出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語06-4-201922/01霊主体従巳 善悪不測王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
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あらすじ
 野立彦命と野立姫命は天教山の噴火口にその身を投じて、野立彦命は火球の根底の国へ、野立姫命は地汐の世界へ入った。

***絶対善と絶対悪***
 人生には、絶対善も絶対悪もない。人は一つの善事をなそうとすれば、必ずそれに倍する悪事を知らず知らずのうちになしつつある。神は万物を作られた際に、霊・力・体の三大元をもってこれを創造した。霊とは善であり、体とは悪である。そこで、霊体より発生する力は善悪混交である。これを宇宙の力といい、また、神力と称し、神の威徳という。ゆえに、善悪不二にして、美醜一如たるは宇宙の真相である。善悪の審判は、宇宙の大元霊である大神のみその権限を有する。我々にはすべての善悪を審判する資格はない。
名称

天の御柱の神 大神 国の御柱の神 国治立命 国祖 大元霊 撞の御柱の神 豊国姫命 野立彦命 野立姫命
宇宙 淤能碁呂島 神の稜威 惟神 火球 現界 神界 神力 底の国 大空 大地 千座の置戸 地教山 地汐 天教山 根底の国 根の国 幽界 霊体
 
本文    文字数=5846

第二〇章 善悪不測〔二七〇〕

 国祖国治立命、豊国姫命の二柱は、千座の置戸を負ひて、根の国、底の国に御退隠遊ばす事となり、大慈大悲の御心は、神界、現界の当に来らむとする大惨害を座視するに忍びず、しばらく天教山および地教山に身を隠び、野立彦神、野立姫神と改名し、神、現二界の前途を見定め、
『ここに撞の御柱の神、天の御柱の神、国の御柱の神の降臨ありて、修理固成の神業も稍その緒に就きたれば、われはこれより進みて幽界を修理固成し、万の身魂を天国に救はむ』
と、夫婦二神相携へて、さしも烈しき天教山の噴火口に身を投じ、大地中心の火球界なる根底の国に落行き給ひ、野立姫命は、これより別れて、その西南隅なる地汐の世界に入らせ給ひける。
 至仁至愛至誠至実の身魂は、いかなる烈火の中も、その身魂を害ふこと無く、いかなる濁流に漂ふも、その身魂は汚れ溺るること無きは、全く『誠の力は世を救ふ』の宣伝歌の実証なり。その身魂の偉大にして無限の力あるときは、心中一切の混濁溟濛なる貪瞋痴の悪毒なければ、悪心ここに消滅して、烈火もまた清涼の風となるなり。
 野立彦神、野立姫神は、さしも烈しき噴火口を、初秋の涼風に吹かるるがごとき心地して、悠々として根底の国に赴かせ給ひぬ。たとへば蚤や、蚊や、虱のごとき小虫は、『敷島』の煙草の吸殻にも、その全身を焼かれて、苦悶すと雖も、野良男はその同じ煙草の吸殻を掌に載せて継ぎ替へながら、手の甲の熱さを少しも感ぜざるが如し。三歳の童子に五貫目の荷物を負はしむれば、非常に苦しむと雖も、壮年の男子はこれを指先にて何の苦もなく取扱ふがごとく、すべての辛苦艱難なるものは、自己の身魂の強弱に因るものなり。罪深き人間の火中に投ずるや、限りなき苦しみに悶えながら、その身を毀り遂には焼かれて灰となるに至る。されど巨大なる動物ありて人を焼くべきその火も片足の爪の端にて踏み消し、何の感じも無きがごとく、神格偉大にして、神徳無辺なる淤能碁呂島の御本体ともいふべき野立彦神、野立姫神においては、我が身の一端ともいふべき天教山の烈火の中に投じ給ふは、易々たるの業なるべし。
 智慧暗く、力弱き人間は、どうしても偉大なる神の救ひを求めねば、到底自力を以て吾が身の犯せる身魂の罪を償ふことは不可能なり。故に人はただ、神を信じ、神に随ひ成可く善を行ひ、悪を退け以て天地経綸の司宰者たるべき本分を尽すべきなり。西哲の言にいふ、
『神は自ら助くるものを助く』
と。しかり。されど蓋は有限的にして、人間たるもの到底絶対的に身魂の永遠的幸福を生み出すことは不可能なり。人は一つの善事をなさむとすれば、必ずやそれに倍するの悪事を不知不識なしつつあるなり。故に人生には絶対的の善も無ければ、また絶対的の悪も無し。善中悪あり、悪中善あり、水中火あり、火中水あり、陰中陽あり、陽中陰あり、陰陽善悪相混じ、美醜明暗相交はりて、宇宙の一切は完成するものなり。故にある一派の宗派の唱ふる如き善悪の真の区別は、人間は愚、神と雖もこれを正確に判別し給ふことは出来ざるべし。
 如何とならば神は万物を造り給ふに際し、霊力体の三大元を以てこれを創造し給ふ。霊とは善にして、体とは悪なり。しかして霊体より発生する力は、これ善悪混淆なり。これを宇宙の力といひ、または神力と称し、神の威徳と云ふ。故に善悪不二にして、美醜一如たるは、宇宙の真相なり。
 重く濁れるものは地となり、軽く清きものは天となる。しかるに大空のみにては、一切の万物発育するの場所なく、また大地のみにては、正神の空気を吸収すること能はず、天地合体、陰陽相和して、宇宙一切は永遠に保持さるるなり。また善悪は時、所、位によりて善も悪となり、悪もまた善となることあり。実に善悪の標準は複雑にして、容易に人心小智の判知すべき限りにあらず。故に善悪の審判は、宇宙の大元霊たる大神のみ、その権限を有し給ひ、吾人はすべての善悪を審判するの資格は絶対無きものなり。
 妄に人を審判は、大神の職権を侵すものにして、僣越の限りと言ふべし。
 唯々人は吾が身の悪を改め、善に遷ることのみを考へ、決して他人の審判をなすべき資格の無きものなることを考ふべきなり。
 吾を愛するもの必ずしも善人に非ず、吾を苦しむるもの必ずしも悪人ならずとせば、唯々吾人は、善悪愛憎の外に超然として、惟神の道を遵奉するより外無しと知るべし。
 アヽ惟神霊幸倍坐世。
 録者いはく、『虚偽と虚飾の生活に囚はれたる現代人士は、この一節に躓くの虞あれば特に熟読玩味することを要す』

(大正一一・一・二〇 旧大正一〇・一二・二三 外山豊二録)
(第一三章~第二〇章 昭和一〇・二・九 於那智丸船中 王仁校正)



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