出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語53-0-11923/02真善美愛辰 序文王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
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あらすじ
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本文    文字数=3208

序文

 霊界物語は阿呆陀羅に長い物語で、実に平凡で読むに堪へないと言つてゐる人士が偶にあるやうだ。しかし瑞月は元より真理なるものは平凡だと思ふ。だから仮令この物語が平凡であるとしても、世人が誰も未だ気の附いてゐないやうな事柄ならば、千言万語を連ねてもこれを説くの必要があらうと思ふ。何程シカツメらしい文章や言葉でも、今日までに世間に知れ渡つた事を著述したり、論説するのならば、決して堂々たる学者の態度とは思はれない。要は陳腐常套語である。かかる著述に対しては、吾人は軽侮嘲笑せずに読んだり聞いたりすることは出来ない。今日の学者は弁舌としても巧妙で人の肺腑を突く訳でも無く、また文章としても平板的なものである。今日の学者の著述を見るに、先づその第一頁からして脱線調子外れのものが多い。乾燥無味にして蝋を嚼む位なら未だしも辛抱が出来るが、全然刃の欠けた鰹削きで、松魚節を削いてゐるやうな迷文章だから堪らない。今日の学者が揃ひも揃うて、アンナ拙劣醜悪な文字を聯ねて自分でそれを恥とも思はないのだらうか、今まで世に有ふれた平凡陳套の内容を、書きなぐりの出鱈目な文字で綴つて、これを世に公にしても平気なほどまでに学者といふものは厚顔無恥になれる者だらうかと、不思議に思はるる位である。そして吾々の口述書を見て史実に無いとか、空想だとか、怪乱狂妄の言説だとか仰しやるのだから困つてしまふ。豚に真珠、猫に小判とかいふ比喩を思ひ出さずには居られなくなつて来る。深き痛ましき人間味や人生味に透徹せず、岐路に彷徨せる現代の学者が、如何にして深遠微妙なる神霊界の消息が判つてたまるもので無い。現代の錚々たる学者すらも未だ神霊界の何たるを了解し得ない世情だから、一般人が何程鯱鉾立になつた所で、この神示の物語が批判されやう筈がない。瑞月王仁は今日まですべての迫害と妨止とを突破して、漸く茲に累計五十三巻、原稿六万枚余を脱稿したのも、決して世にありふれたる事実を著したのではない。平凡な狂妄な著述と見る人は見ても好い。それが各人の御勝手だから。かく大胆に放言する時は世人は瑞月を全くの発狂者と嘲笑さるるかも知れない。しかし自分に取つては極めて真面目である。その代り現代人に読んで貰ふといふやうな野心は無い。千年の後に知己を得れば良いといふ考へを持つて口述しておくのである。とは言ふものの時代と神霊とに眼の醒めた人士が現はれて、仮令一人なりとも愛読してくれられる方があれば実に望外の幸であります。
   大正十二年一月十四日 旧十一年十二月廿九日   於教主殿



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