出口王仁三郎 文献検索

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物語40-3-111922/11舎身活躍卯 三途館王仁三郎参照文献検索
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第一一章 三途館〔一〇九五〕

 四面寂寥として虫の声もなく  際限もなき枯野原を
 形容し難き魔の風に  吹かれながらに進み行く。

 道の片方の真赤な血の流れたやうな方形の岩に腰打掛け、息を休めてゐる一人の男がある。そこへ『ホーイホーイ』と怪しき声を張上げながら、杖を力にトボトボと足許覚束なげにやつて来る七八人の男、何れの顔を見ても、皆土の如く青白く、頭に三角の霊衣を戴いてゐる。これは言はずと知れた幽界の旅をしてゐる亡者の一団であつた。先に腰打掛けて休んでゐたのは、玉山峠の谷底から、春造に投込まれて気絶したレーブである。後から来るのが、カルを始め七八人のバラモン教の家来であつた。カルは黄金姫に投込まれて気絶し、その他の亡者は残らずレーブのためにやられた連中ばかりである。
 カルはレーブの姿を見て、
『ヨー、お早う、お前も矢張こんな所へやつて来たのかなア、附合のいい男だな。死なば諸共死出三途、血の池地獄、針の山、八寒地獄も手を曳いて、十万億土へ参りませう。モウかうなつちや現界と違つて、幽界では名誉心も要らねば、財産の必要もない。従つて争ひも怨恨も不必要だ。ただ恨むらくは、生前にバラモン神様を信じてゐたお神徳で、至幸至楽の天国へやつて貰へるだらうと期待してゐたのが、ガラリと外れて、こんな淋しい枯野ケ原を渉つて行くだけが残念だが、これも仕方がない。サア、レーブさま、一緒に参りませう』
レーブ『ヤア皆さま、お揃ひだなア。カルさまは根つから俺に覚えがないが、はたの御連中は残らず俺が冥途の旅をさしてやつたやうなものだ。しかし俺はまだ死んではゐないのだから、亡者扱ひは御免だ。千引の岩の上において激戦苦闘をつづけた英雄豪傑のレーブさまが、年の若いのに今頃死んで堪るかい。このレーブさまには生きたる神の御守護があるから、メツタに死んでる気遣はないのだ。お前達は甘いことをいつて、俺を冥途へ引張りに来よつたのだな。さてもさても肚の悪い男だ、モウいいかげんに娑婆の妄執を晴らさないか。斯様な所へふみ迷うて来ると結構な天国へ行かれないぞ。南無カル頓生菩提、願はくば天国へ救はせ給へ。惟神霊幸倍坐世』
と手を合す。
『オイ、レーブ、貴様何呆けてゐるのだ。ここは娑婆ぢやないぞ。幽冥界の門口、枯野ケ原の真中だ。サアこれから前進しよう。何れいろいろの鬼が出て来て、何とか彼とか難題を吹つかけるかも知れないが、それも自業自得だ、各自に心に覚えがあることだから何が出ても仕方がない。皆俺たちが心の中に造つた御親類筋の鬼に責められるのだから、諦めるより道はなからうぞ』
『ハヽヽヽヽ亡者の癖に、何を吐すのだ。気楽さうに、青、赤、黒の鬼が鉄棒を持つてやつて来たら、貴様それこそ肝玉を潰して、目を眩かし、二度目の幽界旅行をやらねばならなくなるぞ。このレーブさまは何と云つても死んだ覚えはない』
『マアどうでもいいワ。行くとこまで行つてみれば、死んでゐるか生きてるか、よく分るのだからなア』
 かく話す折しも、枯草の中から忽然として現はれた、仁王の荒削りみたやうな、真赤の角を生した裸鬼、虎の皮の褌をグツと締め、蒼白い牡牛のやうな角、額から二本突き出しながら、
『オイ亡者共』
と大喝一声した。レーブは初めて、自分が冥途へ来てゐるのだなア……と合点した。されど自分は誠の神様のお道を伝ふる真最中に死んだのだから、決して斯様な鬼に迫害されたり虐げらるるものではない。善言美詞の言霊さへ使へば即座に消滅するものだと固く信じて、外の亡者のやうに左程に驚きもせず、平然として鬼共の顔を打眺めてゐた。鬼はレーブ、カルの二人に一寸会釈して、比較的優しい顔で、
『エー御両人様、貴方等はこれから私が御案内しますから、三途の川の岸まで来て下さい。外の奴等は……オイ黒赤両鬼に従つて、此処を右に取つて行くがよからう。サア行けツ』
と疣々だらけの鉄棒を持つて追つかけるやうにする、八人の亡者はシホシホと赤黒の鬼に引かれて茫々たる枯野ケ原の彼方に消え去つた。
 青鬼はレーブ、カルを送つて、漸くに水音淙々と鳴り響いてゐる広き川辺に到着した。川辺には何とも知れぬ綺麗な黄金造りの小ざつぱりとした一軒家が立つてゐる。青鬼は鉄門をガラリとあけ、中に這入つて、
『只今、娑婆の亡者を二人送つて来ました。どうぞ受取り下さいませ』
と叮嚀に挨拶してゐる。レーブ、カルは互に顔を見合せ、小声で、
レーブ『オイ、コリヤ怪体な事になつて来たぢやないか。この大川を渡れといはれたら、それこそ大変だぞ。今鬼が……二人の亡者を送つて来ました、受取つて下さい………なんて言つてるぢやないか。一寸見ても強さうな小面憎い鬼が、あれだけ叮嚀に挨拶してるのだから、余程強い大鬼が此処に居るに違ひないぞ。今の間に元の道へ逃げ出さうかなア』
カル『逃げ出すと云つたつて、地理も分らず、何一つ障碍物がないこの枯野原、直に見つかつてしまふワ。それよりも神妙にして甘く交渉を遂げ、よい所へやつて貰ふ方が何程得かも知れないぞ』
 かく話す時しも、青鬼は二人は向ひ、叮嚀に頭をピヨコピヨコ下げて、
『私はこれからお暇を申します。館の主人さまに何もかも一伍一什申上げておきましたから、どうぞ御勝手に入つて、悠くりお話をなさいませ』
と云ひながら大股にまたげて、鉄棒を軽さうに打振り打振り元来た道へ引返すのであつた。
 後に二人は怪訝な顔しながら、
レーブ『オイ、どうやら此処は三途の川らしいぞ、何と妙な川ぢやないか。三段に波が別れて流れてゐる。まるで縦に流れてゐるのか、横に流れてゐるのか見当が取れぬやうな川だのう』
カル『オイ、そんな川所かい、この館はキツと三途川原の鬼婆の番所かも分らぬぞ。ここで俺達はサツパリ着物を剥がれてしまふのだ。さうすればこれから前途は追々冬空に向くのに赤裸になつて、八寒地獄に旅立といふ悲劇の幕がおりるかも知れぬぞ。困つたことが出来たものだなア』
 かく話す所へ館の戸を押開いて現はれて来たのは十二三才の美しい娘であつた。
レーブ『ヤア偉い見当違をしてゐたワイ。三途の川の脱衣婆アといへば、エグつたらしい顔をした、人でも喰ひさうな餓鬼が控へてゐるかと思へば、まだ十二三才の肩揚の取れぬ少女がしかも二人、優しい顔して出て来るぢやないか。矢張現界とは凡てのことが逆様だといふから、現界の所謂小娘が幽界の婆アかも知れぬぞ。娘と云つたら幽界では婆アのことだらう。婆アと云つたら幽界では少女のことだらう。娘と云つたら……』
カル『コリヤコリヤ同んなじことばかり、何をグヅグヅ言つてるのだい。娘が聞いたら態が悪いぞ』
『余りの不思議で、ツイあんな事が言へたのだ』
 二人の少女は叮嚀に手をつかへ、
『あなたはレーブさまにカルさまでございますか。サアどうぞお姫さまが最前からお待兼でございます。お弁当の用意もしてございますから、どうぞトツクリとお休みの上お食り下さいませ』
レーブ『イヤア、洒落てけつかるワイ、さうすると矢張ここは現界だな。この風景のよい川端でどこの奴か知らねども沢山のおチヨボをおきやがつて、茶代をねだつたり御馳走を拵へて高く代価を請求し、剥取りをしやがるのだな。オイ気を付けぬと着物位ならいいが、魂まで女に抜取られてしまふかも知れぬぞ。鬼婆よりも何よりも恐ろしいのは美しい女だからなア』
少女『モシモシお客さま、そんな心配は要りませぬ、どうぞ早くお入り下さいませ』
カル『ヤツパリ夢だつたかいな。ネツからとんと合点がゆかぬやうになつて来たワイ。どこともなしに娑婆臭くなつて来たぞ』
レーブ『それだから、貴様が亡者気分になつてゐやがつた時から、俺はキツト死んでゐるのぢやないと言つただらう。ともかく警戒して女に魂を抜かれぬやうに入つて見ようかい。しかしこの家を見るだけでも大変値打があるぞ。屋根も瓦も壁もどこも黄金造りぢやないか。こんな所に居るナイスはキツト世間離れのした高尚な優美な頗る……に違ひない』
といひながら少女に引かれて二人は閾を跨げた。外から見れば金光燦爛たるこの館、中へ入つてみれば、荒壁が落ちて骨を剥きだし、まるで乞食小屋のやうである。そしてそのむさ苦しいこと、異様の臭気がすること、お話にならぬ。二人は案に相違し、思はず知らず、
『ヤア此奴ア堪らぬ、エライ化家だなア。こんな所にゐやがる奴ア、どうで碌なものぢやあるまいぞ。オイ気を付けぬと虱が足へ這上るぞ、エーエ気分の悪いことだ』
と口々に咳いてゐる。破れた襖障子をパツとあけて奥からやつて来たのは、こはそもいかに、汚い座敷に似合はぬ、立派な衣裳を着した妙齢の美人、襠姿のまま、破れた畳の上を惜気もなく引きずりながら、現はれ来り、
『あゝ、これはこれはお二人様、待つて居りました。大変早うお越しでございましたなア。奥に御馳走が拵へてありますから、一つ召上つて下さい』
と打解けた言ひぶりである。レーブは合点ゆかず、家の中をキヨロキヨロ見上げ見下し、隅々までも見廻しながら、
『何と隅から隅まで完全無欠なムサ苦しい家だなア、何程山海の珍味でも、この光景を眺めては、喉へは通りませぬワイ。コレコレお女中、一体此処は何といふ所ですか』
女『ここは冥途の三途の川といふ所でございますよ』
レーブ『さうすると矢張私は亡者になつたのかいなア』
『ホヽヽヽヽ亡者といへば亡者、生きてゐるといへば少し息が通うてゐる。三十万年後の二十世紀の人間のやうな者だ。半死半せう泥棒とはお前さまのことですよ。私は三途川の有名な鬼婆で、辞職の出来ぬ終身官だよ。ホツホヽヽ』
『オイオイ馬鹿にすない、そんな鬼婆があつてたまるかい、年は二八か二九からぬ、花の顔容月の眉、珂雪の白歯、玲瓏玉の如きその肌の具合、どうしてこれが鬼婆と思へるものか、あんまり揶揄ふものではありませぬぞ、お前さまは丁度二十一世紀のハイカラ女のやうなことを言ふぢやないか。こんな娘が婆アとはどこで算用が違うたのだらうなア』
『ホヽヽ訳の分らぬ男だこと、百年目に二三年づつ人の寿命が縮まつてゆくのだから、二十一世紀の末になると、十七八才になれば大変な古婆だよ。モ三歳になると夫婦の道を悟るやうになるのだから……お前さまも余程頭が古いね』
カル『さうすると、ここは二十一世紀の幽界の三途の川だな』
女『三途の川は何万年経つても、決して変るものではない。この婆アだつて、何時迄も年も老らず、いはば三途の川のコゲつきだ。サア早く奥へ来て、饂飩でも喰べたがよからうぞや。大分に玉山峠で活動して腹がすいてゐるだらう』
レーブ『それならともかくも奥へ通して貰はう。オイ、カル、俺一人では何だか気分が悪い、貴様もついて来い』
カル『ヨシヨシ従いて行かう、この女はバの字とケの字に違ひないから油断をすな。そして一歩々々探り探りにゆかぬと、陥穽でも拵へてあつたら大変だぞ。亡者でも矢張命が惜しいからなア』
と云ひながら美人の後に従いて行く。奥の間かと思へば草莽々と生えきつた川の堤であつた。その向方を三途の川が滔々とウネリを立てて白い泡を所々に吐きながら悠々と流れてゐる。
レーブ『コレコレ婆アさまとやら、お前の所の奥の間といふのは、こんな野つ原か。矢張冥途といふ所は娑婆とは趣が違ふものだなア。娘を婆と云つたり、野原を奥と言つたり、サツパリ裏表だ。なア、カル公、ますます怪しくなつたぢやないか』
女『ここはお前さまのおつしやる通り野ツ原だ、奥の間といふのは次の家だ。この向方に立派な奥の間が建つてゐるから、そこへ案内を致しませう』
レーブ『また外から見れば、金殿玉楼、中へ入つて見れば乞食小屋といふやうなお館へ御案内下さるのですかなア。イヤもうこれで結構でございます』
カル『何でまたこれだけ外に金をかけて、立派な家を建てながら、中はこんなにムサ苦しいのだらう。なアお婆アさま、コラ一体何か意味があるだらうな』
女『ここは三途の川の現界部だから、こんな家が建ててあるのだ。現界の奴は表面ばかり立派にして、人の目に見えぬ所は皆こんなものだ。口先は立派なことを言ふが、心の中は丁度この家の中見るやうなものですよ。私だつてこんなナイスに粉飾してるが、この家と同様で肝腎要の腹の中は本当に汚いものだよ。お前さまもバラモン教だとか、三五教だとかのレツテルを被つて、宣伝だとか万伝だとか言つて歩いてゐただらう、腐つた肉に宣伝使服を着けて糞や小便をそこら中持ち歩いて、神様をだしに、物の分らぬ婆嬶に随喜渇仰の涙をこぼさしてゐたのだらう。私もこの着物を一つ剥いたら、二目と見られぬ鬼婆アだよ。白粉を塗り口紅をさし白髪に黒ンボを塗り、身体中に蝋の油をすり込んで、こんなよい肉付にみせてゐるが、一遍少し熱い湯の中へでも這入らうものなら見られた態ぢやない。サアこれから本当の家の中へ伴れて行つてあげよう。イヤ奥の間へつれて行きませう』
レーブ『何と合点のいかぬことをいふ娘婆アさまぢやなア。何だか気味が悪くなつて来た。かう言はれると自分等の腹の中を浄玻璃の鏡で照らされたやうな気分になつて来たワイ。のうカル公』
カル『さうだな、丸切り現代の貴勝族の生活のやうだなア。外から見れば刹帝利か浄行か何か貴い方が住んでゐるお館のやうだが、中へ這入つてみると、毘舎よりも首陀よりも幾層倍劣つた旃陀羅の住家のやうだのう』
女『せんだら万だら言はずと早く此方アへ来なされよ。サア此処が神界の人の住む館だ、かういふ家に住居をするやうにならぬとあきませぬぞや』
レーブ『どこに家があるのだい、野原ばかりぢやないか。向ふには川が滔々と流れてるばかりで、家らしいものは一つもないぢやないか』
カル『オイ、レーブ、貴様余程悟りの悪い奴ぢやなア。神界の家といつたら娑婆のやうな木や石や竹で畳んだ家ぢやない、際限もなきこの宇宙間を称して神界の家と云ふのだ』
レーブ『こんな家に住んで居つたら、それでも雨露を凌ぐ事が出来ぬぢやないか。神界の家といふのは所謂乞食の家だな。何がそんな家が結構だい。貴様こそ訳の分らぬことを言ふぢやないか』
女『コレコレお二人さま、何をグヅグヅいつてらつしやるのだ、この家が見えませぬか。水晶の屋根、水晶の柱、何もかも一切万事、器具の端に至るまで水晶で拵へてあるのだから、お前さまの曇つた眼力では見えませうまい。私の体だつて神界へ這入れば、これこの通り、見えますまいがな』
と俄に透き通つてしまつた。
レーブ『目は開いてゐるが家の所在が一寸も分らぬ、これでは盲も同然だ。何程結構でも家の分らぬやうな所へやつて来て、水晶の柱へでもブツカツたら、大変だから、ヤツパリ俺は、最前の現界の家の方が何程よいか分らぬわ。コレコレ娘婆アさま、どこへ行つたのだい。お前の姿だけなつと見せてくれないか』
 耳のはたに女の声、
『ホヽヽ何とまア不自由な明盲だこと、モ少し霊を水晶に研きなさい。そしたらこの立派な水晶の館が明瞭と見えます』
レーブ『どうしても見えないから、一つ手を引いて案内して下さいな』
女『それなら案内して上げませう』
と言ひながら、水晶の表戸をガラガラガラと音をさせて開けた。
『ヤア顔は見えぬが、確に戸のあいた音だ』
といひながら二人は手をつなぎ、レーブは女に手を引かれて、水晶の館に這入つてしまつた。
レーブ『何だ家の内か家の外か、ヤツパリ見当が取れぬぢやないか。アイタタ、とうとう頭をうつた、ヤツパリ家の内と見えるワイ、コレコレ娘婆アさま、こんな所に居るのはモウ嫌だ。モ一遍手を引張つて出して下さいな』
女『お前さま等二人勝手に出なさい。這入つたものが出られぬといふ筈がない』
カル『何とマア意地の悪い女だなア。そんなことを言はずに一寸の手間ぢやないか、出口を教へて下さいな』
女『お前さまの身魂さへ研けたら、出口は明瞭分りますよ。自然に霊の研けるまで、千年でも万年でもここに坐つてゐなさい、こんな綺麗な所はありませぬからなア』
レーブ『余り汚い霊が水晶の館へ入つたものだから、とうとう神徳敗けをしてしまつて、出口が分らなくなつてしまつた。エヽ構ふこたない、盲でさへ一人道中をする世の中だ。頭を打たぬやうに手で空をかきながら、出られる所へ出ようぢやないか』
カル『さうだな、なんぼ広い家だつて、さう大きうはあるまい。小口から撫で廻したら出口はあるだらう。本当に盲よりひどいぢやないか。外が見えて居りながら出られぬとは、どうした因果なことだらう。コラ大方あの娘婆アの計略にかかつてこんな所へ入れられたのかも知れぬぞ……ヤア同じ女が沢山に映り出した。ハハア此奴ア鏡で作つた家だ、一つの影が彼方へ反射し、此方へ反射し、沢山に見え出しよつたのだ。ヨーヨー俺達の姿も四方八方に映つてるぢやないか、此奴ア閉口だ。コレ娘婆アさま、そんな意地の悪いことを言はずに出して下さいな』
女『ホヽヽ娑婆亡者とはお前のことだ。それならモウ好い加減に出して上げませう、折角の水晶の館が汚れて曇つてしまふと、あとの掃除にこの婆アも困るから』
と云ひながら、二人の手をつないで、外へ出した手を引張つてくれた感覚はするが、声が聞えるばかりで、少しも姿は見えなかつた。
女『サア此処が外だ。モウ安心しなさい』
レーブ『ヤア有難う、おかげで助かりました。ヤアお婆アさま、そこに居つたのか』
女『サアこれから幽界の館を案内しませう、私について来るのだよ』
レーブ『神界現界の立派なお家を拝見したのだから、幽界も矢張序に見せて貰はうか。のうカル公』
カル『定つた事だ。ここまでやつて来て幽界だけ見なくては帰んで嬶アに土産がないワイ』
女『ホヽヽお前さま達、帰なうと云つても、モウかう冥途へ来た上は、メツタに帰ることが出来ませぬぞや、ここは三途の川の渡場だ。それ、ここに汚い藁小屋がある、これが幽界のお館だ』
と言ひながら俄に白髪の婆アになつてしまつた。
レーブ『ヤア、カル公、あの娘は本当の婆アになりよつたぞ。いやらしい顔をしてゐるぢやねえか』
婆『いやらしいのは当然だ。亡者の皮を剥ぐ脱衣婆アだから、サアこれからお前さまの衣をはがすのだ』
カル『エヽ洒落ない、なんだこの小つぽけな雪隠小屋のやうな家を見つけやがつて、モウ俺は止めた。矢張現界の家の方へ行つて休まう』
と踵を返さうとすれば、婆アはグツと両の手で二人の首筋を掴んだ。二人はゾツとして、
『オイ婆アさま、離した離した、こらへてくれ、こらへてくれ』
婆『何と云つても離さない。ここは幽界の関所だから、お前を赤裸にして、地獄へ追ひやらねばならぬのだ。この三途の川には神界へ行く途と、現界へ行く途と、幽界へ行く途と三筋あるから、それで三途の川といふのだよ。伊弉諾尊様が黄泉国からお帰りなさつた時御禊をなさつたのもこの川だよ。上つ瀬は瀬強し、下つ瀬は瀬弱し、中つ瀬に下り立ちて、水底に打ちかづきて御禊し給ひし時に生りませる神の名は大事忍男神といふことがある。それあの通り、川の瀬が三段になつてるだろ。真中を渡る霊は神界へ行くなり、あの下の緩い瀬を渡る代物は幽界へ行くなり、上の烈しい瀬を渡る者は現界に行くのだ。三途の川とも天の安河とも称へるのだから、お前の霊の善悪を検める関所だ。サアお前はどこを通る心算だ。真中の瀬はあゝ見えてゐても余程深いぞ。グヅグヅしてると、沈没してしまふなり、下の瀬の緩い瀬を渡れば渡りよいがその代りに幽界へ行かねばならず、どちらへ行くかな。モ一度娑婆へ行きたくば上つ瀬を渡つたがよからうぞや』
レーブ『何程瀬が緩いと云つても幽界の地獄へ行くのは御免だ。折角ここまでやつて来て現界へ後戻りするのも気が利かない。三五教に退却の二字はないのだから……しかしカルの奴、マ一度現界へ帰りたくば婆アさまの言ふ通り、あの瀬をバサンバサンと渡つてみい。俺はどうしても神界行だ、虎穴に入らずんば虎児を得ずといふから、一つ運を天に任し、俺は神界旅行に決めた。時に途中で別れた連中はどこへ行つたのだらうか、婆アさま、お前知つてるだらうな』
婆『あいつかい、あいつは一途の川を渡つて、八万地獄へ真逆様に落ちよつたのだよ』
カル『一途の川とは今聞き始めだ。どうしてマア彼奴等はそんな所へ連れて行かれよつたのだらう』
婆『一途の川といふのは、善一途を立てたものか、悪一途を立てた者の通る川だ。善一途の者はすぐに都率天まで上るなり、悪一途の奴は渡しを渡るが最後八万地獄に落ちる代物だ、本当に可哀相なものだよ。カルの部下となつてゐたあの八人は今頃はエライ制敗を受けてるだらう。それを思へばこの婆アも可哀相でも気の毒でも何でもないわい。オホヽヽヽ』
カル『コリヤ鬼婆、俺の部下がそんな所へ行つているのに、何だ気味がよささうに、その笑ひ態は…貴様こそよい悪垂婆だ。何故一途の川をこんな婆が渡らぬのだらうかな、のうレーブ』
婆『何れ幽界の関所を守るやうな婆に慈悲ぢやの情ぢやの同情などあつて堪るかい、悪人だから三途の川の渡守をしてゐるのだ。善人が来れば直に最前のやうな娘になり、現界の奴が来れば上皮だけ綺麗な中面の汚い娘に化ける。悪人が来ればこんな恐ろしい婆になるのだ。約りここへ来る奴の心次第に化ける婆アだよ』
レーブ『それなら俺はまだ一途の川へ鬼が引張つて行きよらなんだだけ、どつかに見込があるのだな。ヨシヨシそれなら一つ奮発して神界旅行と出かけよう。オイ、カル、貴様も俺について中つ瀬を渡れ』
カル『ヨシ、どこまでもお前とならば道伴れにならう』
両人『イヤお婆アさま、大変なお邪魔を致しました。御縁があつたらまたお目にかかりませう、左様なら、まめで、御無事で、御達者で……ないやうに、早くくたばりなされ、オホヽヽヽ』
婆『コリヤ貴様は霊界へ来てまで不心得な、悪垂口を叩くか、神界へ行くと云つても、やらしはせぬぞ』
と茨の杖を振り上げて追つかけ来るその凄じさ。二人はザンブとばかり中つ瀬に飛込み、一生懸命抜手を切つて、あなたの岸に漸く泳ぎついた。

(大正一一・一一・二 旧九・一四 松村真澄録)



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