出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
物語15-99-1 | 1922/04 | 如意宝珠寅 跋文 | 王仁三郎 | 参照文献検索 |
キーワード: 物語 |
詳細情報: 場面:
あらすじ 神霊界の状態と現界との相異。 死について述べた歌。 名称
精霊 天人 帰神 現界 神霊界 中有界 鎮魂 天界 天国 霊界 |
本文 文字数=5141
跋文
神霊界の状態は 肉体人の住居せる
世界と万事相似たり 平野山岳丘陵や
岩石渓谷水に火に 草木の片葉に至るまで
外形上より見る時は 何等変りし処なし
されども是等の諸々は 起源を一切霊界に
採りたる故に天人や 精霊のみの眼に入りて
肉体人の見るを得ず 形体的の存在は
自然的起源を保有する 現界人のみこれを見る
顕幽区別は明かに 神の立てたる法則也
それ故現世の人々は 霊界事象を見るを得ず
精霊界に入りし時 神の許しを蒙りて
詳しく見聞するものぞ これに反して天人や
精霊界に入りし者は また現界や自然界
事物を見ること不能なり 鎮魂帰神の妙法に
よりて人間の体を藉り 憑依せし時漸くに
現界の一部を見聞し 人に対して物語り
なし遂げらるるものぞかし 如何となれば肉体人の目は
形体界の光明を 受くるに適し天人や
精霊の眼は天界の 光明を受くるに適すべく
造りなされしためぞかし しかも両者の眼目より
外面全く相似たり 霊界の性相この如く
造られたるを自然界の 人の会得し能はざるは
これまた止むを得ざるべし 外感上の人々は
その肉眼に見る所 手足の触覚視覚等に
取入れ得らるるその外は 容易に信じ得ざるなり
現界人はこの如き 事物に基づき思考する
故に全くその思想 物質的に偏よりて
霊的ならず霊界と 現実界とのその間に
如上の如き相似あれば 人は死したる後の身も
かつて生れし故郷や 離れ来たりし世の中に
尚も住居する者なりと 誰人とても思ふべし
この故人は死を呼びて これより彼世の霊界の
相似の国へ往くと謂ふ。
○
現実界を後にして 精霊界に移る時
その状態を死と称す 死し行くものは一切の
身魂に属せし悉を 霊界さして持ちて行く
物質的の形骸は 腐朽し去れば残すなり
死後の生涯に入れる時 現実界にありし如
同じ形の身体を 保ちて何等の相違なく
打見る所塵身と 霊身に何等の区別なし
されどその実身体は 既に霊的活動し
物質的の事物より 分離し純化し清らけく
霊的事物の相接し 相見る状態は現界の
相触れ相見る如くなり 精霊界に入りし後も
凡ての人は現界に 保ちし時の肉体に
あるものの如思ひ詰め 我身のかつて死去したる
その消息を忘るなり 精霊界に入りし後も
人は依然と現界に ありて感受せる肉的や
外的感覚保有して 見ること聞くこと言ふことも
嗅ぐこと味はひ触るること 残らず現世の如くなり
精霊界に身をおくも 名位寿富の願ひあり
思索し省み感動し 愛し意識し学術を
好みしものは読書もし 著述を励む身魂あり
換言すれば死と言ふは これより彼に移るのみ
その身に保てる一切の 事物を到る先々へ
持ち行き活躍すれば也 故に死すると言ふことは
物質的の形体の 死滅をいふに過ぎずして
自己本来の生命を 決して失ふものならず
再び神の意志に由り 現世に生れ来る時は
以前の記憶の一切は 忘却さるるものなれど
こは刑罰の一種にて 如何ともする術はなし
一度霊界へ復活し またもや娑婆に生るるは
神霊界より見る時は 凡て不幸の身魂なり
人は現世に在る間に 五倫五常の道を踏み
神を敬ひ世を救ひ 神の御子たる天職を
竭しおかねば死して後 中有界に踏み迷ひ
或は根底の地獄道 種々雑多の苦しみを
受くるものぞと覚悟して 真の神を信仰し
善を行ひ美を尽し 人の人たる本分を
力限りに努めつつ 永遠無窮の天国へ
楽しく上り進み行く 用意を怠ること勿れ
顕幽一致生死不二 軽生重死も道ならず
重生軽死また悪し 刹那々々に身魂を
研き清めて神界と 現実界の万物の
大経綸の神業に 尽せよ尽せよ惟神
神のまにまに述べておく
大正十一年十一月十七日
オニドでるび付原文を読む オニド霊界物語Web