出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語08-6-401922/02霊主体従未 言霊解二王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
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あらすじ
 殺されたカグツチから神が生まれる。伊邪那岐命黄泉の国へ行く。伊邪那美命には八種の雷神成り居りき。
名称

悪魔 伊邪那岐命 伊邪那美神 奥山津見神 オド山津見神 大雷 大国魂 迦具土神 闇山津見神 黒雷 拆雷 志芸山津見神 土雷 戸山津見神 鳴雷 羽山津見神 原山津見神 伏雷 火雷 正鹿山津見神 八の雷神 黄泉神 霊魂 若雷
階級 言霊 精神文明 体主霊従 地球 排日思想 黄泉国 霊主体従
 
本文    文字数=12016

第四〇章 言霊解二〔三九〇〕

『殺さえましし迦具土神の御頭に、成りませる神の御名は、正鹿山津見神、次に御胸に成りませる神の御名は淤縢山津見神、次に御腹に成りませる神の御名は奥山津見神、次に御陰に成りませる神の御名は、闇山津見神、次に左の御手に成りませる神の御名は志芸山津見神、次に右の御手に成りませる神の御名は、羽山津見神、次に左の御足に成りませる神の御名は、原山津見神、右の御足に成りませる神の御名は戸山津見神』
 殺された火の神の頭に成りませる神はよい神ではない。即ち正鹿山津見神は強く尊い位置にある悪い神といふ意味であります。ヤといふ事は、言霊上、ア行は天の声、ヤ行は人の声、ワ行は地の声、即ちヤは人の声、世界一般人種の衆口愚論でマツミは魔積みでありますから、ヤマツミといふことは言論界に悪魔が住むといふ意味で、これが正鹿山津見神の起ることになります。頭に成りませるとは、即ち上の方はいらぬと云うて、今日のデモクラシーの如く、人類は平等に天の恵を享くるといふ説で、階級撤廃なぞといふ思想が起るといふ事であります。
 次に『御胸に成りませる神の御名、淤縢山津見神』の胸といふのは、人間の身体にたとふれば、心臓や肺臓や乳の辺で、政治家でいへば、大臣とか、親任官とか、勅任官などが胸であります。即ち是等の人々の思想が書いてあるのであります。下から種々な思想上の戦争が起つて、それに胸を痛めて、おどおどして居るから軍隊や、警察の力で圧迫脅威するといふ意味になります。
 次に『御腹に成りませる神の名、奥山津見神』といふのは、国民の中堅即ち中流社会といふことで、人体にたとふれば臍に当るのであります。
 オは心、クは組むとか、苦しむとかいふ事で、中流階級は中央に立つて、どうしたらよからうかと云うて、苦んで居るのであります。即ち保守主義でも行かず、新しい主義でも行かず、その中を採つて、うまくやりたいといふ言霊上の意味になるのであります。
 次に『御陰に成りませる神の名、闇山津見神』といふのは、ほとは農業に従事する民で、人体にたとふれば陰部に当りまして、子を産み出す所であります。即ち農家といふことになります。この百姓は現在如何なる思想があつて、その意味が何であるかわからず、指導者によつてどうでもなることを意味して居るのであります。全く時の勢によつて何方にもつく無定見な思想が闇山津見神といふことになります。
 次に『左の御手に成りませる神の名、志芸山津見神』の、この左の手といふことは上の方の手といふことで、即ち政治家で、右の手は実業のことになります。総て政治家は神の左手の役、実業家は右の手の役で、右の手で仕事をして、左の手で治めることになるのであります。志芸山津見神のシは水で、ギは神と国と重なりたる意味であります。さうすると政治家は精神文明に気がつかずに、精神教育よりも、物質の方に重きを置くといふ意味になります。今日は到る所に排日思想が起つて居りますが、この思想の問題は思想で抑へつけなければならぬのに、貿易の上にも圧迫を受け、軍備も彼方はよく整へて居るとなりますと、この方にも日本なれば八々艦隊を造つたり、陸軍を増たりして、国を護らうとして居る考への盛んな時のことを志芸山津見神といふのであります。
 次に『右の御手に成りませる神の御名、羽山津見神』といふのは、下々の百姓や労働者、実業家を指したものであります。即ち戦争が起れば人気が悪くなるかも知れぬが米が高くなつたり、物価が騰つたりするから、米を貯へて置いて儲けてやらうとか、また沢山品物を仕入れて置いて一儲けしようとか、どうしたら金が儲かるかと云ふことばかりを考へて居る。実に下の人民の真心が、乱れた利己主義といふことになります。
 ハは開くといふことでありますがハヤマツミと続きますと、何か変動が起れば儲けたいと云つて考へこむ意味で、即ち大火事があれば材木が騰るから、今の中にこれを仕入れてやらうとか、饑饉が来て百穀実らず、不作であつたら今の間に米を沢山買込んでおいて一儲けしようとか、実に不都合な利己主義にかぶれて、何事か変動を待つて居る魂を、羽山津見神といふのであります。
 次に『左の御足に成りませる神の名、原山津見神、右の御足に成りませる神の名、戸山津見神』といふのは、この足は海外へ発展する考へを持つ人の事で、海外へ行くなら外国の思想を研究して来てやらう、外国は真の文明国だ、わが国は未開国だ。向方の国と親善をして談笑の裡に、国際間の紛擾を都合よく解決をつけたいといふ、即ち西洋文明に憧憬て居る、総ての学者の説が、左の足の原山津見神であります。
 トヤといふのは外に開くといふことで、この戸山津見神は、移民とか、出稼とかいふ事で、外国に移民を送るとか、外国は外国で移民排斥とか、種々の大問題が勃発する事で、丁度今日の世の中によく似て居るのであります。この移民といふことは、神代ではどういふ事を示されたものか判りませぬが、こういふ風に言霊的予言が示されて居るのであります。即ち吾が同胞が遠国の空で、排日のために悔し残念を耐へて、言ふに言はれぬ苦労をして居るのに国民が冷淡であるとか、政府は何をして居るかというて、反対やら、不平やらを持出す、その状態を戸山津見神といふのであります。
『是にその妹伊弉冊命を相見まく欲して、黄泉国に追往でましき。爾ち殿騰戸より出向へます時に、伊弉諾命語詔ひたまはく、愛くしき我那邇妹命、吾汝と作れりし国未だ作り竟へずあれば、還りまさねとのりたまひき、爾に伊弉冊命の答曰したまはく、悔しきかも、速く来まさずて吾は黄泉戸喫しつ。しかれども愛くしき、我那勢命入来ませる事恐ければ還りなむを。且く黄泉神と相論はむ。我をな視たまひそ。如此白してその殿内に還り入りませる間甚久しくて待ちかねたまひき。故、左の御美髪に刺させる湯津津間櫛の男柱一箇取闕きて、一火燭して入見ます時に、蛆集り蘯きて、御頭には大雷居り、御胸には火雷居り、御腹には黒雷居り、御陰には拆雷居り、左の御手には若雷居り、右の御手には土雷居り、左の御足には鳴雷居り、右の御足には伏雷居り併せて八の雷神成り居りき』
 この御言葉は地球上の霊魂なる大国魂の守護が悪いから、こうなつたのであり、火の文明即ち物質文明の惨毒のためにかくの如く世界が殆ど滅亡に瀕したのであります。
 伊弉諾命は霊で、伊弉冊命は体であります。この世の中は霊ばかりでもいけない、即ち霊肉一致でなければならぬのであります。我日本は霊主体従の教を以て、世界の国魂を生かし、世界万民を安育させて行かねばならぬ国であります。世界を道義的に精神文明の徳沢を以て、全地球一切を愛撫すると曰ふ至仁至愛の大御心から、日の大神が地球を完成し玉ふために、伊弉冊命に会見を申込み、遥々と御降りになつた事であります。
『その妹伊弉冊命を相見まく欲して黄泉国に追往でましき』といふ、この黄泉国は死後のことをいうたのでなくして、今日の全世界の状態が黄泉国であります。そこで天から、本当の神様が下つて来て岩戸の騰戸をば少し開いて見られたのであります。さうすると世界各国、戸が閉つてゐる。この戸といふことは閥の事でありまして、門閥だとか、政党閥だとか、資本閥だとか、学閥だとか、宗教閥などいふものが戸であります。
 その戸を開けて、伊弉諾命が曰れますには、『我が愛くしき』と云ふ事は、要するに地球の国魂も世界一般の人民も、森羅万象一切のものを皆愛し玉ひての御言葉であります。すなはち霊系と体系と相俟つて、美はしい世界を作らむとしたが、火の神いはゆる火力文明のために、世界は黄泉国と化つたのである。それで今一度元に還れと曰はれたのであります。この太元に還れといふことは、神の教に従つて神が改心し、国魂が改心し、人民が改心して、上下一致し以て完全なる国を作らむとの意味であります。即ち地球上の悪の守護神に、改心してくれといふことになります。
 そこで伊弉冊命は答て曰るるには、『悔しきかも速く来まさずして、吾は黄泉戸喫しつ』とあります。これは残念なことを致しました。吾は黄泉戸喫した。モウ少し早く御注意下さらば、茲まで地球上の一切は腐敗せなかつたで在らうに、今日となつては実に曇り切り、濁り切り、腐り切りた世の中で手のつけやうもない。往きも戻りも、上げも下しも、二進も三進も行かぬ状態であるといふ意味であります。
 即ち神も、吾も、人も、共に皆汚されて居ることでありますから、天から誠の神が御出下さいまして、地球が破滅せむとするのを直してやらう、完全なる天国を建設してやらう、と曰れますのは、誠に恐れ多い、尊い、忝ない神の御言葉でありますから、私は国魂即ち世界一般の神人が改心すれば、と曰ふ事を『還りなむ』と申すのである。しかし一寸黄泉神と相談して見ますから、それまで御待ちを願ひますと答へられたのであります。この黄泉神といふのは、現代の暗黒世界を支配して居る各体主霊従国の主権者や大統領といふことでありまして、相論うといふことは、一応この事を相談して見ませう、多勢に理を説いて聞かせて、その意見を聴いて見ませうといふ事であります。
 次に『甚久しく待ちかねたまひき』といふのは、この議論が一寸や、そつとの間に纏まらずに、やれ物質主義がよいとか、金銀為本がよいとか、天産自給だとか、いろいろの議論があつて、二年や三年で尽き果てぬのであります。神様は今ぢや早ぢやというて早く改心せよと、明治二十五年から言ひ続けに言はれて御急ぎになつて居るが、黄泉神の議論は中々纏まらぬといふやうな意味であります。

(大正九・一一・一 於五六七殿講演 外山豊二録)

(大正一一・二・一〇 旧一・一四 谷村真友再録)



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