出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語49-3-91923/01真善美愛子 善幻非志王仁三郎参照文献検索
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第九章 善幻非志〔一二八三〕

 祠の森の神殿は珍彦、静子の夫婦が神司となり、朝な夕なに奉仕する事となつた。しかして二日目の夜中頃から娘の楓に神懸が始まり、数多の信者は生神が現はれたりと打喜び、八尋殿に集まり来りて、神勅を請ふもの絡繹として絶間なく、今まで森閑としてゐたこの谷間は実に人の山を築き、俄に山中の都会の如くになつて来た。楓の神懸は余り高等なものではなかつた。されど神理に暗き人々は、神が憑つて直接に一切を教ふると聞いて、救世主の出現の如くに尊敬し、嬉し涙をたらしながら、老若男女の嫌ひなく、ここに集まり来り、楓姫の若き娘の口よりいろいろの指図を受けて、随喜渇仰するのであつた。
 バラモン組のイル、イク、サール、ヨル、テル、ハルの六人は何事もこの楓姫の神懸のまにまに盲従して、総ての神務に忠実に奉仕してゐた。ここへ現はれて来たのは、中婆アさまの宣伝使であつた。彼の宣伝使は態と素人らしく装ひ、玄関口に立つて、
婆『一寸伺ひます、この祠の森は三五教の御神殿と聞きましたが、大変に御神徳が立つて結構さまでございます。どうか私も一つ伺つて頂きたいのでございますが、お世話になれるでせうか』
 受付に控へてゐたヨルは気も軽々しく、
ヨル『ハイ、何なとお伺ひなされませ、それはそれは偉い神さまですよ。ついこの間から神懸になられまして、いろいろの御託宣を遊ばし、何を伺つても百発百中、それ故この通り大勢の参拝者が朝から晩まで引つづき、この険阻な山奥を物ともせずに参られます。何と神力と云ふものは偉いものでせう。お前さまも余程苦労人と見えますが、サアズツと奥へ通つて、大神様に直接伺ひなさいませ』
婆『ハイ有難う、而して大神様とは何方でございます』
ヨル『ハイ、楓姫様に日出神様がお憑り遊ばし、それはそれは偉い御神徳でございます』
婆『ナアニ、日出神様? あ、それは耳よりのお話だ。それぢや一つ伺つて戴きませう』
ヨル『オイ、イク、奥の審神室まで案内して下さい』
イク『サア、貴方、大神様の居間まで御案内致しませう』
と一人の婆を楓姫の居間に案内した。楓姫は白衣に緋の袴を穿ち、今や神霊降臨の真最中であつた。而して二三人の信徒が神勅を乞ひ、指図を受け、有難がつて鼻をすすつてゐる。各自に伺ひがすみ、席を退くと、あとにはイクと婆の二人、婆は叮嚀に両手をつき、
婆『一寸日出神様にお伺ひ致しますが、私は何と云ふ者か御存じでございませうなア』
神主『その方は神を試むるのか、無礼千万な、下りをらう……』
婆『コリヤ面白い、この婆を何と心得てござる。大それた日出神などと申して、盲聾を詐つても、この婆は詐る事は出来ませぬぞや』
神主『しからば汝の疑を解くために言つてやらう。汝は三五教の宣伝使生田の森の神司高姫であらうがなア』
婆『成程、高姫に間違ひはない。そんならお前さま、それほどよく分るなら、妾の伺ふ事一々答へて下さるであらうなア』
神主『その方はイソ館にまします、教主代理東野別の後を慕ふて来た、不心得者であらうがな。何程その方が一生懸命になつても、東野別は見向も致さぬぞや。左様な腐つた神柱ではないほどに、チツと改心を致したがよからうぞ』
高姫『コレ、楓姫さまお前は、ついこの間まで何にも知らずに居つて、俄にそんな神懸を致しても駄目ですよ。この高姫が現はれた以上は、ドコドコまでも査べ上げねばおかぬのだ。義理天上日出神の生宮は、ヘン、すまぬが、この高姫でござんすぞえ。お前なんぞに、決して日出神は憑つた覚はありませぬ、そんな山子を致すと、誠の日出神が大勢の前で面を曝しますぞや。お前は山口の森の大蛇の霊だらう。悪神にのり憑られ、丑の時参りなんどして、人を呪ひ殺さうとした悪霊が、お前の体に残つて居つて、日出神の名を使ひ、一旗上げようと致して居るのだらう。サア、どうだ、高姫の審神者に対し返答をなさるか。メツタに返答は出来よまい』
 楓姫は高姫に厳しく審神され、呶鳴りつけられたので、まだ年もゆかぬ乙女の事とて吃驚してしまひ、憑霊は逸早く脱出してしまつた。楓姫は高姫の顔を見て、打慄ひ、
楓姫『あゝ恐い小母さま』
と泣きゐるのであつた。イクはこの有様を見て、ズツと感心してしまひ、
イク『コレハ コレハ、高姫様、御神徳には感じ入りました。上には上のあるものでございますな』
と頻りに首をかたげて賞讃してゐる。高姫はイソ館に至り、東助にヤツと面会し、手厳しく叱り飛ばされ、馬鹿らしくてたまらず、されど何とかして、東助を往生づくめにしてでも、マ一度旧交を温めねば承知せぬ、それに就いては、東助が羽振を利かしてゐるイソ館を何とかして困らせ、自分の腕前を見せて、東助に兜をぬがせ、吾目的を達せねばおかぬと、折角改心してゐた、霊の基礎がまたもやグラつき出し、祠の森の神殿に素人ばかりが仕へてゐると聞いたを幸ひ、信者に化け込み、一同を往生させ、茲に自分が一旗挙げむと企みつつ、やつて来たのである。高姫はまたもや日出神と自称する病気が再発し、頻りに弁舌をふりまはして、珍彦、静子その外一同を吾掌中にうまく丸めてしまつた。而して朝から晩まで脱線だらけの神憑を始め、再び筆先をかき始めた。実に厄介至極の代物である。
 折角治まつてゐた自問自答の神憑りは再発して、頻りに首を振り、精霊と談話を始め、それを金釘流の文字で荐りに書き始めた。すべて精霊と人間との談話は危険至極なれば神界にてはこれを許し玉はぬ事になつてゐる。しかしながらこの高姫は一種の神経病者であつて、時々精霊が耳元に囁き、或は口をかつて下らぬ神勅を伝ふる厄介者である。
 凡て人間は精霊の容器であつて、この精霊は善悪両方面の人格を備へてゐるものである。しかして精霊が憑り切つた時は、その人間の肉体を自己の肉体と信じ、またその記憶や想念言語までも、精霊自身の物と信じてゐるのである。しかしながら鋭敏なる精霊は肉体と自問自答する時に、精霊自身において、自分はある肉体の中に這入つてゐるものなる事を悟るのである。しかして精霊には正守護神と副守護神とがあり、副守護神なる者は人間を憎悪する事最も劇甚にして、その霊魂と肉体とを併せてこれを亡び尽さむ事を願ふものである。しかしてかかる事は甚しく妄想に耽る者の間に行はるる所以はその妄信者をして、自然的人間に、本来所属せる歓楽より自ら遠ざからしめむためである。この高姫は自ら精霊に左右され、しかして精霊を神徳無辺の日出神と固く信じ、その頤使に甘んじ、その言を一々信従し、且筆先を精霊のなすがままに書き表はすが故に、精霊は決して高姫の肉体を憎悪しまたは滅尽せむとせないのである。寧ろその肉体を使つて、精霊の思惑を遂行し、大神の神業を妨げ、地獄の団体を益々発達せしめむと願ふてゐるのである。しかし高姫自身は吾れに憑依せる精霊を至粋至純なる日出神と信じ切り、一廉大神の神業に仕へてゐる積りで居るから堪らないのである。しかし大神は時々精霊を人間より取りはなし玉ふ事がある。これは彼れ精霊をして、人間と同伴せるを知らざらしめむがためである。何となれば、精霊なる者は、自己以外に世界あることを知らず、即ち人間なる者が、彼等以外に存在する事を知らないのである。故に高姫の肉体に憑つてゐる精霊は日の出神と自らも信じ、また高姫の肉体とは知らず、尊きある種の神と言葉を交へてゐるやうに思つて居つたのである。また肉体に這入つてゐる事を漸くにして悟ると雖も、高姫の方においてその精霊を悪神と知らず、真正の日出神と尊信してゐる以上は、精霊は、決して高姫の霊魂肉体に害を加へないのは前に述べた通りである。すべて精霊は霊界の事は自分の霊相応の範囲内において見ることを得れ共、自然界は少しも見ることが出来ないのである。これは現実界の人間が霊界を見ることが出来ないのと同様である。
 この理によつて人間がもし精霊に物を言ひ返すを神が許し玉ふ時は、精霊は自己以外に人間あるを知るが故に、実に危険である。中には深く宗教上の事を考へ、専ら心をこれにのみ注ぐ時は、その心の中に自分が思惟する所を現実的に見る事がある。かくの如き人間は精霊の話を聞き始むるものである。
 すべて宗教の事は何たるを問はず、人間の心の中より考へて、世間における諸々の事物の用によつて、これを修正せざる時は、その事その人の内分に入り込んで、精霊そこに居を定め、霊魂を全く占領し、かくして此処に在住する幾多の精霊を頤使し、或は圧迫し、或は放逐するに至るものである。高姫の如きは、実にその好適例である。
 空想に富み、熱情に盛なる高姫は常にその聞く所の精霊の何たるを問はず、悉くこれを以て聖き霊なりと信じ、精霊の言ふがままに盲従して、ヘグレ神社だとか、末代日の王天の大神だとか、ユラリ彦だとか、旭の豊栄昇り姫だとか、出鱈目の名を並べられ、宇宙唯一の尊き神を表はした如く、得意満面になつて、これを尊敬し、礼拝し、且その妄言を信じて、普く広く世に伝へむとしてゐるのである。かくの如き諸精霊はその実、僅に熱狂なる副守護神に過ぎない事を知らず、またかくの如き副守は虚偽を以て真理と固く信ずるものである。故に高姫もまた副守に幾度となく虚偽を教へられ、或は見当外れの嘘ばかりを書かされて、万一その筆先の相違した時は、神が気をひいたのだとか、御都合だとか、自分の改心が足らぬ故に混線したのだとか、いろいろの理窟をつけて少しも疑はず、益々有難く信じてゐるのである。悪霊に魅せられた人間はこんな具合になるものである。また予て自分が教へ導き、その説を流入する所の人間を、言葉巧に説きすすめ、益々固く信ぜしめむとするものである。しかして遂には精霊が肉体を全部占領し、かつ数多の人を誑惑した上、遂にいろいろと理窟をつけて、悪事を教へ、何事も神の都合だから、ただ吾言に従へ、いひおきにも書きおきにもない、根本の根本の歴史以前の事だから、智者学者が何程きばつても分るものでない、ただ人間は誠の神の申す事、日出神の調べた事を聞くより誠が分らぬものだ。故にこの筆先をトコトン信用せよ……と勧めるのである。日の出の神と称してゐる副守は普通の精霊とは変つてゐる点は、自分は八岐大蛇の悪霊であり、金毛九尾の悪狐であつた、がしかし、五六七の世が出て来るに付いて、何時までも悪を立て通す訳には行かぬから、心の底から改心をし、昔から世を紊して来た自分の悪を悔い改め、しかして誠の神の片腕となつて働くのであるから、悪にも強かつたものはまた善にも強い、故に自分の云ふ事は、一切が霊的であり神的であり、且善の究極である……と信じてゐるのである。故にかくの如き精霊は人間たる高姫と同伴し往来するも、その肉体を害する事はない。
 高姫はその精霊を義理天上日出神及悪神の改心して誠に立返つた尊い神と信じて、これを崇拝し、その頤使に甘んずるが故に、精霊もまた人間の体に這入つてゐる事を感知しながら、却てこれを自分の便宜となし、愛するのである。かくの如き精霊に迷はさるる者は、愚直な者か或は貪欲な者か、精神に欠陥のある人間であることを記憶せねばならぬ。
 現今の大本内部にも高姫類似の狂態が演ぜられ、癲狂者や痴呆者や強欲人間が蝟集して、随喜の涙をこぼし、地獄の門戸を開かむと努めて居る者のあるのは実に仁慈の神の目より見て忍び難き所である。しかしながら、悪霊にその全肉体と霊魂を占有された者は、容易に神の聖言を受け入るる事の出来ないものである。神の道を信仰する者は、この間の消息を充分翫味して、邪神に欺かれざるやう注意を望む次第である。また悪の精霊は決して悪相を以て現はれず、表面最もらしき善を言ひ、且吾膝下に集まり来る人間に対し、或は威どし或は賞揚し、……汝は何々の霊の因縁があるとか、大先祖がどうだとか、中先祖が悪を尽して来たから、その子孫たる汝が、祖先のためにこの神の命を奉じ、充分の努力をせなくてはならぬ……なぞと言つて、誤魔化し、人を邪道に、知らず知らずの間に導かむとするものである。

(大正一二・一・一八 旧一一・一二・二 松村真澄録)



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