出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語28-99-11922/08海洋万里卯 跋(暗闇)王仁三郎参照文献検索
キーワード: 生きがい
詳細情報:
場面:

あらすじ
○現代の社会は力そのものが物をいう。力なきものは立つべき道理も立たず、立つべからざる無理も、力あるものには立派に立つ世の中だ。
○譲歩退嬰は誤解をとく方法に非ずして、かへって相手方の誤解を裏書し、ますますその誤解を増長させるものとなる。
○人間の身体内には一方に天国あり、一歩に地獄を包蔵している。要するに人間は天使と悪魔との雑種児である。
○国際連盟は期待するほど役に立つものではない。
○わずかに不断の活動をしているものは、飛行将軍、五字の教祖、日の出神の生宮と称する一派の方くらいだ。地方ではそれ相応の活動をしている真人もあるそうだ。それが慰めだ。
○無抵抗主義の真諦を誤解して、いかなる暴逆にも無理難題にも屈するのは考えものだ。
○世間の評判や新聞の批評ほど当てにならないものはない。一昨年以来、新聞に喧伝された東西二人の男女は、実際に面会すると全く正反対の人物だ。
名称

日の出神の生宮
神の国 国際連盟 真人 飛行将軍 無抵抗主義
 
本文    文字数=6461

跋 暗闇

一、現代の社会は力そのものが物を言ふ。力なきものは立つべき道理も立たず。立つべからざる無理も力あるものには立派に立つ世の中だ。
二、○○に対してある方面から行つたやうな無茶を塵ほどでも行つたとすれば、忽ち悪魔呼ばはりを受け滅茶々々に打ち砕かれてしまふであらう。弱者は自ら犯さざる罪をも謝せねばならぬ。強者は自ら犯したる罪をも平気で押し通すと云ふ現状だ。強者は自ら悪をなしても、これを甘く世間を誤魔化して却て無上の善行とせらるる暗闇の世の中だ。
三、誤解を釈くには他の誤りを正すが第一の善法だ。自己の正しき主張を明白に徹底的に、相手方に合点の行くやうに弁明し釈明する事に努力せなくては成らない。何程誤解されても構はぬ、正しき神は御照覧遊ばすからと、惟神主義を保持して袖手傍観的態度に出づる者は、自分の無能と無責任とを表白するもので、結局神の国のためには、卑怯者または反抗者となるものである。
四、相手方の言ひ放題に何でも彼んでも御無理御尤もと承服するは、決して誤解を釈くの方法に非ず。却て誤解を増大ならしむるものである。相手方の強者になると、此方の譲歩退嬰を以て謙譲の徳とせず、好意と認めず、却て驕慢の心を強め此方の行動を見て、吾輩の臆測した通りだ、さればこそ吾抗議や言論や行為に対して、直に譲歩したのだと言つて澄まし込んでしまふものである。
五、所謂御無理御尤もの譲歩的態度は、相手方の無理を是認する事となつてしまふ。換言すれば譲歩退嬰は誤解を釈く方法に非ずして却て相手方の誤解を裏書し、益々その誤解をして増長せしむるものとなるのである。これ例ば或る商品に対し、即ち相手方の無暗に値切るに任せて、損をしてまで大負に負る時は、相手方の買人は此方の好意に満足するよりも、却て吾が本来掛値を吹き掛けたのを甘く値切つてやつた、しかし未だ少しばかり高値であつたかも知れぬがなぞと誤解するやうなものである。何処やそこい等の立派な方々の中にも、右様の態度を持する人が十中の十まであるやうに感じられてならぬ。これも依然難きを避け易きにつかむとする所謂惟神中毒の影像かも知れぬ。
六、他の誤解を釈く必要あるはさることながら、それに益して尤も大切なるは、他を自分から誤解せざることである。また今日の世界の状態に対しては、誤解せないやうに努むるのが最も重大なことである。即ち兵家の所謂よく彼を知ることが肝腎である。孔子は人の己を知らざるを患へず。人を知らざるを患ふと言つた通りである。
七、人間の身体内には一方に天国あり、一方に地獄を包蔵して居るものだ。要するに人間は天使と悪魔との雑種児である。現代の人間において殊更にこの傾向多きを悟らねばならぬ。故に神示にはこれを中有人間、または八衢人間と称へられて居る。
八、世界の状態を正しく解せよ。現代は悪魔横行の世なることを。国際連盟とか云つて、表面から見れば、天国の福音とも見るべき平和条約が結ばれた。しかし人類平和の随喜者、世界泰平の夢想者の希望したほど、期待したほど、註文したるほどに役に立つもので在らう乎。
九、獅子や虎や、狼が疲労の結果、休息し眠を貪つて居るとても、決して猫や羊や兎には化るものでない。屹度元気恢復して眠より醒むる時が来るのは当然である。一時の暴風に逢つて意気悄沈し、拱手傍観なす所を知らざる化け虎や、化け獅子や、化け狼がそこい等の山の麓に、永遠的に蟄伏して居るのを見ると、血湧き肉躍り、ただ一人焦慮し活躍せざるを得なくなつて来る。
一〇、一難来るごとにその信仰と勇気を強め、快活に愉快に立働く誠の神国魂の人は、果して幾人あるで在らう乎。
一一、僅かに不断の活動を継続して居るものは、飛行将軍を先導に五字の教祖、及び日の出神の生宮と称する一派のかたがた位なものだ。しかしながら地方に至つては、それ相応の活動を行つて居る真人も少しはあるさうだ。これがせめてもの吾慰安となるばかりだ。
一二、三五教、無抵抗主義の真諦を誤解して、如何なる暴逆にも、無理難題にも屈服し、御思召次第だとか、御尤も千万だとか言つて、極端な無抵抗主義を標榜するのも一つは考へものだ。
 遂には卑劣と、柔弱と、無腸漢の卵とならなければ幸だ。ただ世間の評判や、新聞の悪評や、その他の圧迫などを気遣つて、正義の大道を歩むことさへ恐るるに至らば、最早その人間は駄目だ。製糞器か、立つて歩行く樹木か、拙劣なる蓄音機のやうなものである。こうなれば最早人格も何もあつたものでは無い。他人の尻馬に乗るばかりが人間の勤むべき道では有るまい。
一三、世間の評判や新聞の批評ほど当てにならぬものは無い。評判が良いからと思つて安心して居ると、忽ち背負投げを喰はされるものだ。一昨年以来悪鬼羅刹の権化の如く悪罵され、全国の新聞紙上に曝された東西二人の男女があつた。しかしその男女に直接面会し、その思想や行為や態度を実見したものは、百人が百人まで世評や新聞記事の当にならない而已か、全く正反対の人物たることを肯くで有らう。黒雲に包まれたる大空の月も、仇雲の扉を披ひてその瑞々しい姿を現はす時は、暗黒の地上も直に瑞光燦爛たる神姿を見る事が出来るであらう。(了)
(昭和一〇・六・八 王仁校正)



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