出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語60-0-11923/04真善美愛亥 序文王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
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場面:

あらすじ
大乗と小乗
一般民衆に理解しやすく、卑近な例を引いたりして説示するのを小乗という。大乗は、上根者、宣伝使などの所業の教理。
名称


 
本文    文字数=3306

序文

 凡て教法には大乗小乗の区別がある。一般民衆に理解し易く説示するを小乗と曰つて、卑近な例を引いたり、何人にも解し易き言語を以て示すの類をいふ。多数一般の人々に対して神の教を説く時はどうしても小乗でなければ駄目である。哲学的思索に耽つて居るやうな所謂知識階級に対しては、また小乗では馬鹿にして耳を傾けないものである。何事も難解的の経典を以て、唯一成道の大法と心得て居る自称先覚者には、霊界の事情は容易には解されない。自然界と全く相反する所の神霊界の消息に対して、科学を基礎とせなくては駄目だと思惟して居る知識階級の人々は、何れも九十五種外道の全部を完備して居ると云つても良い位なものである。大乗を究めむとして不知不識の間に外道に陥落し一も取らず二も取らず、終には昏迷と愚痴とのみを取得するに至る。
 凡て天国に昇るものは小乗を聞いて、直ちに神霊界の消息を感知し得る神的知識者である。現界にあつて学者と謂はるる人々も神的知識なるものを欠く時は、決して神霊界を窺ふ事は出来ない。凡て大乗教議なるものは、上根者、宣伝使等の所業の教理であつて、一般学者の到底感得し能はざる神秘である。大乗とは一に法大、二に心大、三に解大、四に浄大、五に荘厳大、六に時大、七に具足大、以上の七大乗は神に選まれたる神知識の所有者でなければ、到底今日勃興しつつある学者間の科学的研究態度にては、仮令数百年を経るともその真相を究むる事は不可能事である。神を信ぜず、その存在を認めず、神を愛せざるものは決してその関門さへも窺ふことは許されない。しかして大乗は歯に合はず、小乗は馬鹿にして耳を傾けず、暗中摸索の境涯に迷ふものは、科学本能主義の学者の通常辿る処の経路である。これを神諭には途中の鼻高と称へられてゐる。神を外にして霊界を知らむと如何に焦慮するとも、決してそのアナンタニルデーシャ・ブラテスターナ(無量義処)に達することは出来ない。カルバシャーヤ(劫濁)クレーシャガシャーヤ(煩悩濁)サッドワカシャーヤ(衆生濁)ドルスチカシャーヤ(見濁)アーユシカシャーヤ(命濁)の五濁を清め去り、清浄無垢赤子の心境に立ちて初めて神霊界の真義に歩を向くることが出来るものである。この物語もまた神示の所作なれば五濁を除去し、以てこれに向ふ時は、神命垂示のマハービジニヤーナーヒアー(大通智勝)を感受し、マハービューバ(大荘厳)の神理を味はひ、神霊のラトナーヷ・バーサ(宝音)に接し、無等々正覚を得て人生の本分を全ふし、不老不死天国の生涯を生きながら楽しむ事が出来る案内書となるのであります。
 アヽ惟神霊幸倍坐世。
   大正十二年四月



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