出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語11-3-161922/03霊主体従戌 大気津姫の段(二)王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
詳細情報:
場面:

あらすじ
 衣食住の欠乏がすべての社会問題の根本的な原因である。

 肉食ばかりをしている人間は性質が残酷になり、利己的になるものである。
名称

大気津比売神 大気津比姫神 皇祖 西郷南州翁 素盞鳴尊 速須佐之男命 孟子
米騒動 神諭 体主霊従
 
本文    文字数=8656

第一六章 大気津姫の段(二)〔四八三〕

 『時に速須佐之男命、その態を立伺ひて、穢汚もの奉るとおもほして、乃ちその大気津比売神を殺したまひき』
 鼻、口、尻なる衣食住の非理非道的に進歩発達したるために、生存競争の悪風、天下に吹き荒み、その結果は、遂に近来に徴すれば、欧洲大戦争の如き惨状を招来し万民皆塗炭に苦しむの現状は、所謂『穢汚もの奉進る』の実例である。試みに考へて見よ。天地も崩るるばかりの大騒動、大戦乱の砲声殷々たる惨状が漸く鎮静したかと思へば、忽ち世界を挙げて囂々たる社会改造の声と化し、一瀉万里、何の国境もなく、雷電の轟き閃くが如く、今や我皇国にも轟き渡つて来たのである。最近起りつつある生活問題も、労働問題も、思想問題も、要するに生活難の響きに起因するのである。ただ単なる世界の思潮に刺戟せられた一時的の現象であるかと云ふに、決してさうでない。如何に世界的思想であらうが、如何に好事者の巧妙なる煽動、乃至教唆であらうが、国民の要求において痛切に感ずる所が無ければ、決して共鳴するものではないのである。故にこれを一時的の現象位に思つて、冷然として袖手傍観し、為政者や学者たるものが、何等の反省もせず且またその起るべき根本の原因を究めずして、狼狽の余り、急速にこれを防止しようとして徒に圧迫を加へたりすると、ますます紛糾して、終には救ふべからざる一大禍乱を激発せないとも限らない。これ実に指導の任に当れる政治家、宗教家、教育家、および有志家の考慮し、奮起し、以てその大原因たる大気津姫から根絶改良せねばならぬのである。大気津姫を殺さむとする、現代のいはゆる改造の叫びは、何が大原因となつて、天下の人民の多数者が、かくの如く猛烈に共鳴心随するかと謂へば、一つに鼻、口および尻なる衣食住の生活問題に帰するのである。人間の苦しみの最大なりとするものは貧窮である。即ち衣食住の三類の大欠乏である。日々の新聞を見ると、貧苦のために身を淵川に投げたり、首を吊つたり、鉄道往生や毒薬自殺をしたり、発狂したり等の悲惨事は日に月に増加して居るのである。これを見ても、貧苦と云ふものは、死するよりも辛い苦しいといふことが明かである。死ぬよりつらい処の貧苦を免れんがために、ここに激烈なる生存競争が起つて来る。その結果は優勝劣敗弱肉強食と云ふ、人生における惨澹たる餓鬼道の巷となつて来たのである。体主霊従、利己主義の結果は、徳義もなければ、信仰も無く、節操も無く、勝者たる大気津姫神は常に意気傲然として、入つては大廈高楼に起伏し、出ては即ち酒池肉林、千金を春宵に散じて、遊惰、安逸、放縦をこれ事として、天下に憚らない。一方には劣者たる貧者は、営々として喘ぎ、尚ほかつ粗雑なる食に甘んじ、以て漸くその飢ゑたる口腹を満たすに足らず、疲憊困倒して九尺二間の陋屋に廃残の体躯を横へ、空しく愛妻愛児の饑餓に泣くを聞いて居る。その心情は富者勝者の到底夢裡にだも窺知すべからざるの惨状である。古諺に曰く、『小人窮して乱をなす』と、終に或は非常識となり、軌道を逸し、身投げ、首吊り、または監獄行きを希望するに至るのである。またこれが群衆的の行動となる時は、大正七年の米騒動や、進むでは焼打暴動ともなり、同盟罷工や、怠業的行動ともなり、日比谷運動や、革新的気分ともなるのである。故に恐るべきは、この結果を醸成する所の生活問題である。これを閑却して、思想の悪化や労資の衝突を防止せむとして、如何に政治家や、教育家や、宗教家が力説怒号して見た所で生命の無い政治家や、宗教家、教育家の力では、容易にその効果の現はるるものではない。故に大本は、神示によりて明治二十五年以来、これが救済の神法を、天下に向つて指導しつつあるのである。古来名君と仰がれ、賢相と謳はれた人々は国民生活の安定を以て、先決問題としたのである。しかして一方においては、宗教と教育の権威を発揮して以てその無限の欲を塞ぎ、その奢侈を矯め、公共心の涵養に務め、貧富の平均を保つて来たのである。既に生活の安定さへ得れば、民のこれに従ふや易しで、喜びて善に向ふものである。要するに、現代の生活問題を、根本的に改善せむとするには、どうしても、大気津姫の改心に待たなければならぬのであります。
 『種々』と云ふ事は、臭々の意味であつて、現代の如く、一も二も無く、上下一般に四足動物を屠殺しては舌鼓を打ち、肉食の汚穢を忌み、正食のみを摂つて、心身の清浄を保つてゐる我々大本人を野蛮人民と嘲笑するに立到つたのは、心身上に及ぼす影響の実に恐るべきものがあるのである。肉食のみを滋養物として、神国固有の穀菜を度外する人間の性情は、日に月に惨酷性を帯び来り、終には生物一般に対する愛情を失ひ、利己主義となり、かつ獣欲益々旺盛となり、不倫不道徳の人非人となつてしまふのである。虎や狼や、獅子なぞの獰猛なるは常に動物を常食とするからである。牛馬や象の如くに、体躯は巨大なりと雖も、極めて温順なるは、生物を食はず、草食または穀食の影響である。故に肉食する人間の心情は、無慈悲にして、世人は死なうが、倒れやうが、凍て居らうが、そんな事には毫末も介意せない。只々自分のみの都合をはかり、食色の欲の外天理も、人道も、忠孝の大義も弁知せないやうに成つてしまふのである。こう云ふ人間が、日に月に殖ゑれば殖ゑるほど、世界は一方に、不平不満を抱くものが出来て、終には種々の喧しき問題が一度に湧いて来るのである。為政者たるものは、よろしく下情に通ずるを以て、急務とし、百般の施設は、これを骨子として具体化して進まねばならぬのである。素盞嗚尊は止むを得ずして、天下のために大気津姫命を殺し玉ひ、食制の改良を以て第一義となし玉うたのである。西郷南洲翁は、政とは、情の一字に帰すると断じまた孟子は、人に忍びざる心あれば茲に人の忍びざる政ありと云つて居る。しかるに為政者は、果してこの心を以て、これに立脚して社会改良を企画しつつあるであらう乎。政治家なるものを見れば、徹頭徹尾、党閥本位であり、権力の闘争であり、利権の争奪である。かくの如き勢利のみに没頭せる人間によつて組織され、運用される政治なるものは、因より国利民福と没交渉なるべきは、寧ろ当然であらうと思ふ。かくの如き世界の政治に支配されつつある国民が、不安の終極は、改造の叫びと成つて来るのはこれも当然かも知れぬ。しかしながらかくの如き肉食尊重、利己主義一遍の政治家を推選したる国民は全く自業自得にして、神界の戒めである。自ら火を採つてその手を焼いたやうなものである。アヽ一日も早く皇祖の御遺訓と御事跡に鑑み、上下挙つて日本固有の美風良俗に還らねば、到底現代の不安、暗黒の社会を改良し、以て神国の一大使命を遂行する事は出来ないのである。先づ何よりも、大本神諭に示させ玉へるが如く、第一に肉食を廃し身魂を清めて、神に接するの道を開くを以て、社会改良の第一義とせねばならぬのであります。

(大正九・一・一六 講演筆録 松村仙造)



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