出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語46-0-21922/12舎身活躍酉 総説王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
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あらすじ
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本文    文字数=2226

総説

 吾人に後れて現世に生るるものと雖も、吾人に先だつて死する者も、皆吾人のためには導師である。吾人に対して諸行の無常を教へ、菩提心、大和心を求め、永生を思はしむる大知識である。
 人生に帝王の主権の及ばざる無限の深みがあるやうに、霊界の広大無辺なる事は、とても現代の法王や教主らの支配の及ぶ限りではない。ただ人間は惟神に一身を任せて、日々の業務を楽しみ、歓喜の生涯を送ることに努めねばならぬ。故にこの物語も、読者をして天国浄土の片影を覗はしめむとして滑稽的の言語を聯ねられたのも、大神様の深遠なる仁慈の籠る所である事を口述者は感謝するのであります。『温かい笑ひの波は一座を漂はす』といふ事がある。法悦の歓びは終に笑ひとなる。笑ひは天国を開く声である、福音である。しかし笑ひは厳粛を破るもののやうだが、その笑ひが徹底するとまた涙が出るものだ。笑ひ泣きの涙が、最も高調された悲哀と接吻するやうな感じがするものだ。しかし法悦の涙と落胆悲痛の涙とは天地霄壌の差あるは勿論である。読者は本書を読んで充分に笑ひかつ泣き、法悦の天界に遊ばれむことを希望いたします。人間の笑ふ時と泣く時と顔面の筋肉が同じやうに作用することを思ふと、善悪、歓苦、笑哭不二の真理が怪しく光つて来るやうです。
 因に本巻は十二月十五日に八百頁余を口述筆記し、翌十六日に四百四十頁を口述筆記し、前後二日間にて脱稿致しました。筆記者の鍛錬の功は進歩の跡が歴然と見えて居ります。二日間に出来上つたのは本巻がレコード破りとなりました。翌十七日より大阪へ或る事件のために出張いたすことになつたので、筆記者も腕によりをかけられたと見えます。これで本年の口述は終りとする考へであります。
  大正十一年十二月十六日  王仁識



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