出口王仁三郎　文献検索

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物語63-5-211923/05山河草木寅 神判王仁三郎参照文献検索
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第二一章　神判〔一六二八〕

　ブラヷーダはまだ十六才の娘盛り、初めて恋しき父母の家を離れ、二世の夫と契たる伊太彦力にエルの港までヤツと跟いて来た所、初稚姫の訓戒によつて、伊太彦はただ一人の宣伝の旅に赴く事となり、翼を取られた鳥の如く、足をもがれし蟹の如く、淋しさと悲しさに胸塞がり、せめてはエルサレムにて恋しき伊太彦に会はむ事を一縷の望みとして、歩みも慣れぬ大原野を打渉り嶮き山路を越えて、漸く此処へ喘ぎ喘ぎ登りつめて来たのである。
　死線を越えた時の邪気体内に幾分か残りし事と長途の旅の疲れとによりて、最早、根尽き絶望の淵に沈み居る処へ、いとも凄じき猛獣の声、彼方此方より襲ひ来る。淋しさ怖ろしさに魂も消えむばかり、バタリと道端に倒れ、決死の覚悟にて父母兄弟、夫の安全を祈りつつ、悲しさ堪へやらず、声を限りに泣き叫んでゐた所へ、三五教の宣伝使三千彦が突然現はれて来たので、地獄で如来に会ひたる如き心地しつつ重き身を起し、やや落着きたる態にて、
ブラヷーダ『三千彦様、よくまア妾の断末魔とも云ふべき難儀の場所へお越し下さいまして、情のお言葉を賜り、殆んど甦つたやうな心地が致します。就きましては神様の仰せは一人旅との事でございますが、貴方と妾とは別に夫婦でもなければ怪しき恋仲でもございませぬ。それ故道の三丁や五丁連れ立つて歩いた所で、別に神のお咎めはございますまい。斯様な嶮き山路、せめてこの峠を向ふへ下るまで、妾と一緒に行つて下さる訳には行きますまいかな。孱弱い女の頼み事、屹度貴方は肯いて下さるでせう。気強いばかりが宣伝使のお役でもございますまい』
と退ツ引ならぬ釘鎹、三千彦も姫の窮状を見て、ただ俯向いて吐息をついて居た。怪しき猛獣の声は刻々身辺に近寄る如く聞えて来た。
　三千彦は如何はせむと、とつおいつ思案に暮れて居たが、
三千『エヽ、ままよ、人を救ふは宣伝使の役、仮令罪悪に問はれて根底の国に落されようとも、この可憐な女を見捨てて行かれようか。神素盞嗚の大神様は世人のため、千座の置戸を負ひ給ひしと聞く。吾も大神の流れを汲んで世を救ふ宣伝使なれば、千座の置戸を甘んじて受けむ。吾身の罪を恐れて人を救はざるは却て神の御怒りに触れようも知れぬ。初稚姫様のお言葉は、或は吾々の心を試されたのではないだらうか。神ならぬ吾々、どうして正邪善悪の区別がつかう。ただ吾々が心で最善と思つた処を、ドシドシ行ふのが吾々の務めだ。男子は断の一字が宝だ。小さい事に心ひかれて躊躇逡巡する事はない。私がこのブラヷーダ姫を見捨てて行かうものなら、必ず猛獣の餌食になつてしまふであらう。万々一私が罪人の群に落ちても救はねばならぬ』
と大勇猛心を起し、ブラヷーダ姫の背を撫でながら、
三千『姫様、必ず御心配なさいますな。神様の教は一人旅でなければならぬと仰せられましたが、苟くも男子として孱弱き女の身をただ一人見捨てて行かれませう。貴女を救ふたため、私が神の怒りに触れ、根底の国に落ちようとも男の意地、覚悟の前でございます。さア私が背に負ふてこの急阪を越えさして上げませう。決して御心配なさいますな。三千彦は最早覚悟を致しました』
　ブラヷーダ姫は嬉しげに、
『あゝ世界に鬼は無いとやら、三千彦様、よう云つて下さいました。貴方は妾を助けて、仮令根底の国に落ちるとも構はないとおつしやいましたな。ほんに親切な宣伝使、妾も貴方のためには仮令根底の国に落ちようとも、少しも怨みとは思ひませぬ。貴方のやさしいお言葉は、幾万年の喜びを集めても代へ難く存じます』
と俄に妙な心になつて、乙女心のフラフラと三千彦の胸に矢庭に喰ひつき、頬に口づけをした。
　三千彦は驚いて後に飛び去り、
三千『これはしたり、ブラヷーダ様、左様な事を遊ばすと、それこそ天則違反になりますから、慎んで貰ひたうございます』
ブラヷーダ『妾は最早この通り手足もままならぬ身の上、どうせ死なねばならぬこの体、仮令貴方に負はれてこの阪を無事に越されても、到底エルサレムへ行く事が出来ますまい。最早死を決した妾、いとしい恋しい貴方の体に触れて死にましたら、最はやこの世に残りはございませぬ』
と犇々と泣き崩るるその可憐らしさ。三千彦は当惑の目をしばたたき、
三千『あゝ流石は女だな。まだ年も行かぬから無理もないだらうが、こりやまたえらい事に出会したものだ。エー、仕方がない。ブラヷーダ様、貴女の自由になさいませ。三千彦も覚悟を致して居ります』
　ブラヷーダは恋しき、懐しき、三千彦の胸にピタリと抱きついて慄ふて居る。
　そこへ下の方からスタスタやつて来た一人の女は、折悪くもデビス姫であつた。デビス姫はこの態を見て眉を逆立てながら、グツと睨まへて居る。三千彦、ブラヷーダは一生懸命に抱きついて泣いて居るので、デビス姫が吾前に立つて居るのも気がつかなかつた。
　ブラヷーダは蚊の泣くやうな声で三千彦の胸に抱かれ、両の手で頬を撫でながら、
ブラヷーダ『神徳高き三千彦様、どうぞ妾を末永く可愛がつて下さいませ。どうやら足の痛みも、貴方の御親切にして下さつた嬉しさで、忘れたやうでございます。あゝ俄に気分がサラリとして参りました。貴方にはデビス姫様と云ふ立派な奥様がおありですから、どうせ末は遂げられませぬが、せめてお心にかけて下されば、それで結構でございます』
三千『ブラヷーダ様、貴女は本当に可愛いですね。しかしながら貴女のおつしやる通り、私には不束な女房を持つて居りますから、到底貴女と添ひ遂げる事は出来ませぬ。また私の友人なる伊太彦の妻とお成り遊ばした以上は、友人に対しても、どうしてこれが……貴女と添ふ事が出来ませう。貴女も愛しますが友人の伊太彦は層一層私は愛して居ります』
ブラヷーダ『ハイ、よう云ふて下さいました。どうぞ左様なれば心の夫婦となつて下さいませぬか』
三千『あゝどうしたらよからうかな。こんな事を聞くとデビス姫を女房に持つたが怨めしうなつて来た。何故私は伊太彦と朋友の縁を結んだのだらう。実にままならぬ世の中だな。こんな処をデビスが見ようものなら何ほど心の好い彼女でも屹度腹を立てるであらう。エーもう構はぬ、デビス姫でも伊太彦でも来るなら来れ、三千彦はこの女のために罪人となる覚悟だ』
ブラヷーダ『死出三途、針の山、血の池地獄でも、貴方とならチツとも厭ひは致しませぬわ』
　三千彦は何となく心臓の鼓動烈しく、息苦しきやうになつて来た。そして顔一面恥しさと嬉しさの焔が燃えて、俄に暑くなり舌さへ乾いて来た。
　両人は目も狂ふばかりうつつとなつて、今や恋の魔の手に因はれむとする時、

『若草の妻の命を振り棄てて
　　薊の花に心うつしつ。

　デビス姫誰も手折らぬ鬼薊と
　　嫌はせ給ふか怨めしの声』

　三千彦はこの声にハツと気がつき、よくよく見れば紛ふ方なきデビス姫が吾前に立つて居る。
三千『ヤアお前はデビス姫ぢやないか、そこで何をして居る、不都合千万な』
と狼狽へ紛れに反対に叱りつける。
デビス『オホヽヽヽヽ、三千彦様の凄い腕にはこのデビスも驚きました。愛のない結婚は却て貴方に対し御迷惑様、それよりも妾はこれよりエルサレムに駆け向ひ、玉国別の師の君にお目にかかり、この実状を包まず隠さず申し上げますからお覚悟なさいませや』
三千『やア、デビス姫、さう怒つてはくれな。決してお前に愛が薄くなつたのではない、今も今とてお前の事を思ひ煩つて居た所だ。さうした所がブラヷーダ姫が此処に倒れて居たため、介抱を一寸申上げた処、こんな狂言が出来たのだ。タカガ十六才の小娘、私だつてお前と見換るやうな馬鹿な事はせないから、ここは神直日大直日に見直して機嫌を直してくれ』
デビス『案に相違の貴方のなされ方、妾も女の端くれ、男子の玩弄物にはなりませぬ。しかしながら貴方は妾の命の親様、決してお怨みは申しませぬ。妾はただ貴方様のお気に召すやうにして上げたいのが本心でございますから、自分の愛を犠牲に致します。どうぞブラヷーダ様を大切にして、末永く添ひ遂げて下さいませ。かうなつたのも皆妾が貴方に対する愛が足らなかつたためです。そして貴方が天則違反の罪におなりなさらぬやうに妾は今ここで命を捨てて罪の身代りになります』
三千『一寸待つてくれ。さう短気を出すものではない。これには深い訳があるのだ。お前は今来たので、前後の事情を知らぬからさう云ふのだが、ブラヷーダ姫と私の間は潔白なものだ。惚れたの、好いたのと訳が違ふ。決して惚れはせぬから安心してくれ』
デビス『オホヽヽヽ菖蒲と杜若とどれだけ違ひますか、烏賊と鯣と、どれだけの区別がございますか』
三千『いかにも章魚にも蟹にも足は四人前だ、アハヽヽヽ』
と笑ひに紛らさうとする。
デビス『三千彦さま、措きなさいませ。そんな事で誤魔化さうとしても駄目ですよ。それよりも男らしう「デビス、お前に愛が無くなつたから別れてくれ」とおつしやつて下さい。蛇の生殺は殺生でございますからな』
ブラヷーダ『もしデビス姫様、何事も妾が悪いのでございます。三千彦様の罪ぢやございませぬ、妾も危ない所を助けられ、その嬉しさに前後も忘れ、つひ恋の魔の手に因はれて妙な考へを起しましたが、今貴女のお顔を見るにつけ気の毒で、身につまされて、坐ても立つても居れなくなりました。どうぞ三千彦様と仲よく添ふて下さい。妾は貴方に対する言ひ訳のためここで自害して相果てます。三千彦様、これがこの世のお別れ』
と云ふより早く守刀を取り出し、今や自害をなさむとする時しも、天空を焦して下り来る大火団は忽ち三人の前に落下し、轟然たる響と共に爆発して火花を四方に散らした。三千彦、ブラヷーダの二人はアツと呆れて路上に倒れてしまつた。今までデビス姫と見えしは容色端麗なる一柱の女神であつた。女神は言葉静かに両人に向ひ、
女神『妾こそは天教山に鎮まる木花咲耶姫命であるぞよ。汝三千彦、ブラヷーダの両人、ハルセイ山の悪魔に良心を攪乱され、今や大罪を犯さむとせし所、汝等の罪を救ふべくデビス姫と化相して、汝の迷夢を覚まし与へしぞ。以後は必ず慎んだがよからう。神は決して汝等を憎みは致さぬ、過失を二度なす勿れ』
と言葉厳かに諭し給ふた。二人はハツと平伏し、
『ハイ有難う』
と僅に云つたきり、その場に泣き入るのみであつた。

三千彦『三五の神の恵みは何処までも
　　吾魂を守り給ひぬ。

　若草の妻の命と現はれて
　　教へ給ひし神ぞ尊き』

ブラヷーダ姫『恋雲も今は漸く晴れ行きぬ
　　天津御空を照らす光に。

　火の玉となりて下りし姫神の
　　御心思へばいとど尊し。

　何故か怪しき雲に襲はれて
　　人夫恋し吾ぞ悔しき』

三千彦『よしや身は根底の国に落つるとも
　　汝救はむと思ひけるかな。

　皇神の掟の綱に縛られて
　　身の苦しさを味はふ今日かな。

　いざさらばブラヷーダ姫よ三千彦は
　　汝に別れて一人行かなむ』

ブラヷーダ姫『なつかしき教の君に立別れ
　　恋の山路を登りてや行かむ』

　かく互に述懐を宣べながら袂を別ち、三千彦はブラヷーダ姫の追付かぬやうと上り阪を急ぎ行く。ブラヷーダはまた追付いては却て三千彦に迷惑をかけむも知れずと、故意とに足許を遅くして神歌を唱へながら上り行く。

（大正一二・五・二九　旧四・一四　於天声社　北村隆光録）



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