出口王仁三郎 文献検索

リンク用URL http://uro.sblog.jp/kensaku/kihshow.php?KAN=03&HEN=12&SYOU=50&T1=&T2=&T3=&T4=&T5=&T6=&T7=&T8=&CD=

原著名出版年月表題作者その他
物語03-12-501921/12霊主体従寅 安息日王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語 宇宙観
詳細情報:
場面:

あらすじ
 宇宙の創造神話
名称

阿弥陀如来 天之御中主大神 幽体 大六合常立尊 ゴッド 大元霊 天主 天帝 霊素 霊体
宇宙 顕現 言霊 神界 神政 天地剖判 五六七の神代
 
本文    文字数=6098

第五〇章 安息日〔一五〇〕

 天地剖判に先だち、宇宙の大元霊たる無声無形の一神ありけり。
 これを神典にては、天之御中主大神ととなへ奉り、神界にては大六合常立尊と申す。西洋にてはゴツドといひ、仏教にては阿弥陀如来といふ。漢土にては古来天帝または天主といふ。吾々はきはめて言語のすくない簡単な御名を選んで、ここでは天主ととなへ奉つて述ぶることにしたいと思ふ。
 天主は、過去現在未来に一貫して無限絶対無始無終の大神霊にましまし、その絶対の霊威を発揮して宇宙万有を創造したまうた。
 大宇宙の太初にあたつて、きはめて不完全なる霊素が出現し、それが漸次発達して霊の活用を発生するまでの歳月はほとんど十億年を費してゐる。これを神界においては、ヒツカ(一日)といふ。つぎにその霊の発動力たる霊体(幽体)なるものが宇宙間に出現した。これをチカラと称へた。チとは霊または火の意味であり、カラとは元素の意味である。この宇宙に元素の活用するにいたるまでの歳月は、また十億年を費してゐる。この十億年間を神界においてフツカ(二日)といふ。
 つぎにこの元素に霊気発生して、現顕の物体を形成するにいたるまでの歳月は、また大略十億年を費してゐる。この十億年間の霊体の進歩を称してミツカ(三日)といふ。ここにいよいよ霊、力、体の三大勢力発揮して、無数の固形体や液体が出現した。太陽、太陰、大地、諸星の発生はつぎの十億年の間の歳月を費してゐる。これを神界にてはヨツカ(四日)といふ。
 またつぎの十億年間の歳月を費したる神霊の活動状態を、神界にてはイツカ(五日)といふ。イツは稜威にしてカは光輝の意である。この五日の活動力によりて、動植物の種天地の間に現出した。いよいよ五十億年間の星霜を経て陰陽、水火の活用あらはれ、宇宙一切の万物に水火の活用が加はり、森羅万象の大根元が確立した。この歳月は六億年を費してゐる。この六億年間の神霊の活用をムユカ(六日)といふ。
 かくのごとくして天主は宇宙万有一切をムユカに創造された。それより天主は一大金剛力を発揮して、世界を修理固成し、完全無欠の理想世界いはゆる五六七の神代、松の世を建設さるるその工程が七千万年の歳月であつて、これをナナカ(七日)といふ。ナナとは地成、名成、成就、安息の意である。七日の神霊の活用完了の暁にいたつて、至善至美至真の宇宙が完成さるる、これを安息日といふ。
 安息日の七千万年間は天主の荒工事ををはつて、その修理固成のために活動さるる時代であつて、世人のいふごとく神の休息したまふ意味ではない。もしも天主にして一日はおろか一分間でもその神業を休めたまふことがありとすれば、宇宙一切の万物はたちまち滅亡してしまふからである。ゆゑにこの安息日は人々神の洪恩を感謝し、かつその神徳を讃美すべく祝すべき日である。
 かくして五十六億七千万年を経て、五六七の神政まつたく成就され、天主の経綸の聖代がくるのである。しかるに幸ひなるかな、五六七の歳月もほとんど満期に近づいてをる。いよいよ五六七神政出現の上は、完全無欠、至善至美の世界となり、神人和合して永遠無窮に栄えゆくのである。ゆゑに今日までの世界は未完成時代であつた。ここに天運到来して、神政の開かるる時機となつた。現代はその過渡時代であるから、その前程として種々の事変の各所に突発するのも、神界の摂理上やむを得ざる次第であらうと思う。
 この安息日については各教法家の所説も、古今東西の区別なく論議されてをるが、私は世説の如何にかかはらず、神示のままを述べたまでである。
(附言)
 聖書に、神は六日に世界を造り了へて、七日目は安息せりといふ神言がある。この神言について言霊研究の大要を述べてみやうと思ふ。
 ナの言霊は宇宙万有一切を兼て統一するといふことである。◎の凝る形であり、行届く言霊であり、天国の経綸を地上に移すことともなり、◎の確定ともなり、調理となり成就となり、水素の形となり、押し鎮むる言霊の活用ともなる。
 次のナも同様の意義の活用である。
 カの言霊は、燥かし固むる活用となり、晴れて見ゆる也、一切の物発生の神力となり、光明となるの活用である。
 メの言霊は、世界を見るの活用となり、起り兆となり、本性を写し、女子を生み、天の岩戸を開き、草木の芽となり、眼目となるの活用である。
 以上の言霊によりて、神は七日目に安息したまふといふ神語は、実に明瞭となつてくるのである。要するに宇宙万有一切の生物にたいし、神人、樹草、禽獣、鳥族、虫魚の区別なく、各自その所に安んじて、その天職に奉仕する聖代の現はれである。
 ゆゑに七日は現代の暦にいふ日月火水木金土の一週間の日数の意味ではないことも明白なる事実であると思ふ。

(大正一〇・一二・一〇 旧一一・一二 加藤明子録)
(第四八章~第五〇章 昭和一〇・一・一九 早朝 於宮崎市神田橋旅館 王仁校正)



オニドでるび付原文を読む    オニド霊界物語Web