出口王仁三郎 文献検索

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物語47-3-171923/01舎身活躍戌 天人歓迎王仁三郎参照文献検索
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第一七章 天人歓迎〔一二五〇〕

 木の花姫に助けられ  治国別や竜公は
 心いそいそ中間の  さしもに広き天国を
 当途もなしにイソイソと  東を指して進み行く
 金銀瑪瑙シヤコ瑠璃や  玻璃水晶の色つやを
 照して立てる木々の間を  宣伝歌をば歌ひつつ
 足を揃へて進み行く。  

治国別『高天原に八百万  尊き神ぞつまります
 神漏岐、神漏美二柱  皇大神の神言もて
 日の神国をしろしめす  神伊弉諾の大御神
 筑柴の日向の橘の  小戸の青木が清原に
 みそぎ祓はせ給ふ時  生り出でませる祓戸の
 貴四柱の大御神  吾身に犯せる諸々の
 罪や汚れや過ちを  祓はせ給へ速に
 清がせ給へと願ぎ申す  吾言霊を小男鹿の
 八つの耳をばふり立てて  聞しめさへとねぎまつる
 世の太元とあれませる  皇大神よ吾一行
 守らせ給へ村肝の  心を清め給へかし
 あゝ惟神々々  御霊幸はへましませよ
 治国別は謹みて  天津御神や国津神
 百の御神の御前に  神言申し奉る
 珍の御国の神の国  高天原に八百万
 尊き神ぞつまります  この世をすぶる大御祖
 神漏岐、神漏美二柱  厳の神言を畏みて
 覚りの神と現れませる  この世を思兼の神
 百千万の神たちを  安の河原に神集ひ
 集ひ給ひて神議り  議らせ給ひ主の神は
 豊葦原の瑞穂国  いと安国と平らけく
 しろしめさへと事依さし  固く任けさせ給ひたり
 かくもよさせし国中に  荒ぶり猛ぶ神等を
 神問はしに問はしまし  神掃ひに掃ひまし
 語り問はして岩根木根  立木や草の片葉をも
 語り止めさせいづしくも  天の磐座相放ち
 天にふさがる八重雲を  伊頭の千別に千別まし
 天より降りよさします  神の守りの四方の国
 その真秀良場と聞えたる  大日本日高見の国を
 浦安国と定めまし  下津磐根に宮柱
 いとも太しく立て給ひ  高天原に千木高く
 すみきりませる主の神の  美頭の御舎仕へまし
 天津御蔭や日のみかげ  被りたりと隠りまし
 心安国と平らけく  しろしめします国中に
 生れ出でたる益人が  過ち犯し雑々の
 作りし罪は速かに  宣り直しませ惟神
 珍の御前に願ぎまつる  天津罪とは畔放ち
 溝埋め樋放ち頻蒔きし  串差し生剥ぎ逆剥ぎや
 屎戸許々多久罪科を  詔別け給ふ天津罪
 国津罪とは地の上の  生膚断や死膚断
 白人胡久美吾母を  犯せし罪や吾子をば
 虐げ犯す百の罪  母子共々犯す罪
 けものを犯し昆虫の  醜の災天翔り
 国翔りといふ高神の  醜の災高津鳥
 百の災禍獣を  たふし蠱物なせる罪
 いや許々太久の罪出でむ  かく数多き罪出でば
 天津祝詞の神言もて  天津金木の本末を
 打切り打断ち悉く  千座の置座におきなして
 天津菅曾を本と末  刈りたち刈り切り八つ針に
 取り裂きまつり皇神の  授け給ひし天津国
 みやび言霊の太祝詞  完全に委曲に宣らせませ
 かく宣る上は天津神は  天の磐戸を推しひらき
 天にふさがる八重雲を  伊頭の千別に千別つつ
 心おだひに聞しめせ  国津御神は高山と
 小さき山の尾に登り  高き低きの山々の
 いほりを清くかきわけて  百の願を聞しめす
 かく聞しては罪といふ  あらゆる罪はあらざれと
 科戸の風の八重雲を  気吹放てる事の如
 朝の霧や夕霧を  科戸の風の心地よく
 気吹き払ひし事の如  浪うちよする大津辺に
 つなぎし大船小舟をば  舳を解きはなち艫解きて
 千尋の深き海原に  押し出し放つ事の如
 彼方に繁る木の元を  かぬちの造る焼鎌や
 敏鎌を以て打払ふ  神事の如く塵ほども
 残れる罪はあらざれと  清め払はせ給ふ事を
 高山の末短山の  末より強く佐久那太理
 おち滝津瀬や速川に  まします瀬織津比売の神
 大海原に持出でむ  かくも持出でましまさば
 罪も汚れも荒塩の  塩の八百道の八塩道の
 塩の八百重にましませる  瀬も速秋津比売の神
 忽ち呵々呑み給ひてむ  かくも呵々呑み給ひなば
 気吹の小戸にましませる  気吹戸主と申す神
 根の国底の国までも  気吹放たせ給ふべし
 かくも気吹放ち給ひては  根底の国にあれませる
 速佐須良比売と申す神  総てを佐須良比失はむ
 かくも失ひましまさば  現世に在る吾々が
 身魂に罪とふ罪科は  少しもあらじと惟神
 払はせ給へいと清く  あらはせ給へと大前に
 畏み畏み願ぎ申す  あゝ惟神々々
 御霊幸はへましませよ』  

 かく祝詞くづしの宣伝歌を歌ひながら、ある天国団体の一劃に着いた。数多の天人は男女の区別なく、数十人道の両側に列を正し、『ウオーウオー』と、愛と善のこもつた言霊を張り上げて、二人の来るを歓迎するものの如くであつた。
 茲に一つ天人の衣服とその変化の状態に就て、一言述べておく必要があると思ふ。抑も天人の衣類はその智慧と相応するが故に、天国にある者は皆その智慧の度の如何によつてそれぞれの衣服を着用してゐるものである。その中でも智慧の最も秀れた者の衣類は、他の天人の衣服に比べてきわ立つて美しう見えて居る。また特に秀でた者の衣類は恰も火焔の如く輝き渡り、或は光明の如く四方に照り渡つてゐる。その智慧の稍劣つた者の衣服は、輝きはあつて真白に見えて居るけれども、どこともなくおぼろげに見えて、赫々たる光がない、またその智慧のこれに次ぐ者は、それ相応の衣類を着用し、その色もまたさまざまであつて、決して一様ではない。しかしながら最高最奥の天国霊国に在る天人は、決して衣類などを用ひる事はない。天人の衣類はその智慧と相応するが故にまた真とも相応するのである。何故ならば、一切の智慧なるものは、神真より来るからである。故に天人の衣類は智慧の如何によるといふよりも、神真の程度の如何によるといふのが穏当かも知れない。しかして火焔の如く輝く色は、愛の善と相応し、その光明は善より来る真に相応してゐるのである。その衣類の或は輝きて且純白なるも、光輝を欠いでゐるのもあり、その色またいろいろにして一様ならざるあるは、神善及神真の光、これに輝く事少くして、智慧尚足らざる天人のこれを摂受する事、種々雑多にして、一様ならざる所に相応するからである。また最高最奥の天国霊国に在る天人が衣類を用ひないのは、その霊身の清浄無垢なるによるものである。清浄無垢といふ事は即ち赤裸々に相応するが故である。しかして天人は多くの衣類を所有して、或はこれを脱ぎ、或はこれを着け、不用なるものはしばらくこれを貯へおき、その用ある時に至つてまたこれを着用する、そしてこの衣類は皆大神様の賜ふ所である。その衣類にはいろいろの変化があつて、第一及第二の情態に居る時には、光り輝いて白く清く、第三と第四との情態に居る時には、稍曇つたやうにみえてをる。これは相応の理より起来するものであつて、智慧及証覚の如何によつて、かく天人の情態に、それぞれ変化がある故である。序に地獄界にある者の、衣類のことを述べておく。
 根底の国に陥つてゐる者もまた一種の衣類の着用を許されて居る、されど彼等の悪霊は、総ての真理の外に脱出せるを以て、着する所の衣服はその癲狂の度と虚偽の度とによつて、或は破れ、或は綻び、ボロつぎの如く見苦しく、またその汚穢なる事は到底面を向くるに堪へない位である。しかし彼等は実にこれ以外の衣類を着用する事が出来ないのである。また地獄界にゐる悪霊は美はしき光沢の衣類を着用する時は、相応の理に反するが故に、身体苦しく、頭痛み、体をしめつけられる如くで、到底着用することが出来ないのである。故に大神が彼等の霊相応の衣類を着用することを許し給うたのは、その悪相と虚偽と汚穢とが赤裸々に暴露する事を防がしめむがための御仁慈である。
 種々さまざまの衣服をつけたる諸々の天人は、治国別、竜公両人のこの団体に入り来ることを、大神の宣示によつて前知し、歓迎の準備を整へて、今や遅しと待つてゐたのである。数多の天人の中から、最も美はしく光り輝いてゐる清浄の衣類を着用した一人の天人は、治国別の側近く進み来り、『ウーオー』と言ひながら、心の底より歓迎の意を表示してゐる。治国別も意外の待遇にかつ驚き且喜びながら、叮嚀に会釈をなし、固く天人の手を握りしめて、何事か言はむとしたが、何故か口舌硬直して、一言も発することが出来なかつた。茲において治国別はその顔面の表情を以て、感謝の意を示す事としたのである。数多の天人は治国別の前後左右に群り来り、『ウオーウオー』と叫びながら、且歌ひ、且舞ひ踊り狂うて、その旅情を慰めむと吾を忘れてその優待に全力を尽してゐる。竜公は余りの嬉しさに口をあけたまま、ポカンとして、ただ『アーアー』とのみ叫んでゐる。しかし天国においては、『ア』といふ声は喜びを表白する意味であるから、竜公のこの一言は治国別の無言に引替へ、最も天人間から尊重され、且賞揚の的となつたのである。天人が総て人間と相語る時は、天人は決して自らの言語を用ひず、その相手の言語及相手が知れる所の言語を用ひ、その人の知らざる言語は一切用ひない事になつてゐる。天人の人間ともの云ふ時は、自己を転じて人間に向ひ、これと相和合するものである。この和合は両者をして相似の想念情態中に入らしむるものである。しかしながら、治国別は天人の団体においては、これを肉体のある精霊とは思はなかつたために、天人の語を用ひたから、治国別が面くらつたのである。
 凡て人間の想念は記憶に附着して、その言語の根源となるが故に、この両者は共に同一の言語中にありと云つても良いのである。且また天人及精霊の人間に向ひ来るや、自ら転じて彼に向ひ、彼と和合するに至れば、その人のすべての記憶は、天人の前に現出するものである。天人が人間と談話するに当り、その人と和合するは、人の霊的思想とつまり和合するものであるけれども、その霊的想念流れて、自然界想念中に入り、その記憶に附着し離れざるにより、その人の言語は天人の如く見え、またその人の知識は天人の知識の如く見ゆるものである。かくの如きは大神の特別の御恵によつて、天人と人間との間に和合あらしめ給ひ、恰も天界を人間の内に投入したるが如くならしめ給ふによるのである。しかしながら現代人間の情態は、太古における天的人間の観なく、天人との和合もまた難かしい。却て天界以外の悪精霊と和合するに立至つたのである。精霊はかく物語る者の、人間なることを信ぜず、この人の内にある自分共なりと信じ切つて居るのである。
 茲に治国別は自分が未だ肉体のある精霊なる事を告げて、未だ天人の域に進んでゐない事をあから様に告げようと努めたけれど、何故か一言も発することが出来なかつた。その故は第二天国の天人に相応すべき愛善と信真と智慧と証覚とが、備はつてゐなかつたからである。ここに治国別は天人の諸団体に歓迎され、唖の旅行を続けて、ただアオウエイの五大父音を僅に発するやうになり、辛うじて余り大きな恥をかかず、この一つの団体を首尾良く巡覧し、かつ天人に比較的好感を与へて此処を去る事を得たのは、実に不思議と云へば不思議な位であつた。これより治国別は再び木花姫命の御導きによつて、智慧と証覚を与へられ、第二天国の各団体を巡歴し、進んで最高第一天国及霊国に進む物語は次節より口述する事とする。
 惟神霊幸倍坐世。

(大正一二・一・九 旧一一・一一・二三 松村真澄録)



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