出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語60-5-221923/04真善美愛亥 三五神諭(その三)王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
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場面:

あらすじ
明治34年~明治37年
名称


 
本文    文字数=15763

第二二章 三五神諭その三〔一五四七〕

      明治三十四年旧六月三日

 斯世の行く先の解るのは、綾部の大本の竜門館でないと、何んぼ知識で考へても何ほど学がありたとて、学があるほど利口が出て、解りは致さんぞよ。永くかかりて仕組んだこの大望、解りかけたら速いから、改信が一等であるぞよ。変性男子の因縁の解る世が参りて来たから、世界にある事を先繰に、前途の事を知らせる御役であるぞよ。今度は世に落ちておいでる神々を皆世に上げねばならん御役であるから、順に御上りに成るぞよ。それに就いては世に出て御いでます万の神様に、明治二十五年から申付けてあるが、これまでのやうな世の持方では行けんから、岩戸を開くに就いては、高処から見物ではいけませんぞえと申して置いたが、時節が参りたから、一旦は世界に言ふに言はれん事が出来いたすぞよ。

   ○

      明治三十五年旧七月十一日

 永らく筆先に出して知らしてやりても、今の人民は疑強き故に真に致さぬから、この中に実地をして見せてあるから、よく見て置かんと肝腎の折に何も咄しが無いぞよ。霊魂の調査いたして、因縁ある身魂を引寄して御用に使ふと申して、筆先に出してあらうがな。今度の二度目の天の岩戸開と申すのは、天の岩戸を閉める役と、開く役とが出来るのであるが、神の差添の種は、自己が充分苦労をして人を助ける心でないと、天地の岩戸は劫々開けんぞよ。差添の種に成るのは、二十五年からの筆先を腹へ締込みて置いたらよいのであるぞよ。この中の結構な経綸が判りて来かけるほど、世界から鼻高が出て来るから、筆先で何麼弁解も出来るやうに書してあるから、調戯心で参りて赤恥かいて帰るものも出来るし、また誠で出て来るものもあるぞよ。目的を立てようと思ふて出て来るものもあるし、世間に解るほど忙しくなるから、此寂しく致して誠を細かう判るやうに書してあるから、他の教会とは精神が違ふと申すのぢやぞよ。世界の鏡の出る所であるから、これまでに何ほど云ふて聞かしたとて、余り出口を世に墜して御用がさしてありたから、疑ふ者ばかりで、この中の行ひがチツトも出来んゆゑ、誠の教も未だ今にさして無きやうな事であるから、この闇の世に夜の明ける教を致しても、誰も真に致さねど、もう夜の明けるに近うなりたぞよ。夜が明けると神の教通りに世界から何事も出て来るから、世界は一旦は悪なるから、喜ぶものと悲しむものとが出来るから、大本さへ信神致して居りたら善き事が出来るやうに思ふて、薩張り嘘ぢやつたと申してゐるなれど、出口の日々の願で、大難を小難にまつり替へた所で、何なりと神国の中にも夫々の見せしめは在るぞよ。これから先になりたら、斯様な事が在るのに何故知らせなんだと小言を申すなり、知らせねば不足を申すであらうし、また知らせてやれば色々と疑うて悪く申すし、人民の心が薩張り覆つてゐるから、善き事は悪く見えるし、悪きこと致すものは却つて今の時節は善く見えるが、全然世が逆さまであるぞよ。今の世界に立つ人は、一つも誠の善の事は致して居らんぞよ。艮金神が表に現はれて世界の洗ひ替をいたすから、これからは何事も神から露見れて来るぞよ。今の世界の落ちてゐる人民は、高い処へ土持ばかり致して、年が年中苦しみてゐるなり。上に立ちてゐる神は悪の守護であるから、気儘放題好き寸法。強い者勝の世の中でありたなれど見てござれよ、これから従来の行方を根本から改正さしてしまふて、刷新の世の行方に致すから、今までに上に立ちて居りた神は大分辛う成りて来るから、初発から出口直の手と口とを藉りて、色々と世界の霊魂に申聞したら、近所の者が驚いて、出口を警察へ連れ参りた折に、警察で三千世界の大気違ひであると申してあるぞよ。それでも気違ひが何を申す位により取りては居らんぞよ。何でもない手に合ふ者ほかよう吟味を致さんのか、モチト大きな者を吟味いたして世の潰れんやうに致さねば、このままで置いたら、警察の云ふ事共聞く者が無きやうになるぞよ。艮金神が現はれて守護をしてやらねば、神の国はこの状態で置いたら、全部悪神に略取れてしまふぞよ。斯様な時節が参りてゐるに、上に立ちておる守護神が先が解らんから、岩戸を開いて先の判る世に致すから、自己の心から発根と改信を為るやうに成るぞよ。艮金神が表になると物事速いぞよ。

   ○

      明治三十六年旧七月十三日

 悪神の国から始まりて、大戦争が在ると申してあるが、彼方には深い大きな計画をいたして居るなれど、表面からは一寸も見えん、艮金神は日の下に経綸が致して在るぞよ。日の下は神国で結構な国ぢやと云ふ事は、判りて居れど、何を申しても国が小さいので、一呑にしておるから、今の精神では、戦争が始まりたら神国魂が些とも無いから、狼狽てしまふぞよ。これから段々と世が迫りて来て、世界中の大戦争となりて、窮極まで行くと、悪魔が一つになりて、皆攻めて来た折には、とても敵はんといふ人民が、神から見ると九分まであるが、日の下はモウ敵はんと申す所で、神国魂の生神の本の性来を、出して見せてやると、神国魂は胸に詰りて呑めぬから悪神の守護神が、元の霊魂の力はエライものぢや、誠ほど恐いものは無いと申して、往生する所まで神国の人民は堪忍な、今度悪神が強いと見たら、皆それへ属いてしまふから、ソコデこの本に仕組てある事を、神国の人民がよく腹へ入れて、御用を致さす身魂が二三分出来たら、其処で昔からの経綸の神が現はれて、世界を誠一つの神力で往生致さして、世界中の安心が出来るやうに致して、昔の元の神代に復すぞよ。邪神の侵略主義はモウ世が終結ぞよ。何ほど人民に智慧学力が在りても、兵隊が何ほど沢山ありても今度は人民同志の戦争でありたら、到底敵はんなれど、三千年余りての経綸の時節が来たので在るから、世界中から攻めて来ても、誠には敵はん仕組がしてあるなれど、艮金神、竜宮乙姫どの、日出の神が表はれんと、其処までの神力は見せんから、この大本には揃ふて神力を積ておかんと如何為様にも激烈うて、傍へは寄附かれんやうな事が出来てくるから、身魂をよく磨いておけと申すのであるぞよ。身欲信仰して居る人民、そこへ成りてから助けてくれと申ても其様な人民は醜しいから、傍へは寄せ附けんぞよ。よく神の心を汲取らんと、大本は天地の誠一つの先祖の神の経綸の尊い場所で在るから、迂濶に出て来ても、チト異う所であるから、其処にならんと眼が覚めんから、眼醒しの在るまでに、腹の中の埃を出して置かんと、地部下に成るから、執念言ふて気を附るぞよ。

   ○

      明治三十七年旧正月十日

 艮金神稚日女岐美命が、出口の守と現はれて、変性男子の身魂が全部現れて、斯世を構ふと余り速に見透いて、出口の傍へは寄れんやうに成ると申して在るが、何彼の時節が参りたから気遣ひに成るぞよ。水晶の身魂でありたら、岩戸開きの折にも安心で何も無いなれど、一寸でも身魂に曇りがありたり、違うた遣方いたしたり、混りがありたり致したら、直ぐその場で陶汰られて、ザマを晒されるぞよ。人民からは左程にないが、神の眼からは見苦しきぞよ。変性男子は大望な御役であるから、今度の御用をさすために、神代一代の苦労がさしてありての事であるから何ほどでもこの筆先は湧いて来るぞよ。岩戸開きの筆先と立直しの筆先とを、世が治まるまで書かすなり、斯世一切の事を皆書かせるから、何麼事も皆解りて来るから、誰も恥かしうなるから、改信いたせ、身魂の洗濯いたせよと、出口直の手で知らしてあるのを、疑うて居りた人民気の毒が出来て来るぞよ。斯世が末に成りて、一寸も前へ行けんやうになりて、変性男子と女子とが現はれて、二度目の天の岩戸を開く大望な御役であるぞよ。今までの教は魔法の遣方で金輪際の悪き世の終りであるぞよ。

   ○

      明治三十七年旧七月十二日

 今の役員信者は、今度の戦争で世が根本から立替るやうに信じて、周章てゐるなれど、世界中の修斎であるから、さう着々とは行かんぞよ。今度の戦争は門口であるから、その覚悟で居らんと、後で小言を申したり、神に不足を申して、折角の神徳を取外す事が出来いたすぞよ。変性女子の筆先は信用せぬと申して、肝腎の役員が反対いたして、書いたものを残らず一所へ寄せて灰に致したり、悪魔の守護神ぢやと申して京、伏見、丹波、丹後などを言触に廻りて神の邪魔を致したり、悪神ぢやと申して力一杯反対いたして、四方から苦しめてゐるが、全然自己の眼の玉が眩んでゐるのであるから、自己の事を人の事と思うて、恥とも知らずに、狂人の真似をしたり、馬鹿の真似を致して一廉改信が出来たと申してゐるが、気の毒であるから、何時も女子に気を附けさすと、悪神奴が大本の中へ来て何を吐すのぢや、吾々は悪魔を平げるのが第一の役ぢやと申して、女子を獣類扱ひに致して、箒で叩いたり、塩を振掛けたり、啖唾を吐きかけたり、種々として無礼を致しておるぞよ。これでも神は、何も知らぬ盲聾の人民を改信さして、助けたい一杯であるから、温順しく致して誠を説いて聞かしてやるのを逆様に聞いて居れど、信者の者に言ひ聞かして邪魔を致すので、何時までも神の思惑成就いたさんから、これから皆の役員の目の醒めるやうに、変性女子の御魂の肉体を、神から大本を出して経綸を致すから、その覚悟で居るがよいぞよ。女子が出たら後は火の消えた如く、一人も立寄る人民無くなるぞよ。さうして見せんとこの中は思ふやうに行かんぞよ。明治四十二年までは神が外へ連れ参りて、経綸の橋掛をいたすから、後に恥かしくないやうに、今一度気を附けて置くぞよ。この大本の中の者が残らず改信いたして、女子の身上が解りて来たら、物事は箱差したやうに進むなれど、今のやうな慢心や誤解ばかりいたしておるものばかりでは、片輪車であるから、一寸も動きが取れん、骨折損の草臥儲けに成るより仕様は無いから、皆の役員の往生いたすまでは神が連出して、外で経綸をいたして見せるから、その時にはまた出て御出で成されよ、手を引き合ふて神界の御用をいたさすぞよ。今度の戦争で何もかも埒が付いて、二三年の後には天下泰平に世が治まるやうに申して、エライ力味やうであるが、其麼心易い事で天の岩戸開は出来いたさんぞよ。今の大本の中にただの一人でも、神世に成りた折に間に合ふものがあるか。誤解するも自惚にもほどがあるぞよ。まだまだ世界はこれから段々と迫りて来て、一寸も動きの取れんやうな事が出来するのであるから、その覚悟で居らんと、後でアフンとする事が今から見透いて居るぞよ。今一度変性女子の身魂を連出す土産に、前の事を概略書き残さして置くから、大切にいたして保存して置くがよいぞよ。一分一厘違ひは無いぞよ。明治五十年を真中として前後十年の間が岩戸開きの正念場であるぞよ。それまでに神の経綸が急けるから、何と申しても今度は止めては下さるなよ。明治五十五年の三月三日五月五日は誠に結構な日であるから、それまではこの大本の中は辛いぞよ。明治四十二年になりたら、変性女子がボツボツと因縁の身魂を大本へ引寄して、神の仕組を始めるから、気の小さい役員は吃驚いたして、逃出すものが出来て来るぞよ。さうなりたら世界の善悪の鏡が出る大本で在るから、色々の守護神が肉体を連れ参りて、目的を立てやうといたして、また女子の身魂に反対いたすものが現はれて来るなれど、悪の企謀は九分九厘で掌が覆りて、赤恥かいて帰るものも沢山あるぞよ。今の役員は皆抱込まれてしまふて、また女子に反対をいたすやうになるなれど、到底敵はんから往生いたして改心いたしますから、御庭の掃除になりと使うて下されと、泣いて頼むやうになるぞよ。腹の底に誠意が無いと欲に迷ふて大きな取違をいたして、ヂリヂリ悶えをいたさな成らんから、今の内に胸に手を当てて考へて見るがよいぞよ。もう是限り何も申さんから、この筆先も今度は焼捨てぬやうに後の証拠にするがよいぞよ。何方が取違であつたか判るやうに書かして置くぞよ。盲目聾が目が明いた積り、心の聾が耳が聞える積りで居るのであるから、薩張り始末が附かんぞよ。力一杯神界の御用をいたした積りで、力一杯邪魔をいたしておるのであるから、どうも彼うも手の出しやうが無いから、止むを得ず、余所へしばらくは連参りて、経綸をいたすぞよ。今の役員チリヂリバラバラに成るぞよ。

   ○

      明治三十七年旧八月十日

 天も地も世界中一つに丸め、桝掛ひいた如く、誰一人つづぼには落さぬぞよ。種蒔きて苗が立ちたら出て行くぞよ。苅込になりたら、手柄をさして元へ戻すぞよ。元の種、吟味致すは今度の事ぞよ。種がよければ、どんな事でも出来るぞよ。

(大正一二・四・二六 旧三・一一 於竜宮館 北村隆光再録)



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