出口王仁三郎 文献検索

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物語49-1-31923/01真善美愛子 地鎮祭王仁三郎参照文献検索
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第三章 地鎮祭〔一二七七〕

 今を去る事三十五万年の昔、波斯の国ウブスナ山脈の頂上に地上の天国を建設し、神素盞嗚大神はここに神臨し玉ひて、三五教を開かせ玉ひ、数多の宣伝使を養成して地上の国土に群棲する数多の人間に愛善の徳と信真の光を与へ、地上に天国を建設し玉はむとし、八岐大蛇や醜狐、邪鬼の身魂を清め天地の間には一点の虚偽もなく、罪悪もなきミロクの世を開かむと尊き御身を地上に降し、肉体的活動を続け玉ひしこそ、実に尊さの限りである。この時印度の国ハルナの都に八岐大蛇の悪霊にその身魂を占領されたるバラモン教の神司大黒主は数多の宣伝使を従へ、右手に剣を持ち左手にコーランを携へて、大自在天大国彦命の教を普く天下に宣伝し無理無体に剣を以てその道に帰順せしめむとなしつつあつた。さうしてバラモン教の信条は生を軽んじ、死を重んじ、現肉体を苦しめ損ひ破り出血なさしめてこれを修行の蘊奥となす所の暗迷非道の邪教である。数多の人間はこの教に苦しめられ、阿鼻叫喚の声、山野に満ちその惨状聞くに堪へざれば、至仁至愛の大神はその神格の一部を地上に降し神素盞嗚尊と現はれて中有界や地獄界に迷へる精霊及び人間を救ふべく、此処に地上の霊国、天国を築かせ玉ふたのである。これに加ふるにコーカス山を始め土耳古のエルサレム、及び自転倒島の綾の聖地や天教山やその外各地の霊山に霊国を開き、宣伝使を降してこれが任に当らしめ給うた。玉国別は大神の命を奉じ宣伝使として道公、伊太公、純公の三人の従者を従へ、ウブスナ山の聖場を後にして河鹿峠の峻坂を越え、懐谷に暴風を防ぐ折しも山猿の群に襲はれて目を傷つけ漸く祠の森に辿り着き、ここに治国別の宣伝使一行と出会し、眼病の平癒するまで特別の使命によつて大神の御舎を建設する事となつた。祠の森には杉、桧、松その他立派の用材が惟神的に立並んでゐた。この河鹿峠は常に風烈しく、かつ山一面の岩石にて大木は育たず、僅に二三尺ばかりの痩せこけた古木が岩石の間を点綴するに過ぎない。しかるにこの河鹿山の一部なる祠の森は谷と谷との懐に当り、あまり烈風の害もなく地味また比較的肥たれば、かくも樹木の繁茂して相当に広き森林をなしてゐたのである。
 国照姫の神勅により、愈大神の神殿を建設する事となり、玉国別総監督の許に五十子姫、今子姫、道公、純公、伊太公及びバラモンの軍人なりしイル、イク、サール、ヨル、テル、ハル及び晴公、珍彦、静子、楓等昼夜の別なく忌鋤忌斧を以て木を伐り倒し、土ひき均し、地盤を固めて愈神殿建築の準備に着手する事となつた。この時浮木の森の陣営にありしランチ将軍、片彦将軍以下は何れも三五教に帰順し、数多の軍卒は四方八方に散乱しこの辺りは漸く平和に帰したれば、その国人はこれ全く三五の神の恵みと打喜びその神恩に報ずるためとて祠の森の神殿建設に対し金額を献じ、或は献労をなすもの四方より集まり来り、実に淋しきこの谷間は鍬の音、忌鋤、忌斧の音、並びに石搗歌や人の歓び声にて充され、猪、猿等の獣は遠く逃げ去りて影をも留めなくなつた。
 道公は土木の主任者となり工事監督の任に当つた。しかし玉国別が総監督たる事は前述の通りである。石搗の歌は盛に木精に響き来る。その歌、

『高天原に現れませる  皇大神の御言もて
 神素盞嗚の大神は  ウブスナ山の聖場に
 斎苑の館を建て玉ひ  普く世人を救はむと
 珍の教を遠近に  開かせ玉ふぞ有難き
 玉国別の宣伝使  神の御言を蒙りて
 寒けき冬の初空を  沐雨櫛風厭ひなく
 河鹿峠に来て見れば  聞きしにまさる荒い風
 一歩さへも進み得ず  懐谷に身を寄せて
 風の過ぐるを待つ間に  思ひもかけぬ山猿に
 右の眼を破られて  苦しみ玉ふ悲しさよ
 尊き神の御使が  かかる艱みに会ひますは
 全く神の戒めか  但は何かのお仕組か
 互に顔を見合せて  神の心を量りかね
 中有に迷ふ折もあれ  治国別の宣伝使
 現はれまして宣らすやう  玉国別の宣伝使
 貴方は神のお仕組で  艱みに遭はせ玉ひなむ
 心を安けく平らけく  思召されと宣りつつも
 慰め玉ふ時もあれ  五十子の姫や今子姫
 遥々ここに来りまし  国照姫の神懸
 伝へ玉ひし言の葉は  祠の森に皇神の
 瑞の御舎仕へまし  高天原に宮柱
 太しく建てて世の人を  普く救ひ曲神の
 進路を防ぎまつれよと  その神言を畏みて
 上津岩根に搗固め  下津岩根に搗こらし
 石切り開き土均し  信徒どもが寄り合ひて
 暑さ寒さも打忘れ  身もたなしらに仕へ行く
 この有様は天国の  天人どもも歓ぎつつ
 業を喜ぶ如くなり  神世の元に還りなば
 天は高しと云ふけれど  天は極めて近くなる
 天地和合のミロクの世  神人共に楽しみて
 常世の春を迎へなむ  早く身魂を研けよと
 宣らせ玉ひし三五の  厳の霊の御神勅
 今目のあたりに現はれて  実にも尊き限りなり
 アヽ諸人よ諸人よ  この世に人と生れ来て
 尊き神の神業に  汗をたらして仕ふるは
 これに過ぎたる功徳なし  生きては地上の神となり
 死しては清き天界の  珍の団体に加はりて
 至喜と至楽の生涯を  楽しむ身魂となりぬべし
 思へば思へば有難や  この地の上に住むものは
 数限りなくあるとても  神の形に作られて
 神に代りて神業を  勤むる人と生れたる
 吾等は実にも万物の  霊長なりと喜びて
 誠の神をよく愛し  善の徳をば蓄積し
 皇大神の神格を  充して下りましませる
 神素盞嗚大神を  救ひの神と慕ひつつ
 誠一つを尽すべし  打てよ打て打てよく打てよ
 下津岩根の底までも  竜宮の釜の割れるまで
 地獄の橋の落ちるまで  喜び勇む鬨の声
 高天原の天国の  各団体によく響き
 百の天人喜びて  この石搗を完全に
 仕へまつらむそのために  処狭きまで降りまし
 天地神人和合して  この神業に仕へつつ
 神の心に叶はなむ  あゝ惟神々々
 御魂幸ひましませよ』  

と音頭をとり、ドンドンと広き敷地を四方より搗き始めたり。

『河鹿山から祠の森を見れば  ヨイトシヨ ヨイトシヨ
 皇大神の御舎を  ドツコイシヨ ドツコイシヨ
 ヨイトサ ヨイトサ  誠の人が集まつて
 汗を流して御用する  ヨイトセ ヨイトセ
 ハーア、ヨーイトセー  ヨーイヤナー
 大黒主の神さまは  ヨイトセ ヨイトセ
 印度の都に坐しまして  バラモン教の大棟梁
 ヨイトサ、ヨイトセ  ヨイトサ、ヨイトシヨ
 鬼雲姫の奥さまを  愛憎もなしに追ひ出して
 ドツコイシヨ ドツコイシヨ  天女のやうな石生能姫
 その外数多のナイスをば  ヨイトシヨ、ヨイトセ
 朝から晩まで侍らせて  飲めよ歌へと散財し
 ウントコシヨ、ドツコイシヨ  人の難儀は、うわの空
 七千余国の月の国  ヨイトセ ヨイトセ
 阿鼻叫喚の声に充ち  修羅の巷となつて来た
 ヨイトセ ヨイトセ  このやうな事が十年も
 続いたならば世の中は  ヤツトコセー ヤツトコセー
 サツパリ暗になるだらう  どうしたらよからうかと思ふたら
 ア、ウントコシヨ、ドツコイシヨ  天道さまは吾々を
 決して見捨て玉はない  ドツコイシヨ ドツコイシヨ
 イソの館に天国の  姿を写して神柱
 ウントコシヨ、ドツコイシヨ  救ひの神と現れませる
 神素盞嗚の大神の  ヤツトコセ、ドツコイセ
 仁慈無限の神心に  遣はし玉ふ宣伝使
 ヨイトサ、ヨイトサ  天地に塞がる村雲も
 これにてサツパリ晴れるだろ  ドツコイシヨ ドツコイシヨ
 バラモン教に仕へたる  吾等は神の恵みにて
 ドツコイシヨ ドツコイシヨ  三五教に助けられ
 祠の森の御普請に  ヤツトコセー ヤツトコセー
 使うて頂く嬉しさよ  使うて貰ふた楽しさよ
 ア、ドツコイシヨ ドツコイシヨ  ヨイトセー ヨイトセー
 ヨイヤサー ヨイヤサー  打てよ打て打てドンドン打てよ
 地獄の釜の割れるまで  竜宮の城が揺ぐまで
 ドツコイシヨ ドツコイシヨ  ヨイトセー ヨイトセー』

と一生懸命にバラモン派の連中が躍起となつて骨身を惜しまず石搗に活動した。漸くにして三日三夜を経て基礎工事は全く完結を告げた。
 これより一同は石搗の祝として、四方の人々より神恩の感謝を兼ね、祝として奉りたる酒やパンその外珍しき果物を処狭きまで敷き並べ祝宴を開き神恩を感謝したりける。

(大正一二・一・一六 旧一一・一一・三〇 北村隆光録)



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