出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語40-0-31922/11舎身活躍卯 総説王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
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本文    文字数=4359

総説

 印度の国の種姓はその実刹帝利(略して刹利とも曰ふ)、婆羅門、毘舎、首陀四姓の外に未だ未だ幾種姓もあつたが、余り必要もなければ、その中の重なる四姓のみを茲に表示しておきます。しかし諸姓の多くあるなかに婆羅門種殊に大婆羅門とは豪族にして、勢力あるものの謂である。これを特に清貴と称へ、天地を創造せる大梵天王の子、梵天の苗胤にて世々その称を襲うて居るのである。義浄三蔵が『寄帰内法伝』に曰ふ、『五天之地、皆以婆羅門為貴勝凡有座席並不与余三姓同行、自外雑類故宜遠矣』とある三姓は即ち刹帝利、毘舎、首陀のことで、この中でも刹帝利は王族なるにもかかはらず、同席同行せずと謂ふのを見ても印度にては貴勝族とされて居たことは明白であります。婆羅門と云ふ語は梵天の梵と同語なるが故に、貴勝と称へられたのである。印度とは月の意義であるが、印度全体を通じては月とは云はずして婆羅門国と謂つて居たのである。婆羅門教徒の主唱する所によれば、
『大虚空上に大梵天とも梵自在天とも大自在天とも称ふる無始無終の天界が在つて、その天界には大梵王とも那羅延天とも摩首羅天とも称する大主宰の天神があつて、これもまた無始無終の神様なるが故に、無より有を出生せしめてこの天地を創造し、人種は云ふも更なり、森羅万象一切の祖神である』
と語り伝へて来たのである。また曰ふ、
『所在一切の命非命は皆大自在天より生じまた大自在天に従つて亡滅す、自在天の身体は頭は虚空であり、眼は日月であり、地は肉体であり、河海の水は尿であり、山岳は屎の固まつたものであり、火は熱または体温であり、風は生命であり、一切の蒼生は悉く自在天が肉身の虫である。自在天は常に一切の物を生じ給ふ』
と信じられて居たのであります。支那の古書にも、
『盤古氏之左右目為日月毛髪為草木頭手足為五岳泣為江河気為風声為雷云々』
とあるに酷似して居ります。また婆羅門の説に、
『本無日月星辰及地。唯有大水。時大安荼生如鶏子。周匝金色也。時熟破為二段。一段在上作天一段在下作地。彼二中間生梵天名一切衆生祖公。作一切ノ有命無命物。』
と謂つて居るが、支那の古伝に、
『天地渾沌如鶏子盤古生其中一万八千歳而天地開闢。清軽者上為天濁重者下為地盤古在其中一日九変神於天聖於地天極高地極深盤古極長此天地之始也』
と謂へるによくよく似て居ります。また梵天王は八天子を生じ八天子は天地万物を生ず。故に梵天王は一切衆生の父と云ひ威霊帝とも謂はれて居る。しかるに神示の『霊界物語』によれば、大自在天は大国彦命であつて、その本の出生地は常世の国(今の北米)であり、常世神王と謂つてあります。大国彦命の子に大国別命があつて、この神が婆羅門の教を開いたことも、この物語によつて明かである。常世国から埃及に渡り次でメソポタミヤに移り、波斯を越え印度に入つて、ハルナの都に現はれ、ここに全く婆羅門教の基礎を確立したのは、大国別命の副神鬼雲彦が大黒主と現はれてからの事である。それ以前のバラモン教は極めて微弱なものであつたのであります。このバラモン教の起元は遠き神代の素盞嗚尊の御時代であつて、釈迦の出生に先立つこと三十余万年であります。『霊界物語』(舎身活躍)は主として印度を舞台とし、三五教、ウラル教、バラモン教の神代の真相を神示のままに口述する事になつて居りますから、『舎身活躍』(卯の巻)の総説に代へて少しくバラモン神の由緒を述べておきました。
 惟神霊幸倍坐世
  大正十一年十月三十一日  王仁識



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