出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語37-0-21922/10舎身活躍子 総説王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
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本文    文字数=3130

総説

 予言者郷里に容れられずとは古来の諺である。瑞月王仁が突然神界より神務に使役さるるやうに成つてから、親族知己朋友その他の人々より、あらゆる悪罵嘲笑や妨害等を受けながら、神命を遵守して今日まで隠忍して来た種々雑多の経緯を述ぶれば、到底一万や二万の原稿で書きつくせるものではない。故に瑞月は霊界物語『舎身活躍』の口述の初に当り、最初の霊的修行の一端を述べて本問題の神代の物語に移らうと思ふ。幸ひ時機の到来せしものか、今日となつては自分の郷里の人々は神道家、仏教家を始め、無宗教者と雖も一人も反対を唱へたり悪罵嘲笑する者が無くなつて来た。否何人も郷里の人は瑞月の精神を了解し、却て讃辞を送るやうになつたのは全く時の力である。しかるに釈迦にも提婆とか謂つて、何時の世にも反対者の絶えぬものである。大正の初頭より勃興し初めた吾が大本の教に対し、学者、宗教家、新聞記者なぞが、数年前より随分攻撃の矢を放つて吾人の主張を根底より破砕せむとせしは、新宗教の初期においては免るべからざる順路である。諺に曰ふ『巨大なる器には巨大なる影がさす』と。また曰く『敵無きものは味方も無し』と。今日の社会よりの攻撃は実に止むを得ざるものである。否これが宗教発展上の径路かも知れない。吾人は今後においても、益々大本に対して大々的迫害の手が加はることと確信して居る。天の瓊矛のやうに、大本はイラエばイラウほど太くふくれて固くなり、かつ気分の好くなるものである。善悪吉凶禍福は同根である。筆先にも『悪く言はれて良くなる仕組じやぞよ』と、実に至言である。この頃綾部に丹波新聞といふ小さい新聞が出来て、霊界物語を評して曰く『一丁ほど先から見えるやうな原稿を書いて居る』と。実に良く霊界物語の真相を究めたものである。抑もこの物語は人間の頭脳の産物でない以上は、何処かに変つた所が無くてはならぬ筈だ。一丁ほど先から見えるやうな大きい字の原稿を二万数千枚書いたと言つて居るのは、神の霊光が原稿の上に輝いて遠方から拝めたのであらう。また大きい文字に見えたのは所謂著者の人物が大きいから大きく見えたのだらう。否々ソウ慢心しては成らぬ。神様の偉大なる神格が現はれて、筆記者の写した細い文字が丹波新聞記者の眼にソウ大きく見えたのであらうと、神直日大直日に見直し聞直し宣り直し、善意に解釈して置く方が結局大本の教理に叶ふであらう。実に天下一品の讃辞を与へてくれた大名文章だと感謝しておく次第である。呵々。
  大正十一年十月十二日



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