出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語17-99-11922/04如意宝珠辰 霊の礎(三)王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
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あらすじ
 三神は三位一体して天之御中主神(大国常立尊)御一柱に帰着する。
 霊界物語によって人は心身ともに歓喜に咽び、永遠の生命を保ち、死後の歓楽境を築き得る。
 現実界も精霊界も、外面より見ればほとんど相似している。現実界の一切は精霊界の移写であるからだ。
 主神が何人の眼にも同一に見えないのは、主神の身に変異があるのではない。主神を見る側に、その徳の不同があって、自身の情動によってその標準を定めるからだ。
名称

天照皇大御神 天之御中主大神 荒魂 厳の御魂 大国常立尊 神皇産霊大神 奇魂 国常立神 幸魂 主神 真神 高皇産霊大神 直霊 塵身 撞の大御神 天帝 天人 豊国主尊 和魂 火の御祖神 水の御祖神 瑞の御魂 霊身
天の八衡 一霊四魂 宇宙 現界 現実界 言霊 精霊界 太陰 体系 太陽 高天原 地獄 天国 霊界 霊界物語 霊系
 
本文    文字数=5650

霊の礎(三)

一、高天原の天国に上るものは、地上にある時その身内に愛と信との天国を開設し置かなければ、死後において身外の天国を摂受することは不可能である。
一、人間として、その身内に天国を有し無かつたならば身外に在る天国は決してその人に流れ来るものでは無い。またこれを摂受することが出来ぬものである。要するに人は現実界にある間に、自ら心身内に天国を造りおく必要がある。しかして天国を自ら造りかつ開くのは、神を愛し神を信じ無限絶対と合一しておかねば成らぬ。人はどうしても、この無限絶対の一断片である以上は、何処までも無限絶対、無始無終の真神を信愛せなくては霊肉共に安静を保つことは出来ぬものである。
一、真神たる天之御中主の大神その霊徳の完備具足せるを天照皇大御神と称へ奉り、また撞の大御神と称へ奉る。しかして火の御祖神(霊)を高皇産霊大神と称へ厳の御魂と申し奉り、水の御祖神(体)を神皇産霊大神と称へ瑞の御魂と申し奉る。
一、霊系の主宰神は厳の御魂に坐します国常立神、体系の主宰神は瑞の御魂と坐します豊国主尊と申し奉る。
一、以上の三神はその御活動に由りて種々の名義あれども、三位一体にして天之御中主の大神(大国常立命)御一柱に帰着するのである。
一、故に独一真神と称へ奉り、一神即ち多神にして多神即ち一神である。これを短縮して主と曰ふ。また厳の御魂は霊界人の主である。また瑞の御魂は現界人の心身内を守り治むる主である。
一、現界人にして心身内に天国を建てておかねば死後身外の天国を摂受することは到底不可能である。死後天国の歓喜を摂受しかつ現実界の歓喜生活を送らむと思ふものは、瑞の御魂の守りを受けねばならぬ。要するに生命の清水を汲み取り飢渇ける心霊を霑しておかねば成らぬのである。瑞の御魂の手を通し、口を通して示されたる言霊が即ち生命の清水である。霊界物語によつて人は心身共に歓喜に咽び、永遠の生命を保ち、死後の歓楽境を築き得るものである。
一、天帝即ち主は水火の息を呼吸して無限にその生命を保ちまた宇宙万有の生命の源泉と成り玉ふ。
一、太陽また水火の息を呼吸して光温を万有に与ふ。されど太陽神の呼吸する大気は、太陰神の呼吸する大気ではない。また人間の呼吸する大気は、主及び日月の呼吸する大気では無い。故に万物の呼吸する大気もまた、それぞれに違つて居る。凡て神の呼吸する大気は現体の呼吸する大気では無い。現実界と精霊界と凡ての事象の相違あるは、これにても明かである。しかしながら現実界も精霊界も、外面より見れば殆んど相似して居るものである。何ンとなれば現実界の一切は精霊界の移写なるを以てである。
一、高天原の天国は主の神格に由りて所成せられて居る。故に全徳の人間の往く天国と、三徳二徳一徳の人間の往く天国とは各高下の区別がある。また主を見る人々に由つて主の神格に相違があるのである。
一、そして何人の眼にも同一に見えざるは主神の身に変異があるのでは無い。主を見る所の塵身または霊身に、その徳の不同があつて、自身の情動に由りてその標準を定むるからである。
一、天国には霊身の善徳の如何に由つて高下大小種々の団体が開かれて居る。主を愛し主を信じて徳全きものは、最高天国に上り最歓喜の境に遊び、主の御姿もまた至真至美至善に映ずるのである。茲においてか天国に種々の区別が現出し、主神の神格を見る眼に高下勝劣の区別が出来るのである。
一、また天国外に在る罪悪不信の徒に致つては主神を見れば苦悶に堪へず、かつ悪相に見え恐怖措く能はざるに致るのである。
一、主神が天国の各団体の中にその神姿を現はし給ふ時は、その御相は一個の天人に似させ玉ふ。されど主は他の諸多の天人とは天地の相違がある。主自らの御神格がその神身より全徳に由つて赫き玉ふからである。
一、一霊四魂即ち直霊、荒魂、和魂、奇魂、幸魂、以上の四魂には各自直霊と云ふ一霊がこれを主宰して居る。この四魂全く善と愛と信とに善動し活用するを全徳と曰ふ。全徳の霊身及び塵身は直に天国の最高位地に上り、また三魂の善の活用するを三徳と云ひ第二の天国に進み、また二魂の善の活用するを二徳と云ひ第三の天国へ進み、また一魂の善の活用するを一徳または一善と云ひ、最下級の天国へ到り得るものである。一徳一善の記すべき無きものは、草莽間に漂浪し、または天の八衢に彷徨するものである。
一、これに反して悪の強きもの、不信不愛不徳の徒は、その罪業の軽重に応じてそれぞれの地獄へ堕し、罪相当の苦悶を受くるのである。
大正十一年十二月



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