある場所に付いても同様です。実に皮肉なアイロニーぢやありませぬか。そしてこのお寺が彼の有名な十字軍の戦争の目的物であつたのです。「聖墓を記憶せよ」との声は、第二回十字軍の出征に際して欧羅巴諸国の町々や村落を通じての叫びだつたのでございます』
『欧州の国々が聖墓を慕つて十字軍まで起した時代は、その信仰も至つて熱烈なものだつたやうですが、今日では最早信仰も堕落してしまつて物質的観念のみ盛んになつて来ましたために、かかる聖地の聖蹟も余り世人に顧みられないやうですなア。時節には神も叶はぬとルート・バハーの教にも示されて在りますが、一時も早く聖キリストの再臨されて聖地をして太古の隆盛に復活させ、世界万民を安養浄土の悦落に浴せしめ、キリストの恩恵を悟らせたきものですなア』
『左様でございます。妾の加入して居ます聖団は只々キリスト・メシヤの再臨のみを待つて居るのです。一時も早く高砂島とやらに再誕されたメシヤのこの地に再臨して下さる事が待ち遠しく成つて参りましたわ』
 これより両人は寺門を出て市街を歩行し初めた。肉屋や野菜物店や、その他土地にふさはしい物を売つて居る雑貨店等が、みつしりと軒を並べて居る狭いオリエルタルな通りを過ぎて所謂「苦痛の路」へ出た。
『聖師様、ここは苦痛の路と謂つてキリスト様がピラトの宮殿からゴルゴタの地即ち今の聖セバルクルまで歩ませられたと伝ふる旧蹟でございます。そしてこの路の上には十四の地点が指定されてあります。サアこれから一々御案内申しませう』
と前に立ちて進む。
 ブラバーサは「成るほど成るほど」とうなづき、趣味深く味はひながらついて行く。
『ここがキリスト様が磔刑の宣告を受けたまふた悲しい場所でございます。その次が十字架を負はせ奉つた場所です。この東側のチヤペルを拝して御覧なさいませ。その時の光景がチヤンと浮彫で以て現はしてあります』
と話しながらズンズンと歩みを進め、
『ここがキリスト様が母上様に会見遊ばした所で、熱烈な信徒の立止まつて動かない地点でございます。彼所に「この人を見よ」のアーチがございませう。あれはピラトの訊問を受けた後にキリスト様がユダヤ人の群集の前に引出され種々の迫害と嘲罵とを受けたまふた所です』
と涙ぐまし気にそろそろと歩みながら、後ふり返つてはブラバーサの顔を見詰めて、
『イエス荊の冕を被ぶり紫の袍を着て外に出づ。ピラト彼等に曰ひけるは「見よこれ人の子也」と馬太伝に誌されてある事実で、キリスト様が二度目に倒れたまふた地点はここだと云ふ事です。そしてキリスト様に従つて来たと話された地点はここですわ。このチヤペルにチヤンと彫込んであります』
と叮嚀親切に案内したりける。
   ○
 キリスト教の偶像を以て飾られたる聖地エルサレムは、異教徒の場合よりも勝つてブラバーサの心を痛めしめたのは、後世の僧侶輩が聖書に録されたる一々の場所や由緒なぞを捏造して、巡礼者の財布をねらつて居ることである。一寸見ると単純なる信仰の発露だらうと、神直日大直日に見直し聞直し宣り直すことも吾々に採つては出来得ない事も無いが、一般の信仰なき民衆やデモ基督教徒の眼には却つて不快に感ずるものたる事を恐れたのである。また後世の僧侶や信者がその内部的知識に空なるがため、外部に徴を求めむとして居る事の嘆ずべき一つの証拠では有るまいか。アヽ後世まで唯一の遺宝たる福音書の中に彼れ自身の姿を認め、それから霊泉を汲み得ることの出来ない信徒等の心の淋しさより、斯様な偶像を作り出してせめてもの慰安の料にして居るのでは有るまいか、なぞとまたもや心の内にて長大嘆息をして居る。
『聖師様、沢山の偶像的事物を御覧になつて非常に嘆息されて居るやうでございますが、何時の世にも聖キリスト様は正しくは信仰され、また理解されなかつたやうでございます。キリスト様が迫害されなさつた当時と、今日とを問はず、世間から誤解されて居られます。そして普く世界から崇敬され玉ふやうになつた後の世は真のキリスト様では無くて人間が勝手にキリスト様に似せて作つた偶像を崇め、キリスト教そのものを信ずる代りに、それから流れ出づる美しい果実のみをそれと誤認してしまひ、終にキリスト教は肝心の精神を失ひ神の国の教である代りにそれは良き意味においてではありますが、地上の幸福をもたらす手段と堕落してしまつたのでございます。それゆゑ妾もこの聖地が偶像のみにて充たされ飾られ、真のキリスト様を認識し得ない事の矛盾を悲しむのでございます』
と悔やみながらマリヤは猶も市中を歩み続ける。

(大正一二・七・一一 旧五・二八 加藤明子録)



オニドでるび付原文を読む    オニド霊界物語Web