出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
物語39-0-2 | 1922/10 | 舎身活躍寅 総説 | 王仁三郎 | 参照文献検索 |
キーワード: 物語 |
詳細情報: 場面:
あらすじ 未入力 名称
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本文 文字数=4511
総説
神素盞嗚尊が八岐大蛇を言向け和し、遂に肥の川上において、手撫槌、足撫槌の娘稲田姫命の危難を救ひたまひし神代の物語を続行するに就て、高加索山を中心として先づ五天竺の活動より口述する事と致しました。
オロチと言ふ意義は山の事である。凡て風雲は山より発生するものにして、オロチは颪である。山には古来善神も鎮まり玉ひ、また邪神も盛んに潜伏して居た。故に太古の所謂八王八頭は山を根拠としてその地方々々を鎮め守られて居たのも、要するに山岳に邪神棲息して天下を攪乱せしを以て、邪神の本拠に向つて居所を定められたのである。また肥の川上といふ言義は日の側陽陰といふことで、朝日の直刺す夕日の日照らす、山の意義であつて、出雲とは雲の発生する高山の意義で今日の伯耆の大山を指したものである。最後に神素盞嗚尊が自ら登山して邪神を滅亡せしめたまひて大蛇より村雲の宝剣を奪ひ、これを天照大神に献り赤誠忠良の大精神を発揮し玉ひし物語であります。素盞嗚とはスバルタンの意であつて、スは進展、バルは拡張とか神権発動とかの意であり、タンは尊とか君とか頭領とかの意味である。また天照大御神は、アテーナの女神またはアポーロの女神と謂ふことになる。アポーロは天原の意味にもなり、葦原は亜細亜の意味であり、葦原はアツシリヤとなりアジアとなつたのである。太古の亜細亜は現今の小亜細亜であつたが時世の変遷と共に、広大なる亜細亜となつたのである。
却説五天竺は境周九万余里、三垂は大海、北は雪山を背にし北広く南狭く、形半月の如く野を劃して区分すること七千余国、四時殊に暑熱激しく地は泉湿多く、北は乃ち山阜軫を隠し丘陵斥鹵なり。東は即ち川野沃潤にして田園山壟膏腴なり。南方は草木繁茂し西方は土地磽确なりと伝へられて居る。
これによつて天竺の大概の様子は窺知されることと思ふ。
天竺の名称は随分沢山あつて異議糾紛し、容易に一定せなかつた。太古は身毒と云ひ或は賢豆と曰ひ現代にては正音に従つて印度と云つて居る。印度国は地に随つて国と称へ殊に方俗を異にし遥に総名を挙げてその最も美なりとする名を呼んでこれを印度と謂ふのである。印度を唐にては月と謂つた。神代の名称もまた月と称へられたのは第一巻に示す通りである。月に多数の名号ありて印度と称するはその一称である。阿毘曇心論の音義にも、
天竺を或は身毒と云ひ、或は賢豆と言ふは皆訛なり。正しくは印度と言ふ。印度は月と曰ふ。月に千名有り。これ一称なり。一説に曰ふ、賢豆の本名は因陀羅婆陀那これを主処と曰ふなり。天帝護る所なるを以ての故にこれを号する耳云々。
また印度の人民には四種の差別がある。まづ、
第一を刹帝利と云ふ。これは代々王となるべき家柄で即ち五天竺七千余国の国々の王となつて居るのである。
第二を婆羅門といふ。これを翻訳すれば浄行と云ふことで即ち浄き行と書く詞で、国柄相当に有り来つた学問をして代々家を伝へるものである。
第三を毘舎といふ、これは商人である。
第四を首陀と云ふ。これは農業を営むもので所謂百姓である。霊界物語第一巻に婆羅門には三階級ある事を口述しておきましたが、それは太古の神代の事であり、印度四姓の第二位のバラモンの部族内に出来た階級である。釈迦の出現した時代にも、地方に由つて行はれて居たのである。
以上言つたのは、総括して印度全体の制度を説いたので、今より三千年以前には印度の人民は前述の如く、刹帝利、婆羅門、毘舎、首陀の四階級と成つて居たのであります。一寸茲に混線せないやうに重ねて述べておきました。
大正十一年十月二十日 王仁識
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