出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語02-0-11921/11霊主体従丑 序文王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
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場面:

あらすじ
***霊界の時間・空間***
 霊界にては時間、空間を超越し、遠近大小明暗の区別なく、古今東西の霊界の出来事はいずれも平面的に霊眼に映る。

***第二巻の内容***
 本書に述べるところは、概してシオン山攻撃の神戦であって、国祖の大神が天地の律法を制定したまひ、第一に稚桜姫命が天則違反の罪を犯し幽界に追放されるまでの経緯を述べた。
名称


 
本文    文字数=6479



 本書は王仁が明治三十一年旧如月九日より、同月十五日にいたる前後一週間の荒行を神界より命ぜられ、帰宅後また一週間床縛りの修業を命ぜられ、その間に王仁の霊魂は霊界に遊び、種々幽界神界の消息を実見せしめられたる物語であります。すべて霊界にては時間空間を超越し、遠近大小明暗の区別なく、古今東西の霊界の出来事はいづれも平面的に霊眼に映じますので、その糸口を見付け、なるべく読者の了解し易からむことを主眼として口述いたしました。
 霊界の消息に通ぜざる人士は、私の『霊界物語』を読んで、子供だましのおとぎ話と笑はれるでせう。ドンキホーテ式の滑稽な物語と嘲る方もありませう。中には一篇の夢物語として顧みない方もあるでせう。また偶意的教訓談と思ふ方もありませう。しかし私は何と批判されてもよろしい。要は一度でも読んでいただきまして、霊界の一部の消息を窺ひ、神々の活動を幾分なりと了解して下されば、それで私の口述の目的は達するのであります。
 本書の述ぶるところは概してシオン山攻撃の神戦であつて、国祖の大神が天地の律法を制定したまひ、第一に稚桜姫命の天則違反の罪を犯し幽界に神退ひに退はれたまへる、経緯を述べたのであります。本書を信用されない方は、一つのおとぎ話か拙い小説として読んで下さい。これを読んで幾分なりとも、精神上の立替立直しのできる方々があれば、王仁としては望外の幸であります。
 『三千世界一度に開く梅の花。艮の金神の世になりたぞよ。須弥仙山に腰を掛け、鬼門の金神、守るぞよ』との神示は、神世開基の身魂ともいふべき教祖に帰神された最初の艮の金神様が、救世のための一大獅子吼であつた。アゝ何たる雄大にして、荘厳なる神言でありませうか。『三千世界一度に開く』とは、宇宙万有一切の物に活生命を与へ、世界のあらゆる生物に、安心立命の神鍵を授けたまへる一大慈言でありますまいか。
 口述者はいつもこの神言を読む度ごとに、無限絶対、無始無終の大原因神の洪大なる御経綸と、その抱負の雄偉にして、なんとなく吾人が心の海面に、真如の月の光り輝き、慈悲の太陽の宇内を一斉に公平に照臨したまひ、万界の暗を晴らしたまふやうな心持になるのであります。
 そして、『三千世界一度に開く』と宇宙の経綸を竪に、しかと完全に言ひ表はし、句の終りにいたつて『梅の花』とつづめたるところ、あたかも白扇を拡げて涼風を起し、梅の花の小さき要をもつてこれを統一したる、至大無外、至小無内の神権発動の真相を説明したまひしところ、到底智者、学者などの企て及ぶべきところではない。
 またその次に『須弥仙山に腰をかけ、艮の金神守るぞよ』との神示がある。アゝこれまたなんたる偉大なる神格の表現であらうか。なんたる大名文であらうか。到底人心小智の企及すべきところではない。そのほか、大神の帰神の産物としては、三千世界いはゆる神界、幽界、現界にたいし、神祇はさらなり、諸仏、各人類にいたるまで大慈の神心をもつて警告を与へ、将来を顕示して、懇切いたらざるはなく、実に古今にその類例を絶つてゐる。
 かかる尊き大神の神示は、俗人の容易に解し難きはむしろ当然の理にして、したがつて誤解を生じ易きところ、口述者は常にこれを患ひ、おほけなくも神諭の一端をも解釈をほどこし、大神の大御心の、那辺に存するやを明らかに示したく、思ひ煩ふことほとんど前後二十三年間の久しきにわたつた。されど神界にては、その発表を許したまはざりしため、今日まで御神諭の文章の意義については、一言半句も説明したことは無かつたのであります。
 しかるに本年の旧九月八日にいたつて、突然神命は口述者の身魂に降り、いよいよ明治三十一年の如月に、『神より開示しおきたる霊界の消息を発表せよ』との神教に接しましたので、二十四年間わが胸中に蓄蔵せる霊界の物語を発表する決心を定めました。しかるに口述者は、本春以来眼を病み、頭脳を痛めてより、執筆の自由を有せず、かつ強て執筆せむとすれば、たちまち眼と頭部に痛苦を覚え如何ともすること能はず、殆んどその取扱ひについて非常に心神を悩めてゐたのであります。その神教降下ありて後、十日を過ぎし十八日の朝にいたり、神教ありて『汝は執筆するを要せず、神は汝の口を藉りて口述すべければ、外山豊二、加藤明子、桜井重雄、谷口正治の四人を招き、汝の口より出づるところの神言を筆録せしめよ』とのことでありました。
 そこで自分はいよいよ意を決し、並松の松雲閣に隠棲して霊媒者となり、神示を口伝へすることになつたのであります。二十四年間心に秘めたる霊界の消息も、いよいよ開く時津風、三千世界の梅の花、薫る常磐の松の代の、神の経綸の開け口、開いた口が閉まらぬやうな、不思議な物語り、夢かうつつか幻か、神のしらせか、白瀬川、下は音無瀬由良の川、和知川、上林川の清流静かに流れ、その中央の小雲川、並木の老松川の辺に影を浸して立ならぶ、流れも清く、風清く、本宮山の麓なる、並松に、新に建ちし松雲閣書斎の間にて五人連れ、口から語る、筆を執る、五人が活気凛々として、神示のままを口述発表することとなつたのであります。
   大正十年十一月 旧十月九日
      於松雲閣 瑞月 出口王仁三郎誌



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