出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語NM-1-21925/08入蒙記 神示の経綸王仁三郎参照文献検索
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第二章 神示の経綸

 明治の末葉大正の初期にかけ、思想混乱の極に達せる現実界に向かつて、一大獅子吼をなし、神教を四方に伝達したる結果、恰も洪水の氾濫して大堤防を破壊するが如き勢を以て勃興したる天授の聖教、三五の聖団、その大本所在地と聞えたる綾の聖地──仏徒の所謂霊山会場の蓮華台、キリスト教徒の最も憧憬して已まざるパレスチナの聖場、オレブ山、エルサレムの聖地にも比すべき──神の本宮、桶伏山を中心とし、宏壮なる殿堂、錦の宮を建設し、四百四十四坪の八尋殿において、盛に主神の聖教を伝達し、既成宗教の上に卓越して、世界万有愛の教旗を飜へし、自転倒島を初め、地上の世界に無数の崇信者を有する三五教の根源地、八尋殿において、恆例の節分祭が執行された。この節分祭はキリスト教の所謂逾越祭の如きものである。この殿堂は五六七神政に因みて五六七殿と称へられてゐる。国照姫は地上に肉体を以て生存すること八十余年、大正七年陰暦十月三日神諭を書き了つて昇天し、その聖霊は稚姫君命と復帰し、天界において神政を行ひ、その遺骸は天王平の奥津城に永眠してゐる。国照姫の後継者はすでに二代三代と立並び、神教を伝達することとなつてゐる。
 源日出雄は神示によつて、明治三十二年聖地に来り、水洗礼の教務を補佐し、大正十年まで神業を続けてゐた。この間殆ど二十四年、高姫の精霊の宿りたる徳島お福、菖蒲のお花、高村高造、四方与多平、鷹巣文助、その他数多の体主霊従派に極力妨害されつつも、凡ての障壁を蹴破して、十年一日の如く、神教に従事した。
 梅村信行、湯浅仁斎、西田元教などの輔けはあつたが、分らずやの妨害最も甚だしく、大いに神業の進展を阻害した。
 大正五年の末頃から鼻高学者等が続々と聖地に来り、大正十年に世界全滅の却託を並べ、一夜作りの霊学を称導し、三五の声望をして、一時は天下に失墜せしめた。その結果は大正十年において、有名なる大本事件を勃発し、次いで桶伏山、錦の宮の、乱暴至極な取毀ちとなり、源日出雄等は一時獄に投ぜられ、いかめしき閻魔の庁に引出されて、善悪邪正を審判さるることとなつた。この事件に肝をつぶし睾丸の宿換さした学者連は、数十万円の負債を投付け、日出雄以下の純真なる神の子を、千丈の谷間につきおとし、知らぬ顔の半兵衛をきめこみ、第二の計画を立て、迷へる少年をかり集めむとし、心霊会なるものを組織したが、天はかかる暴虐を許さず、一時その傘下に集まれる猛者連は四方に散逸し、今や孤立無援の境地に立ち心霊と人生なる孤城に隠れて、切りに三五の本城に向つて征矢を放つてゐる。この間日出雄は桶伏山の山下、祥雲閣において、万有愛の教旗を飜し、三五の神教を伝ふべく、神示の霊界物語を口述発行し、天下に宣伝せしより、教勢頓に回復し、何れもその教理に歓喜雀躍し、洋の内外を問はず信者は日に月に蝟集し来り、昔日に優る大勢力を醸成した。源日出雄は節分祭の済んだ後、壇上に立ちて一場の演説を試みた。
『天地万有を創造し玉ひし独一真神主の神を斎きまつる今日は、一年一回の最も聖き祭典日であります。殊に大正十三年二月四日の節分祭は、天運循環して、甲子の聖日でありまして、吾々人間としては、十万年に一度より際会することの出来ない、最も意義ある主の日であります。大神の愛善の徳と信真の光に充たされたる各国各地の役員信徒諸氏が、神縁相熟して、この八尋殿にお集まりになり、吾等と共に芽出度き大祭典に、奉仕さるることを得られましたのは、至仁至愛の主の神様の御恵みに外ならないことを、皆様と共に感謝せなくてはなりませぬ。御承知の通り、教祖国照姫命に懸らせ玉ふた神様は、宇宙の創造者、天地の祖神大国常立尊でありまして、明治廿五年正月元旦、心身共に浄化したる教祖は稚姫君命の精霊を宿され、前後未曾有の聖教を、一切の衆生に向つて伝達されたのは、吾々人類のためには、実に無限絶大の賜物であります。主の神様は厳霊稚姫君命の御精霊にその神格をみたされ、地上の神人たる清浄無垢の霊身三五の教祖の肉体を終局点として来らせ玉ひ、間接内流の形式によつて、大地の修理固成の神業を、三界の衆生に対し洽く伝達すべく現はれ玉ふたのであります。その初発の神諭には『三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の構ふ世になりたぞよ、須弥仙山に腰をかけ、三千世界を守るぞよ』と大獅子吼をされてゐます。この神示を略解すれば、三千世界とは、神界幽界現界の三大境界であり、過去現在未来をも指して居ります。梅の花の梅は言霊学上、エと云ふことになる、エは万物の始、生命の源泉であり、用はスといふことになり、スは一切統一の意味であります。またスは清浄潔白スミキリの意味ともなる。花とは初めて成るの意であり、最初の意味であり、教祖の意味ともなる。主の神が空前絶後の大神業をいよいよ開始し、最初の御理想たる黄金世界を地上に完全に建設し玉ふといふ芽出度き意味であります。艮といへば東北を意味し神典にては日の若宮の方位であり、万物発生の根源であつて太陽の昇り玉ふ方位であります。また艮といふ字義は艮めとなり初となり固めとなり永しとなり、世の終りの世の初まりの意味となります。金神といふ意味は売卜者の云つてゐる方除けをせられたり、祟り神として排斥せられてゐるやうな人間の仮りに造つた神の意味ではなく、尊厳無比金剛不壊の意味を有し、三界をして黄金世界に完成し玉ふ救ひの神といふ、約り言葉であります。
 須弥仙山といふのは、仏経にある仮想的の山であつて所謂宇宙の中心を指したものであります。日月星辰がこの須弥仙山を中心に進行し、須弥仙山には三十三の天があるといつてゐるのを見ても、無限絶対なる大宇宙の意味であることが明瞭となつて来ます。この須弥仙山に腰をかけ艮の金神が守ると宣示されたのは、実に驚嘆すべき大神業の大完成を予示されたもので、万有一切はこの大神の愛善の徳と信真の光に浴し、現幽神三界に亘り、永遠無窮に真生命を保ち、歓喜に浴することを得るのであります。太古における現世界の住民は何れも、清浄無垢にして、智慧証覚にすぐれ、愛の善と信の真をよく体得し、直接天人と交はり、霊界も現界も合せ鏡の如く、実に明かな荘厳な世界であつたのであります。それより追々と世は降つて白銀時代となり、八岐大蛇や醜狐が跋扈し始め、智慧証覚は漸くにしてにぶり出し、降つて赤銅時代黒鉄時代と益々現実化し、妖邪の空気は天地に充満し、三界に紛争絶間なく、今や泥海時代と堕落してしまつたのです。仏者はこれを末法の世といひ、基督教は地獄といひ、神道家は常暗の世と称へてゐます。地上一切の民は仁慈無限の大神の恩恵を忘却し、自己愛的行動を敢てなし、互に覇を争ひ、権利を獲得せむとし、排他と猜疑と、呪咀と悪口のみをこれ事とし、仏者の所謂地獄餓鬼畜生修羅の惨状を現出することとなりました。此において国祖の神霊はこの惨状を座視するに忍びず、神より選まれたる清浄無垢なる霊身国照姫命をして神意伝達の機関となし、万有救済の聖業を托されたのであります。故に三五の教は根本の大神の聖慮を奉戴し、神界よりこの地上に天降し玉へる十二の神柱を集め、霊主体従的国土を建設し、常暗の世をして最初の黄金世界に復帰せしむる御神業に仕へまつるべき大責任をお任せになつたのであります。今や天運循環の神律によつて、世界各地に精神的救世主が現はれてをります。就いては日出雄も主の神の神示に従ひ、到底この小さき教団のみの神柱となつてゐることは出来ないやうになりました。今日の人間は口先では実に勇壮活溌な、鬼神も跣足で逃げるやうな大気焔をはき、メートルを上げてる者もありますが、愈々実地となつた時は竜頭蛇尾に終るのが一般の傾向であります。今日の人間は凡てが卑劣で柔弱で、小心で貪欲で、我利我利亡者で、排他的で、真の勇気がありませぬ。かかる汚穢陀羅昏迷の極度に達した人心に活気を与へ、神の聖霊の宿つた活きた機関として、天晴れ活動せしめむとするには、先づ第一に勇壮活溌なる模範を示し、各人間の心の岩戸を開いてやる必要がありますので、国照姫命は荒波猛る絶海の孤島冠島、沓島などに、小舟で渡り、荒行をなし、或は鞍馬山の幽谷その他の霊山霊地へ自ら出修して、信徒の肝を大ならしめ、有為なる信者を作り、社会のために至誠を尽さしめむと努められたのであります。乍併元来臆病神の巣窟となつてゐる人間は盲聾同様で、国照姫命の聖跡をふんで、その実行を試みた者は一人もなかつたのであります。勿論開祖の行かれた冠島沓島や鞍馬山へ参拝して御神業が勤まつたと思つてゐる分らずやは相当にありました。けれどもその精神を汲取つてその道に大活動を続けようとする勇者は一人も出なかつたのであります。この体をみて憤慨した日出雄は三五の信徒を始め自転倒島の人間及世界の人間に模範を示すために、神示を畏み、蒙古の大原野を先づ第一に開拓すべく、大正六年の春より、秘かにその準備に着手して居りました。古語にも南船北馬といふ語があります。どうしても東北に進むのには馬に乗ることが必要である。故に日出雄はこの年より準備の一端として、四頭の馬を飼育し、背の高き馬、低き馬、おとなしき馬、はげしき馬を乗こなし、時の到るを待ちつつあつた。そこへ神示の如く、大正十年辛酉の年に至つて、事件のため再び天下の大誤解をうけ、行動の自由を失つたので、意を決し、この世界の源日出雄として活動せむと思つてゐます。どうか諸子はその考へを以て神業に奉仕されむことを希望致します。』
と結んで降壇した。源日出雄の心中には既に既に神命を奉戴し、空前絶後の大神業を今や企てむとし、満月の如く絞つた弓の矢は近く放たれむとしてゐたのである。

(大正一四・八・一五 松村真澄筆録)



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