出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語21-0-31922/05如意宝珠申 総説王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
詳細情報:
場面:

あらすじ
***相応の理***
 現実世界はすべて神霊世界の移写であり縮図である。すべて現実界を従とし、神霊界を主とすべきである。
名称

神霊 精霊
宇宙 現界 神霊界 霊界 霊主体従
 
本文    文字数=2809

総説

 霊界は想念の世界であつて、無限に広大なる精霊世界である。現実世界は凡て神霊世界の移写であり、また縮図である。霊界の真象をうつしたのが、現界、即ち自然界である。故に現界を称してウツシ世と言ふのである。例之一万三千尺の大富士山を僅か二寸四方位の写真にうつしたやうなもので、その写真が所謂現界即ちウツシ世である。写真の不二山は極めて小さいものだが、その実物は世人の知る如く、駿、甲、武三国にまたがつた大高山であるが如く、神霊界は到底現界人の夢想だになし得ざる広大なものである。僅か一間四方位の神社の内陣でも、霊界にては殆ど現界人の眼で見る十里四方位はあるのである。凡て現実界の事物は、何れも神霊界の移写であるからである。僅に一尺足らずの小さい祭壇にも、八百万の神々やまたは祖先の神霊が余り狭隘を感じ玉はずして鎮まり給ふのは、凡て神霊は情動想念の世界なるが故に、自由自在に想念の延長をなし得るが故である。三尺四方位の祠を建てておいて下津岩根に大宮柱太敷立、高天原に千木高知りて云々と祝詞を奏上するのも、少しばかりの供物を献じて、横山の如く八足の机代に置足らはして奉る云々とある祝詞の意義も、決して虚偽ではない。凡て現界はカタ即ち形の世界であるから、その祠も供物も前に述べた不二山の写真に比すべきものであつて、神霊界にあつては極めて立派な祠が建てられ、また八百万の神々が知食しても不足を告げないほどの供物となつて居るのである。凡て世界は霊界が主で現界即ち形体界が従である。一切万事が霊主体従的に組織されてあるのが、宇宙の真相で大神の御経綸である。現実界より外に神霊界の儼然として存在する事を知らない人がこんな説を聞いたならば定めて一笑に付して顧みないでありませう。無限絶対無始無終の霊界の事象は、極限された現界に住む人間の智力では、到底会得する事は出来ないでせう。
 この物語は、現、幽、神、三界を一貫し、過去と現在未来を透徹したるが故に、読む人々に由つて種々と批評が出るでせうが、須らく現実界を従とし、神霊界を主として御熟読あらば、幾分かその真相を掴む事が出来るであらうと思ひます。
 惟神霊幸倍坐世。
   大正十一年五月廿一日
      於松雲閣 口述著者識



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