出口王仁三郎 文献検索

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物語56-1-21923/03真善美愛未 恋淵王仁三郎参照文献検索
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第二章 恋淵〔一四三二〕

 波斯と印度との国境テルモン山の山続きエルシナ谷の山口に、淋しき竈の煙も絶えて春の永日も、いとど暮し難く柱はゆるぎ梁朽ちし破れ家に、火影も消えし秋の夜の長き賤が伏家に花を欺く妙齢の美人、破れし衣に身を纒ひただ一人悲嘆に暮れて居る。嘗て鬼雲彦が仮の館を結び、バラモン教を開きたるテルモン山の神館の跡を守る小国別、小国姫の二人があつた。この二人の夫婦にはデビス姫、ケリナ姫と云ふ二人の美しき娘を持つて居た。
 ケリナ姫は近所の鎌彦と云ふ若き男と恋に落ち、両親の目を忍びテルモン山の館を脱け出し、エルシナ谷の一つ谷に破家を建て、夫婦気取りで暮して居たのである。しかしながら夫は一年以前にある目的を抱て、ケリナ姫をこの破家に残し出て行つたきり何の便もなく、後に残つた姫は途方に暮れ親の里に帰りもならず、また外へ行く事も出来ず、木の根を食ひ、或は乏しき果物等を漁つて僅かにその日を送り、夫鎌彦の消息を待ちつつあつた。家は益々貧しくして朋友知己もなく訪ふものは峰の嵐と雨の音のみであつた。
 広き世界を自ら狭めて山深く世に隠れ住む身の悲しさ、やるせなく、人跡なければ道も狭く萱草に埋もれ、夏の炎天も何となく心淋しく時々猛獣の声、耳を劈裂き魂を宙に飛ばすこと幾回なるを知らず。何日まで経つても帰り来らざる夫の姿、全く神の恵みに見放され、露の命を野辺に曝し玉ひしには非ざるかと、とつおひつ、思案に暮れながら月の光を便りに草を分け、漸うにして谷の口の人通りに出た。
 ここにはかなり大きな谷川が流れ激流飛沫を飛ばして居る。これをエルシナ川と云ふ。ケリナ姫は世を果敢なみて前後の考へもなく、身を躍らして崖下の水中目蒐けて飛び込んだ。月は西の峰に隠れ夜の暗は益々濃厚となつて来た。この時谷川の端に長剣を腰に提げ覆面頭巾の三人の男、ひそびそと何事か囁いてゐる。
甲『おい、兄弟、吾々三人は北の森でゼネラル様から六千両の金を貰ひその御教訓によつて一時も早く国許に帰り、親や女房や子供を喜ばさうと思つてゐたが、到頭意の如くならず、スツカリと恵みの金は取られてしまひ、どうしてもこのままで国へ帰る事は出来ぬぢやないか。何とかしてもう一働きやつて、それを機に泥棒をスツカリ思ひきり、国許に帰つて正業に就きたいものだな』
乙『おい、ベル、貴様も俺等も皆二千両づつ分配したのだが今は最早無一物、取つたものを取られると云ふのは天地自然の道理だから、悪銭身につかず、もうスツカリ思ひきつたらどうぢや。俺やもうこの商売が初めから好かんのだが、益々嫌になつて来たよ。折角盗つた金をまた取られてしまへば何にもならぬぢやないか。ただ残るのは罪悪ばかりだからな』
丙『おい、ベル、ヘルの両人、取られたとはそりや何だ。吾々は皆娼婦に惚け、酒に溺れて使つてしまつたぢやないか。それだけ愉快な事をしたのだから決して盗られたのぢやないよ。それよりもこれから十里ばかり行くとテルモン山の神館がある。そこへお詣りしてスツカリ心を改めてゼネラル様のやうに山伏となり法螺貝でも吹いて廻らうぢやないか。さうすれば今までの罪が滅びて極楽参りが出来るかも知れないよ』
ベル『エー、しようもない、そんな弱音を吹きやがる奴はこの谷川へでも身を投げて斃つたがよからう。俺は益々これから泥坊学の研究をして天下の財宝を自由自在に致す積りだ』
丙『しかし、何だか妙な音がしたぢやないか。まさか投身ではあるまいな』
ベル『うん、どうやら投身らしい。しかしながら死にたい奴は勝手に死んだらよいのだ。俺等はどこまでも生の執着が強いのだから千年も万年も生通すつもりだよ』
丙『投身と聞けば、こりやかうしては居られぬ。何とかして助けねばなるまいぞ。なあヘル』
ヘル『うん、さうだ。シャルの云ふ通りこれから真裸になり谷川へ飛び込んで救うてやらうかい。愚図々々してゐると何程流れの遅い淵でも死骸がなくなるかも知れないよ』
 シャルは『おう、さうだ』と云ひながら衣類を脱ぎ棄てザンブとばかり暗の淵目蒐けて跳び込んだ。飛び込んだ途端に自分の足に力限りに喰ひついたものがある。シャルは驚いて声を限りに『助けてくれえ助けてくれえ』と叫ぶ。ヘルはまたもやザンブと跳び込んだ。見れば二人の男女が淵に浮きつ沈みつ掴み合つてゐる。ヘルは暗がりに髪の毛を掴んで浅瀬に引張り上げた。二人とも多量に水を呑んで殆ど息が絶へてゐた。ヘルは声を限りに、
ヘル『おい、ベル、大変だ。シャルまでが死によつたやうだ。早く来て手伝つて水を吐かしてくれ』
 ベルは泰然として上の方から、
ベル『おい、ヘルの奴、シャルはもう死んだか。死ぬ事の好きな奴は放つといたらよいぢやないか。そして、も一人の奴は男か女か、どちらか。女なら助けてもよいがな』
 ヘルは、
ヘル『エー、薄情な奴め』
と云ひながら舞ひ細砂の上に二人を引張り上げ色々と介抱をして水を吐かせた。二人は漸くにして息吹き返した。
ヘル『おい、シャル、危ない事だつたのう。まア気がついて何よりだ。しかし何処のお女中か知らぬが、ようまア甦生つて下さつた。これで吾々の懸命の働きも無駄にはならない。ああ嬉しや、大自在天様』
と合掌する。ベルは上の方からスパスパと煙草を吸ひながら、
ベル『おい、三人の娑婆亡者、死損ひ奴、何をグヅグヅしてゐるのだ。いい加減に上つて来ぬかい』
ヘル『おい、ベルの奴、かう暗くては仕方がない。貴様、そこらで一つ火を焚いて灯明をつけてくれないか。上り道が分らぬからのう』
ベル『八釜しう云ふない。泥坊に火は禁物だ。幸ひ夏の事でもあり寒くもあるまいから、夜が明けるまで、そこへ伏艇してゐるがよからう。水雷艇も一隻あるさうだし、都合が好いわ。深く陥つた恋の淵、何でも馬鹿な女が居つて腐れ男に心中立をして死んだのだらう。そんな奴を助けに行く奴が何処にあるかい。余程お目出度い奴だな。アハハハハハ』
 ヘル、シャルの二人はベルの友情を知らぬ冷酷な態度に憤慨しながら、漸くケリナ姫を助けて、壁立つやうな岩を伝ふて上つて来た。ベルは女と聞くよりその美醜を試さむと枯芝を集めてパツと火を焚いた。よくよく見れば女は色飽くまで白く、気品高き妙齢の美人であるにも拘らず、その着衣は実に見窄らしき弊衣であつた。
ベル『やア、これはこれは何処のお女中か知りませぬが、随分綺麗なお方、襤褸に黄金の玉を包んだやうな貴女の様子、さぞ斯様な処へ投身をなさるに就いては何か深い理由があるでせう。何はともあれ、お助け申さねばなるまいと存じ、家来のヘル、シャルをして助けにやりました。さア逐一事情をお話なさいませ』
シャル『ヘン、うまい事おつしやるわい。俺等が助けてやらうかと云つた時、死にたい奴は勝手に死なしたらよいと吐したでないか。のうヘル、このナイスの顔を見て、直ぐアンナ事吐すのだから呆れてものが云へぬぢやないか』
ヘル『うん、さうだ。仕方のない奴だ。もしもしお女中さま、お前を助けやうと発企したのはこのヘルでござります。それで私の家来のシャルが第一着に跳び込み、お前に水中に取つ捉まつて苦しんでる処を私が跳び込みお二人とも命を助けたのですよ。このヘルが居らなかつたならば、お前もシャルも既に冥途の旅立をして居つたのですからな』
ケリナ『はい、有難うございます。ツヒ女の小さい心からヒステリツクを起し、一層こんな憂世に居るよりも極楽参りをしたが得だと、無分別を出して跳び込んで見ましたものの余り苦しいのと、俄に娑婆が恋しくなつたのでどうしようかと藻掻いて居ます矢先、貴方等が現はれてお助け下さいましたのは本当に神様のやうに存じます。ようまアお助け下さいました』
ヘル『エヘヘヘヘおい、ベル、どうだ。もう貴様の野心は駄目だぞ。二人も証拠人が居るのだからな。もしもしお女中さま、此奴ア大悪人の大泥棒ですよ。バラモン教の鬼春別将軍様でさへも脅かして懐のお金を奪ひとると云ふ悪人ですからな』
ベル『アハハハハ俺が泥棒なら貴様もヤツパリ泥棒ぢやないか。これこれお女中、実の所は吾々三人は皆バラモン教の軍人であつたが、鬼春別将軍様が猪倉山の山寨で三五教の宣伝使に言向和され修験者になり軍隊を解散したものだから、俺等も止むを得ず泥棒と商売替へをしたのだ。しかしながらお前は心配しなさるな。泥棒は決して人の生命をとるのが目的ぢやない、宝を横奪するのが目的だ。お前から宝を盗らうと云つた所で何一つありやせない。それだから何も請求しないわ。しかしながらただ一つここに請求がある。それは外でもない。お前が今此処で死んだと思へば如何な諦めもつく筈だ。どうだ私の妻に……仮令三日でもなつてくれる気はないか』
ケリナ『ホホホホホ好かぬたらしい、モーよう言わむワ。何程命が惜うないと云つてもお前のやうな鬼面の泥棒に身を任す位なら潔く淵へ身を投げて死にますわいな。妾の身を任す男は世界に只一人よりありませぬわ。お生憎様』
ベル『こりや女、命を助けて貰ひながら何と云ふ愛想づかしを申すのか。不都合千万な、このままには差許さぬぞ』
ケリナ『あのまア得手勝手な事をおつしやりますわいのう。妾はお前に助けて貰つたのぢやない。このお二人の方に救つて貰つたのだから大きに憚りさま。ねえお二人さま、さうでせう。生命を的に助けて下さつたのだから、これには何かの深い因縁がなくては叶ひませぬわ』
ヘル『エヘヘヘヘおい、ベルの大将、どうだい。世界に一人より身を任すものはないとこのナイスが云つて居たのを聞いてるかい。貴様を除けばシャルと俺と二人だ。しかしながら二人ながら生命を助けたのはこのヘルだ。のうシャル、よもや俺の御恩は忘れはしよまいな』
シャル『うん、そりや忘れぬ。しかしながらこのナイスを助けようと思ふ心は俺もお前も同様だ。さうだからお前と俺と二人の中からこのナイスに選ましたらよいのだ。それが順当だと思ふよ。もし、ケリナさまとやら、貴女のお考へはどうですかな』
ケリナ『ホホホホホ』
ベル『エー、どうしても俺に靡かぬと吐しや靡かいでもよい。ま一度放り込んでやるからさう思へ』
ケリナ『あのまあベルさまとやらの空威張りの可笑しさ。そんな事で今日の女は脅喝され、男に盲従するやうな馬鹿はありませぬぞや。貴方が放り込んでやるとおつしやるなら美事、放り込んで見なさい』
ベル『よし、御注文とあれば、何奴も此奴も皆放り込んでやらう。さてもさても憐らしいものだな。ここに三人の土左はんが出来るかと思へば聊か同情の涙に暮れぬ事もないわい、イツヒヒヒヒヒヒ』
ヘル『さアさア ケリナさま、こんな奴を相手にせず何処かへ参りませう。そして互に身の打明け話をしようぢやありませぬか。おいシャル、貴様はベル大将のお伴を忠実にやつたらよからうぞ』
シャル『俺だつて何時までも泥坊の乾児は御免蒙りたい。ゼネラルさまの訓戒を思ひ出せば到底泥坊なんて、恐ろしくて出来るものぢやないからな』
ヘル『そんなら、シャル、若夫婦のお伴に使つてやるから跟いて来たらよからう。その代り、ベルと絶縁をするのだぞ』
 ベルは矢庭に長剣を引抜いてケリナ姫に斬りつけた。ヘル、シャルの両人は鞘のままベルの刀を受け止め、ケリナ姫を身を以て囲ふて居る。この間にケリナは傍のパインの木に猿の如く駆上つて難を避けた。ここに三人は各長剣を引抜き闇の木の間にケチヤン ケチヤンと敵味方の区別もなく刃を合せてゐる。その度ごとにピカピカと星のやうな火花が出る。カチン カチンと刃の擦れ合ふ音、火花の光り、吾を忘れてケリナ姫はパインの上から眺めてゐる。
 ベルは剣を投げ棄て、
ベル『おい、ヘル、シャルの奴、到底この闇では勝負も駄目だ。どうだ、これから組打をやらうかい』
 『よーし来た』とヘル、シャルの二人は刀を投げ棄てた。此処に三人は腕力に任せてジタンバタンと組合ふて居る。遂には一生懸命になつて三人組んだまま谷底の青淵へドブンと水音を立てて落ち込んでしまつた。パインの上から見てゐたケリナ姫は自分の恩人が陥つたのを見るより『助けにやならぬ』と矢庭に木を滑り下り、またもや青淵目蒐けてドブンと跳び込んでしまつた。四人は果して如何なる運命に見舞はるるであらうか。

(大正一二・三・一四 旧一・二七 於竜宮館二階 北村隆光録)



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