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物語47-2-71923/01舎身活躍戌 酔の八衢王仁三郎参照文献検索
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第七章 酔の八衢〔一二四〇〕

 天に輝く日月も  黒雲とざす時は
 忽ちその光を没する如く  智仁勇兼備の
 三五教の宣伝使治国別も  忽ち妖雲に霊眼を交錯されて
 悪虐無道のランチ将軍が  奸計に陥り
 暗黒無明の地下の牢獄へ  忽ち顛落し
 気絶せしこそ是非なけれ。  

 肺臓の呼吸は漸く微弱となり、情動は全くとまると共に、心臓の鼓動休止し、治国別は竜公と共に、見なれぬ山野を彷徨することとなつた。行くともなしに、吾想念の向ふまま進んで行くと、一方は屹立せる山岳、一方は巨大なる岩石に挟まれた谷間の狭い所に迷ひ込んだ。ここは中有界の入口である。中有界は、善霊、悪霊の集合地点である。一名精霊界とも称へる。
 竜公は四辺の不思議な光景に、治国別の袖をひき、
『モシ先生、此処はどこでせうかな。ランチ将軍の奥座敷で酒を呑んで居つたと思へば、局面忽ち一変して、斯様な谷底、何時の間に来たのでせう』
『どうも変だなア、幽かに記憶に残つてゐるが、何でも片彦の案内で、立派な座敷へ入つたと思へば、忽ち暗黒の穴へおち込んだやうな気がした。ヒヨツとしたら吾々は肉体を脱離して、吾精霊のみが迷つて来たのではあるまいかな』
『何だかチツと空気が違ふやうですな。しかし斯様な所に居つても仕方がありませぬ。行ける所まで進みませうか』
 治国別は少時双手を組み、幽かな記憶を辿りながら、二つ三つうなづいて、
『ウンウンさうださうだ、ランチ、片彦将軍の計略にウマウマ乗ぜられ、生命をとられてしまつたのだ。アヽ困つた事をしたものだな』
『モシ先生、生命をとられた者が、かうして二人生きて居りますか、変な事をおつしやいますなア』
『人間界から言へば、所謂命をとられたのだ。しかしながら人間は霊界に籍をおいてゐる。肉体はホンの精霊の養成所だ。霊界から言へば、死んだのではない、復活したのだ。サアこれから吾々が生前において、現界にて尽して来た善悪正邪を検査する所があるに違ひない。そこで一つ検査を受けて天国へ昇るか地獄へおとされるかだ』
『エヽそりや大変ですな、マ一度娑婆へ帰る工夫はありますまいかな』
『何事も神素盞嗚の大神様の御心のままだから、精霊界にふみ迷ふも、或は天国へ復活するも、現実界へ逆戻りするのも、吾々人間の左右し得べき所でない。最早かくなる上は、神様にお任せするより道はなからうよ』
『私はあなたから、死後の世界があると云ふ事は聞いて居りましたが、かうハツキリと死後の生涯を続けるとは思ひませなんだ。気体的の体を保ち、フワリフワリと中空をさまよふものだと考へて居りましたが、今となつては、吾々の触覚といひ、知覚といひ、想念といひ、情動といひ、愛の心といひ、生前よりも層一層的確になつたやうな心持が致します。実に不思議ぢやありませぬか。死後の世界はあると云ふ事は承はつて居りましたなれど、是程ハツキリした世界とは思ひませなんだ』
『人間の肉体は所謂精霊の容物だ。精霊の中には天国へ昇つて天人となるのもあれば、地獄へおちて鬼となるのもある。天人になるべき霊を称して、肉体の方面からこれを本守護神と云ひ、善良なる精霊を称して正守護神といひ、悪の精霊を称して副守護神と云ふのだ』
『人間の体の中には、さう本正副と三色も人格が分つて居るのですか』
『マアそんなものだ。吾々は天人たるべき素養を持つてゐるのだが、肉体のある中に天人になつて、高天原の団体に籍をおく者は極めて稀だ。今の人間は大抵皆地獄に籍をおいてゐる者ばかりだ、少しマシな者でも、漸くに精霊界に籍をおく位なものだよ。この精霊界において善悪正邪を審かれるのだから、最早過去の罪を償ふ術もない。あゝこれを思へば、人間は肉体のある中に、一つでも善い事をしておきたいものだなア』
 かく話す所へどこともなく、一人の守衛が現はれて来た。
 守衛は治国別に向ひ、
『あなたは三五教の治国別様ではございませぬか』
『ハイ左様でございます。エヽ一寸お尋ね致しますが、ここは天の八衢ではございませぬかな』
『お察しの通り、ここは精霊界の八衢でございます、サアこれから関所へ案内を致しませう』
『有難うございます。オイ竜公、ヤハリ吾々は最早娑婆の人間ぢやないのだよ。覚悟せなくちやいけないよ』
『仮令八衢へ来た所で、この通り意思想念共に健全なる以上は、決して死んだのぢやありませぬから、何とも思ひませぬワ』
『竜公さまとやら、お気の毒ながら、あなたは八衢において少しく暇取るかも知れませぬ。そして治国別様とお別れにならなきやならないでせう』
『エヽ何とおつしやいます、別れよとおつしやつても私は治国別様の家来ですから、どこまでも伴いて行きます。家来が主人の後へ従いて行かれぬと云ふ、何程霊界でもそんな道理はありますまい』
『それは御尤もですが、しかしながら貴方の善と信と智慧と証覚とが、治国別様と同程度になつて居れば、無論放さうと思つても放れるものぢやありませぬ。しかしながら貴方の円相が余程治国別様に比べて見劣りが致しますから、私の考へでは、どうも御一緒は六かしいやうに感じられます。しかしながら八衢の関所までお出でになつて、伊吹戸主の神様のお審きを受けねば、到底私では決定を与へる事は出来ませぬ。また決定を与へるだけの資格も権能もありませぬからなア』
治国『惟神霊幸倍坐世、三五教を守り給ふ国治立の大神、豊国主の大神、守り給へ幸はへ給へ』
 竜公はしきりに、
『惟神霊幸はへませ。一二三四五六七八九十百千万』
と数歌をうたふ。守衛は谷道に立止まり、
『治国別様、この竜公さまをあなたにお任せ致しますから、どうぞ此処をズツと東へ取つてお出で下さいませ。少しくあの山をお廻りになると、稍平かな所がございます。そこが天の八衢の関所でございますから、私はこれからまた次へ出て来る連中がありますから、それを案内して来ます。左様なら、これで失礼を……』
と言ひながら電光石火の如く、空中に一の字を画いて、光となつて西方指して飛んで行く。二人は崎嶇たる山道をドシドシと、三十丁ばかり登りつめた。見れば万公が首を傾け、口をポカンとあけ、憂鬱気分で此方を指して進んで来るのを、四五間ばかり手前で見つけた。竜公は、治国別の袖をひいて、
『モシ先生、あこへ来るのは万公ぢやありませぬか。何だか心配らしい顔をして歩いて来るぢやありませぬか』
『ウン確に万公だ、しかしながら言葉をかけちやいかないよ。向ふがもの言ふまで黙つてゐるがいい。先方がもの言つても、こちらはもの言つちやいけないよ』
 かく話す折しも、万公は行歩蹣跚として、二人の前に立ちふさがり不思議相な顔をして、二人を眺めてゐる。治国別は心の内にて、天の数歌を奏上してゐる。竜公はあわてて、治国別の戒めた事を打忘れ、
『オイ万公ぢやないか、何だみつともない、そのザマは、シツカリせぬかい』
と背中をポンと叩きかけた拍子に、万公はプスツと煙の如くに消えてしまつた。
『アヽ万公かと思へば、何だ、化物だなア。ヤツパリ霊界は霊界だなア。万公に冥土の狐奴、化けてゐやがつたのだなア』
『エヽ仕方のない男だなア、ありや万公に間違ひないのだ。肉体はまだ現界に居つて精霊のみが俺達の身の上を案じて、捜しに来てゐるのだ。肉体のある精霊に言葉をかけるものぢやない。肉体のある精霊は霊界にゐる者が言葉をかければ、すぐに消えるものだ。それだから俺が気をつけておいたのに、困つた男だな、これから伊吹戸主の神様の関所へ行くのだから、余程心得ないといかないぞ』
『ハイ、キツと心得ます。あなたがモシヤ天国へお出でになつたら、私をどこまでも伴れて行つて下さりませうねエ』
『どこへ俺が行つても従いて来るといふ真心があるのか、それなら俺は若も天国へ行く時には、八衢の神に願つて伴れてゆく。しかしながら、俺も随分若い時にウラル教で悪事をやつて来た者だから、善悪のハカリにかけられたら、大抵は地獄行だ。地獄へ落ちてもついて来るかなア。万劫末代上れない悪臭紛々たる餓鬼道へおちても従いて来る考へか』
『先生がメツタにそんな所へ落ちなさる気遣ひがありますものか。どこまでもお供を致します』
『地獄へでもついて来るなア』
『ハイ、従いて行きます。その代りにモシモ私が地獄へ落ちた時には、先生もついて来てくれますだらうなア』
『そりやキマつた事だ。お前を見すてて行く事がどうして出来よう。霊界も現界も凡て愛といふものが生命だ。愛を離れては天人だつて、精霊だつて、人間だつて存在は許されないのだ』
『あゝそれを聞いて安心致しました。どうぞ、どこまでも私を伴れて行つて下さい』
『ヤア、あこに赤門が見える、どうやらアコが関所らしいぞ。サア急いで行かう』
 治国別は先に立つて進んで行く。赤門の側へ近付いて見れば、二人の守衛が立つてゐる。一人は光明輝く優しい顔付の男とも女とも知れぬ者、一人は赤面の唐辛をかんだやうな顔した男、衡の前に儼然として控へてゐる。
『ヤア皆さま、御苦労ですなア、ここで吾々の罪の軽重を査べて頂くのですかな』
 優しき守衛は面色を和らげて、
『イヽヤ、あなたは査べるには及びませぬ、どうぞ奥へお通り下さいませ……一人のお方、一寸ここへ残つて下さい。査べますから……』
『ヤア此奴ア大変だ。サ先生、断り云つて下さいな』
『霊界の規則だから仕方がないワ。先づ地獄行か天国行か査べて貰ふがよからうぞ』
『モシモシ、門番さま、現代の娑婆では何事も簡略を尊びますから、そんな看貫でかけるよな七面倒臭い事はおやめになつたらどうですか』
 赤顔の守衛はグルリと目をむき、竜公を睨みつけながら、
『不届き者ツ、霊界の法則を蹂躙するかツ』
と呶鳴りつける。竜公はちぢみ上り、不承不承にカンカンの上へ身を載せた。一方は地獄行、一方は天国行と金文字で記してある。
『地獄行の方が下つたら、気の毒ながら、これから苦しい暗い所へ落ちて貰はにやなりませぬ。また天国行の方が重かつたら、天国へ行つて貰ひませう。ここは一厘一毛も掛値のない、正直一方の裁判所だから、地獄へ仮令落ちても、決して無実の罪ぢやないから、満足だらう』
と云ひつつ、懐から帳面を出して、
『三五教の信者竜公竜公』
と、厚い緯に長い帳面を繰り広げてゐる。
『ハヽア、お前はアーメニヤの生れだな、そしてウラル教に這入つて居つたな。随分後家倒しや女殺をやつて来たとみえる。チヤンとここに記いてゐるぞ』
『モシモシ善の方面を一つ査べて下さい』
『よろしい、ハヽア、善の方は丸がしてある』
『ヤア有難い、満点ですかなア』
『なに、零点だ。零点以下廿七度といふ冷酷漢だと見えるわい。気の毒ながらマア地獄行かなア、しかし未だお前は生死簿には死期が来てゐない。まだ五六十年は娑婆で活動すべき代物だ。娑婆へ帰つたならば、地獄へ落ちないやうに、善を行ひ、神を信仰し、人のために誠を尽すがよからうぞ。今このままで肉体を離れようものなら、気の毒ながら地獄落だ』
『エヽさうすると、マ一度娑婆へ帰れますかな』
『まだ心臓に微弱な鼓動が継続してゐる、そして肺の呼吸も微弱ながら存在してゐるから、キツト娑婆へ帰るだらう』
『ヤア、それは有難い、しかし宣伝使さまはどうですかな。一寸帳面を査べて下さいませぬか』
『宣伝使様は天国行の霊だから、この帳面には記してない。モシ白さま、あなた一寸査べて見て下さい』
 白い顔の守衛は懐から帳面を取出し、
『三五教三五教』
と云ひながら、見出しを読み中ほどをパツとめくつて、
『ヤアこの方もまだ、寿命がありますわい。現世においてまだまだ数十年、活動して貰はなくちや、ハア、なりませぬよ。しかしながら、伊吹戸主の神様の御意見を聞かなくちやシツカリしたこた言へませぬワ』
『私の罪の測量は免除して下さいますだらうな』
『エヽ今すぐに地獄へやるべき精霊でもないから、査べた所で駄目だ。数十年の後に更めてハカる事にしませう』
『ヤアそりや有難い、皆さま、エライお気をもませました』
『ハヽヽ、吾々は日々これが役目だから、別に気も揉ましないが、お前は随分気をもんだだらう』
『モシ先生、今の白い守衛のお言葉をお聞になりましたか、あなたは今から天国行の資格がある相ですなア』
『ヤア実に汗顔の至りだ。まだ寿命があるさうだから、モ一度現界へ往つて、大神様のため、世の中のために、一働きをさして頂かうかなア』
 かく話す所へ、ヘベレケに酔うた一人の男、行歩蹣跚として八衢の赤門にドンと行当り、
『ドヽドイツぢやい、バヽバカにすない、俺を誰だと考へてゐる? おれはヤケ酒の権と云つたら、誰知らぬ者のない哥兄さまだぞ、エヽーン、こんな所へ赤い門を立てやがつて、往来の妨げをするといふ事があるかい。叩きこはせ叩きこはせ』
『コリヤ コリヤ、ヤケ酒の権太とやら、ここを何処ぢやと心得てゐる』
『ドコも、クソもあつたものけえ、ここは帝大の入口だ、赤門ぢやないか。俺が酒に酔うとると思うて余り馬鹿にするない、俺だつて足があるのだから、赤門位はくぐるのだからなア。永らく校番を勤めて居つたのだから、学士連中よりも赤門の勝手はよく知つてゐるのだい。何時の間に門番奴、代りやがつたのだ、エヽーン、何だその面ア、真白けな面しやがつて、男だてら白粉をぬり、チツクをつけ、おれやそれが癪にさはつてたまらぬのだ。今の学士や青年に学生といふ奴ア、皆貴様のやうな代物ばかりだ。何でえ、そんなコハイシヤツ面しやがつて、睨んだつて、何が恐いか、江戸つ児の哥兄さまだぞ。鬼瓦みたやうな面しやがつて、門番が酒に酔つぱらつてそんな赤い顔するといふ事があるかい。今日から免職だ。サア、トツトと去ね……』
赤『コリヤコリヤ権太、ここは冥土の八衢だぞ。何と心得て居るか』
『ヤア、成程、道理でチツトそこらの様子が違ふと思うて居つたワ。どこぞ、ここらにコツプ酒でも売つてる所はないか、エヽー、チツト案内してくれたらどうだ』
『此奴ア、余り、酔うてゐるので手に合はぬ。コレ白さま、一寸伊吹戸主の大神様に、どう致しませうと云つて伺つて来て下さらぬか』
 白はうなづきながら門内に姿を隠した。しばらくすると、金冠を頂いた仏画でみる閻魔大王の如き厳しい容貌をした伊吹戸主の神、四辺を光明に照しながら、悠々と現はれ給うた。この光明に照らされて、竜公は目もくらむばかり、ヨロヨロと大地に倒れ、地上にかぶりついて慄うてゐる。治国別は莞爾として判神に向ひ、叮嚀に会釈してゐる。判神もまた治国別に向つて礼を返した。
赤『コリヤ権太、伊吹戸主様のお出ましだ。サア此処でその方の罪を査べるのだから、この衡にかかれ』
『こりや衡をようせよ、ハカリが悪いと地獄へ落ちるぞ。高い高い酒を売りやがつて、ハカリで誤魔化さうと思つても駄目だ。朝から晩まで汗水たらして働き、日の暮になつて、一日の疲れを休むべく大切の金を使つて、俺たち貧乏人は酒を買ひに行くのだ。それにハカリを悪うすると冥加が悪いぞ』
『チエツ、エヽまだ酔うてゐやがる。コリヤここは地獄の八丁目だぞ』
『地ゴク御尤もだ、八升でも九升でも、タダの酒なら何ぼでも持つて来いだ、メツタにあとへは引かぬのだからなア』
 赤は劫をにやし、ピシヤツと横面を力に任せて擲りつけた。権太はビツクリして、ハツと気がつけば、光明輝く判神が儼然と吾前に立つてゐる。そして赤鬼が衡を持つて大きな目で睨みつけてゐる。
『モシ、ここは何といふ所でございます』
『目が醒めたか、ここは八衢だ、今その方の娑婆における行ひの善悪を査べて、これから地獄へやるか、天国へ救うてやるかといふ所だ。サア判神様の前だ、神妙にこの衡の上にのれ。そして正直に白状するのだぞ。その方の娑婆において尽した善悪は全部此処につけとめてあるから、正直に申上げよ』
『ハイ、申上げます、私は……エー……権太と申すのは仇名でございまして、……エー実は、酔どれの熊公と申しやす』
『成程、それに間違ひない、その方は余り酒に喰ひ酔うて、社会的勤めを致さないによつて、お寅といふ女房に逃げられた事があらうがな』
『ハイ恐れ入りました。確にございます』
『そしてその後その方は焼糞になり、隣の屋敷まで抵当に入れて金を借り、皆呑んでしまつただらう』
『ハイ、それに相違はございませぬ』
『それから浮木の村でその方の女房だつたお寅が侠客をして居つた時、幾度も酒に酔うてグヅを巻きに行つたであらうがな』
『ハイ、それもその通りでございます』
『しかし何時とても袋叩きに遇ひ、無念をこらへて辛抱致した、それだけは感心だ。この忍耐力によつて、今迄の悪事は棒引だ』
『ハイ有難うございます』
『それからその方は小北山のウラナイ教の本山に行つて、お寅と蠑螈別を脅迫し、一千両の金をフンだくり、皆呑んでしまつたであらうがな』
『ハイ、それに相違はございませぬ』
『なぜさういふ悪い事を致すのか』
と声を尖らして言ふ。
『余りムカツパラが立つてたまりませぬので、ウヽヽヽヽついグヅつてやる気になりました。どうせお寅婆アの事だから、一文生中も出す気遣はひない……が……ダダでもこねて、無念晴しをしようと思ひやして、一寸試みにゴロついてみた処、悪党婆アに似合はず意外にも気が折れて、一千両くれましたので、これ幸ひと懐にたくし込み、それから呑んで呑んで呑み続けました。まだここに五百両ばかり残つてゐます、どうぞ、……地獄の沙汰も金次第と言ひますさうですから、この金をあなたに上げますから、……地獄行だけはこらへて下さいませ……』
『馬鹿を申せ、至正至直、寸毫も虚偽を許さぬこの八衢において、賄賂を提供するとは以ての外だ。その方がお寅から奪ひとつた一千両の罪は実に重いけれど、そのためにお寅婆アと魔我彦とに改心の動機を与へた功徳によつて、その方の功罪を比較し、第三天国へ遣はすべき所であつたが、この神聖なる八衢において賄賂を使はむと致した罪によつて、ヤツパリ地獄落だ。有難う思へ』
『それなら、モウこの五百両は提供しませぬから、どうぞ天国へやつて下さい。頼みます』
『モシ伊吹戸主の神様、如何取計らひませうか』
『この権太事、酔どれの熊はまだ五百両の酒代を残してゐるから、この金がなくなるまで娑婆へ帰してやつたがよからう。冥土へかやうなムサ苦しい金などを持込まれては、大変だから……』
『コリヤ権太、その方はまだここへ来るのは早い、この五百両の金がとこ、酒を呑んでしまふまで、娑婆へ帰つたがよからう。長生きがしたくば、この金を使はずに、酒を辛抱して居つたがよからうぞ』
『ハイ有難うございます、しかしながら何程死ぬのが厭だと云つても、現在五百両の金を持ちながら呑みたい酒を呑まずに居れませうか。それならコレからマ一度娑婆へ出てお酒を頂戴して参ります』
 赤は、
『サア早く帰れ』
と云ひさま、背中をポンと叩いた拍子に、権太は煙となつて消えてしまつた。権太の熊公はお寅から奪ひ取つた金で酒を呑み歩き、衣笠村の酒屋の門口でブツ倒れ、一時は人時不省になつてゐたが、漸く目がさめ、
『あゝあ、怖い夢を見た。モウ酒はコリコリだ』
と言ひながら、懐から金を取り出し、人通の多い街道に出で、乞食らしい者の通る前に一円二円とまきちらし、施しをなし、遂には善良なる三五教の信者となり、善人の評判を取つて一生を送る事となつた。この熊公の物語は後に述ぶる事があるであらうと思ふ。あゝ惟神霊幸はへませ。

(大正一二・一・八 旧一一・一一・二二 松村真澄録)



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