出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語18-99-11922/04如意宝珠巳 霊の礎(四)王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
詳細情報:
場面:

あらすじ
 天国は何段階かある。
 記憶や意志情動を持って天国へ行く。
 現界に再生する場合は、肉体が弱小となるので、容易に記憶を喚起することができない。
 死者が霊界の事情を我々に教えてくれないのは、死者が我々と交信できる時分には、何も教えるべきものを持たず、何か話すべきことを知りえた時分には、もはや我々と交信できない天国にのぼっているからである。
名称

死者 主神 真神 精霊 天人
宇宙 交霊論者 現界 再生 地の高天原 天国 天の高天原 輪廻転生 霊界 霊魂不滅
 
本文    文字数=5742

霊の礎(四)

一、真神または厳瑞なる主神に認められ愛せられ信ぜられまた主神を認め深く信じ厚く愛する所には必ず天国が開かれるものである。諸多の団体における善徳の不同よりして、主神を礼拝するその方法もまた同一でない、故に天国にも差等あり人の往生すべき天国に相違が出来るのである。しかしながら天国の円満なるは此の如く不同あるが故である。同一の花の咲く樹にも種々の枝振りもあり花にも満開のもの半開のもの莟のままのものがあつて、一つの花樹の本分を完全に尽して居るやうなものである。
一、天国は各種各様の分体より形成したる単元であつて、その分体は最も円満なる形式の中に排列せられて居る。凡て円満具足の相なるものは諸分体の調節より来るものといふことは吾人の諸々の感覚や外心を動かす所の一切の美なるもの楽しきもの心ゆくものの性質を見れば分明である。数多の相和し相協うた分体があつて或は同時に或は連続して節奏および調和を生ずるより起り来るもので決して単独の事物より発せないものである。故に種々の変化は快感を生ずるに到ることは吾人の日夜目撃実証する所である。そしてこの快感の性相を定むるは変化の性質如何にあるのである。天国における円満具足の実相は種々の変態に帰因することを明め得らるるのである。
一、天国の全体は一の巨人に譬ふべきものである。故に甲の天国団体はその頭部にまたは頭部の或る局所に在るやうなものである。乙天国の団体は胸部にまた胸部の或る局所にある。丙天国の団体は腰部または腰部の或る局所に在る如きものである。故に最上天国即ち第一天国は頭部より頸に至るまでを占め、中間即ち第二天国は胸部より腰及び膝の間を占め、最下即ち第三天国は脚部より脚底と臂より指頭の間を占めて居るやうなものである。
一、天国は決して上の方而已に在るもので無い。上方にも中間にも下方にも存在するものである。人間の肉体に上下の区別なく頭部より脚底に至るまでそれぞれ意志のままに活動する資質ある如きものである。故に天国の下面に住む精霊もあり、天人もある、また天国の上面に住むのも中間に住むのもある。天の高天原もあり地の高天原も在つて各自その善徳の相違に由つて住所を異にするのである。
一、宇宙間においては一物と雖も決して失はるる事も無く、また一物も静止して居るものでは無い。故に輪廻転生即ち再生と云ふことは有り得べきものである。しかるに生前の記憶や意志が滅亡した後に矢張個人と云ふものが再生して行くとすれば、約り自分が自分であると云ふ事を知らずに再生するものならば再生せないも同じことであると云ふ人がある。実に尤もな言ひ分である。凡て人間の意志や情動なるものは、何処までも朽ないものである以上は、霊魂不滅の上から見ても記憶や意志を有て天国へ行くものである。しかし現界へ再生する時は一旦その肉体が弱少となるを以て容易に記憶を喚起することは出来ないのである。また記憶して居ても何の益する所なき而已ならず、種々の人生上弊害が伴ふからである。これに反して天国へ往く時はその記憶も意念も益々明瞭に成つて来るものである。故に天国にては再生と云はず、復活と云ふのである。
一、科学的の交霊論者は人霊の憑依せし情況や死後の世界に就いて種々と論弁を試みて居るのは全然無用の業でもない。しかしながら彼等の徒は最初と最後のこの二つの謎の間に板挟みの姿で、その言ふ所を知らない有様である。彼等はホンの少時間、時間と云ふものを最早数へることの出来ぬ世界へホンの一足ばかり死者の跡をつけて行くだけであつて、闇黒の中でそのまま茫然としてその行衛を失つてしまつて居る。彼等に対して宇宙の秘密や真相を闡明せよと言つた所で、到底ダメである。
一、宇宙の秘密や真相は到底二言や三言で現代人の脳裡に入るものでは無い。また本当にこれを物語つた所で到底人間の頭脳に這入り切れるものでは無い。人間の分際としては如何なる聖人も賢哲も決して天国や霊界の秘密や真相を握る事は不可能だと信じて居る。何となればこの秘密や真相は宇宙それ自身の如く無限で絶対で不可測で窮極する所の無いものだからである。
一、死者が矢張り霊界に生て居るならば、彼等は何等かの方法を用ゐてなりと吾々に教へてくれさうなものだと云ふ人がある。しかしながら死者が吾々に話をすることが出来る時分には死者の方において何も吾々に報告すべき材料を持つて居ないし、また何か話すべきほどの事柄を知り得た時分には、死者は最早吾々と交通の出来ない天国へ上つて、永久に吾々人間と懸け離れてしまつて居るからである。
 大正十一年十二月
(昭和一〇・六・三 王仁校正)



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