出口王仁三郎 文献検索

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物語NM-1-31925/08入蒙記 金剛心王仁三郎参照文献検索
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第三章 金剛心

 錐襄中にあれば必ず頴脱し、空気球に熱を加ふれば膨張して破裂せざれば止まず、熱烈なる信仰と燃ゆるが如き希望と抱負は、日出雄の肉体をかつて遂に大本と云ふ殻を打破つて脱出せざるを得ざらしめた。
 ポンプも強力なる圧迫によつて滝の如く空中に水柱を立て、油は圧搾器に押へつけられて滲み出る、僅かに五尺の空殻に宇宙我にあり的の精魂を宿しその放出を防ぐに苦心すること、ここに五十年。山も裂けよ、岩も飛べよ、天を地となし、地を天となす日出雄が心中の抱負の一端は、ここに蒙古入となつて現はれたのである。
 明治三十一年以来、教養して来た役員信徒の霊性を一々点検すれば、愚直と因循固陋排他と誇大妄想狂と罵詈讒謗等、あらゆる悪徳の暗影を現はすのみにて、真の勇なく智なく愛なく親なし。あゝ斯如ならば蜆貝を以つて大海の水を汲み出し、その干るを待つが如く、駱駝を針の穴に通すが如く、たとへ数万年を費すと雖も、その獲得する所は苦労と失敗とにして寸効なきを看破した日出雄は、先づ第一に神の島と聞えたる筑紫島に渡りて阿蘇の噴火口を探り、三韓征伐に由緒ある息長帯比女命の入浴されしと伝ふる杖立の霊泉に心魂を清め、志賀瀬川の清流に禊をなし、鏡の池の清泉に己が姿を写し眺め、阿蘇の噴煙の如く大気焔を吐きながら九州一の都会熊本城外に立帰るや否や、山本権兵衛内閣の出現、東都の大震災大火災のいたるに会ふ。あゝ世界改善の狼火は天地の神霊によりて揚げられたり。奮起すべきは今なり。重大なる天命を負ひながら、何を躊躇逡巡するか、日本男子の生命は何処にあるかと、日出雄の精霊は彼の肉体を叱咤するのであつた。日出雄は匆々として従者と共に聖地に帰り、世上の毀誉褒貶を度外におき、一切の因れより離れ、人界を超越して愈神業遂行の腸をきめた。その結果、支那五大教の提携となり、朝鮮普天教との提携となり、国際語エスペラントの宣伝となり、精神的世界統一の一歩を走り出した。旧習に因はれ不徹底なる信仰上よつぱらつた役員信徒の中には、男らしくもない、蔭に潜んで、ブツブツ小言を云つてゐるものも沢山に現はれた。今迄独断的排他的気分に漂ひ、高き障壁や深き溝渠を繞らしてゐた大本の信徒団体も、この時よりやや解放気分となり、圏外の空気を多少吸収することとなつたのも、全く日出雄の英断的行動によるものであつた。開祖の神諭に曰く、
『三千世界の立替立直し、天の岩戸開き、神は小さい事は嫌ひである、大きな事を致す神であるぞよ。役員信者は胴据ゑ、大きな腹で居らねば到底神の思惑は立たぬぞよ。サツパリ世の洗替であるから、小さい事を申して居つては、いつまでも世は開けぬぞよ。このものと思ふて神が綱かけて引寄して見ても、心が小さいから、肝腎の御用の間に合はぬぞよ。誠のものが三人あつたならば、三千世界の大望は成就いたすぞよ』
と示されてある。あゝ偉大なるかな、高遠なるかな、神の宣示よ。大神の神示を徹底的に理解したる日出雄の身は、有司の誤認によつて極刑五年の懲役を云ひ渡され、大阪控訴院に控訴し、厳正なる裁判を受け、厳重なるその筋の監視を受けてゐた。新聞雑誌の日々の銃先揃へての大攻撃、世間の非難、役員信者の反抗離背、加ふるに財政の圧迫、かてて加へて大国賊、乱臣賊子、大山師、大馬鹿者、曰く何、曰く何、あらゆる悪名を附与せられ天下皆これ敵たるの境涯にあつた。されど日出雄の肉体は小なりと雖、彼が心中にかかへたる天下救済の抱負と信念は火も焼く能はず、水も溺らす能はず、巨砲もこれを粉砕し得ず、鬼、大蛇、虎、熊、唐獅子、駒、数百千の攻撃も意に介するに足らなかつた。現代人より見て如何なる悲運の域に沈淪するとも大困難に陥るとも、その精神を飜さず、強き者には強敵あり、大なる器には大なる影のさすの見地に立ち、寧ろこれを壮快となし天下を睥睨してゐた。
 凡ての人間には、何れも長所と短所とがある。各人は各人の短所を見て口を極めて非難攻撃し、吾意に合はざるを見て罵詈し排斥するものである。人はその面貌の異なる如く愛善の徳も信真の光もその度合がある。従つて智慧証覚も優劣等差がある。おのが小さき意志に従はしめむとして、これに和するものを善人となし、和せざるものを悪人と見なすのは凡人の常である。大本の役員信者にも、世間の御多分に洩れずこの種の人物が蝟集して居た。日出雄は各人特有の長所短所を知悉してゐる。故にその長所を見て適材を適所に用ゐむとした。頑迷固陋にして小心翼々たる凡俗的役員信者の目には、日出雄が人を用ゆる点において大いに不平を漏してゐる。故に日出雄が近く用を命ずる役員は一般の目より不正者或は悪人と見えたのである。乍然神界の御用は人間の意志に従ふべきものでない。神の命じ玉ふ人物こそ神の御用をつとむるに適したものである。因襲や情実や外形的行為を見て人を左右すべきものでない、敢然として所信を遂行してこそ初めて神業の一端に奉仕し得らるるのである。
 多数者の非難を斥け、エス語を採用しブラバーサを以てこれが普及の主任に任じ日支親善の楔たる五大教道院を神戸に開き、隆光彦を以て主任者となし、蒙古の開発には真澄別を参謀長となして時代進展の挙を進めたのである。
 さて蒙古入に就いては、昨冬王仁蒙古入記と題し霊界物語第六十七巻に編入した。乍然飜つて考ふれば種々の障害のため、事実を闡明するの便を得ず、不得已上野公園著として天下に発表する事としたのである。故に本巻は六十七巻の代著として口述し専ら内面的方面の事情を詳記する考へである。文中変名を用ゐたのも思ふ所あつての故である。
 読者幸に諒せられむ事を。

(大正一四・八・一五 北村隆光筆録)



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