出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語68-0-11925/01山河草木未 序文王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
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あらすじ
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本文    文字数=4202

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序文

 大正甲子は古来稀なる変つた年であつた。世界にとつても、大本にとつても、また著者自身にとつても、大革新の気分の漂うた不思議な年である。まづ世界の出来事はさておいて、大本の過去一年間の活躍史を見れば、エスペラント語をもつて綴りたる大本雑誌を世界四十八カ国に発送し、かつ世界の各地より大本を求めて来る者もつとも多く、次いで大本瑞祥会を亀岡より綾部に移して、教務の統一を計り、役員職員を新任し、規約を制定して、大いに神人愛のため鵬翼を張つて天下に高翔せむとする機運に向かつた。次いで黒竜会との精神的提携、普天教との関係はますます濃厚の度を加へ、支那道院紅卍字会と提携して神戸に道院を設け、広く各宗の信徒を集め、宗教統一の大本が理想の実現に着手した。また回教徒吾が派遣したる公文直太郎氏の復命をはじめ、田中逸平氏の参綾、支蒙学者の石山福治氏その他数多名士の参綾となり、大本は愈この年より復興革新の曙光を認むることとなつた。
 また著者個人にとつては、正月九日より亜細亜聊盟の基礎を造らむため、秘書長松村氏外二名と共に朝鮮を経由して奉天に渡り、蒙古の英雄蘆占魁その他の豪傑連を率ゐて蒙古救援軍を起し、深く奥地に入つて、索倫山に軍の編成をなし、大本喇嘛教を設立し、日地月星の教旗を翻し、着々として人類愛実行の緒に就きしが、大神の摂理によりて白因太拉の難を無事突破し、支那ならびに日本領事館の監獄生活を甞め、新暦七月二十五日再び内地に帰り、警官に護送されて、同月二十七日大阪若松町の刑務所に投げ込まれ、九十九日の獄舎生活を了へて、十一月一日やうやく綾部に帰り、霊界物語第六十七巻として蒙古入の梗概を口述し、表面上野公園著として天下に発表することとした。それより寸閑を窺ひ、六十八、九の巻を口述し、また更に正月五日より七日に亘り、古稀の巻(七十巻)を口述し了ることとなつた。五日の五は厳の御魂に因あり、かつ大正十年著者が始めて京都の刑務所に投げ込まれたる記念すべき日である。六日の六、水火の調節によつて万物萌え出づるという言霊であり、七日は天地完成の意を含んだ吉日である。この目出たき五六七の三六の三ケ日は瑞の御魂に因んでゐる。また五六七殿の七五三の太鼓は甲子九月八日より五六七と打つことになり、この日は印象深き神島詣での際、二代澄子が紫の玉にも譬ふべき、尉と姥との神像を迎へ帰りし瑞祥の日である。また二女の梅野、三女の八重野の結婚も甲子の年に執り行ふこととなつた。何につけても千変万化、端倪すべからざる事物の続出したる記念の年である。
 月光いよいよ世に出でて万界の暗を照破す、とは霊界物語の発表に対し、神界より示されたる聖句である。古来稀有と称する七十巻の巻を編述するに当り、月光閣において、始めて完成したるも、御幣担ぎか知らねども、著者にとつては、実に何かの神界の経綸が秘んでゐるやうにも考へられる。筆録者松村真澄、北村隆光、加藤明子諸氏の筆録の労苦を謝し、後日の記念のために茲に誌しおく次第である。
 六日の夕方より七日の午後にかけ黄白色の降雪あり。地上に積むこと殆んど二寸、これまた実に古来稀有の現象といふべしである。惟神霊幸倍坐世。
   大正十四年正月七日 新一月三十日 於月光閣
(編輯者から)本巻は都合により第六十八巻として発行されます。以後も引続き順送りとなりますから御諒承下さい。



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