出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
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キーワード: その他
備考: 月鏡 八幡-P.303 天声-P.206 昭04-10
ルビ付き本文:
王仁三郎資料センター
 
本文    文字数=1894

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 明治三十九年、皇典講究所へ入学した当時、私は野菜の車を引つぱつて、行商をして学資を得て居たのだ。売れ残ると当時の先生のところへ持つていつて進上したものである。そうした暇にも私は演説が好きで方々へ出かけた。出かけたと云うても会場では無い。寺の門前や、人の集まる辻々に立つて大獅子吼をやつたものだ。寺の門前に立つて大声で盛に仏教の堕落、売僧の攻撃をやつたのだから、人集りがしてな、皆熱心に聞いたよ。太い太いステツキをついて都大路を肩で風を切つて横行闊歩したものだ。若気の至りの思想の偏狭は恥かしいが、しかし元気はあつた。今の若い人達は意気地がないのう。
 筆者、去月長崎市の国幣中社諏訪神社に賽し、宮司阿知和安彦氏に面会す。氏は実に当時の皇典講究所主事たりし人なり。「出口聖師と云ふのは王仁さんの事ださうですね」と口を切り「車に大根や菜葉を積んで校門の傍に置いて草鞋穿きで登校したものです。熱心に勉強し又非常に弁論が好きで、自分で雄弁会などを起し、口角泡を飛ばして弁じたてたものです。温情のある人で閑があると私の小供を負つて守をして呉れた。時々大根や薩摩薯などをソツと庭の隅において帰つた。あの人が今の出口王仁三郎聖師其人なのですかねえ、余りの出世振りで、私にはどうも同じ人とは信ぜられない位であるが、雑誌の口絵を小供に見せて『この人を知つて居るか』と聞きますと、皆が口を揃へて、『王仁さんだ、王仁さんだ』と申た」と感慨無量の態でこのお話に裏書をして居られました。