出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語08-0-21922/02霊主体従未 凡例王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
詳細情報:
場面:

あらすじ
 本巻以後は50章ではない。
 本巻は高砂島(南アメリカ)の宣伝隊の活動を記述した。
 蚊々虎は木花姫命の化身。
名称


 
本文    文字数=2544

凡例

一、第七巻までは各巻五十章宛として編輯したものでありましたが、本巻以後は別にその制限を設けず随意編輯することにしました。なほ参考資料として瑞月大先生がかつて五六七殿において講演されました古事記の言霊解を添附して置きました。
二、本巻は南亜米利加(高砂島)における宣伝隊の活動状況を口述されたものでありまして、蚊々虎(後に珍山彦)といふ木花姫命の化身が面白可笑しく、誠の道を説き諭す実況が巧みに描き出されてあります。
三、要するに栗原古城氏が「青い鳥のをしへ」の序文に、
『神のやうな霊智と、慈愛との極致に達した真の哲人が、吾々俗衆に向つて説法する時には、直接吾々に「かくせよ」「かくするな」と命令することはありませぬ。彼のなすところは、月の照るが如く、花の笑ふが如く、ともすれば雷霆の轟くが如く、狂颶の叫ぶが如くであります。彼の言ふところは、取留も無き一場の夢物語の如く、或は少年の喜ぶお伽噺の如く、それを受ける人の心によつては、全く何の意味も成さぬ架空談としか見えませぬが、敬虔の心を持して深く考慮する人の心には、真にこの上も無き霊性の糧であり、霊感の源泉なのであります。彼らは好んで高遠な思想を卑近な象徴に托し、迂路を辿つて吾々の心の眼を開かせやうとします。或はまた、彼らの思ひ邪無き心から無意識に湧出した言葉が、かかる深甚微妙の意味を備へて現はれます。孰れにせよ、吾らは彼らの「考へよ」と言つた形式に従つて考へねばなりませぬ。こうすれば吾らの心の眼が漸次開けて徃つて、彼らと自ら霊犀相通じて、共に手を握つて楽むところまで行けないとも限りませぬ』
とあります通り、「霊界物語」も全くこのやうなもので、実に言語に絶した無限の意味があるものと信じます。すなはち吾々の工夫と修省とによつては、凶を変じて吉となし、禍を転じて福とし、地獄の焦燥苦悩より花笑ひ鳥歌ふ天国楽土へ無事到着することができるのであります。
  大正十一年二月十一日 紀元節の夕
    亀岡 瑞祥閣に於て 編者識



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