出口王仁三郎　文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語56-3-101923/03真善美愛未 十字王仁三郎参照文献検索
キーワード: 一神と多神
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本文    文字数=17965

第一〇章　十字〔一四四〇〕

　エルシナ川の堤に引上げられ、ビクトル山の修験者求道居士に救はれたベル、ヘル、ケリナの三人はエルシナ川の谷川を遡りパインの木蔭を縫ひながら、やや広き青野ケ原に出た。ここには色々の美しき花が咲き充ちてゐる。一同は路傍の平岩に腰打掛け息を休めてゐる。求道居士は数珠を爪繰りながら、
求道『天竜虎、王命、勝〓、大水日。天竜虎、王命、勝〓、大水日』
と繰返し繰返し呪文を唱へた。
ヘル『モシ、修験者様、吾々は貴方のお蔭で命のない所を助けて頂きましたが、今のお経は何だか知りませぬが、頭に浸み渡つて有難いやうな気分が致します。どうぞその呪文の御解釈をして頂けますまいか』
求道『あ、よしよし、この呪文はバラモン教の神秘となつてゐるのだ。お前等が水に溺れて絶命れて居つたのを呼び戻したのもこの十字の秘法のお蔭だよ。何時もこれさへ唱へて居つたならば、あのやうな災難に罹るやうな事はチツともない。起死回生諸災除攘の神秘的呪文だ。一つ解釈をするから聞きなさい。

　天竜虎、王命、勝〓、大水日。天竜虎、王命、勝〓、大水日

この十字の秘伝は神変不可思議の神徳が顕れ、如何なる願望も成就し、また如何なる災禍も除却することが出来るのだ』
ヘル『どうかその字の功徳に就て御教示を願ひたいものですなア』
求道『ヨシヨシ由縁を聞けば有難い。重ねて言へば猶有難いと云ふ神伝秘法の呪文だから、よく胸に畳み込んでおくが好い。

　抑々、
天　は高貴大官の前に出る時これを書くのだ。また航海渡船の時にこれを書いてもいい、さすれば高官には自分の意志が完全に通じかつ難破船の災ひを免れる。
竜　は海河または船橋を渡る時に書いて持つものだ。また大風雨に向つて出達する時にこれを書けば凡ての海河風雨の難を免れる。
虎　は広野原野深山に行かむと欲する時に書くのだ。また山猟の時とか賊に出遭つた時に書けばその難を免れる。
王　は悪人等に対する時これを書きて持つものだ。また不時に応ずる時、裁判の時にこれを書くのもいい。屹度神の御守護がある。
命　は人の家にて怪しき茶、酒、飲食を与へられた時にこれを書くのもいい、また敵に向つた時これを書いて持つもいい。屹度災難を免れる。
勝　は軍陣並に万の勝負の時に書く、また売買の時に書くのもよい。
〓　は疾病のある家に行かむとする時、または諸々の悪人の集まつて居る所に行かむとする時に書くのだ。屹度神徳が顕はれる。
大　は怪しと思ふ場所やまた淋しき所に出行く時とか、悪病、伝染病の人を見舞ふ時にこれを書くものだ。
水　は案内を知らぬ家に行く時または酒席に出る時、身構へ、清浄の時、また水論のある時にこれを書くといい。
日　は万の祝言や慶事喜悦に関する時、または病人を訪れる時に書いて持つて居れば相方共に御神徳を頂く事が出来るのだ。これは婆羅門教の秘事中の秘術だから、妄りに人に伝へると濫用する恐れがあるから、固く人に伝ふることを厳禁されてあるのだ。以上の十字を以て婆羅門十字の大法と称えるのだ。これを行ふには男は左の手、女は右の手にて刀印にて空書するのだ。また刀印を硯に施して白紙に書して懐中して居るのも結構だ。しかし、これより尚尊い事があるのだ。しかしながら、余り勿体なくて口にすることが出来ないから、身魂相応に十字の呪文を空書したり、唱へたりして修行に歩いてゐるのだ』
ヘル『これよりも有難い尊い事とはどんな事でございますか。どうぞ序に聞かして下さいませな。私も貴方に助けられてこの御恩を返すためには、世界の人間も助けさして貰ひたうございますから』
求道『お前が御神徳を私せず、世界の人間を助けさして貰ひたいと云ふ誠心があるならば伝授してやらう。一番尊い事と云ふのは天の数歌といつて「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百千万」と唱へるのだ。これは天地開闢の初から今日に至るまで、無限絶対力の神様がこの天地を創造し、神徳を世界に充たし愛善の徳と信真の光明を吾々人間にお授け下さる神文だ。そして「惟神霊幸倍坐世」と後で唱へるのだ。これに越したる尊い言葉は三千世界にないのだから、よく聞いておきなさい』
ヘル『いや、どうも有難うござりました。お蔭で結構な御神徳を頂戴しました。サンキュー　サンキュー』
求道『無駄口を云ふ間があつたらこの神文をお唱へするのだ。さうすればどんな事でも忍耐びがついて、天晴神様の御用に使ふて貰ふ事が出来るのだ。しかしながら歌を歌ふやうな気持になつて唱へては駄目だから、よく慎んで唱へたがよろしいぞ』
ヘル『サンキュー　サンキュー』
ベル『アハハハハナーンだ。竜だの、虎だの、貂だの、鼬だのと勿体らしくおつしやいまして、そのまた後に商人か大工のやうに数字を並べたり、鉋だとか、鑿だとか、笑はしやがるわい。アハハハハ、これだけ人文の発達した世の中に、そんな寝言の余り言のやうな事を云つて廻る修験者の気が知れないわ。ウフフフフ』
ヘル『こりやベル、修験者求道居士様は、もとは吾々のカーネル、エミシ様だが、結構な呪文を唱へて俺等を助けて下さつたのに、何と云ふ畏れ多い事を云ふのだ。勿体ないぢやないか』
ベル『ハハハハ貴様もまた軟化しやがつたな。何と云つても寿命のある者は死ぬものかい。八衢で「まだお前は生命があるから帰れ」と云つたぢやないか。別に修験者の力でも何でも無い。この世にまだ生存の力を持つてゐるから生還つたのだよ。そんな馬鹿な事云ふものぢやない。それよりも商売に勉強した方が何程利益だか分らないわ。これからワールドを股にかけワールドウ（悪胴）を据ゑて泥坊商売を勉強した方が忽ちお蔭がある。何ほど十字の秘法を唱へても、一、二、三、四と云つて数へて居つても、一文の金も降つて来はせぬぢやないか。そんな事ア世捨人のする仕事だ。俺等は日々の生活難を凌いで行かむならぬから、そんな陽気な事は云つて居れないわ。肉体のある限り食物も摂らねばならず、人間の体は実在物だからヤツパリ実在的物質が何よりも肝腎だ。空々漠々たる無形の呪文が何になるか。馬鹿だなア』
求道『ハハハハ、ベルはどうしても分らぬと見えるな。そしてお前はゼネラル様から、あれだけのお金を頂いた時に、正業に就きますと云つたぢやないか。それにも拘はらずまだ泥坊をこれからやらうと云ふのか』
ベル『何分人間はパンが肝腎ですから、私のやうな無資産者は、泥坊なつとやらなくちや仕方がありませぬわい。何程神を祈つて居つても一片のパンも湧いては来ませぬからな。神様だつて有るとも無いとも、そんな事アあてになりませぬわい』
求道『お前は、さうすると何処までもアーセーズムを主張するのかな。困つたものだな。人間の力で木の葉一枚だつて出来るものでないと云ふ事を知つてるだらう。さうすれば山川草木を拵へた原動力がなければならぬ筈だ。人間以外の物がなければこの天地は造れるものでない。よく考へて見るがよからうぞ』
ベル『それは人間が出来ない事は分つてゐます。自然の力で一切万物が出来て居るのです。その自然を貴方等は神と云ふのですか。貴方等はフテキズムだ。もしも違うたらナチュラル・ワーシップだ。私は神なぞが決してこの世に存在するとは思はれませぬわい』
求道『どうも仕方のない男だなア。まアまア緩りと胸に手を当てて考へて見るがよからう』
ヘル『オイ、ベル、人間は神を離れて一日もこの世の中に生きて居る事は出来ないぞ。皆神様のお蔭だ。そんな勿体ない事を云はずに神様を礼拝する気はないか。お前もこれから天国に救はれるか、地獄に堕するかと云ふ境目だから、トツクリ求道様のお話を聞いて考へて見たらどうだ』
ベル『ウン、そんなら一つ求道さまにお尋ねしますが、一体神様はこの天地の間にどれだけござるのですか』
求道『天津神八百万、国津神八百万と云つて億兆無数の神様がござるのだ。それぞれお役目を分掌遊ばしてこの世の中を守つて下さるのだから、人間は神様を信仰せなくてはなりませぬぞ』
ベル『それだけ沢山の神様があつたら却つて世界が治まらぬぢやありませぬか。貴方のお説はどうも私の腑に落ちない。その筆法で云へば一切神ばかりでこの世の中は埋もつてしまひ、人間の住居する場所はないぢやありませぬか。そんなボリセズムは新教育を受けた吾々の耳には、余り古臭くて這入りませぬがな』
求道『神様は元はただお一柱だ。その神様は大国治立尊と云つて宇宙一切をお構ひ遊ばす太元神様だからこの神の水火から生れた色々の天人が、八百万の神となつて御守護遊ばしてござるのだ。それだからこれを巻けば一神となり、これを開けば多神となる。所謂神様は一神にして多神、多神にして一神だ。吾々と雖もヤツパリ神様の御神体の一部分だ』
ベル『益々分らなくなつて来た。お前さまの言ふ事はモノゼーズムかと思へばボリセーズムになつてしまふ。ボリセーズムかと思へば一転してバンエンテーリズムになるぢやないか。そんな拠りない神様を礼拝するのは真平御免だ。エーエーこんな話を聞いて居ると気分が悪くなる。それよりも現実的にお蔭を頂く事をやりたいものだ。さアこれから俺の幕だ』
と云ひながら捻鉢巻をグツと締め、瘤だらけの腕をニユツと前につき出し、
ベル『おい、修験者、ここを何処と心得てる。勿体なくも天下の大泥坊ベルさまの縄張り区域だぞ。さアさア、キリキリチヤツと持物一切投げ出して行かつせい。猪倉山で随分分配金を貰つただらうから、まだ持つて居るだらう。それを此方へスツパリ渡して行け。お慈悲に着物だけは助けてやるから』
求道『アハハハハ、困つた奴だな。金は此処にまだ一万両ばかり持つて居るが、これは世界の困つた人間を助けるための物質的の宝だ。お前のやうな泥坊にやる金は一文も持たない。将軍様から大金を頂いて改心するかと思へば益々悪党になるやうな代物だから、お前を助けようと思へば一厘だつて渡す事は出来ぬ。それよりも無形の宝を頂いて誠の人間になつたらどうだ』
ベル『アハハハハ、何とおつしやつてもパンを与へられねば信仰は出来ない。俺を信仰の道に入れたいと思ふなら先づパンを与へよだ。早くその金を此方へ……皆までとは云はぬから、五千両ばかり渡してくんねえ。さすればこの金のある間は信者になつてもいい』
ヘル『到頭本音を吹きやがつたな。もし先生、こんな奴に与る金があつたら乞食におやりなさい。ますます此奴を地獄の底へ堕すやうなものですからな』
求道『如何にもお前の云ふ通りだ。こんな者に金を持たしたら狂人に松明を持たすも同然だ。まア止めて置かうかい』
ベル『こりやヘル、貴様の懐がヘルのでもないのに横合から何をしやベルのだ。人の商売の妨害をさらしやがつて、もう量見ならぬ。これから貴様と命の奪合ひをして、勝つた方がケリナを女房にするのだ。さア来い、勝負だ』
と手に唾をつけ挑戦する。
ヘル『ハハハハハ、そりや何さらしてるのだ。そんな目を剥いて芝居をしたつて恐がる奴は一人もありやせないぞ。なあケリナ、本当に下劣な男ぢやないか。下劣ばかりならまだしもだが、無智暗愚極悪無道、所在罪悪を具備して居るモンスターだから困つた者ですわい。しかしケリナ、お怪我があつてはならぬから、先生のお側を離れないやうにして下さい。これからこの悪人と奮闘して懲しめてやるから』
ケリナ『ホホホホホ何程ベルが凄い文句を並べて威張つた所で誰も驚くものはないわ。そして妾の夫鎌彦さまを殺したのも此奴だから、謂はば夫の敵、見逃しは致さぬ。お前、そこに待つて居なさい。妾が美事ベルを平げてお目にかけませう。そしてお前も矢張り夫を殺した仲間だからこの次ぎはヘルだから楽しんで待つて居なさい』
ヘル『いや、此奴あチツと都合が悪いわい』
ベル『ワツハハハハ、態ア見ろ。ケリナに現を抜かしやがつて既に亭主になつた気取りで居つたが、今の態は何だい。大馬鹿者奴、先見の明が無いと云つても余りぢやないか、ウツフフフフ』
　ヘルは捻鉢巻をしながら、
ヘル『何、猪口才な、俺も今まで悪人だつたが最早神様の光に照らされた善人だ。貴様のやうな悪事はせない。一つ目に物見せてやるから覚悟をせい』
と矢庭にベルに跳びついて行く。
ベルは『何、猪口才な』
と側に落ちて居た棒片を手に取るより早く真向に振り翳し、木端微塵になれよとばかり打下ろした途端に、ヘルの肩を強か打つた。ヘルは怒り心頭に達し、矢庭にベルの髻を引掴み引摺り初めた。ベルは痛さに堪へ兼ね、悲鳴をあげて泣き出した。ヘルはこの声に憐れさを催し、手を放した。求道居士は一生懸命に呪文を唱へて居る。隙を狙つてベルは一生懸命に草野ケ原に四這となり、飛び込んだまま姿を見せなかつた。
ヘル『アハハハハ、口ほどにも無い奴だ。到頭遁走しやがつたな。しかしながら陰険な奴だから何処に隠れて何をしよるか分つたものではない。ケリナさまには大変な怨みを受けて居るけれども、私の罪亡ぼしのために先生と前後になつて、ケリナさまを親許まで届けさして貰ひませう。なア先生、許して下さるでせうな』
求道『お前の改心は確だから成るべくは親許まで届けて、両親にお詫をしたがよからう。しかしながらケリナさまの御意見は何とおつしやるか分らない。ケリナさま、どうしますか』
ケリナ『ハイ、実の所を申せば妾の兄を殺した鎌彦を殺してくれた方だから、別に怨んでは居りませぬ。送つて下さらば結構でございます』
ヘル『サンキューサンキュー、何処までも送らして頂きます。もし、思召に叶ひましたら、どんな御用でも致しますから』
求道『アハハハハ、要らぬ事は云はないでもいい。それよりも十字の秘法を唱へて、さア行かう。テルモン山まではまだ十里位もあるからグヅグヅして居れば日が暮れる。途中で日が暮れるとまた悪者が飛び出すと面倒だからな』
ヘル『先生、その時には一、二、三、四……と唱へるのですな。それでいかなければ惟神霊幸倍坐世ですわい』
求道『うん、さうださうだ。それさへ覚えて居れば大丈夫だ。おい、ヘル、お前は先に行くのだ。そしてケリナさまを真中にして俺が殿を勤めてやる』
ヘル『はい、先へ行かぬ事あございませぬが、そこが何だか一寸……でございますな。先生が先へお出になるが順当でせう。お伴が先へ行くと云ふ道理がございませぬから』
求道『ハハハハハ矢張り恐いのだな。よしそんなら思召に従ひ先陣を勤めやう。さあケリナさま、続いておいでなさい』
と云ひながら声も涼しく宣伝歌を歌ひ、夏草茂る青野ケ原をスタスタと進み行く。

（大正一二・三・一六　旧一・二九　於竜宮館二階　北村隆光録）



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