出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語11-0-11922/03霊主体従戌 言霊反王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
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場面:

あらすじ
 第七巻の総説について
 見真実と未見真実についての読者の疑問に答える。
名称


 
本文    文字数=6136

言霊反

     王仁

 霊界物語第七巻の総説において、
『教祖は明治二十五年より大正五年まで、前後二十五年間未顕真実の境遇にありて神務に奉仕し、神政成就の基本的神業の先駆を勤められたのである。女子の入道は明治三十一年であるが、未顕真実の神業は同三十三年まで全二ケ年間で、その後は顕真実の神業である。霊的に云ふならば、教祖よりも十八年魁けて顕真実の境域に進んで居たのは、お筆先の直筆を熟読さるれば判りませう』
と誌したのを見て、大変に不平を並べられ、かつ変性女子は教祖よりも自己の方が先輩だ、観察力がエライ、顕真実の境に早く達して居ると謂つて、教祖の教を根底より覆へし、自己本位をたて貫かうとする野心の発露だと、随分矢釜敷議論があるさうですが、顕幽一体、経緯不二の真相が判らないと、そんな約らぬ事を云はねばならなくなるのです。克く考へて御覧なさい。教祖様は経糸の御役、女子は緯糸の御用と示されてあります。経言は一々万々確固不易の神示であり、緯糸は操縦与奪、其権有我の神業に奉仕せなくてはなりませぬ。教祖が経糸の御用でありながら、時機の至らざるため止むを得ず、やはり操縦与奪其権有我的の神業に奉仕されなくてはならない地位に立ち、是非なく未顕真実的筆先を表はして役員信者を戒められた意味であつて、教祖御自身において神意を悟り玉はなかつたといふのではない。第七巻の総説を熟読されよ。
『十八年間未顕真実の境遇にあつて神業に奉仕し』
とある文句を、境遇の二字に克く眼を着けて考へれば判然するでせう。
 また女子は三十三年から顕真実の神業に奉仕し、霊的に云ふならば、十八年魁けて顕真実の境域に進んで居ると云ふ事を誤解し、大変に気にして居る方々が所々にあるやうですが、これも男子女子経糸緯糸の相互的関係が明かになつて居ないからの誤解である。変性女子としては教祖の経糸に従つて、神界経綸の神機を織上ねばならぬ御用である。しかしながら明治三十一年初めて帰神となり、一々万々確固不易的の神業に参加しつつ、同三十三年に至るまで我神定の本務に非ざる経糸的神務に奉仕して、女子の真実なる神業を顕はし得ざる境遇にありし事を、二年間未顕真実の神業であつたと謂つたのであります。
 いよいよ明治三十三年一月より出口家の養子となり、教祖の経糸に対し私は緯糸の神業に奉仕したと謂ふのである。しかるに神界の事は極めて複雑にして、男子女子相並びたりとて、教祖として直に経糸のみの御用を遊ばす訳には行かない。経緯両面に渉りて筆先の御用を遊ばしたのは、時の勢止むを得なかつたのであります。女子は元より緯糸の御用のみなれば、緯役としての顕真実の御用は自然に勤まつたのである。
 しかるに大正五年九月に至つて、教祖も従前の経緯両面の神業を奉仕遊ばす必要無きまでに神業発展せられたるを以て、いよいよ男子緯糸の役としての真実を顕はし玉ふ事を得られたのであります。それよりは経糸は経糸、緯糸は緯糸と判然区劃が付くやうになつて来たのであります。これでも未だ疑念の晴れない方々は、第七巻の総説を幾回も反読して下さい。
 また神諭の文中に、
『緯はサトクが落ちたり、糸が断れたり色々と致すぞよ』
と示されあるを誤解して居る人が多いらしい。サトクが落ちると云ふのは決して失敗の意味でない。千変万化に身魂を使用して神業に奉仕せなくては成らぬから、俗人の耳目には毫も見当のとれ難い、神的大活動、大苦心の意を示されたものである。また途中に糸が断れたりと云ふ意味は、到底三千世界一貫の大神業なれば単調的には行くものでない。また錦の機は幾度も色糸を取替へねば立派な模様は織上らぬものである。色糸を取替へるのは即ち糸が断れるのである。サトクも一本や二本や三本では錦の機は織れぬ。甲のサトクを落して乙のサトクを拾ひ上げ、また乙のサトクを落して丙のサトク、丙を落して丁戊己と交るがはるサトクと糸を取替へると云ふ深き神意の表示である。
 要するに変性男子は経の御役なれども、あまり世界が曇つて居たために、大正五年までは男子としての顕真実の神業に奉仕し玉ふ時機が来なかつたと云ふことである。女子は女子として明治三十三年より奉仕する事を得る地位におかれて、それ相応の神業に従事して居たと云ふだけである。
 しかしながら、大正五年九月以後の教祖の単純なる経糸の御用に連れて、女子もまた緯糸として層一層女子の神業が判然として来たのは、いはゆる経緯不二の神理である。未顕真実顕真実云々の問題もこれで大略判るでありませう。
   ○
 霊界物語も素より大本とか神道とか謂つたやうな、小天地に齷齪して居るのではない。真理の太陽を心天高く輝かせ、宇宙の外に立つて、少しも偏せず、神示のままを口述するのである以上は、殿堂や経文などを脱し、自由自在の境地に立つて如何なる法難をも甘受し、少数信徒の反感をも意に介せず、自己自身の体験と神示に由つて忌憚なく述べたままである。



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