出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語52-3-151923/02真善美愛卯 千引岩王仁三郎参照文献検索
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第一五章 千引岩〔一三五一〕

 文助は重た相な石が、土鼠が持つやうに、ムクムクと動くので、此奴ア不思議と立止り神言を奏上してゐると、一人は二十歳位な娘、一人は十八歳位な男が岩の下から現はれて来た。文助は何者ならむと身構へしてゐると、男女二人は文助の側へ馴々しくよつて来て、
『お父さま、よう来て下さいました。私は年子でございます……私は平吉でございます』
『私には、成程お年、平吉といふ二人の子はあつた。しかしながらその子は、姉は三つの年に、弟は二つの年に死んだ筈だ。お前のやうな大きな子を持つた筈はない、ソラ大方人違だらう』
年子『私は三つの年に現界を去つて、あなたの側を離れ、霊界へ出て来ました。さうすると沢山な、お父さまに騙された人がやつて来て、彼奴は文助の娘だと睨みますので、居るにも居られず、行く所へも行けず、今日で十六年の間、この萱野ケ原で暮して来ました。そして毎日ここに隠れて、姉弟が住居をして居ります。霊界へ来てから、ここまで成人したのです』
『成程、さう聞けばどこともなしに女房に似た所もあり、私の記憶に残つてゐるやうだ。そしてお前等二人は永い間此処ばかりに居つたのか』
平吉『ハイ、姉さまと二人が木の実を取つたり、芋を掘つたり、いろいろとして、今日まで暮して来ました。人に見つけられようものなら、すぐに、お前の親は俺をチヨロまかして、こんな所へ落しよつたと云つて責めますから、それが苦しさに、永い間穴住居をして居ました』
と涙を滝の如くに流し、その場で姉弟は泣き伏してしまつた。文助は手を組み、涙を流しながら思案にくれてゐると、後から文助の背を叩いて、
『オイ文助』
といふ者がある。よくよく見れば、生前に見覚のある竜助であつた。文助は驚いて、
『イヤ、お前は竜助か、根つから年がよらぬぢやないか』
『折角お前が生前においていろいろと結構な話をしてくれたが、しかしながらその話はスツカリ霊界へ来て見ると、間違ひだらけで、サツパリ方角が分らぬやうになり、今日で十年の間、この原野に彷徨うてゐるのだ、これから先へ行くと、八衢の関所があるが、そこから追ひかへされて、かやうな所で面白からぬ生活をやつてゐるのだ。お前のためにどれだけ苦しんでゐる者があるか分つたものでないワ』
『誰もかれも、会ふ人ごとに不足を聞かされ、たまつたものぢやない。ヤツパリ私の言ふ事は違うて居つたのかなア』
『お前はウラナイ教を俺に教へてくれた先生だが、あの教は皆兇党界の神の言葉だつた。それ故妙な所へ落される所だつたが、産土の神様の御かげによつて、霊界の方へやつて貰うたのだ。しかしながら生前において誠の神様に反き、兇党界ばかりを拝んだ罪が酬うて来て、智慧は眩み、力はおち、かやうな所に修業を致して居るのだ。お前の娘、息子だつてヤツパリお前の脱線した教を聞いてゐたものだから、俺達と同じやうに、こんな荒野ケ原に惨めな生活をしてゐるのだ。そして大勢の者にお前の子だからと云つて、憎まれてゐるのだ、俺はいつも二人が可愛相なので、大勢に隠れて、チヨコ チヨコ喰物を持つて来たり、また淋しからうと思つて訪問してやるのだよ』
『あ、困つた事が出来たものだなア、今は改心して三五教に入つてゐるのだ。マ、その時は悪気でしたのでないから、マ、許して貰はな仕方がない、どうぞ皆さまに会つてお詫をしたいものだ』
『三五教だつて、お前の慢心が強いから、肝腎の神様の教は伝はらず、ヤツパリお前の我ばかりで、人を導いて来たのだから、地獄道へ堕ちたのもあり、ここに迷うて居るのも沢山ある。なにほど尊い神の教でも、取次が間違つたならば、信者は迷はざるを得ないのだよ』
『何と難かしいものだなア。吾々宣伝使は一体どうしたらいいのだらうか、訳が分らぬやうになつてしまつた』
『何でもない事だよ、何事も皆神様の御蔭、神様の御神徳によつて人が助かり、自分も生き働き、人の上に立つて教へる事が出来るのだ。自分の力は一つもこれに加はるのでないといふ事が合点が行けば、それでお前は立派な宣伝使だ。余り自分の力を頼つて慢心を致すと、助かるべき者も助からぬやうな事が出来するのだよ。これから先には沢山のお前に導かれた連中が苦しんでゐるから、その積りで行つたがよい。二人の娘、息子だつてお前のために可愛相なものだ。筆先に「子に毒をのます」と書いてあるのはこの事だ。合点がいつたか』
と、どこともなしに竜助の言葉は荘重になつて来た。文助は思はず神の言葉のやうに思はれてハツと首を下げ、感謝の涙にくれてゐる。忽ちあたりがクワツと明るくなつたと思へば、竜助は大火団となつて中空に舞ひのぼり、東の方面指して帰つて行く。これは文助の産土の神であつた。
 産土の神はお年、平吉の二人を憐れみ、神務の余暇に此処へ現はれて、二人を助け給ひつつあつたのである。文助は始めて産土の神の御仁慈を悟り、地にひれ伏して涕泣感謝を稍久しうした。
 文助は二人に向い、
『お前たち二人は、子供でもあり、まだ罪も作つてゐないから、ウラナイ教の御神徳で天国へ行つて居る者だとのみ思つてゐたのに、斯様な所で苦労してゐたとは気がつかなかつた。これも全く私の罪だ。どうぞ許してくれ、さぞさぞ苦労をしたであらうな』
お年『お父さま、あなたの吾々を思うて下さる御志は本当に有難うございますが、何と云つても、誠の神様の道に反き、兇党界の神に媚び諂ひ、日々罪を重ねてゐられるものですから、私たちの耳にも、現界の消息がチヨコ チヨコ聞えて、その度ごとに剣を呑むやうな心持でございました。今日もまた文助の導きで兇党界行があつたが、産土様のお蔭で霊界へ救はれたといふ噂を幾ら聞いたか分りませぬ。弟も余り恥かしいと云つて外へ出ず、また外へ出ても大勢の者に睨まれるのが辛さに狐のやうに、穴を掘つて、この岩の下に生活を続けて来ました。これだけ広い野原で、石なとなければ印がないので、産土様のお蔭で、この石を一つ運んで貰ひ、これを目当に暮してゐます。石といふものは、さやります黄泉大神と云つて、これさへあれば敵は襲来しませぬ。この岩のお蔭で、姉弟がやうやうとここまで成人したのでございます。お父さまも、一時も早く御改心を遊ばして、吾々を天国へ行くやうにして下さい』
『今までは、吾々が祝詞の力によつて天国へ救へるもの、または導けるものと思うてゐたが大変な間違だつた。これは神様の御力によつて救はれるのだつた、今までは自分の力で人を救うと思ひ、また人の病を自分の力で直すと思うたのが慢心だつたのだ。もうこの上は神様に何事も任して、御指図を受ける外はない。ああ惟神霊幸倍坐世』
と親子三人は荒野ケ原に端坐して、一生懸命に祈願を凝らした。
 因に石といふものは、真を現はすものである。そして、所在虚偽と罪悪と醜穢を裁断する所の神力の備はつたものである。神典古事記にも、黄泉平坂の上に千引の岩をおかれたのは、黄泉国の曲を裁断するためであつた。人間の屋敷の入口に大きな岩を立てて、門に代用するのも外来の悪魔を防ぐためである。また家屋の周囲に延石を引きまはすのも、千引の岩の古事にならひ悪魔の襲来を防ぐためである。築山を石を以て飾るのも神の真を現はすためであり、また悪魔の襲来を防ぐためである。そして所在植物を庭園に栽培するのは愛を表徴したのである。人間の庭園は愛善の徳と信真の光を惟神的に現はした至聖所である。故にこれを坪の内とも花園とも称するのである。天国の諸団体の有様は、すべて美はしき石を配置し、所在植物を植ゑつけられた庭園に類似したものである。それから石は砿物であり玉留魂である。故に神様の御霊を斎るのは所謂霊国の真相を現はすもので、月の大神の御神徳に相応するが故に、石の玉を以て御神体とするのである。これ故に霊国の神の御舎は皆石を以て造られ、天国は木を以て、その宮を造られてある。木は愛に相応し、太陽の熱に和合するが故である。大本の御神体が石であつたから、何でも無い神だと嘲笑してゐるそこらあたりの新聞記事などは、実に霊界の真理に到達せざる癲狂痴呆であつて、新聞記者自らの不明を表白してゐるものである。
 ああ惟神霊幸倍坐世。

(大正一二・二・九 旧一一・一二・二四 松村真澄録)



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