出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語38-5-261922/10舎身活躍丑 日の出王仁三郎参照文献検索
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第二六章 日の出〔一〇六三〕

 明治三十二年の夏、上谷の修行場にて幽斎修行の最中審神者の喜楽に小松林命神懸せられ、
『如何なる迫害や圧迫があつても綾部を去つてはならぬ。ともかく明治卅五年の正月十五日までは綾部で辛抱をせよ』
とのお諭しであつた。それで喜楽はあらゆる迫害と侮辱を隠忍して卅五年を待ちつつ、神妙に神様の道を修行して居た。愈卅五年正月十五日が来たので、
喜楽『今後どうしませうか』
と伺つて見た所、
『明日の朝からソツと園部の方面を指して行け』
との神示が降つたので軽装を整へ、ただ一人澄子にその意を告げ布教伝道の途に上つた。澄子は初めての妊娠で已に臨月であつた。何時出産するかも知れない場合である。自分も大変に初めての子の出産であるから気にかかつて仕方がない。けれども一旦神様に任した身の上、妻のために神務を半時でも悤にする事は出来ぬと決心し、夫婦相談の上出立したのである。
 先づ園部本町の奥村と云ふ雑貨店へ落ちつき、主人夫婦の懇篤なる世話によつてその家の別宅を無料で貸して貰ひ、かつ衣食万端を奥村から支給され日夜宣伝に従事しつつあつた。奥村氏は園部において相当の地位名望もあり財産もあつた。さうして清廉潔白の聞えの高い紳士である。その奥村氏が先頭に立つて商業の傍、熱心に宣伝したので、地方の紳士連中は先を争うて入信した。園部へ落ちついてから十二日目の夜に、綾部に残してある澄子が出産したやうな夢を見たので、神様に聞いて見ると出産をしたから一先づ帰つてやれと云ふ事であつた。そこで奥村氏にその旨を告げ留守中を頼みおき、浅井はなと云ふ婆サンに神前の御給仕を命じてただ一人スタスタと檜山の坂原巳之助と云ふ熱心な信者の宅へ立寄り昼飯を供せられ一服して居ると、其処へ慌ただしく綾部から四方祐助と云ふ爺サンが尋ねて来り門口から、
祐助『海潮サンはお内に居られますか』
と尋ねてゐる。坂原巳之助は綾部の中村一派のやり方に愛想をつかし、喜楽の教のみを信従してゐたのだから、屹度喜楽は此処に居るだらうと思つて尋ねて来たのである。奥の間で祝詞を奏上して居た喜楽はこの声を聞いて静かに表へ出て、
喜楽『あゝ祐助さん、よう来てくれた、まあ一服しなさい』
と云ふと爺サンは庭に立ちはだかつたまま、
祐助『これ海潮、何をグヅグヅして居るのだ。綾部は大変な事が出来て居りますぜ』
とゴツゴツした声で睨めつけるやうに云ふ。喜楽も何か澄子の身の上に就て変事でも出来たのではないかと、少しく不安の念に駆られて、
喜楽『祐助サン、澄子は機嫌よく出産しましたかな』
と尋ねると、祐助は首をブリブリと振つて、
祐助『えー、出産も糞もあるものか。自分の女房が臨月になつてゐるのに教祖様に隠れて其処ら中をうろつき廻り、悠々閑々と何の事ぢやい。綾部には大変の事が出来ましたぞ。それだから教祖様が何処へも行くでないとおつしやるのだ。教祖様の命令を背くと何時でもこの通りなりますのぢや』
と息を喘ませて諒解し難い事を呶鳴りたてる。喜楽は益々不安の雲に包まれて、
喜楽『澄子は安産しただらうなア。そして男か女か何方が出来た、早く知らしてくれ』
と云はせも果てず、祐助はまたもや首を頻りに振つて、
祐助『え、凡夫の俺がそんな事分つて堪るものか。海潮サンは天眼通が利くぢやないか、小松林に尋ねたら、それ位の事は分りさうなものぢやないか。それが分らないやうな事で偉さうに神懸ぢやの、先生ぢやのとは云ふて貰ひますまい。綾部は何どころの騒ぎぢやないわ。改心をせぬと、こんな事が出来ると何時も教祖さまがおつしやつたのを尻に聞かして居るものだから、こんな不都合な事が出来たのぢや。初産の事とて教祖さまも大変な心配、この祐助もどれだけ心配したかしれませぬぞや。お前サンも綾部へヌケヌケと帰つて来る顔がありますまい。帰るのが嫌なら帰らいでもよろしい左様なら』
と云ひながらスタスタと阪原の家を出て行かうとする。喜楽は益す気になつて、
喜楽『これ祐助サン、吉か凶か、どちらか、それだけ聞かしてくれ』
と小さい声で尋ねて見ると祐助は、
祐助『そんな事の分らぬやうな天眼通が何になるものかい』
とブツブツ囁きながら委細構はず駆け出し、
祐助『よう思案するがよい』
と捨台詞を残して早くも綾部へ帰つて行く。喜楽は慌て阪原氏に送られ一目散に祐助の後を追ひ駆けた。さうすると祐助は三の宮のある茶店で腰をかけ、
祐助『あゝ云つておけば屹度帰つて来るに相違ない』
と高を括つて居る。
 『とに角安産した。そして女の子が出来た』と云つたら、『あゝさうか』と云つたきり喜楽は帰らぬから心配さしたら帰つて来るだらうと、綾部で役員信者相談の結果祐助が代表者になつて選まれて来たのだと云ふことが後になつて分つた。丁度自分が園部で夢を見たその日に直霊が生れたのである。その日は新三月七日旧正月二十八日であつた。祐助と三人連れで綾部の宅に帰つて見ると、盛に赤児の泣き声が聞えて居る。初めて自分の子の声を聞いた時は何とも云はれぬ感じがした。しかしあの声で子は達者であるが、澄子の身体はどうだらうと案じながら門口を跨げて見ると母子とも至極壮健であつた。それから教祖さまに、
『自分の女房が臨月で何時子が出来るか分らぬのに、神様の命令も聞かずに、そこら中に飛び出すのは余り水臭いぢやないか』
と散々叱言を云はれ、謝り入つて三十日の間、宮詣りのすむまで綾部に蟄居して居た。さうすると園部の奥村から『沢山の信者が待つて居るから早く来てくれ』と云ふ手紙が毎日のやうに出て来るので、四月の三日再び綾部を飛び出し園部で布教をつづけて居た。その留守中に自分が明治三十一年、穴太に居つた時から三十四年一杯かかつて執筆しておいた五百冊の書物を、四方平蔵、中村竹蔵の発起で立替の御用ぢやと云つて悉皆焼いてしまつたのである。それから園部を根拠として大阪へ教線を開き、陸軍砲兵中佐の溝口清俊と云ふ休職軍人と心を協せて大阪市の宣伝に従事して居た。この中佐の宅へ心安く遊びに来る、背のスラツとした、人品のよい少し頭の光つた男が溝口中佐に説きつけられて熱心な信者となり、追々中流以上の信者が出来て天王寺の附近に一万坪の地面を買ひ、霊学会の本部を設置する段取とまでなつてきた。さうしてその溝口の宅へ出入りして居た男と云ふのは、大阪の難波分所長の内藤正照氏であつた。内藤正照氏と溝口中佐と喜楽の三人は大阪市中の稲荷下げの教会を巡歴して種々と霊術比べをやり、それを唯一の楽しみとして布教は、そつちのけに三百六十軒ばかり市中の神懸を探し廻つて霊縛をしたり、色々と自分等の霊術を誇り得意になつて居た。今から思へば実に馬鹿らしい事を得意になつてしたと思ふ。しかしこの間に神懸に対する非常な経験を得た事を思へば、これも矢張御神慮であつたかも知れぬ。それから北海道の銀行の頭取をやつて居た山田文辰と云ふ男や内藤や、京都牧場の松原栄太郎等と人造精乳会社を、京都、大阪、園部に設置し、数千円の金を醵出して一つの事業を起し宣伝の費用に当てやうと目論見、已に着手して居る所へ、京都の高松某が中村竹蔵の指図によつて会社の工場修繕の大工に雇はれ散々に喜楽の悪口をなし、それが基となつて松原栄太郎、若林某、山田文辰等が変心し出し、折角組み立てた発頭人の喜楽や内藤を放逐せむとした。中村は何とかして喜楽が京阪地方で活動するのを妨害し、失敗の結果綾部へ逃げ帰り一間へ押し込めて活動の出来ないやうにしてやらねばこのままにして置いては虎を野に放つやうなもので、大本の教をとつてしまふに違ひないと役員一同が相談の結果、かう云ふ手段をとつたのであつた。そこで喜楽は已を得ず精乳会社を脱退し、内藤正照と愛善坂の麓で神様を祀り、布教宣伝に着手して居た。難波新地の婦人科の医者で杉村牧太郎と云ふ金光教の熱心な信者があり、また杉本恵と云ふ御嶽教の教導職や大阪大林区署に勤めて居た高屋利太郎、並びに錻力職の池田大造らと図り大宣伝をやつて居た。大阪の侠客の団熊や山田嘉平等も信者となつて大活動を始め、漸く曙光を認め、高屋利太郎は一同の代表者として一度綾部へ参拝して来やうと云つて詣つて来た所、中村が一生懸命に喜楽の悪口をついて且脱線的の言葉を並べ『洋服を着たやうな連中は此処には来る事ならぬ』と高屋氏を箒で掃き出したので、高屋氏が大阪へ帰つて来て憤慨し折角組み立てた霊学会へひびが這入り、ゴタゴタして居る所へ中村竹蔵の内命で三牧次三郎が尋ねて来て、この男が口を極めて喜楽を罵倒したので止むを得ず大阪を立ち綾部へ帰つて来たのは明治三十六年の十一月頃であつた。さうすると役員が寄つて集つて自分の洋服を剥ぎとり、帽も靴も服も引裂いて雪隠へ突つ込んでしまひ、
『さあ、これで四ツ足の皮を剥いでやつた。これで海潮も改心をして、おとなしくなるだらう。神に背いて致した事は何事も九分九厘でグレンと覆るとお筆に出て居りますが、これで海潮サンも気がつくだらう』
と自分等が極力妨害しておきながら、神さまの業のやうにすまし込んで居る。それから自分も再び離れの六畳に蟄居してまたもや隠れ忍んで古典学を研究したり、筆の雫や道の大本等の執筆にとりかかり、明治三十八年の八月まで綾部に尻を据えて時を待つ事としたのであつた。

(大正一一・一〇・一九 旧八・二九 北村隆光録)



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