出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語09-4-241922/02霊主体従申 玉川の滝王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
詳細情報:
場面:
玉川の滝
あらすじ
 志芸山津見司は岩窟で修行する。岩窟の主は、八岐大蛇と自称していたが、本当は木の花姫命の分霊の大蛇彦命であった。
 志芸山津見司はその後、カルの国を宣伝して、黄泉比良坂の戦いで勇名をとどろかせた。
名称
大蛇彦命 熊公 虎公
悪魔 珍山彦 木の花姫命 志芸山津見司! 八岐大蛇
カルの国 審神 神軍 体主霊従 玉川の滝 三笠丸 黄泉比良坂
 
本文    文字数=4318

第二四章 玉川の滝〔四一七〕

 巌窟の唸りは刻々と烈しくなり、数多の人々はまたもやピツタリと大地に頭を着け畏縮して居る。二人は互に顔見合せ、腕を組んで思案顔。
虎公『オイ、熊公ツ、この巌窟の神は善とも悪とも解らぬぢやないか、此奴ア一寸審神がむつかしいぞ。体主霊従の教を勧めるかと思へば、吾々に意見をするやうな事を言ふなり、どうも合点がゆかぬぢやないか』
『そりやさうだよ。神様がお前に修業をさせなさるのだ。珍山彦の神さまが玉川の滝の前で修業をして来いとおつしやつただらう。余程気をつけぬと、悪魔だと思つてゐると、どえらい目に遇ふかも知れぬぞ。さうだと云つて、悪魔でないと思つて油断する事も出来ぬ。ともかく腹帯を締める事だ』
『さうかなア、ひとつ、八岐大蛇の神とやらに一遍詳しう温和しう出て聞いて見ようか』
と志芸山津見は巌窟に向ひ、拍手再拝敬意を表し、
『モシモシ、巌窟の神様、どうぞ私に利益になる事を教へて下さいませぬか』
 巌窟の中の音響はピタリ止んで、またもや声が聞え出し、
『ナヽヽヽなるほどと気が付いたならば、何なりと教へてやらう。なかなかその方は改心したと申せども、まだまだ埃がとれては居らぬ。そのやうな鈍くら刀で、世界の悪魔が言向けられやうか。生知者の生兵法は大怪我の基。難儀苦労が足らぬ故、その心で宣伝をいたしたら、泣き面かわいて、情ない恥をさらさねばならぬぞよ。まだ理屈を列べよつて、何にも知らぬ夏の虫が、冬の雪を嘲ふやうに神を舐めてかかるふとどき者。ニヽヽヽ二進も三進もならぬやうにこの方に取つ締められて、遁げ腰になつたその醜態、苦い言葉が苦しいか。偽宣伝使のその方の慢心、日夜に心を改めて、この方の申す通りに致して世界を救ひ、烏羽玉の黒い心を月日の光に照し見て、吾身を省み、恥ぢ畏れ、悔い改め、世界の人民を懇に取扱ひ、咽から血を吐くやうな修業を致して、腹の塵芥を皆吐き出し、気を張詰て油断をするな。高慢ぶらず、驕らず、身を低うして謙譲れ。どんな辛いことがあつても、不服を云ふな、不足に思ふな、拙劣な長談義をするな、誉められたさに法螺を吹くな。小賢しい理屈を列べな。誠一つの正道を踏み締めて身を慎み、猥りに騒がず焦らず、無理をせず、無闇に人を審かず、侮らず、目上目下の区別なく、諸々の人々に向つてよく交はれ、八岐大蛇とこの方の申したのは偽りだ。まことは木の花姫の御心を以て、汝を済度せむために、この巌窟に待ち受けゐたる大蛇彦命ぢや。三笠丸の船中のことを覚えて居るか。イヤ何時までも不憫さうだから、これは、これ位にして止めて置かう。悠然とした心を以て数多の人に向へよ。依怙贔屓を致すでないぞ。よく人の正邪賢愚を推知して、その人の身魂相応の教をいたせ。楽な道へ行かうとするな。理窟は一切言ふな、吾身の心に照らし見て、人の難儀を思ひやれよ。威張り散らして、鼻を高くして、谷底へ落されな。ウカウカ致すな。よい気になるな。何事にも心を落付けて、神の神徳を現はせよ。我を去れよ、義理を知れよ、愚図々々いたすな。元気を出して、撓まず屈せず教の神徳を現はせ。まだまだ教へたき事あれど、今日はこれ位にして置かう。ウーオー』
と、またもや巌窟は虎狼の唸るが如く大音響を発して鎮まりかへり、志芸山津見の神はこれよりますます心を改め、カルの国一円を宣伝して、熊公と共に功を現はし、黄泉比良坂の神軍に参加し勇名を轟かしたり。

(大正一一・二・一五 旧一・一九 河津雄録)



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