出口王仁三郎 文献検索

リンク用URL http://uro.sblog.jp/kensaku/kihshow.php?KAN=47&HEN=0&SYOU=1&T1=&T2=&T3=&T4=&T5=&T6=&T7=&T8=&CD=

原著名出版年月表題作者その他
物語47-0-11923/01舎身活躍戌 序文王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
詳細情報:
場面:

あらすじ
未入力
名称


 
本文    文字数=3371

序文

 太陽は日本の太陽だ、世界は日本の太陽のお蔭で生きてゐるのだ、それ故日本をヒノモトと云ふのだ。世界を人体に譬へて見ると日本は頭にある、小さいけれども身体全部を支配する脳髄を持つて居る。欧羅巴は手足に当る、それだから汽車、汽船その他便利な機械を発明して足の役目を勤め、また種々の文明利器を発明して手の役目を勤める、また亜米利加は胴に当るから大きい事は大きいが馬鹿である、と云ふやうなことを真面目に書いてあつた。水戸の会沢伯民といふ儒者の作つた書物新論にかぶれた連中は未だ我国民の中には多少あるらしい。今日はモハヤこんな事を云つても通用しない、しかし日清、日露の両戦役に勝利を得てから日本人は益々自負高慢となり、近来の日本人の思想感情の中には、この新論に類した誇大妄想狂が少くないと思ふ。殊に神を信仰する人々の中には著しくこの思想と感情が擡頭してゐるやうに思はれる。西洋は物質文明の国、日本は精神文明の国であると識者の間には屡々称へられてゐるが、その精神文明と雖も今日の処では、西洋に劣ること数等下位にありと言つてもよい。物質文明には、泰西人に先鞭をつけられ、今また精神文明においても彼泰西人の後へに瞠若たるの浅間しい有様である。日本は霊主体従と謂つて精神文明即ち神霊の研究には他に優れて居なければならない筈だ、研究すべき材料も比較的豊富に伝はつて居るのだ。しかるに今日の我国の学界の趨勢を見れば実に惨澹たるものではないか。また日本は武力に就ては殊に自負高慢の度が強く、この武力を以てすれば何事でも意の如く解決し得らるるものと思つて居るものも少くないやうだ。大本の筆先にも「日本の人民は支那の戦争にも勝ちまた今度の露国との戦争にも勝ちたと申して大変に慢心を致して居るが何時迄もそんな訳には行かぬぞよ」と示されてある。油断をして居るとどんな事に成るか分つたものでない。頑迷固陋な国粋論者は何時までも愛国心の誤解をして却て我国を滅亡に向はしむるやうな言論を吹き立て、独りよがりの態度を持して居るのは実に国家のために悲しむべきことである。この物語もまた決して日本のみに偏重したことは述べてない。世界一統的に神示のままに記述してあるのだ。未だ新論的迷夢の醒めない人々は、この物語を読んで不快に感ずる人もあるであらうが、しかし真理は石の如く鉄の如く感情や意志を以て枉ぐることは出来ない。神道も仏教も耶教も時代と地方との関係上、表面別々の感があるやうだが、その最奥を極むれば同一の神様の教であることを覚り得らるるのである。故に神の道を研究する人は広き清き偏頗なき心を以て真面目にかかつて頂きたいものであります。
  大正十二年一月八日
    王仁識



オニドでるび付原文を読む    オニド霊界物語Web