出口王仁三郎 文献検索

リンク用URL http://uro.sblog.jp/kensaku/kihshow.php?KAN=05&HEN=0&SYOU=1&T1=&T2=&T3=&T4=&T5=&T6=&T7=&T8=&CD=

原著名出版年月表題作者その他
物語05-0-11922/01霊主体従辰 序文王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
詳細情報:
場面:

あらすじ
 霊界物語は5巻で終わる予定であったが、方針を変えて細かく述べることになった。明治32年から、33年にかけて王仁三郎は霊界物語を執筆してあったが、これは信者によって焼き捨てられてしまった。
名称


 
本文    文字数=4858

序文

 この霊界物語は、全部五巻にて述べ終る予定でありました。しかしなるべく細かくやつてくれとの筆録者の希望でありますから、第四巻あたりからややその方針をかへて、なるべく詳細に物語ることとしました。
 それがため予定の第五巻にて、神界、幽界の物語を終ることは、到底出来なくなつてきました。本巻の最初にあたつて、一旦海月なす漂へるこの国を修理固成すべく諾、冊二神の、天の浮橋に御降臨遊ばすところまで述べるやうに考へてをりましたが、またもやガラリと外れまして、第六巻になつてやうやく天の浮橋に二神が立ちて滄溟を探りたまふ段に届くこととなします。
 この物語は、去る明治三十二年七月より、三十三年の八月にかけて、一度筆を執り、これを秘蔵しておき、ただ二三の熱心なる信者にのみ閲覧を許してゐました。しかるにこれを読了したる某々らは、つひにいろいろのよからぬ考へをおこし、妖魅の容器となつて帰幽したり、また寄つて集つて五百有余巻の物語を焼き棄ててしまつたのであります。
 それから再び稿を起さうと考へましたが、どうしても神界から御許しがないので、昨年旧九月十八日まで、口述をはじめることが出来なかつたのであります。そのときの二三の役員に憑依してゐた悪神の霊は、全然この霊界物語を覚えてしまつて、いまは開祖の系統の人の肉体に潜入し、現世の根本を説き諭すとの筆先の真理を真解するものは、某より外にないとか、日の出神の生魂だとか、常世姫の身魂だとかいつて、またもや邪神が支離滅裂なる物語を書き、この教を攪乱せむと考へてゐるのであります。私は某より一度その筆先を読んでおけと、幾度も勧められました。
 されどどういふものか、腹の中の虫がグウグウいつて拒み、これを読ましてくれないのであります。これも神界の深き御注意のあることと考へます。世の中には否新しい信者の中には、開祖の書かれたお筆先でさへも、瑞月が作つておいて、開祖に書かしたものだらう、さうでなくては、アンナ田舎の老婆さまが、コンナ深いことを書く道理がないと言つて、筆先を半信半疑の眼で見る人が沢山あるくらゐですから、万一邪神の産物たる某の筆先を、一冊でも私が読んだとすれば、またもや原料を某の筆先から取つたなどと誤解する信者ができるかも知れないのであります。
 実際を言へば、某に憑依してをる守護神は、私の書いた霊界の物語を、ある肉体を通じてあちらこちらを読み覚え、さうして何もかも自分が知つてゐるやうに言つて、某の肉体までも誑惑してゐるのであります。またそれに随喜渇仰して金言玉辞となし、憧憬してをる立派な人たちのあるのには、呆れざるを得ないのであります。それゆゑ某の憑神の筆先にも、常世姫とか八王大神とか、その他いろいろの似たやうな神名が現はれてをるのも道理であります。しかし天授の奇魂を活用して御覧になれば、その正邪と確不確と理義の合はざる点において、天地霄壤の差あることが解るであらうと思ひます。
 アヽ私はコンナことを序文に一言も述べたくはありませぬ。されど霊界の消息を知らぬ正しき人々のためには、どうしても注意のために申しおかねばならぬのであります。
 開祖の神諭にも、
『神の道は誠一つであるから、親子、兄弟、親類、他人の差別は致されぬぞよ』
と示されてありますから、筆先の教示に従つて、一言注意をしておきます。またこの霊界物語について、立派な学者先生の種々の批評があるさうですが、それはその人の自由の研究に任しておきます。
 ただ私は神示のまま、工作して口述するばかりであります。
  大正十一年一月十四日 旧十年十二月十七日
    於因幡岩井温泉晃陽館 王仁識

        王仁

 醜の魔神の現はれて 善の仮面を被りつつ
 誠の道を汚しゆく 言葉巧みな口車
 うつかり乗るな信徒よ 外面如菩薩内心如夜叉
 神の真似する悪魔の世界 うまい話にのせられな



オニドでるび付原文を読む    オニド霊界物語Web