出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語20-2-51922/05如意宝珠未 親不知王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
詳細情報:
場面:
宇都の郷
あらすじ
 松鷹彦は女房のお竹と死に別れた。それから、魚を漁ってばかりいた。そこへ、バラモン教の宗彦とお勝が巡礼としてやって来た。
 宗彦は「妻お国を亡くし、後添えとしてお勝をもらったが、前妻のお国が化けて出るので、お勝は家を出た。お勝を探しあぐねて宗彦が自殺しようとしているところへお勝が行き合わせた。それから二人で歩いている」と言う。
 一方、松鷹彦は「死んだお竹が幽霊となり自分に付き従っている」と言う。
 お勝に宗彦の昔の女房達が神懸りして同盟して宗彦を襲おうとする。
 そんなところへ、留公と田吾作がやって来て、松鷹彦に向って、「バラモン教の行者を引っ張り込んで説教を聞き、魚を取って殺生ばかりしていると、村を追い出させる」と言う。二人は宗彦とお勝にも「村を出て行くよう」に告げた。
 それから、お勝は「宗彦と別れて松鷹彦の女房になりたい」と言う。それを聞いた宗彦は着物を脱いで川に流してしまい、生まれ赤子となった。お勝も同様に着物を流した。二人は松鷹彦の弟子になる。
名称
田吾作 留公 松鷹彦 宗彦 お勝
天勝 天津御神 幽霊 お市 おから お国 お三 お高 お竹 お春 お福 お光 お弓 およつ 金勝要大神 国勝 国常立尊 西伯文王 精霊 亡霊 真浦
幽冥界 宇宙 宇都の川 宇都山 宇都山川 ウラル教 自転倒島 神憑り 我利法師 過激派 現界 高等警察 古事記 三界城 私憑 諸行無常 十方空 武志の宮 如意宝珠 バラモン教 ポリス 冥土 来世
 
本文    文字数=38660

第五章 親不知〔六六七〕

 黄金の波も宇都山の  山と山との谷間を
 縫うて流るる宇都の川  水も温みて遡り来る
 真鯉緋鯉や鮒雑魚  鮎の季節も漸くに
 漁る人の此処彼処  中に勝れて背も高く
 何とはなしに逞しき  白髪異様の老人は
 立つる煙も細竿の  先に餌をば取りつけて
 永き春日を過ごさむと  釣を楽しむ折柄に
 川辺を伝ひ上り来る  蓑笠着けた二人連れ
 諸行無常是生滅法  生滅滅已寂滅為楽と記したる
 菅の小笠を頂きつ  金剛杖に助けられ
 釣する翁の前に立ち  釣れますかなと阿呆面
 翁は釣に気を取られ  見向きもやらぬもどかしさ
 行者はツカツカ側に寄り  コレコレ爺さまと背叩き
 釣れますかなとまた問へば  情無い浮世の一人者
 婆アは川に誤つて  寂滅為楽となりました
 諸行無常の世の中の  是生滅法の道理に
 洩れぬ人生を果敢なみて  余生を送る川の辺の
 吾れは松鷹彦翁  汝は夫婦の修験者
 本来この世は無東西  何処有南北これ宇宙
 迷ふが故に三界城  悟るが故に十方空
 食うて糞して寝て起きて  さてその後は死ぬるのみ
 これが人生の通路ぞや  汝は若い年に似ず
 行者になるは何故ぞ  これには仔細あるならむ
 委曲に語れと促せば  若き男は笠を除り
 蓑脱ぎ捨てて川の辺に  どつかと坐して目を拭ひ
 バラモン教の修験者  宗彦お勝の両人が
 一粒種の愛し子に  先立たれたる悲しさに
 赤児の冥福祈らむと  二世を契つた妹と背が
 足に任せて雲水の  行衛定めぬ草枕
 旅に出でたるその日より  憂きを三年の夫婦連れ
 月日の駒は矢の如く  吾れを見棄てて流れ行く
 二人の果ては小夜砧  宇都山川の水音も
 悲しき無情の叫び声  万有愛護の御教を
 守る吾等は河海に  泛び遊べるうろくづの
 天津御神の精霊の  宿り玉うと聞くからに
 翁の釣を見るにつけ  諸行無常の感深し
 生者必滅会者定離  世の慣習と云ひながら
 釣魚の歎きは目のあたり  見る吾こそは痛ましく
 彼れが菩提を弔ひて  せめて吾子の冥福を
 祈りやらむと松鷹彦が  心をこめて釣りあげし
 鮒や雑魚の死骸に  両手を合せ拝み居る
 松鷹彦は驚いて  竿投げ棄てて釣りし魚を
 川の瀬目蒐けて放ちやり  涙流してスゴスゴと
 茅屋さして帰り行く  宗彦お勝の両人は
 悲哀の涙に暮れながら  吐息つくづく老人が
 後を慕うて探り行く。  

 川辺に建てる茅屋を、宗彦お勝の両人は、漸く見つけだし、戸の外面より、
『頼もう頼もう』
と訪へば、中より以前の翁、
翁『お前は、最前逢うたバラモン教の巡礼だらう。わしはバラモン教は嫌だ。けれど最前お前の言つた事に少しばかり首を傾けて考へねばならぬ事が有るやうだ。この里はバラモン教の信者ばかりであつたが、つい一年ばかり前から、三五教に全村挙つてなつたのだから、表向這入つて貰ふ事は出来ないのだが、川辺の一つ家を幸ひ、誰も見て居ないから、そつと這入つて下され。わしもこの村の武志の宮の神主をして居る者だ。婆アに先立たれ、余り淋しいので、毎日日々、漁りを楽しみ、婆アの霊前に清鮮な魚を供へて、せめてもの慰めとして居るのだ。それに就てお前に聞きたい事がある。サアサアお這入りなさい』
宗彦『バラモン教でも、三五教でも、道理に二つはない筈だ。開闢の初から、火は熱い水は冷たいと云ふ事は、チヤンと定つて居る。それほどバラモン教を排斤するのならば、お前の宅へ這入る事は中止致しませう。サアお勝、行かうぢやないか』
松鷹彦『お前は年が若いので直に腹を立てるが、マアじつくりとお茶でも飲んで、気を落ち着け、話の交換をしたらどうだな。わしも一人暮しで、川端柳ぢやないが、水の流れを見て、クヨクヨと世を送る者だから』
お勝『宗彦さま、お爺さまのおつしやる通り、一服さして貰ひませうか』
宗彦『そうだなア、そんならドツと譲歩して這入つてやらうか』
松鷹彦『サアサア這入つてやらつしやい……(小声で)……バラモン教の奴は、どこまでも剛腹な奴だなア』
と呟きながら真黒けの土瓶から、忍草の茶を汲んで勧める。
松鷹彦『お前は、見ればまだ若い夫婦と見えるが、よう其処まで発起したものだなア、これには深い訳が有るだらう、一つ聞かして貰ひたいものだ』
宗彦『私も実の所は、来世が怖ろしくなつて来たので、罪亡ぼしに巡礼となつて、各地の霊山霊場を巡拝し、今日で殆ど三年、この自転倒島を廻つて来ました。私も今こそ、かうして猫のやうに温順しくなつてしまつたが、随分名代の悪者でしたよ。家妻を貰つては赤裸にして追出し、押かけ婿にいつては、その家を潰し、何度となく嬶泣かせの家潰しや、後家倒し借り倒しなど、悪い事の有らむ限りを尽して来た所、最後の女房が私の不身持を苦にして、裏の溜池へドンブリコとやつて、ブルブルブル、波立つ泡と共に寂滅為楽となつてしまつた。それから直にこのお勝を女房となし、睦じう養家の財産を当に、朝から晩まで差向ひで、酒ばつかり飲んで居つた所、嬶アの霊を祀つた霊壇から夜半頃になると、ポーツポーツと青白い火が燃えて来る。夫婦の者は夜着を被つて、息を凝らして慄へて居ると、冷たい手で二人の顔を撫で廻す厭らしさ。此奴ア先妻のお国の亡霊ぢやと合点し、一言謝罪らうと思うても、どうしたものか声が出て来ぬ。長い夜中厭らしい声がする。冷たい手で撫でる。こいつア堪らぬと、朝から晩までバラモン教のお経を唱へ通して居ると、その夜はお蔭で霊壇の怪は止んだ。さうかうする間に、ザアザアと雨戸を叩く音、それがまた死んだ女房の声に聞えて来る。ソツと窓から透して見れば、お国の陥つた前栽の池から、白い煙が盛に立昇り、髪振り乱した青白い女房の顔、恨めし相に家の中を見詰めて居る。そこで女房に「別れてくれ、さうしたらお国も解脱するであらうから」と何程頼んでも、このお勝の執念深さ、どうしてもかうしても離れてくれませぬ。「お前が縁を切るなら切つて下さい。池に身を投げて幽霊になり、お国と一緒に幽霊同盟会を組織して襲撃してやる」……とアタ厭らしい事を吐しやがるので、家に居る事もならず、巡礼姿に化けて我家を飛び出しました。さうすると一年ほど経つた春の頃、辻堂の前を通れば、一人の女が癪気を起して苦んで居る。……「オイお女中、この人通りのない辻堂で嘸御難儀であらう、介抱してあげませう」と近寄り見れば豈図らむや執念深いこのお勝が巡礼姿になつて、私の行衛を探して居るのにベツタリ出会し、アーア何とした甚い惚方だらう、蛇に狙はれたやうなものだ。こんな事と知つたなら黙つて通つたらよかつたのに……神ならぬ身の……アヽ是非もなやと、天を仰いで歎息して居ました。死ねばよいのに、お勝の奴、私の顔を見るなり、癪も何もケロリと忘れ、「アイタ、アイタ……イタイはイタイが逢いたかつたのぢや」とぬかしやがる。……エ、仕方がない、色男に生れたが我身の不仕合せ、と因果腰を定め、嫌ひでもない女房を……アタ恰好の悪くも何ともない……かうして伴れて歩いて居りますのだ』
お勝『コレ宗さま、何を言ひなさる。そりやお前の事ぢやらう。飛んで出たのは妾ぢやないか。お前、お国の亡霊が出るのは、妾が後妻に入り込んだのがお気に容らぬのであらう。妾さへ出れば家は無事太平、お国の霊も解脱遊ばすに違ない。これだけ惚れた爺、何と言つても暇をくれる気遣はない、妾から飛び出すのが上分別だと、お前に酒をドツサリ飲まし、夜陰に紛れて巡礼姿となり、バラモン教のお経を称へつつ、お国の冥福を祈つて、霊山霊地を参拝して彷徨ふ折しも、辻堂の中で一人の男が、一尺位な光る物をニユツと出し、腹を出して自殺を図らうとして居る者がある。何処の誰人かは知らねども、これが見捨てて行かれようかと、吾身を忘れて躍りかかり、その光る短刀をひつたくり、……「モシモシ如何なる事情か知りませぬが生は難く死は易し、先づ先づ気を落ち着けなさいませ」……と女の細腕に全身の力を籠めて止むれば、「イヤどこのお女中か知りませぬが、私はどうしても死なねばならぬ深い理由が有る。お慈悲は却て無慈悲となる。どうぞこの腕放しやンせい」……と無理に振放さうとする。妾はバラモン教のお経を一生懸命に唱へて居ると、その男は……「可愛い女房は幽霊が怖さに家を飛び出し、行衛不明となりました。今迄沢山女も有つて見たが、あの位気の好い、綺麗な女房は持つた事がない。あの女房と添はれぬのならこの世の中に生て居つても、何楽みも無い。この広い世の中を十年や二十年探し廻つた所で会へるとも会へぬとも分りませぬ。娑婆の苦を遁れるために、この場で腹掻き切つて浄土参りをするのだ。ヒヨツとしたら女房も先にいつてるかも知れませぬ」……と云つて見つともない、女の一人位に生命を捨てようとする馬鹿な奴は、どこの何者かとよくよく月影に照して見れば、アタ気色の悪く無い、この人でしたよ。まるで蛇に狙はれた蛙のやうなものだと、因果を定めて、此処まで随いて来てやつたのですよ』
 宗彦は真赤な顔して俯向く。松鷹彦は、
『アハヽヽヽ、随分おめでたいローマンスを沢山に拝聴致しました。千僧万僧の読経よりも、宅の婆アが聴いて喜ぶ事でせう。この爺だつて素より木や石では無い。若い時にや、随分情話の種を蒔いたものだ。しかし過越苦労は止めて置きませうかい。また姑の十八を言つて誇ると思はれても詰らぬからな、アハヽヽ。しかしお前達はさうして夫婦仲良く意茶つき喧嘩をチヨコチヨコやつて、天下を遍歴して居れば随分面白からう。……わしもお前等夫婦の苦楽を共にする状態を見て羨ましうなつて来た。どうしても人間は異性が付いて居らねば、世の中が何ともなしに寂しくて、春の暖かい日も冷たいやうな気分がするものだ』
宗彦『あなたのやうに年が寄つて、行先の短い爺さまでも、ヤツパリ女房が要りますかなア』
松鷹彦『定つた事だよ。雀百まで牝鳥忘れぬと云つて、年が寄れば寄るほど、皺苦茶婆でも恋しうなるものだ。夫婦と云ふものは、若い時よりも年が寄つてから本当の力になるものだ。若い時には春の蝶が彼方の白い花や此方の黄色の花に飛び交ひて、花の唇にキツスをするやうに、花もまた喜んで受けてくれるが、かう体中に皺が寄り、皮が余つて来、竹笠のやうに骨と皮ばつかりになつて、胃病の看板然と痩衰へては、誰だつて見向いてもくれやしない。その時には本当の力になつてくれる者は、爺に対しては婆ア、婆アの力になる者は爺だ。何程可愛い子が沢山有つてもヤツパリ大事の話は、夫婦でなければ、打解けて話せるものぢやない。……アヽ中年にやもを鳥になる者ほど不幸な者は有りませぬワイ』
宗彦『若い時の心と、年の寄つた時の心とは、それだけ違ふものですかいな。我々から見ると、爺さまが皺苦茶婆を可愛がり、婆アがまた目から汁を出し、水ばなを垂れ、歯糞をためて枯木のやうになつた、不潔い爺を大切にするのを見ると胸が悪いやうな気がするものだが、なんと人間と云ふものは合点のゆかぬものですなア』
松鷹彦『お前達は庚申の眷属のやうに、あつちやの枝に止まつては小便を掛け、こつちやの枝に止まつては小便を垂れて、結構な人間を弄物のやうに取扱ひ、色が白いの、黒いの、背が高いの短いのと、小言を云つて居られるが、わしのやうな世捨人になつてしまへば、誰も相手になる者はありやしない。蚊だつて味が悪いと云つて吸ひ付きにも来てくれやしない。本当に寂しいものだ。それで、せめて婆アの幽霊になりと、好な魚を毎日供へてやつて、追懐して居るのだ。わしの真心が通うたと見えて、婆アは毎晩床の間に現はれ、わしと一緒に飯も食ひ、茶も飲み、それはそれは大切にしてくれるが、しかし何となしに便りないものだ。嬉しいと云ふ表情は見せるが、ただの一言も爺さまとも、爺どのとも言やアしない。これだけが現幽処を異にしたためでもあらうが、どうぞお前さまも今晩泊つて、婆アの幽霊を一遍見なさつたらどうだ。お茶位は汲んでくれるなり、冷たい手でお前のやうな若い男なら握手してくれるかも知れやしないぞ。そりやマア親切な者だ。死んでからでも、こんな目脂、鼻汁を垂れる爺を慕うて来るのだから、わしもドツかに好い所があるのだらう、アハヽヽヽ』
宗彦『お爺さま本当に出るのかい。……イヤお出ましになるのかい。私はもう幽サンだけは真平御免だ。しかし随分よう惚けたものですな』
松鷹彦『きまつた事だよ。淋しいやもをの前で艶つぽい意茶つき話を聞かされて、大変にわしも若やいだ。返礼のために一寸秘密の倉を開けて見せたのだ。夫婦と云ふものはマアざつとこんなものだ。夫婦の中の愛情は若いお方には一寸には分るものぢやない。しかしお前さまは最前柳の木の側で、私が釣して居る時に、一粒種の子に放れたのが悲しさに巡礼に廻つたと云うたぢやないか。今聞けば子に別れたと言ふのは全くの嘘だらう。そんな憐れつぽい事を云つて、世人の同情を買ひ、殊勝な若夫婦だと言はれようと思つて嘘八百を言ひ並べて歩くのだらう』
宗彦『本来無東西、何処有南北、色即是空、空即是色、有ると思へば有る、無いと思へば無い。死んだと思へばヤツパリ死んだのぢや。しかし私の子を殺したと云ふのは、ホギヤホギヤと唄ふ子ぢやない。日が暮れるのを待ち兼ねて妙な手つきをして…コレコレ宗彦さま、夜も大分に更けました。隣のお竹さまはモウ就寝しやつたと見えて砧の音が止まつた。あんたも好い加減にお就寝みなさいませ。また明日が大事ですから……と妙な目付して褥を布いてくれる……猫が死んだと云ふのだ。猫かと思へばチウチウと啼く事もある。猫か鼠か赤ん坊か知らぬが、わしはマア、ニヤンチウ運の悪いものだと、ミカシラベにハラバヒ、御足辺にハラバヒテ泣き給ふ時現れませる神は、ウネヲのコノモトにます泣沢女の神と云ふ』
松鷹彦『アハヽヽヽ、それは古事記の焼き直しぢやないか』
宗彦『古事記の焼き直しぢやから、若夫婦が乞食に歩いとるのだ。お前さまも年を老つた癖に合点の悪い人だな。余程耄碌したと見えるワイ。太公望気取りで、何時まで川の縁で魚を釣つて居つても、西伯文王は釣れやしない。婆アの幽霊だつて喰ひ付きやしませぬぞえ。良い加減に諦めて、殺生は廃めなされ。五生が大事だ、そんな六生な事をすると七生まで浮ばれぬからなア。今かうして婆アさまの噂をして居ると、冥土にござるお竹さまが今頃にや八九生と嚔でもして居るだらう。十生も無い爺だと恨んでござるであらうのに、思へば思へばお爺さま、私も身に詰されて、悲しうも何ともありませぬワイ。……アンアンアン』
と目に唾を付け泣いて見せる。
松鷹彦『年が寄つて目がウトイと思つて、そんな俄作りの同情の涙を零して見せても、声の色に現れて居る。お前さまアタむさくるしい。唾を日月にも譬ふべき両眼にこすりつけて、そんな虚礼虚式的な巧言は廃めて貰ひませうかい。本当に唾棄すべき心事と云ふのは常習乞食の遍歴行者の馬鹿夫婦……オツトドツコイ若夫婦連れ、モウモウわしも何だか胸が悪くなつて来た。サアサア早く此処を立つて貰ひませう』
宗彦『ハハア、俺が宗彦ぢやと思つて、胸が悪うなつたなぞと、爺さま随分腹が悪いな』
松鷹彦『腹が悪いから、ムカつくのだよ。この冬枯れの木のやうな寂しい爺イの所へ出て来て、お安くもないローマンスを見せ付けられて堪るものかい。お前も世界を遍歴して、苦労の味が分つて居るなら、気を利かして、トツトと帰つたらどうだ。しかしながらウラル教の言ひ草だないが、一寸先や暗の夜だ、諸行無常だ。随分足許に気を付けて行きなされ。左様なら……』
お勝『モシモシお爺さま、この宗彦はチツト智慧を落して来てますから、どうぞ気に障へて下さいますな。妾だつてこんな分らずやと旅行するのは、胸が悪いのだけれど、妾が尻を振れば宗さまが腹を立て、腰を据ゑて頑張り、手にも足にも合はないから、口惜しながら目を塞いで、鼻持ならぬ香のする男を連れて歩いて居るのだ。本当に好かぬたらしい野郎ですよ』
宗彦『コラコラお勝、貴様は何処までも夫を馬鹿にするのか』
お勝『ヘン、夫なんて、膃肭臍が聞いて呆れますワイ。お前さまは人の宅を、女房の有る身を以て、毎晩々々連子の窓を覗きに来て、水門壺へ落込み恥ぢをかき、結局にはお勝さまをくれねば、死ぬとか、走るとか、男らしうもない吠面かわいて、近所合壁に迷惑を掛けたぢやないか。それを先妻のお国さまが苦にして病気を起し、とうとう帰らぬ旅に赴かしやつた。墓の土のまだ乾かぬ前に、無理矢理に妾を是非共と言つて、ひつぱり込んだと云ふデレさんだから、妾もホトホトと愛想が尽きて来た。三文一文助けて貰うたのでもなし。嫁入に持つていつた着物も帯も、何も何も六一銀行へ無期徒刑に落してしまひ、本当に仕方のない男だよ。誰か目鼻のついた女が出て来て、お前を喰はへて帰んでくれるものがないかと、朝から晩まで聞えぬやうに暗祈黙祷を続けて居るのだが、根つから、金勝要大神さまもどうなさつたのか、添ひたい縁なら添はしてもやらう、切りたい縁なら切つてもやらうとおつしやる癖に、この頃は神さまも聾になられたと見えて、見向きもして下さらない。……アヽ残念な、口惜しい、……わしはお国の霊魂ぢや、アンアンアン』
宗彦『何だ、最前から俺の……善くもない事の棚卸ばつかりやりやがると思へば、お国と二人連だな。随分厭らしい奴を連れて歩いたものだワい』
お勝『半顕半幽だよ。幽顕一致、霊魂の奥にはおくにさまが納まつてござるのだ。お国は何処と尋ねて見れば、……アイわたしは阿波の徳島でござります、……と云ふやうなものです、オホヽヽヽ』
宗彦『爺さま、一つ……あなたも武志の宮の神主さまと云ふ事だから、一遍此奴を審神して下さらぬか。お国を放り出して、お勝の本当の肉体ばつかりにして下さいな』
松鷹彦『ソリヤお前さまいけませぬぞえ。結構な神様の御神懸りだ。国常立尊様の御分霊かも知れんぞや。イロイロに化けて化けてこの世を御守護なさる神様ぢやから……天勝国勝と云つて、お国様がお懸りなさつて御守護してござるのだ。さうしてお前は女房のお勝に甘いだらう。そこでアマカツ、国カツだ。……結構な国所を立ち退いて来たから、国所立ち退きの命様の御守護だよ。俺のやうな者がウツカリ審神でもしようものなら、それこそまた俺が憑りうつられて、年が寄つてから住み慣れし第二の故郷を後に国所立退きの命にならねばならぬから、マアこの審判は御免蒙らうかい』
 お勝俄に体を振り、神懸り状態になり、
お勝『金勝要大神であるぞよ。切りたい縁なら切つてもやらう。添ひたい縁なら添はしてはやらぬぞよ。宗彦は今迄沢山な女をチヨロまかした罪悪の報いによりて、唯今限りお勝との縁を切るぞよ。ウーンウンウン』
松鷹彦『アハヽヽヽ、お勝さま、ウマイウマイ、モウ一しきり神懸りをやつて下さい。此奴アどう考へても私憑だ。コレコレ宗彦さま、胸に手を当てて、今迄の事をよう考へて見るがよい。神様は決して無理な事はおつしやいませぬぞ』
宗彦『そうだつて、私の女房を、頼みもせぬのに、縁を切るとはあまりだ。切ると云つても、金輪際こつちから切りませぬワイ』
お勝『エー思ひ切りの悪い男だなア。それだからこの肉体が嫌ふのだ。男は断の一字が肝腎だ。どうだこれからこの肉体に先妻のお国に、お光、お福、お三、お四つ、お市、お高が同盟軍を作つて憑依して来るが、それでもその方はまだ未練があるか、どうだ厭らしい事はないか』
宗彦『何が厭らしいかい。どれもこれも因縁あつて仮令三日でも夫婦になつた仲ぢや、肉体の有る女房を数多連れて居ると、経済上困るが、物も喰はん嬶アなら、千人でも万人でも出て来い。アーア色男と云ふものは偉いものだ。幽冥界からまでもヤツパリ電波を送ると見える。何だか知らぬが、肩が重くなつたと思へば、これだけ沢山な女房に対し、責任を双肩に担つて居るのだから無理もないワイ。正式結婚の女房の霊も、準正式も、雑式も、野合も何もかもやつて来い。この頃は多数決の流行る時節だ。何程偉い者だつて少数党では目醒ましい仕事は出来やしないワ』
松鷹彦『オホヽヽヽ、宗彦さま、お前の背後を一寸御覧、針金の妄念のやうな、蟷螂腕を出して餓利法師が踊つて居るぢやないか』
宗彦『アヽそんな事言うて下さるな。見さへせねば良いのだ。目ほど不潔いものの、恐ろしいものはない』
 お勝は『ウーン、ドスン』を腰を下し、ケロリとした顔で、
お勝『宗サン、妾何か言ひましたかな。夢でも見とつたのか知らぬ。沢山な厭らしい亡者が、柳の木の麓で、「宗彦は生前に我々を機械扱ひにしよつたから、今晩は餓鬼も人数だ。力を協して、素首を引き抜いてやらう」と相談して居りましたよ。その時に妾にも同盟せいと言はれたのです。けれども、あまりお前さまが可哀相だから「さう皆さま慌るに及びませぬ。何れ彼奴も年が寄つたら此処へ来るのだから、その時に苛めてやりさへすれば良いだないか」と一時遁れにその場を切り抜けようとしたが、中々亡者の連中聞きませぬがな。今の間に宗サンの生命を取らねば、死ぬまで待つて居つたら我々はまたもや現界に生れ替り、幽冥界は不在になつてしまふ。そうだから讎を討つのは今の内だと言つて、それはそれはエライ勢でしたよ。用心しなさいや』
宗彦『そりや貴様、本当か、嘘ぢやないか』
お勝『嘘か本真か、今晩中に分りますわいな』
宗彦『そら分るだらうが……どちらだ。実際か、虚言か聞かしてくれ』
お勝『幽冥の秘、妄りに語る可らずと、どこともなしに神様の声が聞えました。マア今迄の年貢納めだと思つて、楽んで日の暮れるのを待ちなさい。あのマア青い顔、オホヽヽヽ』
宗彦『お爺さま、大変な事になつて来た。愚図々々して居ると、忽ち此処にやもめが一人出来ますワイ。何とかして助けて下さいなア』
松鷹彦『わしもこの村でやもをの連れが無うて、寂しうて困つて居つたのだから、お前さまも早くやもめが出来るやうに死なつしやい、それの方が結句気楽でよからうぞい』
宗彦『何が何だか、サツパリ分らぬやうになつて来たワイ。夢でも見とるのでは有るまいかなア』
と頻りに頬を抓つて見て居る。かかる所へ捻鉢巻をした二人の男、慌ただしく入り来り、
留公『松鷹彦の神主さま、お前は聞く所によれば、またしてもバラモン教の行者を引張込んで、しやうもないお説教を聴聞しとると云ふ事だ。さう猫の目のやうにクレクレと精神を変へて貰うと、村の者が迷つて仕方がない。一体どうする量見だ。お竹さまが死んでから、お前さまは益々変になつたぢやないか』
松鷹彦『チツトは変にならうかい』
留公『変にもならうかいも有つたものかい。改心して殺生を止め、神妙にお宮さまの御用を勤めたらどうだ。あんまりお前の行ひが悪いので、村の者が此間も庚申待に集つてお前をおつ放り出し、三五教の真浦さまを跡釜に据わつて貰はうと云ふ相談があつたぞ。こんな事ども村の連中に聞えようものなら、それこそ今日限り叩き払だ。そうなればお前さまも可哀相だからと思つて、気を注けに来たのだ。お春やお弓の奴、チヤンと知つて、俺に話しよつたから、俺は決して誰にも言ふぢやないと口止めをして来たのぢや。どうだ止めて下さるか』
松鷹彦『わしは武志の宮の神様にお仕へして居るのだ。決して村の人間のお給仕役ぢやない。神様から命じられたものを人間が寄つて集つて動かさうとした所で、そいつア駄目だ。そう云ふ事をすると村中に神罰が当つて、米も麦も穫れぬやうな饑饉が出て来るぞや』
田吾作『お爺さま、お前のおつしやるこたア一応尤もだが、ヤツパリ人間の皮を被つて居る以上は、人間の規則にもチツトは従はねばなるまい。そんな我の強い事を言はずに、チツトは省みたらどうだい』
松鷹彦『馬鹿にするない。人間の皮被つとるなんぞと……骨から腸まで、魂まで、皆人間だ。皮被つとる奴はお前達ぢや』
留公『爺さま、お前さまこそ魂が四つ足ぢやで。その証拠にや、川獺か何ぞのやうに、神様の方はそつち除けにして、魚捕ばつかりに憂身をやつし、盆過の幽霊のやうに、水ばつかり羨りさうに眺めて暮して居るぢやないか。一体神様にお仕へする者が、殺生をすると云ふ事が有るものかい』
松鷹彦『わしは神様に仕へて居るから魚を捕るのだ。御神前で海河山野の珍味物だとか、鰭の広物、鰭の狭物と称へながら、魚一匹、誰もお供へする者がないのだから、仕方なしにこの老人が魚を漁つてお供へするのだ』
留公『ヘン、うまい事言つてるワイ。大方自分の喉の神さまに供へるのだらう。神主は神主らしうやつて居ればいいのだ。猫は鼠を捕るのが商売、猟師は獣を獲り、漁夫は魚を漁ると、チヤンと天則が定まつて居るのだ』
松鷹彦『それだつて、わしが漁つても、漁師が漁つても、生命の無くなるのは同じ事だ、そんな開けぬ事を言ふものだないワイ。息子は嫁取る、娘は婿取ると云つて、お前達は若いから楽しみだが、俺のやうな老爺は、あんまり外分が悪くつて、嫁を取る訳にも行かず、仕方が無いから魚を漁るのだ。チツトは大目に見て、長老を敬ふのだぞ。長幼序ありと云ふ事を知つて居るか。今日は養老会と云つて、老人を大切にする会が、彼方にも此方にも開けて居るぢやないか。それにこの村の奴ア、年が老つたら姥捨山へでも捨てたら良いもののやうに思つて居るから、事が面倒になるのだ。老人は村の宝、生字引だ。俺がこの村に居ればこそ、古い事が分るのだないか。俺の体は俺一人のものぢやない。一方はお宮様の召使、一方はこの村の骨董品だ……否如意宝珠の玉だ。今こそ貴様達は不潔い爺いだと云つて、沢山さうに思うて居るが、俺が死んでみい、思ひ出す事が幾らでも出来る。……アーア松鷹彦様がモウちつと生きてござつたら、御尋ねするのに…こんな事なら生存中に…あれも聞いて置いたら良かつたに、これも教へて貰つて置けばよかつたのに………と後悔をして、泣いても、悔んでも後の祭りだ。せめては故人の徳を忘れぬためだと云つて、宮の境内か川の縁に記念碑を建てて何程拝んだつて、石になつてから物は言やしないぞ』
留公『お前のやうな爺さまに聞いたつて、何が分らうかい。しかし一つ聞いて置かねばならぬ事がある。其奴ア、どこの淵には魚が余計寄つとるか……と云ふ事だ。なア川獺の先生』
松鷹彦『エー大人嬲りの骨なぶりだ。グヅグヅ言うと、死んだら目が潰れて物が言へなくなり、身体がビクとも動かなくなつてしまふぞ』
 留公、肩を上げ下げし、鷹が羽を拡げたやうな調子で、体を揺り、舌を出し、
留公『ウフヽヽヽ』
と笑ふ。
松鷹彦『貴様のその状態は何だ。鳶のやうなスタイルをしやがつて……』
留公『オイ、お前がバラモン教の駆落巡礼だなア。何だ人気の悪い鯱面をしよつて……この川獺先生の所へ無心に来よつたのか。……コリヤこの村はバラモン教は禁物だ。布教禁制の場所だぞ。しかも気楽さうに女房を連れて何の事だい。そんな事で神聖な神様の御用が出来ると思うて居るのか。一時も早う、足許の明かるい間に帰つてしまへ。帰るのが厭なら、この川へドブンと飛び込め。さうすりや寧埒が明いて良いワ』
宗彦『ハイハイ、私は御存じの通りバラモン教のお経を唱へて、巡礼に廻つて居る者で吾子の冥福を祈るだけの者、人さんに宣伝なぞは決して致しませぬ。私の身体には大変な地異天変が勃発したので、何所の騒ぎじやございませぬワイ。女房が今となつて暇をくれの、何のと言ふものだから…』
留公『ハツハア、地異天変て、どんな事かと思へば、嬶アにお尻を向けられたのだなア、そりや気の毒だ。俺も覚えが有る。それなら両手を挙げて同情…否賛成だ。オイオイ奥さま、こんな結構な、青瓢箪然たるハズバンドを持ちながら、そんな綺麗な顔したナイスのお前が、こんな所までやつて来て、肱鉄砲を噛ますとはチツト人情に外れては居やせぬかい』
お勝『妾は訳を聞いて貰はねば分りませぬが、あまりの事で、モウ見切りを付けました。同じ事なら…あの…見たやうな何々に、何々したうございます』
と笠に顔を隠す。
留公『ハツハツハア、分つた。お前のホの字とレの字は、トの字とメの字の付く男に秋波を送つて居るのだな。生憎様ながらトーさまには、立派な烏のやうな色の黒いおからと云ふ奥さまがござんすわいな』
お勝『イエイエ妾は若い人や、土臭い蛙切りは虫がすきませぬ。同じ添ふのならこのお爺さまの女房になりたいのですよ。年は老つて居られても、どこともなしに崇高な御容貌、今年で三年が間、広い世界を股にかけて探して見ましたが、こんな立派な気品の高いお方に逢うた事は有りませぬ。まるで太公望のやうな御方ですワ。此処へ来るなり、宅のハズバンドが厭になつてしまつたのですよ、ホヽヽヽヽ』
留公『これはまたエライ物好も有つたものだナア、ヘーン』
と言つた限り、舌を斜かひに噛み出し、白眼を剥いて、両手のやり場が無いやうな調子で、下前方へ俯向けに手を垂らしシユーツと延ばし、呆れたふりをして見せる。
田吾作『わしは未だ独身だがなア。アーアどつかに合口があつたら、一つ買ひたいものだ』
留公『コリヤコリヤ短刀なんか買つてどうするのだい。過激派取締の喧しい時に、そんな物でも買ひに往かうものなら、それこそポリスに追跡され、終局には高等警察要視察人簿に登録されてしまふぞ』
田吾作『女房を貰つて、警察につけられるのなら、村中の奴ア、みんな高警要視察人ぢやないか』
留公『貴様も訳の分らぬ奴ぢやなア。……破れ鍋に綴蓋と云つて、それ相当の女房を持たねば、遂には破鏡の悲しみを味ははねばならぬぞ。こんな立派なナイスに対して秋波を送るのは、チツと提灯に釣鐘だ。しかしお爺さま、枯木に花が咲いたやうなものだ。流石はエライ。それなれば私も賛成だ。貰ひなさい。その代りに私がチヨイチヨイと水汲み位、手伝ひに来てあげるワ』
お勝『オホヽヽヽ』
 宗彦はクルクルと着物を脱ぎ棄て、褌まで除つて、川の早瀬へ惜し気も無く、笠も蓑も杖も一緒に投げ込んでしまつた。
宗彦『ヤアお爺さま、モウこれでバラモン教のレツテルを残らず剥がし、生れ赤児になつてしまつた。どうぞお前さまの弟子にして下さい。さうして女房は貰つてやつて下さいませ。今日からは女房をあなたの奥さまとして敬ひます。ナアお勝、遠慮は要らぬから宗々と呼びつけにするのだよ』
 お勝はまたもやクルクルと下帯まで脱ぎ棄て、同じく蓑も笠も、金剛杖も一括にしてザンブとばかり投げ込んだ。
宗彦『アヽやつぱり女房は女房だ。かうなるとチツとチツと、ミとレンが残つとるやうな気がする。しかしながらお爺さま、着物を私に恵んで下さい。何でもよろしいから……』
松鷹彦『さうだと云つて、わしも北国雷ぢやないが着たなりだ。山椒の木に飯粒で、着の実着のまま、どうする事も出来やしない。先祖譲りの洋服で、二人共しばらく辛抱するのだなア』
留公『ヤア宅の嬶アの着物を、俺が取つて来て、裸ナイスに進上しよう。田吾作、貴様はお前の一張羅を献上せい』
田吾作『貰うて下さるだらうかな。わしはチツと背が低いから、身に合ふだらうか』
留公『合うても合はいでも、無いより優しだ』
松鷹彦『ヤア留さま田吾作さま、世の中は相身互ひぢや。さうなくてはならぬ。これもヤツパリ三五教の感化力のお神徳だ……』

(大正一一・五・一三 旧四・一七 松村真澄録)



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