出口王仁三郎 文献検索

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物語50-1-21923/01真善美愛丑 照魔燈王仁三郎参照文献検索
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本文    文字数=20044

第二章 照魔灯〔一二九六〕

 高天原の最奥における霊国及び天国の天人は、すべて愛の善徳を完備し、信の真善を成就し、智慧証覚に充ち居るを以て、中間天国以下の天人の如く、決して信を説かず、また信の何たるかも知らないのである。また神の真に就いて論究せないのである。何故ならば、かかる霊的及び天的最高天人は、大神の神格に充たされ、愛善信真これ天人の本体なるが故である。故に他界の天人の如く、これは果して善なりや、悪なりや、などと言つて真理を争はない。ただ争ふものは中間及び下層天界の天人の内分の度の低いものの所為である。また最奥の天人は視覚によらず、必ずその聴覚によつて、即ち宇宙に瀰漫せるアオウエイの五大父音の音響如何によつて、その証覚をして益々円満ならしむるものである。大本神諭に『生れ赤子の心にならねば、神の真は分りは致さぬぞよ……』とお示しになつてゐるが、すべて赤子の心は清浄無垢にして水晶の如きものであるから、仮令智慧証覚は劣ると雖も、直ちにその清浄と無垢とは、最奥天界に和合し得るからである。また社会的覊絆を脱し、すべての物欲を棄て、悠々として老後を楽しみ、罪悪に遠ざかり、天命を楽しむ所の老人を以て、証覚ありて無垢なる者たることを現はし給ふのである。大本開祖が世間的生涯を終り、夫を見送り、無垢の生涯に入り給うた時、始めて神は予言者として、これに神格の充されたる精霊を降し給ひ、天国の福音を普く地上に宣伝し給うたのは、実に清浄無垢の身魂に復活し、精霊をして天国の籍におかせ給うたからである。故に開祖の如きは、生前において已に霊的復活をせられたのである。この復活を称して霊的人格の再生といふのである。大神は人間をしてその齢進むに従ひ、これに対して善と真とを流入し給ふものである。先づ人間を導いて善と真との知識に入らしめ、これより進んで不動不滅の智慧に入り、最後にその智慧より仏者の所謂阿羅耶識(八識)即ち証覚に進ませ給ふものである。これを仏教にては、阿耨多羅、三藐三菩提心(無上証覚)といふのである。しかしながら現代の人間は、その齢進むに従つて、益々奸智に長け、表面は楽隠居の如く世捨人の如く、或は聖人君子の如く装ふと雖も、その実益々不良老年の域に進むものが大多数である。優勝劣敗、弱肉強食を以て社会の真理と看做してゐる現代に立ち、多数の党与を率ゐて政治界または実業界に跋扈跳梁し、益々権謀術数を逞しうし、僅にその地位を保ち、世間的権勢を掌握して無上の功名と看做してゐる人物の如きは、実に霊界よりこれを見る時は憐れむべき盲者である。かくの如き現界における権力者よりも、無智にしてその日の労働に勤しみ、現代人の無道の権力に圧倒され、孜々としてこれに盲従し、不遇の生活を生涯送りし人間が、霊界に至つて神の恩寵に浴し、その霊魂は智慧相応の光を放ち、善と真との徳に包まれて、生前の位地を転倒してゐる者が沢山にあるのである。故に霊的観察よりすれば、権勢ある者、富める者、智者学者といはるる者よりも、貧しき者、卑しき者、力弱き者、現界においていと小さき者として、世人の脚下に踏み躙られたる人間が、却つて愛善の徳に住し、信真の光に輝いて、天国の団体に円満なる生涯を送るものである。故に神には一片の依怙もなく偏頗もない事を信じ、只管神を愛し神に従ひ、正しき予言者の教に信従せば、生前においても、仮令物質上の満足は得られずとも、その内分に受くる歓喜と悦楽とは、到底現界の富者や権力者や智者学者の窺知し得る所ではないのである。この物語の主人公たる初稚姫は再び天の命を受け、地上に降誕して大本開祖となり、世間的務めを完成し、八人の子女を生み夫々神界の内的事業に奉仕せしむべく、知らず知らずの間にその任を果し、微賤に下りて、溢るるばかりの仁愛と透徹したる信の智を発揮して、暗黒無道の地獄界を照破する神業に奉仕し、その任務を了へて、後事を瑞霊に充されたる予言者に托し、茲に目出度く昇天復活されたのである。故に開祖は生前よりその容貌恰も少女の如く、その声音は優雅美妙にして、また少女の如く、玲瓏玉の如き顔容を抱持し給ひ、開祖に接近する者は、何時とはなしにその円満なる霊容に感化され、霊光に照され、善人はこれを信従し尊敬し、悪人はこれを嫌忌し恐怖したのである。開祖の前身たる初稚姫もまた神代における神格者にして、大予言者であつた。その容貌及び全身より金色の光明を放射し、悪魔をして容易に近づき得ざらしめたのである。されど初稚姫は、その霊徳と霊光を深く秘し給ひ、和光同塵の態度を以て普く万民を教化し天国に救はむため、ワザとその神相を隠し給ひて、霊的及び自然的活動を続け給うたのである。開祖は常に云はれた……出口直が正体を現はしたなれば、人民は眼くらみ、到底側へは寄りつくことは出来ない、故にワザとに世におちぶらし、今まで衆生済度のために化してあつたのだ……と物語られた事は屡々である。この時側に親しく侍してゐた役員共は、開祖の平素の人格には敬服してゐたが、しかしそのお言葉の余りに高調的なるに対し、開祖が慢心をされたものとのみ思うてゐた者も沢山にあつたのである。神は必ず順序を守らせ給ひ、相応の理によりて和合の徳を表はし給ふが故に、その対者に向つて余り懸隔なきやうに現はれ給ふのである。故に対者の徳と智慧の如何によつて、神または開祖を見る所の目に非常の差等があるのは、已むを得ないのである。神は瑞月を呼んで大化物と予言者を通じて宣らせ給うた。現代人は大化物の名を聞いて、大悪人の代名詞の如く或は権謀術数家の別称の如く、また巧言令色、表に善を飾り虚偽を行ひ、世人を誑惑する悪人と認むる者も少くないのである。しかし神格に充されたる者を、頑迷不霊の地獄界に籍をおける人間の目より見るときは、忽ち眼眩み頭痛み、息苦しくなり、癲狂痴呆と忽ち変じて、恐怖心に駆られ、その真相を看取することは出来ないものである。故にかかる人間の地位に立ちて予言者を仰ぎ見る時は、大怪物とより見ることが出来ないのである。吁かくの如き頑迷の徒をして、神の光明に浴せしめ、愛善の徳に住せしめて、永遠無窮の天国の生涯を生きながらに送らしめむとするは、実に最大難事である。大正五年の事であつた。口述者は役員室に在つて神諭を繙く折しも、慌しく入り来りしは開祖の娘なる高島久子であつた。彼は前節に述べたる如き肉体的兇霊に心身を占領されて、吾居間に走り入りて、恭敬礼拝し言ふ。『瑞の御霊様、一大事が突発致しました。一厘の秘密をお知らせ申します』と言ふより早く、吾耳の側に口をよせ、歯のぬけた口から、臭い息と唾を、吾顔面にふきかけながら、下らぬ不合理に充ちたことを喋々と弁じ立てた。そこで瑞月は儼然として、『誠の道に秘密のあるべき道理なし、秘密の秘は必ず示すといふことである。決して隠蔽すべきものでない。耳もとに囁く如きは神人のなすべき所でない。これは体主霊従的人獣の敢へてする行為である』と云ふや否や、高島久子の精霊は大いに怒つて、わが耳たぶを左の手にて引張り、右の手を以てわが頬をピシヤピシヤと叩きつけ『義理天上日出神の秘密の忠告を聞かねば、地の高天原は大騒動が起りますぞ。どうなつても日出神は知らぬぞよ』とわめき立て、狂ひまはつた。そこで瑞月は兇霊の憑依せるものなることを本人に懇々と諭してみたが、もはや兇霊に霊肉全く占領された彼女には何の効能もなかつた、のみならず大いに怒つて、吾喉元に飛びかかり、咬みつかむとした。そこで瑞月は已むを得ず、右の人指を前に向けて『ウン』と一声、神に祈つて、その面体を霊光に照すや否や、忽ちパタリと倒れてしまつた。そこで瑞月は直に神に彼がために謝罪をなし、お許しを請うた。彼女はムクムクと立上り、口を極めて『変性女子の糞奴、糞先生の奴先生、小松林の悪魔奴』と喚き立てながら、長い廊下を韋駄天走りに開祖の居間に侵入した。
忽ち久子に憑依せる兇霊は、開祖の容貌を拝するや、アツと仰向けに倒れ、キヤアキヤアと喚きながら、長廊下を毬の如くころげて、再びわが居間に逃げ帰り来り『奴開祖の糞開祖奴、これから俺が誠の艮の金神ぢや、変性男子も女子も此処を出て行け、これから地の高天原は、高島久子が艮の金神変性男子と現はれて、日出神を地に致し、大広木正宗殿の霊を御用に使うて、神政成就の神業に奉仕するから、この方の申す事が耳に入らぬ奴は、一人も残らず出てゆけ。金勝要神の身魂は我が強いぞよ。木花咲耶姫の生宮も訳が分らぬぞよ。これからこの高島久子の体を借つて、誠の事を知らすぞよ』などと狂態を演じ、身体を頻りに震動させて、猛悪の相を現はし、座敷の中央に仁王立ちとなつて睨めつけてゐた。そこへ開祖は梅の杖をつきながら、障子をあけて一寸覗かれると、またもやキヤツと叫んでその場に顛倒し、毬のやうになつて表へ駆け出してしまつた。後に至つて高島久子に聞けば、彼は云ふ……開祖の居間の障子を開くや否や、開祖の全肉体は金色燦爛たる光明にみち、そのお姿を熟視する能はず、忽ち恐ろしくなつて、妾の守護神が一生懸命に駆け出しました……と答へたのである。また彼女が自筆の筆先にもこの事を明記してゐる。それから久子は表へまはり、金竜殿に侵入した。そこには数多の役員や修業者が幽斎の最中であつた。久子は矢庭に暴れ出していふ……汝等盲役員、幽斎の修業などとは以ての外だ、この生宮の申す事を聞け……と呶鳴りながら、修業に来てゐた河井芳男といふ青年を引捉へ、殿中において馬乗となり、その青年の首にジヤウ ジヤウ ジヤウとぬくい小便をたれかけ……汝の如き者はこれにて結構だ……と喚き立て、狂態を演じてゐた。この事も高島久子の精霊が書いた筆先に自慢さうに記してある。すべて兇党界の悪霊は順序を弁へずまた善悪美醜の区別がつかないから、神聖なる金竜殿内において、人の首に小便をかけ、得意となつてゐるのである。しかして彼女はいふ……わが守護神は実に偉大なものだ、あのやうな聖き御殿において、外の者が小便をこかうものなら、忽ち守護神も肉体も神罰が当るのであるが、何をいつても神格が高いから、あの通りチツとも罰が当らなかつたのだ……と誇つてゐるのは実に済度し難き難物である。丁度猫や鼠が大神の鎮座まします神聖なる扉の中に巣をくみ、或は糞尿をたれても、神は畜生として看過し給ひ、これを懲め給はざると同様の理である事を知らない癲狂痴呆者である。自愛心強く世間愛のみを以て唯一の善事と思惟しゐたる人間は、却つてかかる奇矯なる行為を以て、神秘の行為となし、これを随喜渇仰していふ……全くあの行ひは人間ではない、人間心で、どうして殿内において、しかも人間の首に跨がり、小便がかけられようか、全く神様の証拠である……と、かう云つて感心するのである。彼等の云ふ如く決して人間ではない。しかしながら神だと思つたら大変な間違である。スツカリ肉体的兇霊、悪魔が彼女の全身を支配して行うた所の狂態であるのである。
 その後かれ悪霊は久子の肉体に対し、いろいろと幻覚を示し、益々誑惑の淵に陥れ、或は一ケ月間の断食を与へ、地獄の有様を眼前に髣髴せしめ……汝わが言を用ゐざる時は、かくの如き無間地獄に陥落すべし。またわが言を信従し、わが頤使に従つて活動する時は、汝をして将来かくの如き結構なる位地につかしむべし……と、或はたらし或は威し、漸くにして開祖の身内たる肉体を、わが自由に駆使する事を得たのである。彼等が悪業を遂行せむとすれば、現界人の浅薄なる識見より見て、開祖の血統と生れし人間なれば、大丈夫、決して悪神の憑依すべきものでないと信用させ得るの便宜があるからである。かれ兇霊は無智なる久子の霊肉を完全に占領した上、地の高天原の霊光にゐたたまらず、二三の迷へる信者を引連れ、一目散に八木へさして逃げ帰り、ここに久子の記憶と信仰を基礎として、その想念中に深く入り込み、兇党界の団体をして益々大ならしめ、大神の神業を極力妨害せむと企みつつあるのである。さりながら久子その人は元来開祖を思ふ事最も深く且無智にして比較的その心も清ければ、遉の兇霊も開祖の神諭を非難することを得ず、且また厳の御霊、瑞の御霊を極力排斥し、誹謗してはその目的を完成し得ざるを知るが故に、表面に厳瑞二霊を尊敬し信従する如く装ひ、先づ久子を誑惑しその口と手を以て世人を魔道に引入れむと企みつつあるのである。これは決して瑞月が卑しき心より述ぶるのではない。大神の御子たる可憐なる精霊や人間をして、一人なりとも邪道に陥らざらしめむがための慈愛心に外ならぬのである。かれ精霊は久子の肉体を綾部の停車場に仰向けに倒し、陰部を曝して大呼して云ふ……われは地の高天原の変性男子出口直の肉体をかりて生れた日出神の生宮であるぞよ。皆の者、これを見て、大本の教を悟れよ……と呶鳴り立てた。精霊が久子にかかる衆人環視の前にて狂態を演ぜしめたその底意は、要するに神の名を冒涜し、世人をして大本を信用せしめざらむがための悪計であつた。されど暗愚なる信者は、そんな所に少しも注意せずしていふ……ああ吾々が改心が足らぬ故に神様が変性男子の系統の肉宮をかつて、お戒め下さつたのであらう、お前達の心はこの通り醜いのだ、お前達が神界より罰せられ、地獄の釜のドン底へ落されるのだが、高島久子に千座の置戸を負はして助けてやつて居るぞよ、との深き思召であらう……などと妙な所へ曲解して益々随喜渇仰し、精霊の誑惑に乗せられて、遠近の神社を調査するといつて、或はその費用を献じ、或は随伴してゐる者も沢山現はれて来たのは、実に神界のため悲しむべきことである。されど神は決してかくの如き兇霊に汚され給ふものでもなく、また如何に妨害せむとするも聊かの痛痒も感じ給はないのである。只々可憐なる神の御子が彼等兇霊に心身を誑惑され邪神界に引入れられ、無間地獄に陥落しゆくを悲しみ給ふのみである。かかる仁慈無限の大神の御心も知らず、男子がどうだとか、女子の言行がなんだとか云つて、その光明に反き、醜穢極まる地獄に転移するは、実に仁慈の目より見て忍び難き所である。かれ精霊は久子をまたもや八木の停車場に連れ行き、大声叱呼して云ふ……この女は元を糺せば、丹波国何鹿の郡綾部町、本宮新宮坪の内、変性男子の身魂出口直の体をかり、出口政五郎といふ父を持ち、若い時から男女と呼ばれたる、ヤンチヤ娘の出口久子、今は神の因縁によつて、八木の高島寅之助が妻となり、あの山の、山のほでらのあばらや住居、今はおちぶれて居れども、結構な身魂が世におとしてあるぞよ。侮りて居りたものは、アフンと致してあいた口がすぼまらぬぞよ。今に天地がかへるぞよ。欲を致して沢山の金をためて居りても、その宝は持切には出来ぬ宝であるぞよ。この神の申した事には一分一厘間違ひはないぞよ。先をみてゐて下されよ、と前をまくつて大音声……と自ら呼ばはり、停車場に集まる人々を驚かせ、これを鎮定せむと入り来りし長左といふ男の腕にかぶりつき、狂態を演じ、大本の教を破壊せむと企んだ事もあつたのである。兇霊はこの筆法を以て、ある時は変性男子を極力賞讃し、また対者の心の中に男子女子を否むと認むる時は、声を秘そめて切りに誹謗し、吾薬籠中のものとなさむと企むものである。
 さて、初稚姫と高姫との今後の活動はこれに類するもの多ければ、巻頭に引証することとしたのである。

追伸霊界物語の読者の中には凡て、斯様であります……とか、かう考へます……とかいふ謙譲の言葉がなく、かうである……どうである……などと断定的に、且高圧的に口述してあるのは、所謂口述者が慢心した結果、かかる不遜の言辞を弄するのだと非難する人が間々あるさうです。しかしながら『あります』と云へば活字を四字用ひなくてはなりませぬ。『ある』といへば二字で事がすみます。それ故にかかる洪瀚な物語には一字なりとも冗言を省き、可成数多の意味を読者に知らさむがための忠実なる意思より出でたのであります。しかして口述者自身はただ神格にみたされたる聖霊に霊と体を任せきつてゐるのでありますから、口述者がこれを改めようと致しましても、肝腎の局に当る聖霊が聞かなければ是非ない事であります。一寸茲に一言断つておく次第であります。

(大正一二・一・二〇 旧一一・一二・四 松村真澄録)



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